魔将テオドール・決着
「ロイド……アンタ、起きてる?」
「あぁ……正直キツイがな」
満身創痍の二人は、ただ眼前の戦いを見つめることしか出来ずにいた。
「ま、いいんじゃねえの。今のオレらじゃあただ邪魔になるだけだしよ」
「……悔しいけど、その通りね。でも、もし本気でヤバいってなれば飛び出すわよ」
ロイドはアリナの応答にやや面食らった。少し前の彼女なら、ヴィルハルトに任せるのを嫌って無茶をしていたかもしれないからだ。いや、それだけではない。
「意外と冷静だな、アリナ。聞いてたかよ、さっきの話」
「アンタが聞いてたって事はアタシも聞いてたってことよ」
「どう思うよ」
「にわかには信じ難いけど……納得出来る事が幾つかあるのよね」
「そうだな」
ロイドも概ね同意見だった。特性と言っていた再生能力、どれだけ戦っても息一つ乱れない異常なスタミナ。考えてみれば、これらは完全に魔物の持つ特性だ。アリナの場合、彼を調律しようとした際の事も納得させる材料の一つになっただろう。
だが、それでも二人の考える事は同じだ。
「今は倒れてていいけど、直ぐに武器持って駆け出せるようにしておきなさいよ」
「任せろって」
テオドールの視線がこちらに向いていないなら、不意を突ける。
二人は本当に立ち上がるべき時に備えている。
*
異界魔法『狂荒嵐』。見た目こそ槍の穂先を回転鋸に取り替えたような物だが、その強大さは桁違いだ。
まず、単純に威力が高い。先の回転鋸なら耐えられた硬化の二重掛けさえ破られる。受けるには全力の防御が必要だが、そうすると攻撃が疎かになる為、避けるしかない。次に、柄が棒状なのでリーチが長い。外れ物を巨大化させてもギリギリで届かない位置から攻撃が可能な長さであり、必然こちらが攻めるには相手の間合いに入る必要があった。
そして何より、刃の回転によって吹き荒れる暴風。この風こそ、狂荒嵐を脅威たらしめる最大の要因。恐るべきことにこの風、『ヴィルハルト以外には何の影響も無い』。少し離れた所で魔術を行使するエレインはおろか、周囲を飛行する円盤状の回転鋸さえも風に流される素振りさえ見えない。この戦場で、ただヴィルハルトだけが暴風に機動力を削がれていた。
「貴様……」
何も言葉は無いが、テオドールが眼で『どうだ』と挑発してくる。
風自体は常に身体強化を掛けていれば動けない程ではないのだが、練体術で強化された機動力が削られるのは懐に入るしかないヴィルハルトにはこの上なく厄介だ。
あと一撃、核に痛打を浴びせれば勝てる。が、その一撃が遠い。テオドールの指示一つで飛来する二つの回転鋸の存在は、彼の行動を制限する牽制役として機能していた。
エレインも整調を維持してはいるが、このままでは現状を打開するのは難しい。
そんな時だった。
「『黄雷』!!」
「なっ……!?」
エレインが、ヴィルハルトの直ぐそばまで接近していた。そしてテオドールに黄雷を連続して放つ。
「邪魔をするなよ、魔導士風情が!」
邪魔者であるエレインを排除すべく、テオドールが狂荒嵐が起こす風のターゲットを切り替える。必然、彼女は暴風に襲われ態勢を崩した。何の防具もしていない為、立っていられない程の風に晒されて膝をつく。
まずい。彼女を助け起こそうとヴィルハルトは彼女の元に向かおうとする。
「『整調』! ヴィルハルトさん、今です! 風が私に向いている今ならーーッ!!」
だが、エレインはそれを拒否した。自分より、魔将を倒す事を優先させる。
「正気か、お前。……だが助かる。身体強化《三重》!」
彼女の意志を汲み取ったヴィルハルトは、身体強化を三重に掛け、外れ者を大剣に変形させた。整調の強度こそ乱れがあるものの、充分だ。
狂嵐の鎖から解放されたヴィルハルトを止められる者は最早いない。振り上げられた剣が狙うのは、ただ一点。狂荒嵐で防御をするより速く、己の間合いに入れた。
殺れる。そう思った瞬間――
「甘いな」
突如、外れ者が破砕音と共に砕け散った。無数の破片が宙を舞い、ヴィルハルトの手には刃を失った柄だけが残されている。
上空には二枚の回転鋸。一瞬覚えた手応えを考えると、恐らく左右から同時に刃にぶつかり、過負荷を与えて破壊したのだろう。
テオドールのほくそ笑む顔が見える。魔道具の剣を失えば、魔将の核を破壊するだけの攻撃力は出せない。奴はそう考えていて、そしてそれは正解だ。
だが――ヴィルハルトの選択肢に、『逃げる』というものはない。
「まだっ……!」
砕けた外れ者の、目についた最も大きな破片を両手で握りこんだ。自分の頭ほどのサイズの刃を手に、ヴィルハルトは一気に肉薄する。不意を突かれたテオドールはガードが遅れる。
「そんなもので!」
狂荒嵐を手放し、両手でガードを固めたテオドール。更に二つの回転鋸が後方から追いかけてきており、アレらが来る前に終わらせる必要がある。こうなれば、只のミスリル片が得物のヴィルハルトに突破は不可能――かに思えた。
「ヴィルハルトさん!」
狂荒嵐の妨害が止み、再び完全な整調を行えるようになったエレイン。本日最高の強度で為されたそれは、空気中に漂うほぼ全ての魔力をヴィルハルトの元に集めていた。今この瞬間、彼女は特級魔導士クラスの純度を誇る整調を実行出来たのだ。
エレインは今出来る最大の仕事をした。ならば、後は俺が幕を引く。
己の全神経を、眼前の敵を討つことだけに使う。
剣の破片を握る両手を振り上げた。小細工はいらない。真正面から、最速最強の一打で殺す。
一つだけ、ヴィルハルトにはテオドールを仕留められる技があった。今までやらなかったのは、恐ろしくリスクが高いからだ。
制限時間一秒の必殺。彼我の距離がゼロの今なら、いける。
渾身の力を込めながら、冷静沈着な彼らしからぬ声で、目の前の魔将にぶつけるように叫んだ。
「『身体強化』――――《+一重》!!!」
ジュリウス・ヴァーミリオンさえ超える、四重の身体強化。
間違いなく世界最強の膂力で振り下ろされた一撃は、テオドールの両腕を貫き、刃を核にさえ届かせた。
そして、ヴィルハルトの手に確かな手応えが伝わると同時、魔将の核は完全に破壊された。
「なっ……」
驚愕が張り付いた顔がひび割れていく。やがてそれは全身に広がり、身体の末端からテオドールという存在が砂に還っていく。
その直前、彼はつぶやくように言った。
「せめて……貴様だけは……」
核の破壊と同時に停止していた回転鋸二つが、再び唸りを上げて襲来した。
「チィッ……」
四重重ねの練体術を維持し切れず、ヴィルハルトは地に膝を着き動けなくなっていた。エレインが重力増加を掛けて減速させても、避けるという行動さえ取れないのでは意味がない。
万事休す。流石のヴィルハルトもそう思ったが――
「ウオオォォ!!!」
横から、槍斧を構えたロイドが全力で突っ込んできた。二つの回転鋸を横から打ち抜きくと、蹴られた石ころのようにあっさりと吹き飛んでいった。ロイドの後ろではアリナが魔術を行使している。恐らくロイドが当てる直前に『重力低下』の魔術で鋸を軽くしていたのだろう。吹き飛ばされた鋸は主と共に、砂のように消えていった。
「どうよ……良かっただろ、オレらがいて」
傷と土に塗れた満身創痍のロイドは、それでもいつも通りに笑っていた。そうして差し伸べられて手を、ヴィルハルトは取った。ほんの少し、口元に弧を描きながら。
「そうだな。……礼を言うよ」
かくして、かの英雄に次ぐ二度目の魔将討伐を成し遂げた。しかしそれは、かつての個人で剣を振るっていては成しえなかったことだった。




