カルマン・クロフォード
海洋の国リズリー。味・大きさ共に至高の海産物と清浄な海を持つここは、遥か昔から最大の景勝地だった。魔物が出現した近年こそ、簡単に行ける場所では無くなった。が、それでも護衛の戦士と魔導士を雇える程度に富める者たちからは平時のストレスを洗い流せる最高のリゾートだ。
崩れの日で受けた傷も、元々人口が多くなかった事もあってアルマイレ・ヴァンドラム両国よりは少なく、新たに就任した国王とこの地に根を張る商人達の尽力により、異例の速度で復興を遂げた。
観光地としても居住地としても、リズリーこそ理想郷と考え、夢を馳せる者は少なくない。
だが、そのリズリーとて、初めからこうだった訳ではない。魔物の出現より更に以前は、王侯貴族の極まった腐敗に、国民は苦しめられていた。
税は上がり続け、若く美しい娘は、誘拐同然に連れられて侍女とされる。人が悪徳貴族と聞いて浮かべる悪行なら、やっていない事の方が確実に少なかっただろう。それら腐敗した上流階級の仕打ちに、観光客の為に笑顔を作っていた国民達も、いよいよ演技でも笑えなくなりつつあった。
そんな瞬間に現れた、一人の英雄がいた。
その名は、カルマン・クロフォード。闇に紛れて生きる暗殺者でありながら、国家の英雄と『なってしまった』男。
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実際のところ、カルマン自身には国家の将来を憂う気持ちや、虐げられる民衆を想う義憤など無かった。それにも関わらず彼が欲に塗れた権力者達の息の根を止め続けたのは、偏に依頼されたからだ。
『絶対に殺して欲しい奴らがいる』。そう言って彼に、暗殺対象のリストと一般人なら数字の上でしか見られない様な大金を積んだ人物がいた。彼はリズリーの特産品を近隣諸国に売買することで、一代で富を築いた大商人だった。
私欲に塗れた貴族など、当時のリズリーには彼一人では追い付かない程いた。だから、実際に彼が殺したのは特に影響力の強い二十数人。
三人目を殺した段階で、明日は我が身と思った貴族達が多くの戦士と魔導士を護衛として雇い始めた。七人目を殺した段階で、権力者達は殺し屋の居場所を血眼になって探し出した。
十一人目を殺した段階で、依頼者の差し金もありカルマン・クロフォードの名は国中に轟いた。
当然、名を知られた彼は賞金目当ての戦士達から常に隠れ続ける必要があった。しかし、王侯貴族が幾ら人と金を費やそうと、カルマンの首は決して取れなかった。
当然だ。彼にはまず、数百m先の人間の眉間を撃ち抜く弓の腕があった。次に、上級戦士程度なら四対一だろうと軽くあしらえる身のこなしと短剣の技術があった。更に、物音一つ立てず、死角から息の根を止める殺しの技があった。
そして何より、光さえ感じられぬ盲目の代わりに、『神聴覚』の特性があった。これにより、彼の不意を突くことは絶対に不可能だった。どれ程気配を殺そうと、吐息と鼓動を止め続けられる人間はいないからだ。
どれ程警備を厚くしても、どれ程大規模な討伐隊を結成しても、カルマンの仕事を止められる者はいなかった。
結果、十六人目を殺した段階で、弱体化し切った貴族の力は商人の財力に敗北した。カルマンの存在を恐れた貴族の中には、それまでの無法を改める者もいた。王制と貴族こそ存在するものの、政治の場に商人の力が大きく関わる商業国家としての側面も持つようになる。今日のリズリーの姿が成立した。
しかし、それもカルマンには関係なかった。当初依頼された二十数人を、予定通り殺し切った。
民衆が悪の貴族を討った英雄として彼を讃えた。が、彼が民衆の前に姿を現す事は一度も無かった。
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様々な詩歌に歌われ、英雄譚が描かれた。だが、一般市民は誰一人としてカルマンの顔も姿も知らなかった。裏の事情に通じている者なら多少なりと知ってはいたが、貴族殺しの依頼を完遂した後、彼は暗殺依頼すら受ける事は無くなり、誰も寄り付かぬ深い森の中、小屋を建ててひっそりと生きていた。
眼の見えない彼にとって、森の中はあらゆる生物の音に包まれた空間。それらは時に喧しく感じたが、決して不快では無かった。ただ起きて狩りをし、肉や果実を喰って寝る。最早『暗殺者』としての生き方を失った彼にとって、生きるとはそれだけのことになった。
そんな生活が、どれだけ続いたか分からなくなった頃。ふと、小屋の外から足音が聞こえた。動物とは違う、靴の音が。
暗殺者となって以来、ずっと愛用している『双刃弓』を組み合わせ、弓とした。が、すぐには撃たず、足音から凡その人間像を特定する。
カルマンの元を訪れた人物は――足音から歩幅を推定、恐らく女性。衣擦れの音がする。鎧ではない、もっと軽装。軽装でここまで来た事に少なからず驚き、少なくとも一般人でない事を確信した。
近付いてくる足音に、警告の意を込めて一矢放とうとした時――
「撃たないでくれよ。こっちは丸腰だし、君を連れ出しに来た訳じゃないんだ」
何処か愉快げな女の声と共に、足音が止まった。カルマンは動かず、弓を構えたまま相手の出方を待つ。
「こんなところにいるなんて、殺し屋を引退したのは本当みたいだね。まあ、無理もないけど。でもこっちとしては随分苦労したよ。街中にいないんじゃ、幾ら断片的な情報から考えたって仕方がない。あぁ、そうそう。私の名前はリィズ・クローム……と言って、通じるかい?」
リィズ・クローム。その名を聞いて、カルマンは初めて口を開いた。
「『微笑の女王』リィズ・クローム。リズリーにいて、貴殿の名を知らない者はいないだろう」
「おや、意外と良い声じゃあないか。どうせなら、姿も見せて欲しいものだね。何しろ、こっちは『依頼人』なんだよ?」
「……暗殺業からは身を退いた。殺したい相手がいるなら、他を当たってくれ」
「そうはいかないな。そもそも別に、私には殺したい相手なんていないよ? まぁ、吠え面掻かせてやりたい相手はいるけどね」
リィズは、楽し気な様子で懐に手を入れる。その音を聴きつけたカルマンは口を一文字に結んだ。『そう硬くならなくても』と肩を竦めながら、リィズは懐から取り出した物を振る。恐らく、液体の入った瓶。
リィズは笑いながら、思いもよらぬ事を口にした。
「君の遺伝子が欲しい。より正確に言えば――君の子供を作らせてくれ」




