2. 人間と女神の恋は許されない
レオンが移った街は、迷宮がある街だ。稼ぎ場所がある方がいいに決まっている。
そしてその街は、奇しくも女神が調査している街でもあった。
「お祭りか……」
掲示板に貼られている広告をレオンは眺める。
レオンは特別イベントが好きな訳ではない。だから普段なら、お祭りなんていうものには決して参加しない。
普段なら。
しかし移ってきたばかりのレオンは一度くらい参加してみてもいいかな、と思ってしまった。
女神への未練を失くすのにも丁度いいかな、と。
その後はお察しだ。
「あれ……!」
見覚えのある、独特な服。後ろ姿だったが、髪の色も同じだ。
「見つけた!」
運が良かったのか悪かったのか、女神はレオンに気付かなかった。
だから、走り寄ったレオンに捉まってしまった。
「君!」
右腕を引かれた女神は反射的に振り返る。
自分の腕を掴んでいるのが誰なのかはすぐに分かった。毎日毎日見続けた顔だったから。
「っ、レオン」
名前が知られていることに驚いたレオンが大きく目を見開く。
ぽろりと零れてしまった言葉は取り返せない。失態に気付いた女神はレオンの腕を振り払おうとするが、鍛え抜かれたレオンの力は強く、振り払えなかった。
「話がしたい」
女神は拒否できなかった。
女神とレオンは石階段に腰掛けた。
女神が逃げ出さないようにとその腕は放されないままだ。
「三年前。森にいたよね?」
ストレートに訊かれ、女神はこくりと頷いた。
「どうしてあんなところにいたの?」
今度は答えず黙り込む。
「……君、名前は?」
「……マリア」
本当は、女神に名前はない。だから咄嗟に出ただけの偽名だった。
一方レオンは、マリアが名前を教えてくれたことに少し驚いてもいた。偽名だとは思いもせずに。
「マリアは、冒険者なの?」
「違う」
「もしかして、騎士?」
「違う」
「でもあんなところにいたってことは、腕は立つんでしょ?」
「……そこそこ?」
実際のところは倒せない魔物はないといっても過言ではないのだが、馬鹿正直に言う訳がない。
レオンはあまりにも言葉のキャッチボールをするつもりのない女神を何とも言えない目で見つめる。
名前を把握しているくらいなのだから自分に興味がないということはないのだろう。だが元々コミュニケーション能力が低いレオンだと会話が成立しない。
「俺の名前、どこで知ったの?」
「……」
まただんまりか、とレオンは嘆息する。
しかし元々レオンが引き留めたのであって、彼女は去ろうと、いや逃げようとしていたのだ。責めることはできない。
「マリアは、彼氏いるの?」
思い切って訊いてみると、ずっと俯いていた女神がばっとレオンを見た。
「い、ないけど……レオンは彼女いるの」
「いない!」
女神は祈るような目をしていた。
これは、とレオンは脈ありを確信した。
「マリア。あの時、森で君を見て一目惚れしました。ずっと会いたかった。マリア、俺と付き合って下さい」
「ぁ……」
女神の瞳が揺れた。
しかし美しいその瞳は、伏せられた瞼に隠れてしまった。
「……ごめんなさい」
震える声から不本意であることを悟る。
「理由、聞いてもいい?」
「私じゃ……無理なの」
受け入れたい。でも、人間と女神の恋は許されない。
そう考えて、女神は自分がいつの間にかレオンに恋をしていることに気が付いた。
「それは、どうして?」
自分が女神だからだと、女神は言えない。下界に降りることすら良い顔をされないのに、正体を明かすのなど以ての外だ。
とはいえ自分がレオンを好きじゃないからだとも思って欲しくなかった。
ああ自分勝手だ、と女神は自嘲する。
「レオンのことは好き。けど、身分があまりにも違いすぎるのよ、だから、あなたと付き合いたくても付き合えないの」
「それは俺が冒険者だから?」
「違う、レオンが例え冒険者じゃなくても、無理なの」
「もしかして……マリアは貴族?」
「そうじゃないけど……」
じゃあ何なんだ、とレオンは眉間に皺を寄せる。
鋭い目つきと相まって非常に迫力のある威圧的な顔になっていたが、恋をする女神にとっては格好いいとしか思えなかった。
「ごめんなさい、言いたくても言えないの。見るだけなら許されるかと思ったから、けどレオンに気付かれると思ってなくて」
「最初は気付いてなかった。けど俺は冒険者だ。冒険者として経験を積めば積むほど、気配には敏感になる」
「うん、それは私が失念してただけ……」
「気付いて欲しくなかった?」
「……どうだろう」
本当は、自分を認識してくれて嬉しかった。
自分の存在に気付いてくれて、嬉しかった。
レオンが女神を探していたことを女神は知っている。だから、嬉しかった。
けれど、レオンが気付いたから、直接レオンを見ることは叶わなくなった。
迷いを見せた女神を見て、レオンは眉を下げた。
こんな時でも女神は美しかった。
「俺とマリアが身分を合わせることは、できない?」
レオンが神になることはあり得ない。
けれど女神が人間になることは、人間に堕ちることはできるかもしれない。
「それも、分からない。レオンが私のところに来るのは絶対にできない。でも、私がレオンのところに行くのはできるかもしれない」
「……マリアに下りて来て貰うことは、俺が俺を許せない」
平民の冒険者より低い身分など殆どない。だから、マリアが自分より高い身分なのは確実だ。
貴族なのか王族なのかそれは分からないけれど、平民の冒険者の妻というところまで下りてきてもらうのはレオンにとってあり得ないことだった。
「別に私は今の身分にこだわっている訳じゃないの。正直やめてもいいと思ってる。ただそのためには代替となる存在を見つけないといけないし……そもそも何年かかるか分からない。一生かかっても無理かもしれない。レオンをそんなに待たせる訳にはいかない」
女神なんていうブラックな職に用はない。
自動連打機を作った今、左手は忙しくなくなったが、漸く週に数回下界に降りられるというくらいブラックなのだ。
辞められるなら辞めたい、と女神は初めて思った。
けれど、人間と違って退職願を出すだけで辞められる訳ではない。
魔法を司る女神、それが女神の存在意義だ。退職願を出すと女神ではなくなり、人間に堕ちるか消滅かを選ぶことができる。
しかし退職願を出すときに、人間は法律によって受理が義務付けられているが、天界はそうではない。受理してもらうのに条件があるらしく、その難易度も様々らしいのだ。
ある神は、守秘義務により詳しくは言えないもののとんでもない条件を出されて千年たっても未だに神を辞められないと嘆いていた。だがある神はすんなりと半年程で辞められたという。
「俺は」
レオンはぽつりと呟いた。
「俺は元々恋人を作るつもりも結婚するつもりもなかった。冒険者はいつ死ぬか分からない職業だから。でも、マリアに一目惚れをして、この人と共にいられるなら冒険者をやめて地に足のついた職に就いてもいいって思ったんだ。ただ、そう思える人はマリアだけだ。冒険者に出会いなんてないし」
レオンが頬を染め、照れたように女神から目を逸らす。
「つまり……俺はマリアと共にいられないなら、一生彼女も妻も作らないってこと」
まだ二十歳のくせに、と女神はぼんやりと思う。
レオンは傍目から見ても十分に美形だ。十分どころか文句なしに美形だ。本来なら毎日誰かに告白されていてもおかしくないくらいに。
しかし確かに冒険者を夫にしたいという女性は少ない。毎日命を脅かされる職業である上、収入も安定しているとは到底いえない。
ただ、女神はレオンが冒険者であろうがなかろうがどちらでも良かった。
レオンが街で定職を得るならば女神も街に暮らすし、レオンが冒険者を続けるならば女神も冒険者登録をしてパーティを組むつもりだった。女神は人間に堕ちたとしても、魔法使いとしてずば抜けた能力を持つから。
「レオン。私はカリーア森林の最奥でレオンを眺められるくらいには腕が立つ。もし一緒になるなら冒険者を無理にやめることはないわ。私もついていく。ついていけるだけの魔法の腕はあるつもりよ。でもそれは関係なくて。そもそもそこまで下りられるかが分からないのよ」
「分かってる。俺が言いたいのは、……俺はいつまでも待てるってこと」
レオンは女神の腕を引き、その体を腕の中に包んだ。
硬い胸板が頬に当たる。
女神はドキドキで頭がいっぱいになり何も考えられなくなった。
「好きだ。一生かかっても無理ならそれでいい。でも……俺はマリアと一緒にいたい」
「……私も、レオンのことが好き。絶対にレオンのところに行く。だから、待っててくれる?」
「ああ。約束する」
女神とレオンは微笑み見つめ合う。
自然と唇が重なった。