特級魔導士
「特級……魔導士?」
アリナが口にした聞き慣れない単語に、エレインは首を傾げる。その様子を見たアリナは、彼女の事情を思い出してあっと短い声を出した。
「そっか、知らない……わよね。じゃあ、簡単に説明するわね。えっと、魔物のことは、知ってる?」
「はい、ヴィルハルトさんが魔物を退治するお仕事してるって言ってました」
「アイツ、そこはちゃんと説明してたのね。ならいいわ。その魔物を狩るお仕事には二種類の人がいるの。アタシの魔導士っていうのは、そのうちの一つ」
「へぇ~~。じゃあ、ヴィルハルトさんと一緒のお仕事してるんですね!」
「内容は一緒よ。やる事は違うけどね。アイツはもう一つ、『戦士』って呼ばれてるわ」
「ふんふん、ヴィルハルトさんは戦士……でも、魔導士ってどんなことするんですか?」
「魔導士の仕事は、『魔術』を使って戦士の人たちが安全に魔物退治出来るようにすることよ。魔術って言うのは――このコップ、見てて」
アリナは水の入ったコップを自分の額の高さまで持ち上げると、パッと手を離した。
「あっ!」
驚いてテーブルから身を乗り出すエレインに対し、アリナは落ち着いた様子でジッとコップを見つめている。
「大丈夫よ――『重力低下』」
瞬間、コップの落下が恐ろしくゆっくりになった。アリナの鼻の高さから口元まで、一秒掛けてゆっくりと落ちていき、首まで来た所でコップを掴み、一滴も零れなかった中の水を悠然と飲み干す。
「っぷぅ……どう? これが魔術よ」
アリナの決め顔に一瞬遅れる形で、エレインはヴィルハルトと出会った時以来の衝撃を受けながら破顔させ、アリナの手を握った。
「す、凄いです! 何ですか今の!? どうやったんですか!?」
「あらあら、そんなに喜ばれるとやった甲斐があったわね。今のは簡単に言えば物が落ちるのをゆっくりにする術で、アタシが一番得意な系統の魔術よ」
「これ、ヴィルハルトさんも出来るんでしょうか」
「ヴィルハルト? ふふん、こればっかりはアイツでも無理よ。というか、戦士と魔導士は使える術が違うから、アタシに出来ることはアイツには出来ないと思った方がいいわ」
「ヴィルハルトさんにも……出来ないことを……」
エレインが尊敬の眼差しでアリナを見つめる。すっかり気を良くしたアリナは続けてもう一つ魔術を披露しつつ、魔導士についての説明を続けた。
「これは戦士も共通なんだけど、魔導士には実力に応じて四つの格付けがされているの。下から下級、中級、上級、特級の四種類よ。つまり特級魔導士のアタシは最も優れた魔導士という訳。だからこんなことも出来るのよ」
「わあ~~! コップがテーブルの端から端に!」
何か一つやるたびに無邪気に喜ぶエレインの姿はアリナの承認欲求を満たしてくれる。一方好奇心が強く素直なエレインはアリナの見せる魔術を心から楽しんでいた。
アリナは伏せた情報だが、彼女が『重力低下』の術を習得するまで、通常五年はかかるのだが、彼女は凡そ三年の歳月で完成させている。だからこそ、彼女にとって魔術は自身の誇りであった。
ロイドの言っていた通り、頼んだ料理が届くまでの間に二人はすっかり打ち解けていた。
「エレインちゃん、アナタってホント素直でいい子ね。ヴィルハルトには勿体ないぐらいよ」
「アリナさんだって、あんな凄いものをたくさん見せてくれてありがとうございます! ところで、このお料理何て言うんですか?」
「これはお魚を良い臭いのする草をつけて焼いたものよ」
「こ、これが噂に聞くお魚……! どんな味がするんだろ……」
恐る恐る拙い手つきでナイフとフォークを扱い、ホクホクに焼けた雲のような色の身を取り出し口に入れた。瞬間、それまで味わったことのない香ばしさと風味が口いっぱいに広がり、エレインは思わず身震いした。
「んううううう!! 何ですか、何ですかこれ! ちょっとアリナさん! 何かこう、初めての感触がこう色々とブワワッて……」
「あ~~ら、こんな場末で料理屋で出されるものでそんなに興奮してからこれから大変よ? 美味しいものなんて世の中に一杯あるんだから。というか、ヴィルハルトは連れてってくれなかったの?」
「お肉と果実なら用意してくれましたけど……この前行った所ではうっかりとんでもなく辛いもの食べちゃったし」
「肉はともかく、果実つけるぐらいの分別あるのね……」
「アリナさんの中のヴィルハルトさん像って……あっ、そうだ。さっき昔のヴィルハルトさんの話するって言ってましたよね」
「ああ、言ったわね。ねえ、そんなに聞きたい」
「はい!」
好奇心に満ちた笑顔で頷くエレインにばつの悪そうな顔を浮かべたアリナは、頭の後ろを掻いてから話し始めた。
「と言っても、大して話すことも無いんだけどね。昔っからああいうヤツだし。アタシとヴィルハルト、あとついでにロイド。アタシたち三人は同じ国の、同じ村の生まれなの。小さな村だったから、子供はアタシたち入れても五人ぐらいしかいなかったわ。だからよく遊んでたんだけど……」
「ヴィルハルトさんもですか?」
「いえ、アイツは――」
『ちょっと。アタシらこれからかくれんぼするから、アンタも来なさいよ』
『話しかけるなよ。勝手にやってろ』
「とまあ、こんな感じでね……取り付く島も無かったわよ。ああ今思い出してもムカついてきた」
「それは、なんというか……らしいと言えばらしいですけどね……」
右の拳を握りしめプルプルと震わせるアリナは、昨日有った事のように回想しながら話していた。エレインは完全に想像通りの幼少期ヴィルハルトの情報に、一周回って引いていた。
「小さい頃からアイツは何も変わらないわ。『自分に仲間はいない』って面して全部一人でやる。そのくせ腹立つぐらい強くて、アタシの事を弱い者扱いする。特級になった今でも変わらない……だから、ムカつくのよ」
そうして話すアリナの顔は、怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。その顔を見たエレインは、魚の身に何か固いものがあった事を忘れて――呑み込んでしまった。
「んぅっ!?!?」
「えっ、そんな嗚咽を漏らすような話じゃ――って、ちょっと、エレインちゃん?」
身体の内側に尖った物体が刺さる。記憶喪失の彼女でなくてもそうそう体験しない痛みは、エレインを悶絶させるのに充分な苦痛だった。急に顔を伏せたことで認識が遅れたアリナだったが、少し遅れて状況を理解した彼女は、顔を上げさせて水をゆっくり飲ませた。
「骨が喉に刺さったのね。ほら、お水。落ち着いて、ゆっくり飲んで」
「はぁ、はぁ……ありがとうございます、エレインさん。もうダメかと思いました……」
「流石に魚の骨じゃ死なないけど、気を付けてね」
「はい。お魚って怖い食べ物だったんですね……」
魚を通して『恐怖』という感情を体験したエレインは、骨に怯えながら慎重に魚を食べていった。
「それにしてもエレインちゃん……こういう時、ヴィルハルトは助けてくれる?」
「はい、それは勿論。不自由に思ったこともそんなに無いし、本当に辛いって思った時は助けてくれましたし」
頭の中でつい昨日、トオガラシのサラダを頼んでしまった時の事が浮かぶ。それに昨夜の事もあってエレインとしてはヴィルハルトが人を見捨てるような事はしないという信頼が既にあるのだが、彼女から見るとまた違うことも認識した。
「まあ、積極的に面倒見てくれるって点だとそれはアリナさんの方が……」
「面倒見でアレに負ける奴はほぼいないと思うけど……。そうね、私ちょっと年下のきょうだいが欲しかったのよね」
「きょうだい、ですか?」
「兄さんはいたんだけどね。かなり歳離れてたから、どっちかと言えばもう一人のお父さんって感じだったけど」
「お父さん……ですか」
ふとエレインは、記憶を失くす前の自分に思いを馳せた。自分に親はいたのか、いたら今どうしているのか。もし見つかったら、ヴィルハルトとは離れ離れになるのか。
そうした思いを巡らしたが、彼女が最終的に最も気にしたのはロイドという人と一緒に行ったヴィルハルトがどうしているのか、だった。