無情な空
「はぁッ───はぁッ───!」
逃げる。
逃げる。
ひたすら逃げる。
ひたすら逃げる。
武器を持たない状態で誰かに出くわすということがないように、ひたすら逃げる。
「うがぁッ!」
石ころにつまづき転倒する。
痛い。
膝を強打した。
「た……助けて……!」
銃で撃たれ、ただでさえ追い詰められているのに何というザマだ。
とにかく、今はあの二人から逃げなければ。
出来るだけ遠くまで行かなければ。
待ち受ける死から逃げ延びなければ。
そして、再び平和に暮らすのだ。
空腹を満たすように人を殺しながら暮らすのだ。
人を殺す快感と、その後やって来る悲壮感。
カーシルは幼い頃からそれを知っていた。
もう今更、抑えられないのだ。
「 ───あッ 」
路地裏を抜け、その先にいたのは久遠と冬乃だった。
死に物狂いで路地裏を逃げ惑ったというのに。
だが幸い、二人は此方に気付いていない。
「……やっと見つけたわ、殺人狂カーシル。」
「ッ!!」
誰もいないはずの背後から、殺意に満ちた声。
恐る恐る振り返ると、そこには帯刀した軍服の女が立っていた。
「う……うわあァァァアッ!!」
思わず悲鳴を上げる。
そして悲鳴によって、久遠と冬乃もカーシルの存在に気付いてしまう。
何という不運。
ここで朽ち果てる運命なのか。
「あッ……あれはカーシル!?」
「その後ろにいるのはカミシア……!
約束が違う……勝負だって言ってたのに……!!」
カミシアは久遠と冬乃に目をやり、冷酷に笑う。
「あらあら、ご苦労さんだったわねぇ。
まさか冬乃が戻ってくるとは思わなかったけど……。
何にせよ……これでこの腐れサイコ野郎をブチ殺せるわ。」
カミシアは冬乃が行方不明になる前から何でも屋と面識がある。
だが冬乃の方はカミシアをイマイチ覚えてないのか、ちょっと目を細めている。
誰だっけ、というような顔だ。
ふざけている場合ではないのだが……。
「……初めから……このつもりだったの……?
私達を利用して……この卑怯者ッ!」
「NSの誇りのためなら、手段なんて問題じゃあないわ。
卑怯だ何だと騒ぎ立てたところで負け犬の遠吠えよ。」
そう言ってカミシアは、カーシルの腹部をサーベルの鞘で殴った。
「ぐぷッ!」
今度は倒れそうになるカーシルの髪を掴む。
「あ……が……ぁ、───ッ。」
「殺人狂ごときに正々堂々と戦いを挑むなど馬鹿馬鹿しい。
それと……私はマフィアのボスだ、お前には『借り』がある。
それをきっちり返してやらんとなぁ、私も寝覚めが悪いんだよ。」
カミシアはポケットからピックのようなものを取り出し、カーシルの左耳に突き刺す。
「ッひ……ぁ゛か゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ゛あ゛!」
耳から血を流しながら絶叫するカーシル。
思わず冬乃は目を背ける。
「うぐっ、駄目だ姫君……私達はここにいてはいけない……!」
冬乃に肩をぐいと引っ張られるが、久遠は動こうとしない。
「痛いか?」
カミシアは笑うでもなく怒るでもなく、無表情で問う。
痛いに決まっている。
だが……カミシアはこの殺人狂に同胞を殺された。
その心の痛みはこの程度ではないのだろう。
耳に凶器を刺したまま、今度は爪を剥がす。
ありきたりだが此方も痛いのは確実だ。
見た目的にカーシルは人間だろうし、その痛みを想像するのは難しいことではない。
「ひき゛ゅ゛ぅ゛う゛う゛!
い゛た゛い゛ッ、や゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!
や゛へ゛て゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ッ!」
依然、カミシアの顔は無表情。
ただひたすら、淡々と爪を剥がしていく。
「言っただろう、借りを返すと。」
「も゛うや゛へ゛れ゛ぉ゛ォ゛ぉぉ゛ぉ!」
カーシルの顔は涙と鼻水と唾液にまみれてしまっている。
「……じゃあ、やめてあげるわ。」
カミシアは痛みに悶えるカーシルの頭を壁に打ちつけた。
耳に刺さっているピックが押し込まれる。
「き゛ぁ゛ッ!!」
カーシルは最後に間抜けな声を上げ、力尽きた。
気が付くと、辺りにはギャラリーが集まってきていた。
誰も止めようとはしなかったのだ。
殺人狂とは言え、子供が惨たらしい拷問に苦しむ姿を見ても。
「……カミシアさん……満足ですか?」
「ええ、とっても満足よ久遠。」
「私はあなたのことが理解出来ない……。」
「そうでしょうね、アナタは生温い正義に毒されてるんだもの。
我々の誇りを理解するなんて無理な話だわ。」
「そんなもののために……誇りのために……!
何をしようとしてるんですか、カミシアさん……!」
「……我々の威光を取り戻す。
戦争に生きた者は、もはや戦争でしか死ねない。
そういうことよ、お嬢ちゃん。」
カミシアが久遠に一歩ずつ近寄る。
そして、あと一歩で手が届く……というところで
「ヘーイ、ナチの仏頂面婆さん!
ウチのかわいい女どもを返してもらうぜ!」
「なはァッ!
ナタリーさん!?」
高級車に乗って猛スピードで向かってくるナタリー。
思わずカミシアも二歩ほど退がる。
「乗りな、この糞溜め地獄の空気を吸う時間は一秒でも短い方が良いぜ!」
ナタリーは急ブレーキを踏んでそう促す。
言われるがまま、二人は車に乗り込む。
「悪ィな、チョビヒゲ親父の愛娘さんよォ。
急ぎの用事なんでコイツらはいただいてくぜ。」
などと言って、カミシアに投げキッスをする。
カミシアは何とも言えない表情のまま固まってしまったが、ナタリーは気にせずアクセルを踏み込んだ。
「あッきゃあぁぁぁぁあああ!」
ダニエルと言いナタリーと言い、レミナルにはロクな運転手がいない。
どいつもこいつも危険運転ばかりだ。
「糞ファシストのアバズレはドヤ顔ぶっこいてアテェに手柄報告するつもりだったんだろうなぁ。
でもアテェはアレが嫌いなんでな、報酬はオメーらのモノだよ。」
「嫌いだったんだ……。」
「血の臭いがするから嫌いなんだにゃぁ♥️」
「……。」
「……。」
久遠と冬乃は口を閉じた。




