ONOMICHI ようこそ白猫亭へ、アン part2
少しは弱くなったとは言うものの、降り続く雨音は白猫亭の館内に憂鬱なリズムを刻み続けている。
『やれやれ、待っているだけと言うのも疲れるもんだな』
小さなため息を一つついたジョシュアだったが、何かを思い出したかのように開業当時から備え付けられているアンティークな蓄音機に近よると、すぐ側のレコードラックから取り出した一枚のレコードを慎重にセットした。
針がゆっくりとレコード盤の上を走り出すと、小さなノイズ混じりの管弦楽曲が響き渡りはじめた。
それはイギリスでは愛国の曲として人気の高いグスターヴ・ホルストの『惑星』だった。
『幼少の頃から天文学に興味を持っていた曽祖母ちゃんらしい選曲だな。城の年代物の天体望遠鏡や地球儀も、誕生日プレゼントとしてわざわざ外国から取り寄せてもらったと言うし』
普段はクラシックには義務と教養以上の興味は持たないジョシュアだが、複雑で美しい旋律にいつしか深く引き込まれていった。
『いったい、どれほどの孤独と悲しみと共に過ごしていたんだろう……』
この曲を聴いて遠い故郷に想いを馳せながら、一人ぼっちでその人生を終えた曽祖母のことを想像すると、さすがのジョシュアにも胸に応えるものがあったのだ。
改めて往年の姿を再現した館内を見渡し、ジョシュアはつぶやいた。
『ここまでは何とかできた……後はやはり、待つだけか……』
さまざまな思いを巡らせているその時、管弦楽の演奏に混じって人の声が聞こえた気がして、ジョシュアはぎょっとして辺りを見渡した。
『まさか……もう魂が反応しているのか?』
だが、館内には変わった気配は何もなく、苦笑すると大きく首を振った。
『まだ全ての要素が揃った訳じゃないし、気のせいか……』
だが声は止むことなく続き、それと共に何かを叩く音がする。
『これはいったい、どう言うことだ……?』
困惑するジョシュアの耳にドアを激しく叩き蹴り飛ばす音と、怒鳴り声に変化した若い女性の声が聞こえてきた。
「もう、いい加減にしてよ!誰かいるんでしょ?早くここを開けてってばあああああ!」
『忘れてた!!』
ジョシュアが慌ててドアを開けると、そこには全身ずぶ濡れの泥まみれ、半べそをかきながら怒りの表情で仁王立ちと言う非常にややこしいアンの姿があった。
「ごめんごめん、君ーー」
話し出そうとした次の瞬間、ジョシュアの顔面めがけてアンの正拳突きが飛んできた。
「あぶなっ!!ちょっと聞いてーー」
間一髪でかわしながらのジョシュアの言い訳を無視し、アンは殺す勢いの突きと蹴りを連続して繰り出しながら、ずんずんずんと館内に突入してきた。
「ちょ、ちょっと待てってば!」
その言葉にアンはピタリと動きを止め、ジョシュアがひと安心したのもつかの間ーー
「びえっくっしょおんんんんんんん!!!」
大きなくしゃみとともに、大量のアンの涙と鼻水がジョシュアの顔面に降り注いだ。
「びえっくしゅんん!もうイヤッ!みんなキライっ!バカバカバカああああ!!!」
レースのハンカチで丁寧に顔を拭きつつ、ジョシュアは豪快に泣き出した暴れん坊につぶやいた。
「……とりあえず、熱いシャワーでも浴びた方がいいんじゃないかな」




