9枚目 私、雇用契約の確認をします
前回のあらすじ:牛肉プレゼントを回避した
「ふわぁ~……いい天気になりそう」
欠伸をしながら静寂に包まれた廊下を進むと朝日が顔を出す。どんなことがあっても朝はやって来る。異世界でも。
昨夜は快適な睡眠をとり本朝は普段通り五時起床。我ながら図太い神経をしている。
パージェ様の睨みで二十数年振りに着替えを手伝ってもらい、白のボウタイブラウスに薄紫のロング丈トラペーズスカートと清楚系な服装。だが、首元から足元まで覆われ息苦しい。
髪は三つ編みを重ねた団子を上部で結われた。あほ毛一つない結いに弟子入りを志願したい。
しかし、ピアスとスカーフを忘れずにと言われたが、何故?
朝食は洋食風でパンにスープ。薄味だが豊富な種類のジャムをつけるのが王国スタイル。スープに入れるのは躊躇した。
生搾りフルーツジュースは絶品だが、生野菜とお茶、箸がないことは悲嘆したい。
そして、今は優雅に散歩中。
九時に人事部執務室へ呼ばれているが現在七時。日本でも朝の散歩をしていた身としては大事な時間だ。
今朝までに確認出来たことは二つ。
一つ目はスマホの日付が進んでいないこと。設定を替えても三月三日のまま。謎だ。
二つ目は王国文字、ジール語が読めること。ポウタ様の名刺で気付きパージェ様に確認済み。この点に関しては帰還方法を探す幅が広がるため大歓迎だ。
明るくなる周囲に合わせて"光の玉"がきらきらと輝き、廊下の先には見事な中庭が広がっていた。美しい光景に思わず駆け寄る。
「綺麗な庭。いろんな種類の花が咲くんだ~雑草処理から剪定まで丁寧な仕事。流石は王城。いい庭師を雇ってもらえて綺麗に咲かせてもらえてよかったね。何本か貰ったらダメかな……王城だから私有地? それとも公共施設? どっちにしても勝手はダメだよね……庭師に会えたら聞いてみよう。あ、休憩スペースかな。ベンチがいくつもあるし、ここでお弁当食べたら気持ち良さそう――」
年甲斐もなくはしゃぐのは故郷の自然を思い出したからだろう。ド田舎の昔ながらの日本家屋の実家を。
そして、オフの独り言が口から出ていたことを知るのは、もう少し後の話。
人事部は王城内でも奥まった場所にあった。人の行き交いも少なく静けさが漂う反面、焦げ茶色の両開きの扉からは重圧を感じる。
結局、中庭だけで時間が潰れてしまった。はしゃぎすぎに反省。
しかし、執務室の場所を聞いた人全員、驚愕の顔をしながら私の頭上を見ていたのが気になる。
私、ハゲてないよね?
異世界に来て一日でハゲてないよね!?
頭皮を揉みほぐしながら腕時計を見ると八時五十分。十分前行動は社会人の基本。
深呼吸をし仕事オンスイッチを入れよう――とした瞬間、背中の衝撃に悲鳴をあげた。
「ふふふ……マドカ様は笑いの神に愛されてるんじゃ……くっ、ダメだ、ふふふ、お腹痛い……」
目前の笑い上戸の彼のスイッチを入れた原因は、私と背後に佇む銀髪騎士――ポウタ様。
そう、深呼吸後、彼の緊張ほぐし背中ぽんぽんに反射的に悲鳴をあげてしまった。慣れたと思っていたのに。
そして何とポウタ様、私の背後にずっといた。
そう、ずっと。
部屋を出た瞬間から! ストーカーか!
私は気付かず二時間も彼と散歩をしていたことになる。
皆が私の頭上を見ていたのはハゲではなくポウタ様。背後の人に聞けばいいのでは、みたいな心境だっただろう。
気付かなすぎ私!
気配なさすぎポウタ様!
私の悲鳴に最初は心配していた目前の人物だか経緯を聞き徐々にスイッチが入った、と言う訳だ。
どの部分で?
「本日もご機嫌がよろしいようで、シュルツ様?」
「ふふふ……はいっ……マドカ様のお陰で。あ、名前覚えてくれたんだ」
「それで? 何かご用があると受け賜ったのですが聞き違いでしたか?」
睨みと刺々しい言葉でようやく顔があがる。
「すみません。あまりにも楽しい――可愛い理由だったもので」
シュルツ様は垂れ目を深くし微笑む。泣き黒子がイケメンに花を咲かす。
が、イケメンだったら何でも許されると思うな!
「呼び立てたのは雇用契約の確認です。上司が応対する予定が少々立て込んで、面識のある僕に任せられました」
異世界人の応対を任せられるとは、やはり人事内でも地位が高いようだ。
書面を机に並べると、すっと垂れ目を細める。ここからは気を抜いたらダメだと直感した。
「では、今後のマドカ様の雇用及び待遇について有意義な話し合いをしましょう」
「お願いします」
さあ、確認作業を始めよう。
「昨夜の《王の間》での謁見にて、マドカ様を二年間王国専属の《天の魔術師》として雇用し妖獣退治に参加してもらう。対価として、元の世界へ還る方法をマドカ様自身で探し出す許可を出す、というのが国王陛下の勅命です。異論は認めません」
「もちろんです」
我ながら上手く交渉したと思う。
頑張った、私!
「異世界人――尊ぶべき最高位《天の魔術師》は王国の象徴。本来ならば最上級の敬意を払い、おもてなしをするべきですが……」
「私の態度が反感を買ったのでしょ?」
苦笑いは肯定。
「二年間、マドカ様を雇用するにあたり身柄は王国側、所属は魔術師団になります。一団員として接するようにとも勅命が下っていますので挨拶や敬称略になることをご了承願います」
「自分で蒔いた種です。重鎮扱いの方がご勘弁願います」
笑みを深めほっとした表情だ。堅苦しいVIP扱いはこちらから願い下げ。
「王国では何よりも魔力が優先されます。まずは魔法――魔力に慣れるのを優先するため暫くは魔術塔へ勤務して下さい」
「腕輪への魔力溜めは大丈夫なんですか?」
シュルツ様は視線を私の背後――ポウタ様へと移し彼から頷きが返ってきた。
大丈夫、と言うことなのだろう。
「戦況次第ではありますが、何もできない状態で放り出されたくなかったら頑張りましょう」
「わかりました」
さらっと黒い発言をした笑みに満面の笑みで返答する。
「雇用する上での待遇として衣食住の提供と給金の支払い、身の安全を保証します。まず、マドカ様には王城内にある女子寮に入寮してもらいます」
「女子寮……ですか?」
寮があり、しかも女性専用とは驚きだ。
シュルツ様は笑顔で頷き言葉を続ける。
「王城勤務者専用の寮で個室の三食付き。寮専属の女中もいます」
「わかりました」
同性が側にいてくれるのは気持ち的に安心でき、相談もしやすいだろう。
料理は出来るが、こちらの食材や調理器具はわからないため食事付きも助かる。
「次に給金の支払いですが貴重な《天の魔術師》として雇う以上、魔術師長と同額の賃金をお支払いたします」
「その金額は拒否します」
間髪入れず拒否するとシュルツ様は目を丸くし動作が止まった。
魔術師長とは恐らく召喚の場にいた髭のお爺ちゃん。偉い人ぽかったし周囲もそう呼んでいた……はず。
「魔法が何かもわからない素人が魔術師長と同じ金額はおかしいです。新人と同額を要求し今後の私の働きや成果を見て給金を上げてください」
意見は言える時に言っておかなければ。ここで押し黙ったら王国側のいいように契約書が作られる。
「……謙虚かと思えば違うようだ。流石、マドカ様。わかりました。評価方法を含めて人事長へ掛け合います」
「ありがとうございます」
意見を受け入れてもらった。評価基準は王国側に任せよう。持ちつ持たれず。うん。
「そして身の安全ですが、ポウタ聖騎士を護衛として付けます」
「ポウタ様を……ですか。何故彼なんでしょうか?」
背後に視線を向けるも今日も変わらず無言無表情。そういえば、今日は一度も"声"を聞いていない。
「単純に強いからです。彼の"称号"はご存じで?」
「称号……名刺には【聖騎士序列四位】と書いてありました」
シュルツ様は『名刺』の単語に反応し、へぇと何故かニヤニヤ顔。
意味がわからない。
「"聖騎士"は八百名程の騎士、魔術師の中から選出された王国最高位の称号。ポウタはそれに相応しい腕と魔術を兼ね備えています。だから――」
すっと視線が合わさる。
「気配に気付けなかったでしょ?」
言葉の意味を理解した瞬間、一気に背筋が凍った。