1 転生することになりました
「ふぅ、暑いなぁ」
俺は額に浮かんできた汗を、ハンドルを握っていない方の手でぬぐう。
俺は現在自転車に乗り、道路を駆けていた。
目的地は近所の図書館、自宅から自転車で十五分ほどの位置にある施設だ。
そしてそんな場所に何故向かっているのかといえば、それは勿論暑いからである。
あいにく、俺の部屋には扇風機以外に熱を冷ます道具というものは存在しない。
そしてこの夏真っ只中の室内温度は平気で三十五度以上を超えてくる。
そんな中にずっと留まっていては、蒸し焼きにでもなってしまう。
それは嫌だったので、無料で冷気を分け与えてくれる、親切極まりない神施設にお世話になろうとしているのである。
因みに今俺は高校二年生の夏休みの最中なのだが、人見知りな性格、クラスでも寡黙気味のため当然のように友達も少なく、基本はやることがなかった。
ということでこの短い遠征に関しては、暇つぶしという名目も兼ねられている。
まぁ時期も時期なために、そろそろ受験勉強も本腰を入れていかないとなという思いもある。
そういった点でも図書館という場所はまさにうってつけと言えるかもしれない。
「はぁ、もうちょっとだ」
そして俺は図書館までの道のりにおいて後少しというところまで来ていた。
この先にある長い下り坂を降りてしまえば、もうすぐそこだ。
「よっしゃ気合をいれるぞ」
あとちょっと。
その思いがいけなかったのだろうか。
俺は普段よりも少しペダルを回す速度を上げて、下り坂に進入してしまった。
「ふぅ、風が気持いいい……って」
目を細め吹き付ける風の恩恵を享受していた俺だったが、ふと、これから通るであろう道の先に、何か黒い物体が落ちていることがわかった。
その一瞬後わかったのだが、それは物ではなく、白黒の猫だった。
生きているのか死んでいるのかは分からない。
だがどの道避けないといけない。
猫は嫌いじゃない。むしろ可愛くて好きだ。
生きていればその小さな命を奪ってしまうことになるし、もし仮にすで息がなくなっていたとしても、轢いてしまうことで運転のバランスを崩し、俺自身に危険が降り注ぐことになってしまいかねない。
「くっ!」
俺は慌てて自転車のハンドルを切った。
結果、うまい具合にその猫の真横をタイヤが通り過ぎ、事故を回避することに成功する。
だが急にハンドルを横に切ったことによる反動で、俺は自転車から思いっきり投げ出され、車道へと勢いよく放り出されてしまう。
そしてそこに丁度やってきた大型トラックに轢かれてしまった。
「………………」
俺は物凄い痛みを全身に感じながら、静かに息を引き取っていった。
○
「……あれ?」
俺が次に目が覚めたときには、知らない場所にいた。
少し前に起こったことは、嫌々ながら覚えている。
だからこそ、最初は病院か何かにいるのかと思っていた。
しかし周囲を見てみるにどうにもおかしい。
そんなに広くない部屋といった感じだったのだが、一面ピンクといって差し支えないほどその色に染まっており、小さなタンスやファンシーなキャラクターが描かれたベッドなど、随分と可愛らしい少女趣味な内装となっている。
他にも沢山の可愛らしいぬいぐるみやグッズなどが所狭しと埋まっていた。
そして勿論のことながら、俺みたいな人間がこんな場所にこれるはずなどない。
来た覚えがないということもそうだが、女という存在と絡むことが一切なくなってしまった俺にとって、こんな乙女チックな場所にいるということが本当にありえないことだ。
それも相まって、何故こんな場所に? という疑念がますます高まっていってしまう。
「うーん、どうしたものか……」
「――こんにちは、将志さん。目が覚められましたか?」
するとそこに突然声がかかった。
見てみると、少し離れた場所に、三十代後半くらいに見える女性が一人立っていた。
「えっと、こんにちは。えと、あなたは……」
「ま、困惑するもの無理はないですか。普通は驚きますよねこんな状況。でも落ち着いてください、私はいわゆる女神で、あなたをこの場所にお呼びしたのも、この私です」
女性は自信満々にそう言い放った。
「女神、さま? となるとここは天国……?」
俺はそんな発言に対してもどこか冷静に受け止められていた。
重大な事故を起こしてしまった記憶もあるし、こんな訳の分からない状況が現実であるとはあまり思えなかったからだ。
「ええ、その通りです。残念ながらあなたは死んでしまわれました。ということでその救済をするべく、こうして面会の方をしているというわけなのです」
女性はサバサバ淡々と言葉を紡いでいた。
愛想はないが仕事ができる事務員という印象を受けた。
「そうだったんですね、やっぱり…………」
俺は自分の想定が当たっていたことに驚きのような諦めのような、色んな味のする感情を覚えたが、しかしそれ以上に、気になることがあった。
「で、あなたにはこれからどうしていただくかと申し上げますと、救済措置として異世界に転生していただきます」
「転生、ですか」
これまたベタな展開が来たものだと思ってしまう。あまりに俺が普段考えたり想像したりする範疇のシチュエーションなために思わずに夢なのではないかとも疑ってしまう自分もいた。しかしなんとなくだが今ある状況は現実に起こっているような感じがするし、夢なら夢で後で忘れてしまえばいい話だ。現実である場合を考えて話を聞くべきだと冷静に判断する。
「ただあくまで権利が与えられる、というだけのことで、勿論拒否することも可能です。が、その場合あなたはこのまま意識がなくなり文字通りの永遠の死が訪れます。それは嫌ですよね? それと拒否するとなった場合の措置も面倒ですので、私としては素直に転生していただきたいなという思いもあります」
そんなことを頭の片隅で考えつつ、目の前の人物の服装を凝視する。
黒いふわふわとしたフレアドレスを身にまとい、頭にはボンネットのような、赤ちゃんがつけてそうな帽子を被っている。靴下はしましまのボーダー柄の長くつ下が履かれており、その足がおでこ靴のような丸みを帯びた革の靴に包まれていた。
ロリータファッションといった部類のものだろう。
それ自体、その服装自体はまだいい。
しかしその服装をしている人物が、少し、なんだろうか。
「転生していただける、というのでしたら勿論喜んでお願いします」
「では転生、ということでよろしいですね。まぁ普通はそうですよね。わかりました、では転生していただくにあたりいくつか説明項目がこざいますので、ご説明させていただきます。まず転生する異世界についてですね、この世界はいわゆる剣と魔法の世界となっておりまして、それらの要素が多分に絡んだ文明文化となっております――」
この服装を、例えば十代そこそこの女の子があくまでコスプレとして、非日常の一環として着用しているというのであればまだ分かる。
可愛らしいね、と微笑むこともできただろう。
「そんな世界におきまして、当然ながら将志さんのような凡庸な人間ですと、すぐに野垂れ死んでしまわれることは想像に難くないですよね。それでは救済措置ということになりませんから、転生の際、一つだけ能力を授けさていただくということになっております」
しかし、しかしだ。
これを着ている人物というのが、なぜこの人なのだろうという純粋な疑問がどうしても浮かんできてしまう。考えては駄目だというのは十分にわかっているのに、何故か俺の頭がそれを断ち切ることをしてくれない。
「能力、ですか? 要するにチートな能力をいただくことができて、その能力で不自由ない生活を送ることができる、というわけですよね?」
「察しがいいですね、まさしくその通り。まぁこれはルールでそういう風に決まっておりますから、別に私が何を思おうが能力を授けるという計らい自体に変わりはありませんけどね。因みに能力のレベルには一定の上限はございますが、基本的には大体の望みを叶えることができるほどのキャパシティはあるとお考えください。ということでどんな能力がいいか、サクッと考えてお申し付けいただければ」
そもそも女神という存在がこのぐらいのご年齢であられるというのも、そんなには聞かない。
普通は若くて見目麗しい、十代後半から、いっても二十代前半くらいの人を想像してしまう。
いや、この人が決して見目麗しくないというわけではない。
化粧もきちんとしているようだし、年齢にしては相当に美人な部類なのだろう。
「うーんそうですね……ひとまず戦える感じの能力がいいですかね。うーむ、せっかくなんで、異次元の魔法を駆使して戦う最強魔法使いみたいな感じになりたいなとか、考えてしまいますが……」
本来ならほっとけばいいのかもしれない。
わざわざ他人が突っ込んでいいようなことではない。
世の中色んな人がいて、だからこそ素晴らしいのだ。
けれども、俺は絶えられなかった。
何故だ何故だと、煽り立てるような疑念の嵐が俺の制御を奪ってくる。
ああ、無理だ。もう――
「ええ、勿論それも可能ですよ。ではとにかく最強の魔法を使えるような能力にいたしましょう」
「はい、お願いします。それと質問なんですけど、どうしてそんな子供みたいな服装してるんですか?」
瞬間。
周囲の温度が急激に冷えた気がした。
凍てつく絶対零度の凍土に、着の身着のまま放り投げられる感覚。
俺の部屋にもこの冷気を少し分けて欲しかったと、現実逃避のように考えてしまう。
絶対に触れてはいけない琴線に触れてしまったのだと、遅れて理解した。
「……それは、どういうおつもりで、お聞きなさってます?」
重い、重い言葉がそのしわんできている口から発せられた。
「あ、い、いえ、その、ただ気になってしまったといいますか」
「それは『なんでこの年齢になってもそんな頭の痛くなるようなロリ系ファッションに身を埋めてるんだこのクソババアは』という風な疑問を抱いてしまったと、そういうことですか?」
女神様は落ち着き払った口調で、ゆっくりと尋ねてくる。
「す、すみません! ほ、本当にちょっとだけ思ってしまったというだけで、その、別にそれ自体を否定しているというわけではないといいますか、む、むしろ逆にいいと思います。似合っていると思います。その個性があって!」
俺は気づけば土下座していた。
なんでこうなってしまったのか。
床に頭を付けなから、冷静になってしまっていた。
「やはりそうでしたか」
そしてその言葉の次に続くであろうセリフを考え、俺は思わず怯え縮こまってしまう。
しかし、その後に紡がれた言葉は、予想に反しとても優しいものだった。
「ふふ、大丈夫ですよ。私は気にしておりませんから、顔をお上げください」
「……え?」
顔をあげると、おばさんはにっこりと微笑んでいた。
「その、怒って……ないんですか」
「怒る? 何をでしょう? そんなことよりも転生の手続きを進めましょう」
女神様は何食わぬという顔だった。
あ、あれ、本当はそんなに怒ってなかったのか?
俺があまりに人とコミュニケーションを取らないがために、変な風に勘ぐってしまっていたのだろうか。
そ、そうだよな。きっとそうだ。
良かった。何事もなく収まって。
でもやっぱり女性に対して失礼なことは聞くものではないな、当たり前かもしれないけど。
学んだよ、よしこれを来世にも生かしていこう。そういえば転生してくれるとかいう話だったし。
俺はすっかり気を取り直して話に戻っていった。
「じゃあすみませんけど能力はさっき言ったやつでお願いします」
「かしこまりました。それではこれにて説明の方を終了させていただきまして、実際の転生の方へと移らさせていただきます」
「あ、はい」
あれ、なんか急に終わりに近づいたなという引っ掛かりを感じたが、気の所為だろうということで片付け、素直にうなずく。
「それではひとまず転生させる場所は人気のない、凶悪な魔物が住み着いている森林地帯といたしまして、特に装備等もなく裸で転生させていただきますね」
「はい……………………え?」
「そして能力ですが、やっぱり先のものはやめにして【可愛いクマのぬいぐるみを出現させる能力】に変更しておきます」
俺は自分の顔が徐々にひきつっていくのを感じた。
黒く、ひんやりとしたものが、ゆっくりと俺の背筋を伝っていった。
「ご、ごめんなさ……」
「それではいってらっしゃいませ。異世界ではどうぞご健勝に。そして――
――しねやクソガキ」
そんな言葉とともに、俺の意識は少しずつ途絶えていった。
俺は久しぶりに涙を流していた。




