5. 待ち望んだ日
それから二年が経った。
この二年間、女神はレオンの元に訪れるのを年に一度にとどめ、機械づくりに専念した。
制作開始から一年半かけて女神は意味不明なシステムに完璧に対応したデータ集計機を二台作り上げた。一台は故障時の予備だが、すぐに交代できるよう常に稼働させておく。そしてテスト運転を一年間行い、問題がないことを確認した。
自動連打機ももう一台作った。こちらも故障時の予備だ。
修理ゴーレムに関しては、故障がないか検査できるシステムも搭載した。完成後せっかく作った自動連打機とデータ集計機、修理ゴーレムをわざと壊して修理させることでテスト運転とした。連打機も集計機も二台あるので、一台壊しても安心だ。
女神は意気揚々と退職願を提出した。
代替は、と訊かれたので、女神の自室に案内する。
機械が全て作業を行っている部屋を見て、退職願受付の神は目を瞠った。
「この二台が自動連打機です。上がって来た申請を自動で連打し許可します。一秒間に800回の連打が可能であるため私よりも能力が高いです」
普通ならば多くて一秒間に5回、スタンピードが発生したときでも一秒間に50回連打できれば十分だ。因みに女神の左手は一秒間に300回連打できる。つまり女神の場合、実は全世界で同時にスタンピードが起きれば対応できない。
「この二台がデータ集計機です。許可した申請を自動で集計してくれます。日単位、月単位、年単位の集計が可能です」
一年間のテスト運転にしたのは、年単位での集計がきちんとできるかを確認するためだった。
「そしてこの五台が修理ゴーレムです。連打機と集計機の修理、及び他の修理ゴーレムとの相互修理が可能です。常に故障点検を行います」
女神はその場で一台の修理ゴーレムを魔法で故障させる。すると他の四台がさっと寄って来て、そのうちの一台が代表して修理をした。
「仕組みはこちらに記載してあります」
女神はシステムと設計を全て書き記した紙の束を差し出す。
受付の神はぱらぱらとそれをめくり、一つ頷いた。
「条件つきでの退職を認めよう」
「条件とは?」
「休職という形にしてもらう。具体的には、人間としての死後、魔法を司る女神に戻れ。これらの機械がある限り仕事はないが、定期的なメンテナンスが必要だ。できれば全ての部品を新品にしたい。そのためにはお前の魔法が必要だ。この条件を呑んでもらわない限り許可はできない」
「分かりました」
女神はあっさりと頷いた。
人間としての死後ならば何も問題ない。それに機械を作ったことで、魔法を司る女神という仕事ブラックではなくなったのだから。
「退職願の代わりに休職願を出せ。この場で書いてもらって構わない」
「分かりました」
女神は人間としての死後に復職する旨を記した休職願を書き、受付に手渡した。
受付は受け取った封筒を懐に入れる。
「受理する。じゃあ休職にあたっての注意事項を話すからよく聞け」
受付は指を折りつついくつかの禁忌を告げた。女神はふんふんと頷いて聞く。
「楽しい人間生活を。あと少し早いが、結婚おめでとう」
受付が微笑んで指を振った瞬間、強い浮遊感と眩暈とともに女神の意識が遠のいた。
⁑*⁑*⁑
ドサッ
「うわっ!?」
依頼を終えて帰路についていたレオンの前に、空から何かが降ってきた。
その何かを見て、レオンは大きく目を見開く。
「っ、マリア!?」
どこから落ちたのか分からないが、少なくとも出血がないことに安堵した。
しかし呼びかけても反応がない。息はある。
「とにかく医者に」
回復薬は外傷にしか効かない。内傷があるかもしれないし、意識がない原因も分からない今、回復薬より医者だ。
レオンはそっと女神、いやマリアをお姫様抱っこにすると、できる限り揺らさないよう細心の注意を払いながら治療院への道を駆けた。
医者はすらりとした中年の男性だ。レオンが状況を説明すると、眉を顰めながらもいやらしさの欠片もない目で女神を診察し、僅かに笑んだ。
「内傷はありません。眠っているだけですよ。すぐ目を覚まします」
実はこの医者、元神だ。人間に堕ちたときにマリアと同じようなことになったので、マリアが元神であることにも気付いている。知り合いではない。
そして、マリアが何故女神を退職したのかも気付いている。
「三十分もあれば目を覚ますと思います。できれば側についていてあげて下さい」
「勿論です」
レオンが頼もしく頷く。
さっきの様子といい、この人間になら預けてもよさそうだ、と医者は知人でも何でもないくせに思った。
ふっと意識が覚醒し、マリアはゆるりと瞼を上げた。
そして側にレオンがいることに気付き目を瞠る。
「レオン、どうして」
「俺の前に降って来たんだよ」
「降って、来た……」
もっと自然に降り立つと思っていた。まさか落ちるとは思わなかった。意識を失うときの強い浮遊感は、この落下に伴うものだったようだ。
それにしてもレオンの前に落ちられるとはラッキーだ、とマリアは考えているが、無意識下で降りたいと思っている場所に降りていることをマリアは知らない。
そして、マリアは天界との繋がりが消えているのを感じた。
「私……人間になれたんだ……」
「どういうこと?」
小さな呟きはレオンにしっかりと聞かれていた。
マリアは焦る。元女神であることを知られてはいけない、それが退職時の約束の一つだ。
「えっと、それは、私がレオンと身分を合わせるときの条件として口外を禁止されていることだから、言えない。ごめん」
「……分かった。でも、ていうことは」
「うん、これからはレオンと一緒にいられる」
マリアがにこりと微笑む。レオンは歓喜のあまりマリアに抱きついた。
詮索するつもりはない。条件を破らせるなんて以ての外だ。折角身分を合わせてくれたのに、それが取り消されるようなことがあってはならない。
「まずはレオンの住んでる宿に行こうか。私も一緒に泊まれるようにしなくちゃ」
「起き上がって大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないかな?意識もはっきりしてるし」
「それならいいんだけど」
マリアは体を起こし、そのまま立ち上がった。
「ていうかここはどこ?」
「街の治療院だよ。意識がなかったから……。でも眠ってるだけで異常はないって」
「そう、良かった」
重くなかっただろうか、とマリアは不安に思ったが、それを口に出すことはしなかった。
「宿に案内してくれる?」
「分かった」
それから二人は宿に行き、二人部屋に変えてもらった。マリアは無一文だったため、一時的にレオンが立て替えることになった。
そしてそのまま冒険者ギルドに行き、登録をしてレオンとパーティを組んだ。美少女の登場に、その場にいた冒険者が騒めいたが、レオンが視線で黙らせた。それにもマリアはキュンとする。
「こんにちは、登録で宜しいでしょうか?」
受付は可愛い女の子だが、その頬は赤く染まり、声は上擦っている。
女性ですらもこうしてしまう美貌が自分のものであることにレオンは優越感を抱いた。
「はい、お願いします」
「ではこちらの紙にご記入下さい!」
差し出された紙の記入欄は、名前と現住所、年齢だけだった。
名前はマリアでいい。レオンが甘い声で『マリア』と呼んでくれるのが好きだから。
年齢はどうしよう、と悩み、マリアは22歳と記入した。レオンと同い年になるように。
「では冒険者に関してご説明させて頂きます。レオンさんに聞いているかもしれませんが説明は職員の義務ですので聞いておいてくださいね!」
「お願いします」
説明の後、パーティを組むか尋ねられる。
「レオンとパーティを組みます」
「承知しました!パーティ名とリーダーを決めて下さい」
レオンと少し話し合う。パーティ名は後からでも決められるということなので一旦保留にし、リーダーはレオンに務めてもらうことになった。
そして発行されたギルドカードを手渡された。
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マリア 22 冒険者
ランク F
パーティ名 ―
パーティメンバー レオン
(リーダー:レオン)
パーティランク D
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パーティランクはメンバー全員のランクの平均がとられる。マリアがF、レオンがBなので、パーティランクはDだ。
真新しく輝く金属製のギルドカードに、マリアは満足気に頷いた。その少し子供っぽい仕草もレオンには愛しくてたまらない。自然と笑みが浮かび、気付けば指で髪を梳いていた。
その場にいたギルド職員と冒険者は微笑み合う二人の関係に気付いたが、ちょっかいをかければレオンに痛い目にあわされるのが目に見えているので、悔しく思いながらも歯ぎしりをするだけにとどめる。レオンはBランクの中でも上位で、現在この場にいるものはみな格下だ。調子に乗った冒険者を戒める役目のギルドマスターは唯一格上だが、基本的に部屋の中におり、今も部屋に籠って書類作業中だ。
「あとですね、パーティ内での役割を教えて頂けますか?ギルド内で把握しておきたいんですよ。ああ、マリアさんだけじゃなくてレオンさんも含め冒険者全員のを把握してます」
「魔法使い、ですね。治癒も担当します」
「治癒魔法を使えるのですか!?」
受付嬢が大きく目を見開く。聖女、聖女だ、という声がそこかしこから聞こえてくる。美人で治癒魔法を使える女性を聖女と呼ぶ。
治癒魔法を使えるのは神。そして女神はみな美人だ。女神が堕ちればそれがマリアでもマリアでなくとも聖女と称えられる。
聖女という役職は存在せず、勿論教会に属している訳でもない。人々が勝手に使っている単なる俗称だ。
「で、ではこれで登録は完了です。命大事に、良き冒険者ライフを送ってくださいね!」