TOKYO 人気モデルのアン
東京を代表する繁華街・六本木の中心にそびえるテレビ局で、年に一度の5時間にも及ぶ大型特番の公開生放送が今まさに始まろうとしていた。
局内でも最大規模のスタジオは、出演者、スタッフ、プロダクション関係者に加え一般の観覧者を合わせると数百人を越す人間でぎっしりと埋まり、開始前から大変な熱気にあふれている。
テレビ離れが叫ばれ、経営状況が苦しい中で莫大な費用をかけたであろう豪華絢爛なセットと俳優、歌手、歌舞伎役者、モデル、お笑いタレント、果ては新進気鋭の政治評論家やコメンテーターまでずらりと揃った出演者はテレビ局のこの番組にかける意気込みをうかがわせる。
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あたしはメイク室で長い時間をかけて専属のメイクさんに最後の仕上げをしてもらっている。
「アンちゃん、オッケーよ!」
180センチ、100キロ越えの元ラガーマンのメイクさんが丸太のような腕をクネクネさせながら黄色い声でOKサインを出すと、いい歳して日焼けサロン通いの真っ黒に日焼けした顔と、サメみたいな純白の歯が自慢のマネージャーがわざとらしく声を張り上げる。
「今日も可愛い!もう最高おおおおお!」
鏡の中に映ったあたしの姿は、ひらひらしたド派手なミニのワンピースに、おばあちゃん譲りの自慢のブロンドにカラフルなリボンがたくさん付けられ、分厚いマスカラやキラキラしたパウダーが顔一面にこれでもかと塗りつけられている。
『なんだコレ、ピエロじゃん。頭おかしいんじゃないの』
あたしは周囲には聞こえないように小さく舌打ちした。
「さあ、アンちゃん!わかってると思うけど、今日は特別大事なお仕事だからね!これが成功したら、社長が好きなもの買ってあげるって言ってたから!」
「……物はいいんで、前から約束していた海外のコレクションのお話、どうなりました?」
あたしは鏡ごしにマネージャーの顔をじっと見つめた。
「あ、あ〜アレね!パリやミラノね!うん、もちろん考えている……と、思うよ!でも、まずは目の前のお仕事を、ね!」
案の定、視線をそらしてテキトーにごまかした。
心の中でチリチリと赤い火が起こりそうになって、あたしは慌てて深呼吸した。
『まだ早い、まだその時じゃないわよ、アン』
ガチャ。ドアが開き、ADさんが顔をのぞかせた。
「アンさん、そろそろスタンバイお願いしますっ」
どれだけ寝てないんだろう、疲れ果てた顔にシミだらけの汗臭いTシャツ姿の若いADさんに誘導され、入場ゲートの裏であたしはじっとその時を待つ。
一見豪華でも、ベニヤで作られたツギハギだらけのセットの安っぽさにウンザリしながらね。
「オッケー、じゃあそろそろ本番ヨロシクということで!打ち上げでみんな笑顔で美味しいビールが飲めるように、ミスなく盛り上げて行きましょう!5、4、3、2……」
フロアディレクターの合図とともに、軽快なBGMが鳴り響き、スタジオに組まれた巨大な階段からゲストが次々に登場して階段を囲むようにセットされたひな壇の自分の席に着席していく
子供っぽいルックスで人気の女子アナの、わざとらしく甘えた声が聞こえてきた
「さあ、次に登場するのは、今、雑誌やSNSで話題沸騰!キュートなルックスとおかしなことわざ使いがティーンに大人気の注目の十七才、ハーフモデルのアンちゃんでーす!」
『あたしの番だ』
あたしはADさんの方を振り返ると、ギュッとハグをした。
「いつもありがとう、行ってきます!」
彼女は目を見開いて驚いた後、ちょっと涙ぐみながら笑って小さく手を振ってくれた。
ゲートをくぐる前に、あたしはいつものルーティーンに入る。
『軽く目を閉じて、深呼吸。
さあ、行こう
スイッチを入れて
嘘の世界に飛び込もう』
「はーい、みんなハッピー?アンはもちろん『イエス、オッケー』だよおおお!」
あたしは脳みそが空っぽに見えるような笑顔と、できるだけ甲高い声でおきまりのキャッチフレーズを叫ぶと、両手でオッケーポーズを作りほっぺたに押し当てながら階段を降りていく。
「アンちゃん、初めての大型特番生放送、今のご気分は?」
拍手に迎えられ、席に着いたあたしに女子アナがマイクを近づけ質問をしてくる。
「うーんとね、わかんない!あ、でも、大好きなこの番組に出れたのも、アレ!『石の上にも念仏』だね!」
あたしたちはリハーサル通り、きっちりと役割を果たす
スタジオ中がわざとらしい笑い声に包まれ、スタジオの隅でマネージャーが親指をあげて満面の笑みを浮かべているのが見える。
あたしはイラッとしたが、できるだけ顔には出さないようにした。
今日の本当の目的は『あいつ』だから。
「さあ、最後に登場するのはもちろんこの方!わが番組が誇るスーパースター!人気MC、ラッキー小椋さんです!」
スタジオ内がそれまで以上の歓声と拍手に包まれる中、最上段にゴルフ焼けした真っ黒な顔に白ぶちメガネ、ヘルメットのようなカッチカチの髪の『あいつ』が登場した。
「イエ〜イ!みんな、愛してるよおおお!」
ピースサインを掲げながら、満面の笑顔とともにあいつが入場してくる。
なに笑ってんだよ、おい!
アシスタントやスタッフ、おまえのせいでどれだけの女の子が泣いているか、わかってんのかよ。
おまえの番組のアシスタントを務めてたマリアちゃんはなあ、あたしの事務所の先輩で、クソ野郎ばっかりのこの業界で唯一、あたしの事を心配して優しくしてくれた人なんだよ。
おまえがさんざんセクハラしたことや、最後には飲めないお酒を飲ましてレイプしたことも、それを事務所の人間が了承してたってこともあたしは知ってるんだ。
マリアちゃん、事務所も辞めて田舎に帰っちゃったよ。
モデルになりたいって夢も何もかもあきらめてね。
もう無理って、
ごめんねって、
泣きながら電話してきたよ。
絶対許さない。
あたしは自分の髪の毛がふわふわしだして、目の奥が熱くなっていくのを感じながらあいつが階段を降りてくるのをじっと待った。
まわりのひな壇のゲストに声をかけながら、あいつが降りてくる。
あいつは、あたしの方を見るといやらしい笑いを浮かべた。
今日の出演は、あたしが事務所に『なんでもやるから出演させてくれ』って頼んだ事をこいつは聞いているんだろう。
そう、あたしは『なんでもやる』って決めてきたんだ。
「初めまして、アンちゃん!今日は頑張ってー」
あたしの顔を見てあいつの笑顔が固まった。
「き、きみ、その眼!どうしたの?」
「えー?何がですかあ?」
「だって、きみ、瞳が真っ赤だよ!あ、カラコンなの?若い人の流行りはオジさんわかんないや!」
ふん。
あたしは鼻で笑うと、あいつの顔を見つめてつぶやいた。
「恥を知りなさい、とことんね」
あいつはキョトンとした顔をしていたが、次の瞬間、まるで見えない巨大な手につまみ上げられたようにふわっと浮かび上がると、長い階段から一気に滑り落ちた。
「あ〜〜〜〜〜!!」
長い悲鳴を残し、スタッフやゲスト、一般のお客さんが見守る中、あいつはそのまま一番下まで落下した。
階段の途中に、持ち主を見失ったかわいそうなカツラを残したまま。
あいつはひっくり返ったまましばらく呆然としていたが、頭が涼しいことに気づいて起き上がると怒声をあげた。
「お、おい、てめえら!カメラ止めろ!俺を映すんじゃねえ!ブチ殺すぞ!……あ、ああっ!」
一部始終が全国に生放送で流れていることに気づいた時には、もう手遅れだった。
「やだあ〜だいじょうぶう?」
あたしは席から立ち上がると、芸能界に入ってからいちばんの、とびっきりのハイテンションで叫んだ。
「ケガなくってよかったあ、ハゲだけに!なんてね」
あたしはもう一度、「イエス!オッケー」のポーズを決めると、カメラに向かいとびきりの笑顔でウインクした。
必死に笑いをこらえていたゲストの誰かが吹き出したのをきっかけに、スタジオ中が大爆笑に包まれた。
ただし、番組スタッフやあいつの事務所の人間は誰も笑っていないけどね。
マネージャーが鬼のような顔をした関係者に頭を下げ続けているのが見える中、あたしは席を立つと、騒然とするスタジオを後にした。
「あースッキリした!」
テレビ局を出て、タクシーに乗ってひと息ついて興奮が収まると、忘れていた遠い昔の大切な約束が思い出されてきて、胸の奥がちくっと痛い。
『杏奈、あんたの力、二度と人に使っちゃダメよ!約束だからね』
約束破ってゴメンね、ママ。
これからどうしよう。
もう芸能界ー東京にはいたくないけど、
ママの所へも帰りづらいなあ。
あいつの事務所って怖い人が
バックについた超大手で
うちの事務所も逆らえないし、
もう、モデルの仕事も無理かな。
どこかへ行ってしまいたいなあー
『そうだ』
あたしはふと思い出して、カバンの中を探った。
数日前に届いていた、一通の手紙があった。
今時珍しく、真紅のワックスで封をした
うす紫色の手紙の表には
「招待状
吉岡杏奈様
尾道 白猫亭」と
きれいな筆跡でそう記されていた。
「尾道……曽おばあちゃんの故郷か」