ONOMICHI アン到着 part1
「はあああああ~やっと着いた!」
尾道駅のホームに降り立った途端にあふれ出たあたしの声は自分が思っていたより随分と大きかったようで、周りにいた人たちがいっせいにこっちに注目した。
さすがに気恥ずかしくなって、お気に入りのNEW ERAのキャップを目深にかぶり直しながら、それでもボリュームをうんと下げてでもボヤかずにはいられない。
『だって、仕方ないじゃん!東京から何だかんだで5時間以上よ?いい加減、代わり映えしない車窓風景にも飽きたしお尻も痛いし、気づいたらもう午後三時をまわってお腹もペコペコだし!
もっと早く着くと思ってたけど、やっぱり田舎よね、うん!』
あたしが驚いたことの一つは、この駅が思っていたよりずいぶんと小さいことだった。
車中、あまりにヒマなんでスマホで調べまくったところ、何でも駅舎自体は最近立て直したらしくて確かにキレイなんだけどーやっぱりザ・イナカの駅って感じがする。
改札を抜け、自分にとってのルーツであるこの街で、記念すべき第一歩を踏み出したあたしは思わずもう一度叫んでしまった。
「人、すくなっ!」
一応はあたしもモデル兼タレントの端くれとしてロケ番組なんかで鎌倉や京都みたいな有名な観光地はひと通り訪れたことがあって、どの観光地もそれなりに賑わっていた。
でも、ここも結構有名な観光地のはずなのに、何これ?と思うほど全然人がいない!何だか拍子抜けした気分だったけど、駅舎から少し歩き出した瞬間にそんな気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。
「すっごい!目の前海じゃん!」
そう、駅を出て信号を渡ったすぐ前には潮の香りとともに真夏の太陽が降り注ぐ波おだやかな瀬戸内海がひろがっていたんだ。
そして海岸沿いには奇麗に整えられた芝生に、ウッドテラスやベンチが配置された遊歩道がずっと続いている。
「へえ、なんかいい感じじゃない?あ、いいとこ発見!」
あたしは遊歩道のすぐ側に、猫のイラストが描かれた可愛い看板が印象的なこじんまりとしたカフェを発見した。
さほど広くはないけどキュートなインテリアの店内は居心地が良さそうで随分と迷ったけど、天気もいいしせっかくなので飲み物をテイクアウトして海の見えるベンチでいただくことにした。
トールサイズのコップに氷の層をかき分けるようにして紙製のストローを差し込んで、クルクルと回す。
勢いよく冷えたカフェオレを吸い込むと、カラダ中に程よく優しい甘さがゆっくりとしみていくのがわかった。
「あー、やっと生き返ったあああ!」
考えたらスタジオであの憎らしいセクハラハゲ親父にちょっとしたイタズラをしてからまだ24時間も経っていないのに、随分昔の気がするなあ。
結局あの後、事務所が借りてくれてる自宅には戻らず、あたしはそのままタクシーでオフの日によく利用するネットカフェへ向かった。
どうしてかって?そりゃあさすがのあたしも、マネージャーやテレビ局のスタッフ、それにヤクザがらみで有名なあのハゲの事務所まで、みんなブチ切れてるだろうってのは想像は付くからね。
結局ネカフェでひと晩過ごしたあたしは、朝イチで東京駅に向かいそのまま新幹線に飛び乗った。
だけどその間ろくに食事も取っていないから、もういい加減あたしのライフはゼロに近くなっている。
「ふうっ」
キャップを脱いでまとめていた髪をほどくと、少し行儀が悪いけどあたしは黒いサンダルを脱いで裸足になった。
このルブタンのサンダルはこの世界に飛び込む時に買ったあたしの宝物だ。極端にヒールが高く大胆なシルエットも、真っ赤な靴底もそれまでのあたしの価値観を全部ぶっ壊すくらい最高にクールで、ひと目見た時から夢中になった。
当時のあたしにとっては目の玉が飛び出るような値段だったけど、食べたい物も必死に我慢して手に入れたんだ。
事務所の関係者や周りのスタッフみんなに、駆け出しの十代のモデルには不釣り合いだ、おかしいよっていろいろ言われたり笑われたりしたけど、それでも構わない。
これを履くと本当は泣き虫でさびしがり屋の自分が誰にも負けないくらい強く、大きくなれる気がして大手のオーディションや今回みたいなテレビの特番など、不安で押しつぶされそうなときにいつも履くことに決めている。
ただ、120ミリのヒールはさすがに長時間履いていると疲れちゃうんだよなあ。
あたしは改めて考えた。
「これから、どうしよう」
とりあえずあの招待状にあった住所を頼りにひいおばあちゃんの屋敷があるこの尾道まで来ちゃったけど、そこから先が1ミリも浮かんでこない。
「東京にも戻れないし、ママも怒ってるだろうし。改装してホテルになったって書いてあったから、働かせてもらおうかな。でも、突然そんなこと言い出したらホテルの人にも迷惑よねえ」
ぐるぐる考えを巡らせてるうちに、なんだかユーウツになってきた。
「んー、ちょっとやっちゃおうか!!」
あたしは裸足で芝生に足を降ろした。ちくちくとした刺激と足裏から伝わるひんやりとした地面の感覚が気持ちいい。
不動立ちをして両手を十字の形で上にあげ、ゆっくりと十字を切るように下ろしながら左右に開くのと一緒に大きく息を吐く。
限界まで吐き切ったら、両手を正面で合わせるように持っていきながら、ゆっくりと吸う。
そのままおへその下に溜める形でしばらく我慢して、またゆっくりと息を吐き出す。
これは怒りによる魔法の暴走を抑えるための感情のコントロールに役立つだろうと、ママが小さい頃から通わせてくれた伝統派の空手道場で覚えた呼吸法ー『息吹』だ。
目を閉じて何度か繰り返すと気持ちが落ち着いてきて体がリラックスしていくのがわかる。
あたしはそのまま、空手の型の中でも大好きな型ー観空大を始める。
指先からつま先まで精神を集中して、見えない敵をイメージしてさまざまな突きと蹴りを速く、そして正確に放つ。
どんどん集中力が高まっていき風を切る音以外、耳に入ってこなくなる。
自分の手が、足が空気を切り裂くこの感覚があたしは大好きなんだ。
最初に通わされたバレエ教室は退屈すぎて長続きしなかったけど、空手はあたしに向いていたようで、小学校の高学年の頃、大きな大会で優勝できるほどの腕前になる頃には、あたしはママが心配していた魔法の暴走を起こさなくなっていった。
でもそれは、ママが考えていたのとはちょっと違う効果なんだけど。
型の最後に、仕上げとして右の上段回し蹴りから、連続して空中に飛び上がっての左後ろ回し蹴りをキレイに決めて着地すると、あたしはペロッと舌を出した。
「だって、頭にきたら魔法より先に蹴っ飛ばしちゃえばいいもんね!」
パチパチパチパチパチパチパチパチパチ!
突然、拍手の音が聞こえて我にかえるといつのまにか大勢の見物客が集まっていて取り囲まれていて、あたしはすっかり見世物になっていた。
その中にはスマホでずっと撮影している女子高校生らしきグループもいて、あたしの正体に気づいたようで興奮してキャッキャ騒いでいる。
「ちょ、ちょっとヤメてよ〜!」
恥ずかしさで耳まで真っ赤になったあたしは慌ててサンダルを履くと、背後の女の子たちの「アンちゃんかわいい!」という声も無視してひったくるようにカバンとキャップを手にその場を走り去った。
「何やってんのよ、あたしは!あんなのSNSに上げられたら、事務所の連中にソッコーで見つかっちゃうじゃん!あ〜もう!」
再びキャップを目深にかぶりサングラスをかけ、自分のバカさ加減に呆れ返りながら、それでもその時のあたしはこの事が引き起こすもっと重大な危機に気づいていなかったんだ。




