二人のアン part2
雹まじりの冷たい雨と横殴りの強い風が一層激しさを増し、絶望が身体を侵食していく中、アンは最後の力を振り絞り声の限りに叫んだ。
『大切な人たちのことを忘れ、ただ悲しみに身を委ねるなんて、そんなの絶対イヤッ!』
精いっぱいの呼びかけにも何の反応もなく、遂にアンは地面に倒れ込んでしまった。
『……もう……無理……ジョシュ……ごめん……』
だが、失いそうな意識の中で、脳裏に厳しくも優しく自分を育て、支えてくれた母や祖母の顔が浮かび、アンは震えながらも小さな声で呟き続けている。
「あたしは……
あたしは……
あきらめない!」
雨に濡れ、顔や体に力なく張り付いていた金髪がアンの意思を象徴するように、ふわふわと浮かび始めた。
前を向いたその瞳は、曽祖母に対する深い哀しみと救済への思いにより、憤怒の感情で戦う時よりもさらに純粋な緋色に染め上げられている。
まさに消え入る寸前のわずかに残る命の火をかき集め、再び立ち上がると開いた両手を大きく天に向け突き上げて、アンは叫んだ。
「あたしを見て、
ひいおばあちゃん!
あなたの娘、
華子の血を引いた
あなたの家族よ!
それにジョシュもいる!
あなたの息子である
太郎おじちゃんの孫で、
その思いを受け継ぎ、
あなたを愛する家族なの!
だから……
だから……!」
荒涼とした大地と分厚い雨雲に覆われた空に、アンの魂の絶叫が響いた。
「悲しみに負けないで!
あなたを絶望の牢獄に
閉じ込めているのは
あなた自身!
お願い……
もうこれ以上、
自分を傷つけないで!
あなたは……
いいえ、あたしたちは
誰も孤独じゃない!!」
叫びに応えるようにあれだけ吹き荒れた風が止み、雨が上がると雲の切れ目から天使が梯子を下ろすかのように地上へと、幾くつもの光が差しはじめた。
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「アン、しっかりしろ!」
「戻ってくるのよ!アン!」
椅子に座りこうべを垂れ、動かないアンを励まし続けているジョシュアとノーラの前で、変化が起こり始めていた。
アンの体が少しずつ柔らかな光に包まれ出したのだ。
「これは……⁉︎」
驚くジョシュアに対し、ノーラが興奮を隠しきれないように小さな叫び声をあげた。
「まさか……やったのね!」
アンの体に入り込んでいた白い影が少しずつ浮き上がっていくと、三人のテーブルから離れた場所に漂いながらゆっくりと実体化していく。
「う……うん……」
意識を失っていたアンが静かに目を覚ました。
「アン!気がついたかい⁉︎」
「……ジョシュ……?あたし……」
「やった、やったんだよ!」
「え……?」
「お手柄よ、アン!!」
「見てごらん、ほら!」
ぼんやりとした頭でジョシュアの指差す方向を見たアンは、思わず息を飲んだ。
そこにいたのはー淡い光に包まれところどころが半透明で透けてはいるがー柔らかな微笑みを浮かべたその姿は、まぎれもなくこの白猫亭で孤独のうちにその生涯を終えた二人の曽祖母であるもう一人のアンー吉岡アン、その人だった。
「あ、ああ……!!」
あまりの出来事に大きく開かれたアンの目から大粒の涙があふれ出した。
「よかった……!本当に……!!」
ジョシュアは両手で顔を覆って泣き出したアンの肩を軽く、そして優しくポンっと叩くと告げた。
「よくやってくれた。ありがとう、アン。ここからは僕に任せて」
えっ、と顔を上げて小さく声をあげたアンの横に座りなおすと、ジョシュアは机の上の小さな箱に手をかざし呪文の詠唱を始めた。
「Eloim Essaim frugativi et appelavi
“エロイム、エッサイム、フルガティウィ・エト・アッペラウィ“
神よ、悪魔よ。我が呼び声を聞け。我は求め、訴えたり」
ジョシュアがイギリスから持参した古い小さな組み木細工の箱ーそれは、ジョシュアの祖父アーサー・ウォルズリーの父親である建築家・吉岡聖隆が幼いアーサーのために作ったものであり、単身イギリスに渡ることになったアーサーのために母である吉岡アンが魔法を込めた“マジックボックス“。
波乱万丈のアーサーの生涯を見守り続けた、唯一無二の想い出の品物だった。
「エロイム、エッサイム、
我は求め、訴えたり。
現世と幽世をつなぐ
果てなき境界を彷徨い続ける
我が祖父アーサー・ウォルズリーの魂よ
記憶の欠片を道標として
今こそ顕れよ!」
ジョシュアの呪文を浴びた組み木細工の箱が小さくカチカチと震えだし、やがて目まぐるしく動き出したかと思うと箱の各面が一斉に開き輝き出した。
やがてあふれ出した光は、室内を柔らかな明るさで満たしていった。




