LONDON 金髪の貴公子・ジョシュア
RAFノースホルト空港はイギリス・ロンドン西部、サウスライスリップにある空港である。
ヒースローやガトウィック、マンチェスターなど著名な国際空港との一番の違いはRAFーロイヤルエアフォースーの名前が示す通り、英国空軍の基地として設立され、現在でも民間航空の空港でありながら、軍事基地としても使用されている点にあった。
その高いセキュリティと輝かしい歴史により、英国王室の関係者や国家元首のための豪華な環境を備えたVIP専用のプライベートジェットターミナルがあることでも知られている。
今、その空港に向かって複数の車の追跡から逃れるように爆走する一台のモーターサイクルがあった。
ラメ入りのオールブラックにペイントされたド派手な車体は、バーティカルツインエンジンのトライアンフT120ボンネビルをベースにさらに高排気量に改造したクラシックな外観とは裏腹のモンスターバイクだ。
ハンドルを握るのは金髪のロングヘアーに古い戦闘機乗りがかけるようなアンティークなゴーグルをかけ、黒のレザーパンツにシルクのような光沢を見せる白いシャツを着た青年であった。
時折後ろを振り返り追跡する車をからかうように白い歯を見せながらさらに加速して一気に振り切ると、すでに開かれていた空港のゲートから侵入して一般滑走路を横切ってプライベートジェットターミナルの一番奥に停めてある機体ギリギリにピタリと停車して見せた。
青年はバイクから降りると、目を白黒させている空港の係員や整備員たちの方を向いてゴーグルを外して放り投げると、人懐っこい笑顔で微笑みかけた。
「いつも整備ありがとう。じゃあ、行ってくるよ」
鼻歌交じりの軽快な足取りでタラップを上り、機内の専用シートに着いてしばらくの後、彼を追跡してきた黒塗りの車が次々に滑走路へと侵入し、急停車した。
先頭の車から降りてきた黒いスーツに身を固めたがっしりとした体型の男性がプライベートジェットに向かい、血管が切れるのではないかと思うほどの大声で叫んだ。
「ジョシュア様!ご当主様!」
プライベートジェットの窓からは、こちらを向いてにこやかに手を振る青年の姿が見える。
「どちらへ行かれる気ですか!本日は!大切な!親族会議の日ですぞ!」
機内では彼専任の美しいCAがよく冷やされたウエルカム・シャンパンをサーブしている。
「お味はいかがでしょうか、ご当主様?」
青年は、泡立つ黄金色の液体が満たされた細長いグラスを口に運ぶと、満面に笑みを浮かべ親指を立てた。
「最高だ。そろそろ出発しようか」
ゆっくりと動き出した機体の窓に映る彼ののんきな姿に、男性の顔がさらに紅潮し、並走して走りながら叫ぶ声はもはや野生動物の咆哮と思わせるほどのボリュームになっている。
「ジョシュア様!ウォルズリー家の!十二家の皆様が!貴重な時間を割いて!お集まりになるー」
その時、男性のジャケットのポケットから、クイーンの古典とも呼べる名曲「バイシクルレース」のけたたましい音楽が響いてきて、男性は慌ててポケットから携帯電話を取り出すと大声で叫んだ。
「ジョシュア様!」
「やあ、レスター。あんまり大声を出すと健康に悪いよ?」
「ご冗談を言ってる場合ではございません!ご親族の皆様が城でお待ちですよ!どちらへ行かれるんですか!」
「ああ、うん。急に出かけないといけなくなったんだよ。みんなには悪いんだけどさ、来週に伸ばしてくれるよう言っといてくれない?」
のんびりとした若者の返事に男性の額に太い血管が浮かび上がるのが傍目からもわかった。
「……そんな!午後の!お茶会じゃ!ないんですよ!」
そうこうしている間にも機体のスピードはどんどん上がり、携帯を握りしめ怒鳴りながら並走する男性にも限界が訪れていた。
「レスター、もう離れないと危ないよ」
「ジョシュア様ああああ!」
「おみやげ買ってくるから待っててね〜」
ふわりと浮かび上がった機体は一気に加速すると、漆黒の上空へと消えていった。
男性は荒い息を吐きながら、しばらく滑走路に呆然と座り込んでいたが、やがて立ち上がると握りしめていた携帯電話を忌々しげに滑走路に叩き付けようと振りかぶった。
だが、しばらくの間携帯電話をじっと見つめると、何とか思いとどまったようで緩んだネクタイを締め直し、服装の乱れを直すと心配して自分を追ってきた部下たちの方を振り向いた。
「諸君!ご当主は体調不良により一週間ほど入院されることとなった。本日の親族会議は中止とし、親族の方々には来週の予定で調整するとお伝えするように」
「し、しかし、レスター様!それで皆様が納得されるかどうか……」
「異議のある方には、ウォルズリー家筆頭執事である私が直接お会いして謝罪する旨を伝えておけ。それなら文句はあるまい。城へ戻るぞ」
部下の不安を打ち消すように、キッパリと宣言すると車へと歩きながら携帯電話のカバーに掘られたメッセージをもう一度見つめた。
『僕の大切な家族、レスターへ。
ジョシュア・ウォルズリー』
「やれやれ、振り回されるのは親子揃って宿命というわけか」
男性は苦笑いすると、部下とともに車に乗り込み空港を後にした。
滑走路では一人の若い整備士がポカンと口を開け、仲間に尋ねている。
「あ、あの、さっきのあれは、何なんですか?」
「あれって?」
「あの金髪の兄ちゃんですよ!あんなド派手なバイクで空港に侵入してきたと思ったら、プライベートジェットだなんて!一体何者なんです?」
「あー、おまえは新入りだから知らないのも無理はないな」
別の仲間らしき男が笑いながら口を挟んでくる。
「あれが、資産百億ポンド以上、イギリス、いやヨーロッパ有数の大貴族にして大富豪、英国王室に一番近いと言われる名門ウォルズリー家の跡取りのジョシュア・ウォルズリーだよ」
「はあ?あのノーテンキな若僧が⁉︎」
「ああ、前当主『太陽王』と呼ばれた名君アーサー・ウォルズリー卿
の孫だよ。まあ気のいい兄ちゃんだけど、あれじゃああの家も苦労するだろうなあ」
「そ、そんなもんですかあ。あ!このバイクどうするんですか?」
「ああ、倉庫に大事にしまっとけよ。とびっきりチップをはずんでくれるから」
「マジすか!」
その頃、プライベートジェットの機内ではジョシュアが古びた組み木細工を取り出し、じっと見つめていた。
「おじいちゃん、もう少しだけ待っていてね。日本ですべてのケリをつけるから」