既に手遅れ
「テメーはッ!
どーゆー教育してやがンだこのクソ野郎!
メスブタ一匹殺せねえ無能どものおかげでウチのメンツは宙ぶらりんだ!
この街で人身売買以外に稼ごうったってヤク周りは既にがんじがらめで手のつけどころがねぇんだよ!
だから信用商売だって忠告してやったのに!
なぁ、この責任どうやって取るつもりだ!?
ピザ釜にテメーらの名前刻むほどオレは優しくねぇぞ!」
激しく怒鳴り散らしながら部下を蹴りつける男。
本国にいる『ボス』の指令を受けてやって来た。
名前をビアージョという。
「トップが無能なら下も無能、間に挟まれるオレの気持ちにもなれってンだ!
大物ぶってやがったくせにおめおめ捕まりやがってクソボスが!」
「お言葉ですが、あのガキは一人じゃ……。」
「構わねえからさっさと殺して来いってんだ!
客死なせたボケ女に逃げられました、じゃ笑い話にもならねぇぞ!
通行人巻き込もうが関係なくやるべきことをやってこい、さもなきゃ手前らは灰だ!」
ギャンギャンと吠えまくるビアージョに嫌悪感を抱きながら、部下達は久遠を探しに向かおうとする。
その必要は、もうないのだが。
「あー、クソッタレ!
いちいちうぜぇんだよ、あのクソボケ。」
「どうせ女にフラれたんだろ、酒もタバコもやってねぇくせにウチの組織で一等臭───ッ。」
愚痴りながら店の玄関の扉を開ける二人の男の胸に、銃弾が食い込んだ。
さすが、ダニエルは手慣れている。
「久遠、お前さんはここで待ってろ。
いきなり死なれても困るからな。
俺だって悪党だが、人を食うのは趣味じゃねえ。」
「うん、分かった。
じゃあ行ってらっしゃい。」
久遠は夫を見送る妻のような感じでダニエル達を見送る。
出来れば特等席で見てみたかったのだが。
・・・
「商売下手なイタ公どものアジトはここか。
随分と恰幅のいい連中だな、ダイエットが必要だ。」
「同意だよダニエル。
ヨアキムみたいにガリガリになるべきだ。
見た目は貧弱だけどね。」
「……何だ、あのメスブタと一緒にいたってのはテメーらか?」
「そうだぜ、発情期のオスブタどもから守ってやるために同行してたのさ。」
「何だとこのクサレが。
テメー、この俺様が怖くねぇってんだな?」
「ああそうだよ、死ね。」
ルシアの銃弾がダニエルの耳の横を通ってビアージョの喉を貫通する。
所詮銃の腕前も半端だったということだ。
周りのゴロツキどもは、リーダーが死んだというのに慌てもせず、気まずそうな顔をしている。
まあ、何となく察しがつくものだ。
少し話しただけで小者と分かるような男に、誰がついていくのか?
これは、そういう単純な話に過ぎない。
「お前の腕を疑うワケじゃないがもう少し離れて撃ってくれ。
万にひとつでも俺の耳がフロリダまで吹っ飛ぶようなことは避けたいんでな。」
「んじゃ、ベイルート辺りで勘弁してやるよ。」
「コイツ、俺の耳を炭にしてダイヤでも作ろうってハラだぜ。
おいヨアキム、そうなったらお前さんが止めてくれよ。」
「ガリガリで悪かったね。
そんな人間を鉄火場に引き連れてくるのもどうかと思うけど!」
「……引きずってたのか。
仕方ねえからあとで慰めてやる。」
ダニエル達が談笑する中、一人の男が突然逃げ出す。
リーダーのように殺される、という圧倒的な恐怖からだろう。
だが銃は人を差別しないし区別もしない。
男の右足に弾がめり込み、男はそのまま倒れた。
「ぐおああああッ!」
「ひでぇ野郎だぜ、親分が死んだってのに誰一人寄り添わねぇ。
手前らチンピラお得意の家族ごっこってヤツを見られると思ったのになぁ。
その程度の三文芝居も出来ねぇサルどもは……皆殺しにするしかねぇよなぁ?」
ルシアの目から一気に光が消えた。
殺しの目。
ダニエルと同じ、殺意に満ちた眼差し。
「ひいい、俺達ゃただ雇われてただけだっつーのに!」
「テメーなんか地獄に落ちろクソアマめ!
鬼の金棒でアナルファックされて泣き喚いてろ!」
「ふふ……ははははは!
そんなにアナルが好きならテメーらの体にいくらでもこしらえてやるっての!」
狂ったように銃を乱射するルシア。
こうなったらもう、言葉では止められない。
元々闇の世界の住人なんてそんなものだ。
「やれやれ、食欲がなくなるぜ。」
「まったくだ。」
・・・
「……すまねぇ、本当にすまねぇ、久遠!
俺達、謝っても謝りきれねぇことを……すまねぇ!」
「落ち着いて、分かったから……ああ、そう、とにかく落ち着いて!」
「家族にこの金だけは送らねぇと……入院費が足りねぇんだよ……!
頼むぜ久遠、俺達の代わりによォ……!」
「……分かった、分かったから。
あなた達は末端なんでしょ、親玉の言うことを聞くしかなかった。
それはもう分かったから。
だから責めないよ、私だって同じ立場ならそうしたかも知れないから……。」
かの処刑場から逃げ出してきた二人の男。
彼らは決してこんな道を望んでいたわけではない。
そのことを、必死の形相で訴えている。
だからなのか、先程まで憎しみが充満していた久遠の目にも少し慈悲が宿ったようだ。
「ありが───」
久遠に対して感謝の言葉を口にしようとした男達。
しかしその言葉は銃声に遮られた。
「何……!?」
せっかく命からがら逃げ仰せた二人の男の背中に、鉛の弾がめり込んでいる。
二人は撃たれたのだ。
少し遅れて理解する久遠。
ここはまだ『油断して良い場所』ではなかった。
「な、何を……何をしたの、ダニエル。」
立っていたのはダニエル、ルシア、ヨアキムの三人。
銃口からけむりを吐いているのはダニエルのソレだけだ。
そう弁えた上で、敢えて訊いている。
何をしたのか。
「何って、依頼をこなしたんだよ。」
久遠の質問に、ダニエルが無愛想に答える。
まあ、笑って答える質問でもないが。
「……親玉は殺したんでしょ、さっきこの二人から聞いたよ。」
「ああ、殺したよ。」
「だったらこの二人を殺す必要なんてなかったじゃん。
この二人、反省してたんだよ……でも、どうしようもなかったんだって……!」
「だから依頼だよ。
ピザショップ・ヴィンチの壊滅はお前の依頼だぜ。
そしてオレらはその依頼をこなして金をもらう。
手を抜いたりはしない。
イタリアのチンピラくずれの事情なんて知ったことじゃねぇな。」
「そんなこと言ってんじゃないの!
この二人は戦うつもりはなかった!
だからここまで逃げてきたんだよ!
ダニエルのやったことは依頼なんかじゃなくて、ただの無意味な人殺しだよ!」
「……やれやれ、俺が特殊部隊の制服でも着てれば良かったか?
殺しなんてモノには意味もクソもねェんだよ。
自衛のためだろうが快楽のためだろうが金のためだろうが、殺しは所詮殺しだ。
殺された側にとっちゃ何の変わりもねぇものを、殺した側が勝手に分別してるだけだ。」
「……。」
ダニエルにとって殺しは殺しでしかない。
正義の名の下に行う処刑も、純粋な悪意による惨殺も、正当化する余地のないモノだ。
たとえ立派な美徳を語ったところで、返り血は決して拭えない。
そのことは特殊部隊で嫌というほど思い知らされてきた。
テロリストという名の『人間』を殺し、何度も何度も味わってきた。
承知の上で、殺しをやったのだ。
既に手を汚してしまっている自分が今更綺麗な世界に戻ることなど出来やしないと、そう理解した上で。
「俺が最も嫌いなのは、何かにつけて綺麗事を喚くヤツだ。
お前は安全圏にいるつもりだろうが、その認識は大間違いだぜ。」
「まるで悪人だよ。
悪人の理屈だよ、ダニエル。
そう、私って悪人に助けられたみたいですごく惨めだよ……。」
「ああ、確かに『悪』だ。
自覚はあるさ、生まれた時から地獄行きの切符を握ってたからな。
ここはそういう街で、俺達はそういう人間なんだよ。
だから生きてる、たったそれだけのことだ。」
「……。」
久遠は言葉を返せなくなった。
法も秩序も失ったこの街では彼の言葉は否定出来ない。
「……ああ、どうしてこんな理不尽な街に来てしまったんだろう。」
平和な国からやって来た少女は、故郷での幸福を二度と味わえないという絶望感に嘆く。
ルシアは、そんな腑抜けた彼女にアドバイスをする。
「最もタチが悪いのは目に見えない理不尽さ。
アンタの故郷にも私の故郷にも、そういうのが少なからず存在する。
その点この街は天国のようなモンじゃないか。
あらゆる理不尽が目に見える。
目に見える以上、対処する方法は必ずあるってことだよ。」
そこにヨアキムも加勢する。
「理不尽には理不尽で対抗するんだ。
理不尽から目を背ける弱者は、さっさと捨てられちゃうよ。」
「……うん、そうだよね。」
久遠は考えた。
果たしてこれから同じようなことがあっても自分の信念をねじ曲げずにいられるだろうか、と。
その答えは、ノーだ。
たぶん、そこまでして守るべき信念なんて自分にはない。
たかが高校生には到底無茶な話だ。
それは久遠自身が一番分かっている。
「……ダニエル、あなたのところで働くかどうかの話だけどさ。
今すぐに結論は出せそうにないよ。
でも……もう少し職場体験しておきたいと思うんだ。」
「ま、良いだろう……急ぐものでもねぇからな。
結論が出る前にくたばらないことを祈っとけよ。」
「……教会は雰囲気が苦手だからその辺の石にでも祈っておくよ。」
「石に神が宿るのか?
ちゃんちゃらおかしな女だぜ。」
「えーと、その……私の名前は久遠、これからはそう呼んでほしいな。」
「ああ、分かったよ。」
正義の名の下にテロリスト達を殺してきた過去を持つダニエルだからこそ、正義という言葉には懐疑的。