凶戦士
『それ』が腕を一振りした時、屈強な男の肉体が宙を舞った。
国を護るという志を持って立ち上がった勇敢な戦士達。そんな彼らが、たった三匹の魔物に歯が立たず、傷を負っていく。
中型の魔物『オーガ』が三体と、全身が岩のような物体で構成された大型魔物『ゴーレム』。オーガも二足歩行するその巨体から生み出される力と、振るわれる棍棒の一撃は、当たれば人一人の命など容易く潰せる。しかし、最も危険なのはゴーレムの方だ。動きこそ遅いが、堅牢な身体はまるで攻撃が通らず、拳による攻撃は掠める程度でも戦闘不能になりかねない。
現状幸いにして死者こそ出ていないが、幾人もの負傷者を出している。現状の戦力を考えれば、足止め出来ている時点でよくやっている。
「奴を絶対に街に入れてはならん。下級の連中、『身体強化』の術を忘れるなよ!」
この場で最も階級の高い戦士である『アラン・バートレット』は、周囲の戦士達に対し声を張り上げた。この魔物は、危険だ。そう判断したから無理に攻めず、一定の距離を保って魔物の観察に徹している。
小型種『ゴブリン』や『コボルド』とは比べるべくもない巨体の威圧感に負けず、二人の戦士が飛び出していく。一人は片手剣を、もう一人は身の丈程の大剣を構えていた。後方から放たれた二つの火球がゴーレムの顔面に着弾したと同時に、二人が魔物の身体に全力の一撃を叩き込んだ。
いけるか。その攻撃を見てアランも攻撃に参加しようとしたが――。
「き、効いてな――ぐあああ!!」
彼らの攻撃など意に介さず、魔物は腕を振り下ろして剣使いの戦士を圧し潰した。
二人の攻撃を受けたゴーレムの右脇腹には、確かに大きな欠損が見えた。だが、即座に紫色に発光し、その数秒前の姿を取り戻す。激昂した魔物は無造作に腕を振るうだけでもう一人の戦士を吹き飛ばした。後方から火球を飛ばした二人の魔導士――恐らく、攻撃を行った戦士の相方だろう――に向かって身体がら剥離させた岩の礫を射出し、瞬く間に意識を奪い取る。
「クソ! あの野郎もう許せねぇ……こうなったら……身体強化・《二重》!」
「おい、馬鹿!! 止せ!!」
アランの隣にいた戦士が彼の静止を効かず魔物に向かっていった。その手は握られた巨大な斧を振りかぶり、魔物の身体を横薙ぎに切断しようとする。その瞬間、男はまるで糸を断たれた操り人形の如く倒れた。
「か、体が動かない。駄目だ、制御が――うわああ!!」
それを見逃される筈は無い。二体のオーガが棍棒を振り上げ、倒れた戦士を踏まえた蛙よろしく押し潰そうとする。
「させる……かぁ!!」
アランは全力で飛び出し、炎を掻い潜りながら男の身体を引っ張り、離脱した。拾い上げる寸前、
「すみません、アランさん」
「重ね掛けなんてしたら、術を維持出来ず自滅するだけだ! 下がっているんだ」
「はい。この恩は必ず返します……」
これで、十人の戦士と魔導士が戦闘不能に陥った。これは、この街の防衛戦力の四分の一に当たる。
残った戦士及び魔導士たちは全員魔物から距離を取った。魔物は追ってこない。元よりゴーレムは慎重な性格だ。下手に隙を見せなければ仕掛けてこない。しかし、好戦的なオーガが襲ってこないのは幸いだ――ただ遊ばれているだけかもしれないが。とはいえこのままでもこちらが消耗するだけ。魔物には『疲労という概念がない』。
「クソッ……かくなる上は――」
最終手段として考えていた、自爆覚悟の波状攻撃。一か八かの賭けだが、最早手段を選んでいる場合ではない。
そう考え、それを口にしようとした瞬間――。
「邪魔だ、貴様ら」
後ろから声が聞こえた。地獄の底から響いたかのような、尋常ならざる殺気を孕んだ声。それと同時に戦場を、一筋の黒い閃光が駆け抜けた。
一体のオーガの右腕が斬り飛ばされ、直後全身が恐るべき速さで解体されていく。生命を絶たれたオーガが、白い石を残して砂のように消えていくと、黒閃の正体が明らかになる。
「ヴィルハルト・アイゼンベルク……」
誰かが口にしたその名前こそ、たった今オーガを瞬殺した漆黒の男の名だった。それはアランが意識的に戦力に数えていなかった男。
理由は単純。彼は『協調』を重んじる戦士の精神から余りにかけ離れた人物だからだ。
左から駆けてきたゴーレムの拳を容易く回避すると、お返しと言わんばかりに右腕に剣を叩きこむ。切断は無理だったが、大きな破片が腕から飛び散った。降ろされた拳を踏み台にして後ろ――アランたちの方向に着地した。
現在無事な戦士たちの視線が、ヴィルハルトに集中する。アランは目の前の魔物に勝るとも劣らぬ恐怖を彼に抱きながら、声を掛けた。
「今まで何をしていた」
「東部のエリアで塵掃除をしていた。それより、ここに残ったのはアレらだけか」
塵掃除、すなわち他のエリアにいた魔物の掃討だろう。それを裏付けるように、彼の懐に提げられた革袋には、討伐の証である石がぎっしりと詰まっていた。
真っ黒な全身鎧を身に纏っていながら兜は着けておらず、宵闇のように黒く一切の光を湛えない瞳と対照的な白髪が特徴的な顔がよく見える。胸元につけた金色の紋章は、この国で唯一の『特級』の証。平均的な男性を大きく上回る長身も手伝い、その威圧感はゴーレムに勝るとも劣らない。
「……そうだ。だが、ゴーレムは硬すぎてどうしようもない。死者こそ出ていないが、何人もの戦士が怪我を――」
「それはどうでもいい」
勇敢に戦った者達に対し何の敬意も抱かない態度に、何人かの戦士達が憤りをぶつける。
「おいお前! 何だその口の利き方は!」
「勇敢に戦い、死んだ者たちに思う事は無いのかよ!」
「腕はあっても、性格は『英雄』様と大違いね!!」
「止めろ、みんな」
彼らを止めたのは、アランだった。彼とて、ヴィルハルトの発言に怒りを覚えない訳ではない。しかし、今は言い争っている場合ではない。自分たちではどうしようもない相手なのは事実だし、何より彼ならばあの化け物を斃せるかもしれない。
「アレが街に入れば……大惨事になる。頼む、ここで倒してくれ」
「言われるまでもない」
頭を下げたアランに素っ気なく言うやいなや、ヴィルハルトは鎧と同じ色の両手剣を構えた。地面と剣の樋を水平にし、切っ先を魔物に向ける。
「身体強化・《二重》」
呼吸をするように身体強化の術を重ね掛けると同時に駆け出し、オーガの喉元に刃を突き立てた。直後、剣を抜いて魔物の周囲を疾風の如く速さで飛び回り、斬り刻んでいく。その場にいた戦士たちはおろか、オーガでさえ反応出来ず成すすべなく刻まれ、ものの数秒で塵と化した。
それまで彼に怒りをぶつけていた者たちも、その動きには絶句するしか無かった。術の重ね掛けという高等技術を容易く行ったこと、人間より遥かに優れた感覚と神経を持つ魔物に、何もさせず殺しきる強さ。総じて、同じ人間とは思えぬ格の違い。
そんな戦士たちの様子に気付くことなく、彼は先の二体と同じようにオーガを瞬殺した。三体のオーガに対し、掛けた時間はせいぜい十秒程度。しかし、問題は最後の一体。
大型魔物、ゴーレム。その巨体に似合わぬ速さで肉薄し、拳を振り下ろした。
その一撃に対し、ヴィルハルトは垂直に跳ぶ事で対処した。頭上を軽く飛び越え、空中で剣を上段に構える。しかし、あれでも恐らくゴーレムの身体を破壊することは出来ない。アランがそう思った瞬間――
「身体強化――《+一重》」
埒外の、身体強化三重掛け。
それだけではない。ヴィルハルトの握る両手剣が一瞬のうちに巨大化し、その体躯を優に超える程の重厚長大な大剣へと姿を変えていた。彼は勝利の確信など微塵も見せず、汚物を見るような眼で魔物を見下しながら、剣を振り下ろす。
「消え失せろ」
三重目の身体強化と共に放たれた一撃は、ゴーレムの右肩から右足に至るまでを、バターのように切断した。それだけでなく、剣が叩きつけられた衝撃で周囲の草木が吹き飛ばされ、アランをはじめとする戦士や魔導士たちもその余波を受けた。衝撃波に身体を吹き飛ばされそうになる。どうにか耐え切り、前を向いた時には既に息の根を断たれた魔物の身体は霧散し、ヴィルハルトの手にはゴーレムが遺した石が握られていた。
「あれが……凶戦士……」
熱を出した時の比ではない程の寒気と冷や汗を覚えながら、アランは呟いた。それを聞いていたのか、アランに向かってヴィルハルトが歩いてくる。既に剣は元の大きさに戻って背中の鞘に収められている。立ち尽くすアランに向けて、ヴィルハルトは手の中の石を投げ渡した。
「何だよ……」
「これ以上袋に入らんのでな。オーガの『魔晶石』も落ちている。後は残った奴らで好きに分配すればいい」
ただそれだけを告げて、彼は門へと歩いて行った。そこには街の危機を救ったという感動や誇りは微塵もなく、強いて言えばただ面倒な仕事を終えた後の様な徒労感を覚えているようだった。
*
街外れに、寂れた小屋があった。老朽化が進んでおり、一見すると住む者が居なくなり放置されている様だが、ちゃんと住民がいる。
ヴィルハルトこそが、その住民だった。魔物討伐を終え、成果を報告してから真っ直ぐ帰宅した。最早五年は繰り返している、いつも通りのことだ。この後は汗を洗い流し、食事を摂ってから鍛錬。この生活サイクルを変えたことはない。
ただし、ここ数日は事情が大きく変わったが。
「お帰りなさい、ヴィルハルトさん!」
扉を開けるやいなや、机で本を読んでいた少女が駆け寄ってくる。腰まで伸びた桃色の髪を靡かせ、藍色の瞳を輝かせながら彼を出迎える姿は、父親を迎える幼い娘のようだ。
「いちいち寄って来なくていいと言ったはずだが」
「恩人の帰りを迎えることの何がいけないんですか? 私、記憶喪失なのでよく分かりませ~~ん。というかそろそろ私の名前呼んで下さいよ。おい、とかお前とかそんなのばっかりじゃないじゃないですか」
「知らん。お前は本でも読んでろ」
「あ、水浴びですね? その後はご飯ですね!? お皿、洗っておきました! 一つ残らずピッカピカですよ! あ、あとですね――」
少女の話を聞き流しながら、ヴィルハルトは何度目かの後悔をする。
何故彼女を見つけてしまったのか。そして、何故『あんなこと』を言ってしまったのか。
孤高の戦士である彼がこうなってしまった経緯を説明するには、数日前に遡る必要がある。