神剣
魔術とは、『力』である。
ウルスラ・マージリントにとって、それは自身の価値の証明でもある信条だった。
彼女が生まれたのは、当時はまだ怪物退治というより、狩人としての側面が強かった戦士と魔導士の家。父が魔導士で母が戦士、どちらも日銭を稼ぐ程度の二流。しかし、それは彼女の存在の前には些末事だった。重要なのは、そんな二流の両親から、ウルスラという怪物が誕生してしまったことである。
三歳の頃に母親を調律した事に始まり、その早熟ぶりは神童として、両親に大きく歓迎された。彼女もまた、この時は少女にふさわしい純真さを胸に生きていた。
『父のような最高の魔導士になりたい』。それが、彼女の当時抱いた夢だった。重ねて言うが、ウルスラの父は凡百の魔導士に過ぎない。しかし、世界を知らない彼女にとって、一人前の魔導士とは父の事だったのだ。
しかし、彼女が九歳の折、状況は一変する。
彼女の母が、狩りの際に命を落とした。今の魔物よりずっと弱い程度の怪物に殺されたのだ。
母の遺体が入った棺が埋められるのを、焦燥した父と共に見ていたことを、彼女は二度目の生を得た今でも覚えている。
父は、母の死を自身の才能の欠如が原因とし、魔導士としての仕事を放棄して酒をあおるようになった。
父は凡才だが、無能という程では無かった。探せば、彼と組もうとする戦士はいただろう。が、彼にとって重要なのは、魔道士としての仕事ではなく母と時を共にすることだったのだ。当時のウルスラにはそれが理解出来ず、父の魔導師としての力量を信じていた。
が、それらの言葉は自尊心を失くした彼には、毒でしか無かった。
『私にお前のような才があれば』。そう零しながら、彼はウルスラを酒瓶で殴った。大人の男の暴力は、幼子にとっては猛獣の爪も同然。感じたことのない激痛と、目元まで染まる程の出血。酒瓶を持ってフラフラと歩み寄る父に対してウルスラはーー初めて、死の恐怖を感じた。
それまで知っていた優しい父とは別物になったかのような。そして彼女は、恐怖に動かされるままにーー『自衛の為の魔術』を行使した。
そうしてウルスラが放った『赤炎』は、その強力過ぎる炎故に、父はおろか生家さえ灰燼に帰した。ウルスラ自身は業火から逃げ出す事に成功したが、その美しかった顔の半分は火傷で爛れ、片目の視力も失くしていた。まして決して裕福で無かった彼女に充分な治療を受ける余裕など無く、人が見れば思わず総身を強張らせるような痕を残した。
かくして、正当防衛とはいえ肉親を殺したウルスラ。が、彼女にあったのは後悔では無かった。
憧れだった父が、自身の魔術一つで容易く燃え尽きた事実。それに対する、『こんなものか』という失望。それが彼女から、熱と少女らしい純朴さを奪い去って行った。
その後彼女は、仮面で火傷の痕を隠すと、若くしてその才能と奇人振りで名を馳せていたエカテリーナと接触。彼女の技術と思考をその天賦の才で以って盗むと、唯一彼女に比肩しうる史上の魔導士、『仮面の女王』として名を刻む事となる。
*
ウルスラが目を覚ますと、巨大なシャンデリアが目に映る。
ヴァンドラムが用意した戦士及び魔導士用の宿。本来は賓客用のものだが、現在、とりわけ優秀な者達にはこの宿が割り当てられていた。無論、その他の者たちにも、不足でない質の宿が用意されている。
「そうだな……私は眠るのが嫌いだった」
ウルスラ・マージリントにとって、睡眠とは見たくないものを見せられる物に過ぎなかった。故に限界まで睡魔と疲労をこらえる生活で、仮面で隠れた目の下には、常に深い隈があった。
「さて……」
ベッドから身を起こし、窓を開ける。眼下には、呑気に日常を謳歌する市民の姿。それをひとしきり見下ろした後、彼女はローブに着替え、仮面を着けた。
『あの人達の事……守ってあげて下さいね』
「……うるさい」
*
「ヒヒヒヒ……さて、次は如何様にして遊びましょうかね……またシンシアから合成魔物を借りるか……それとも……」
「随分と楽しそうですわね、アーノルド兄様」
魔将アーノルドの後ろに、フワリと、白いハイソックスに覆われた小さな足が降りた。
「おや、シンシア。君自身がココに来るとは珍しいじゃないか。何か用かい?」
「いえ、用があるのは私だけではないですわ」
魔将に特徴とは一切合致しない、桃色の髪と白銀の瞳。メルヘンチックなドレスを身に纏った彼女の正体は、人類最大の敵、魔将の一体。アーノルドが先の戦闘で投下した合成魔物を製作した彼女の名は、シンシア。
相変わらずの人好きする微笑みと人懐っこい仕草は、人里に出ては彼らを惑わせるという趣味で染みついたものだ。
兄妹の邂逅として、もう少し話していたかったアーノルドだが、彼女の背後にあったもう一つの気配を察知し、神経を張り詰めさせた。
「母上様……どうして此処に」
「貴方の顔を見に来た……のもそうだけど、ちょっと急ぎたいのよね」
彼ら魔将の母、魔王エカテリーナ。かつて賢者として名を馳せた女は、今や人類の敵として、最大の国家ヴァンドラムに攻勢を仕掛けようとしていた。
「急ぐ、ですか? これまで緩慢だったのに?」
「ええ。……ヴィルハルトを知っているでしょう?」
「勿論。我らの兄ですから。それに母上様は、彼に多大な期待を寄せていると聞く」
「そうね。そのヴィルハルトがね……どうも耐用年数を見誤っていたみたいなのよ」
「……と、言いますと?」
「あと一度か二度大きな戦闘を経験すれば――『核が壊れる』わ」
エカテリーナはため息を吐いた。彼女にとっても想定外だったと、惜しむ気持ちを全面に出している。
「元々、ヴィルハルトの核は最初に作ったモノだから、不死は無理だと分かっていたんだけれどね。けど私、どうもあの子を本気にさせ過ぎちゃったみたいなのよ。あの子、ずっと強くなる為に無茶な核の使い方し続けて来たから……」
「兄様が力を付けるのは母様の本望ではありますが……確かにそれは、迅速な対応が必要でしょうね」
「彼の核の出来を見誤った私の失敗ね……とはいえ、もう起こり得ない事ではあるけれど」
エカテリーナは何処からともなく取り出した水晶玉を掲げると、何か分からぬ謎の言葉を唱え始める。
「辭溘l縺滓棡螳溘r鬟溘☆縺ォ蜍昴k謔ヲ縺ウ縺ッ辟。縺�……不本意だけど、『彼』に目覚めて貰いましょう」
水晶玉が一度強く輝き、周囲を青い光で埋め尽くした。が、それ以上は何もなかった。少なくとも、彼ら三人が察知出来る範囲では。
「今のは一体?」
「まあ、お膳立てのようなものよ。これでヴィルハルトがどうにもならなければ――その時はまた、『やり直し』ね」
水晶を消し去ったエカテリーナは、パンパンと二度手を叩いた。
「それより、二人も準備しなさい。滅ぼすつもりで、好きにやりなさい」
アーノルドとシンシアは、不敵に笑って頷いた。まるでずっと、その命令を待っていたかのように。
「どうする、シンシア? 私はひとまず、勇者とやらを相手するが」
「私は……少し様子見させてください」
「良いだろう。だが、サボるなよ」
魔将二人は、ヴァンドラムの街へと駆けながら、無数の魔物を繰り出していく。
画して、エカテリーナの手により、人類と魔王の決戦は、かくも唐突に訪れた。
エカテリーナは、我が子を胸に迎えるように両手を広げた。
「ここまで来なさい、ヴィルハルト、ウルスラ。貴方たちには……すべてを教えてあげるわ」
*
同刻。ヴァンドラム城内を、一つの報告が駆け巡った。
「神剣が……光を発している!?」
神剣が発光する。それは即ち、何らかの危機的状況が起こり、神剣側が持ち主を求めている状態である。
「ヴィルハルト・アイゼンベルクを呼べ! 直ぐにだ!」
「……既にいる」
神剣の間にて発光する神剣を見たエイリークの後ろには、既に鎧を纏ったヴィルハルトがいた。
「俺には魔将の出現が分かる。それを察知した瞬間から、既に向かっていた」
「そうか……。待て、貴様顔色が優れないようだが――」
「この状況を前にそんな事を気にする必要があるか?」
エイリークを押しのけ、ヴィルハルトは神剣と対峙した。
彼には神剣が、心なしか己を呼んでいるように感じていた。
「ジュリウスに出来て……俺に出来ない筈はない」
ヴィルハルトは右手で神剣の柄に手を伸ばした。
実の所、エイリークの指摘通り、ヴィルハルトは自分の身体に限界が来ている事を察知していた。今は髪の毛で隠れているが、既に頭頂部を中心に亀裂が走り始めている。
十年以上に渡り酷使し続けていた核が、ここに来て耐えられなくなっていたのだ。
それでもヴィルハルトは、迷う事なく神剣に触れた。
その瞬間――彼の意識は、剣の中に引きずり込まれた。
*
それはまるで、深海へと潜っていくかのよう。
様々な景色が目の前を通り過ぎていく。
その中には、どう考えてもこの世の物ではない光景もあれば、ヴィルハルト自身の見知った物もあった。
彼の見知った物。それは――
『よう。早かったな、ヴィルハルト』
「っ!? ……アンタは……」
景色の波が消えると同時に、彼の目の前に一人の男が現れた。その――既に死んだ筈の男は、かつてと変わらぬ屈託のない笑みを浮かべながら、ヴィルハルトに手を振っていた。
『ここは、言うなれば神剣の創り出した意識だけの空間だ。ここには神剣が記録してきた記憶がある。お前がさっき見たのは、それだ。そして歴代の神剣の使用者は……自身の意識を、その中に遺す事が出来る』
「まさか……」
『ああ。俺は十年前から……お前が来るって信じてたよ。ヴィルハルト』
動揺を隠せないヴィルハルトの前には、先代の神剣所有者――ジュリウス・ヴァーミリオンがいた。




