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星読師ハシリウス

星読師ハシリウス[王都編]6 ガラスの迷路を突き破れ(前編)

作者: シベリウスP

 ヘルヴェティア王国では、年に1度の祭りが行われていた。その会場に突如現れたガラスの城、それは『闇の帝王』クロイツェンの部下である夜叉大将クリスタルの城であった。そして親友のアマデウスはハシリウスと間違われて彼らに囚われてしまう。

 ガラスの城の秘密を探り、アマデウスを助け出すため、ハシリウスと闘将シリウスが動き出す。それは因縁の対決へと続いていた。

※今回は全体で7万字を超えるため、前後編でお送りします。

起章 首都の祭り


 「お~い、ハシリウス~。朝ですよ~」

 「ぐー……」

 ここは、白魔術師の国であるヘルヴェティア王国の首都・シュビーツにある、王立ギムナジウムの学生寮。その一室で、さわやかな朝寝を堪能する生徒を、同室の生徒が起こそうと努力していた。

 「おい、ハシリウス。起こしてくれって頼んだのはお前だぞ、早く起きんか~い!」

 「ぐーすかぴー…………」

 ハシリウスと呼ばれた生徒は、栗色の髪をぼさぼさにしたまま、枕を抱いてぐっすりと眠っている。

 「仕方ないなあ……。ハシリウス、あの魔法を使っちまうぞ?」

 「ぐ~……もう何も食べられないよ……」

 「はっはっはっ、いい夢を見ているんだね、ハシリウス。しかし、俺はお前を起こさないといけないんだ。アマデウスくん、今日はちょっと奮発しちゃおうかな――風の精霊エアよ、今朝もよろしく頼んます♪ フライ・ハイ!」

 同室の生徒――アマデウス・シューバートがそう言うと、ハシリウスの身体がふわりと空高く浮きあがり、ベッドの外に出た。そして、

 ド・ド・ドッシ――――――――ン!!!

 素晴らしい地響きを立てて、ハシリウスの身体はお尻から床にたたきつけられる。

 「アマリリスの香りっ!」

 ハシリウスは、わけのわからない叫び声をあげる。

 「ぐ……ぐおお~っ……今朝はまた一段とキツイ……」

 「やあ、目は覚めたかい?」

 お尻を押さえ、えびぞって悶えるハシリウスの目の前に、そう言って手を振るアマデウスの顔が見える。ハシリウスはやっと立ち上がって言う。

 「パッチリと……」

 それを聞くとアマデウスはにかっと笑って、

 「じゃ、俺は時間が惜しいから先に行くぞ。せっかくのお祭りの日だ、うまくやれよ」

 アマデウスは、そういうと風のように部屋から出て行った。

 ――アマデウスのやつ、張り切っているな……。

 ハシリウスは、ひりひりするお尻をさすりながらベッドに座ると、

 「さて、僕もお祭りに行ってみるか……」

 そうひとりごとを言って、ゆっくりと身支度を始める。

 そう、今日はヘルヴェティア王国の首都・シュビーツ一番の祭りである『風の祭り』の初日である。

 だいたいにおいて、このヘルヴェティア王国は常春の国といってもよい。確かに、春夏秋冬の区別があり、冬は極寒の地域もあるが、一般的に言ってヘルヴェティア王国は長い春と短いそのほかの季節で一年が過ぎる。シュビーツのこの祭りは、風の月の初日から始まり、その年の豊作を祈る祭りであった。

 この祭りは、ヘルヴェティア王国でも谷ごとに趣向が違っているが、期日はすべての谷で同じである。ハシリウスのふるさとである『ウーリの谷』では、サーカスなども来たりはするが、植木市が出たり、涼しげな家具の即売があったりと、どちらかというと夏に向けての準備といった色合いが強かったが、ここ『風の谷』では、都会的なこともあって、市民が楽しむレクリエーション的な趣向が強かった。

 「お~い、ハシリウス。寝てるかい?」

 ドアの外から、女の子の声がしたので、ハシリウスは慌てて答えた。

 「残念だけど、起きてるよ。鍵はかかってないから、入ってこいよ」

 すると、ドアが開いて、赤毛のショートヘアでブルネットの瞳をくるくるさせた少女と、金髪のロングヘアで銀色の瞳を持つ美少女が入ってきて言う。

 「へえ、めっずらしい~。ハシリウスがもう起きてるなんて。雨でも降るんじゃないか?」

 赤毛の女の子がそう言うと、ハシリウスは少し不満そうに言う。

 「おい、ジョゼ。僕がネボスケだからって、それは言いすぎじゃないか?」

 「あら、でも今までボクから起こされなかったためしがないじゃないか? そうか、今日もアマデウスに起こしてもらったんだな!」

 ジョゼと呼ばれた少女は、デニム地のショートパンツに両手をあてて言う。彼女の名はジョゼフィン・シャイン。ハシリウスの幼なじみだ。しかし、ただの幼なじみではない。彼女は6歳の時、両親をモンスターに殺されてしまい、それ以来、ハシリウスの家に引き取られて過ごした、いわばハシリウスの姉のような存在である。だから、ついついハシリウスとの会話も気の措けないものになる。

 「ま、まあ、アマデウスくんに起こされたとしても、ちゃんと起きていたのですから、いいじゃないですか? 早くお祭りに行きましょう」

 もう一人の美少女がハシリウスに助け舟を出す。彼女の名はソフィア・ヘルヴェティカ。このヘルヴェティア王国の王女で、王位継承権第1位の“未来の女王様”だ。彼女も6歳の時、生まれ故郷の『花の谷』から、乳母の都合でハシリウスたちが住む『ウーリの谷』に引っ越してきた。それ以来、ハシリウスが彼女の生涯で最初の『親友』になったこともあり、三人で“仲良し幼なじみトリオ”として過ごしてきている。

 「ま、そうだね。珍しくハシリウスを起こす手間が省けたんだから、その分楽しまなきゃね♪」

 ジョゼはそう言った後、不意に心配そうな顔をして言う。

 「そう言えば、ハシリウス、キミは毎日ジェンナー先生から注射してもらってるんでしょ? 今日は行かなくていいの?」

 ハシリウスは、ギムナジウムの生徒ではあるが、ヘルヴェティア王国の伝説となっている『大君主』として、この国の守護神である女神アンナ・プルナから祝福された少年である。そのため、この世を闇の力で覆うことを目的として暗躍している『闇の使徒』たちと戦い、体調を崩していた。

 ハシリウスの健康を心配するギムナジウム校医であり、王立ホスピタルの嘱託医師でもあるジェンナー・テイクは、ハシリウスの『魔法伝導過負荷心筋症』という難病の進行を遅らせるため、ハシリウスに特別な注射を毎日施していたのである。

 「あ、ああ……僕はどうも注射って苦手で……」

 尻込みするハシリウスに、ジョゼとソフィアは真顔で詰め寄る。

 「だめだよ、ちゃんと受けないと」「そうですよ、健康あっての楽しみですから……」

 「ま、まあ……祭りに行った後でちゃんと受けるから……」

 白魔術師の国であるヘルヴェティア王国の住人は、病気やけがは基本的に“ヒール”系の魔法で治してしまう。だから、注射とか手術とかは特別な場合しか行われないが、ハシリウスの病気治療は運悪くこの“特別な場合”に当てはまってしまったようである。

 子どものころから注射なんかしたことのないハシリウスだっただけに、最初、その注射器の太さにびっくりし、血管にぷすっと刺された時なんか、卒倒しそうなくらい怖かったらしい。なんやかや言って注射を受けたくない様子であった。

 「だめだよ! まったくキミは『闇の使徒』たちと戦う時には剣や槍なんかも怖がらないくせに、なんで注射針が怖いかなあ?」

 「そんなこと言ったって、怖いものは怖いんだ! ジョゼだってじっとしている腕にぷ……ぷすって針刺されてみろ、怖くて叫んじゃうから!」

 「へえ~……キミ、もしかして怖くて叫んだの?」

 ジョゼの顔がサディスティックにゆがんだ。その顔を見て、ソフィアがハシリウスに助け船を入れる。

 「ま、まあ、ジョゼ……ハシリウスも自分の身体のことですから、ちゃんとしますよ……って、聞いてないのね……」

 「さー、ハシリウス。ジェンナー先生のところに行こうではないか!」

 「わっ、ジョゼ! ひ、ひどいぞ! 恨んでやる~!」

 「うっさい! 四の五の言うとフォイエルかますからねっ!」

 ジョゼに腕を取られて引きずられていくハシリウスであった。


 「と、言うことで、今日もちゃんと注射を受けに来たってわけかい?」

 ギムナジウムの医務室で、ハシリウスにぶっとい注射をしながら、ジェンナー医師は笑って言う。

 「幼なじみ思いのいいお嬢さんたちじゃないか……はい、終わったよ。後はここをしばらく押さえていてね」

 ジェンナーがそう言って針を抜くと、ハシリウスはあからさまにほっとした表情で、は~っとため息をつく。ハシリウスの注射を見ていたジョゼやソフィアも、その注射器のぶっとさにビビッて青い顔をしていた。

 「先生……僕の心臓、どうですか?」

 ハシリウスがまくり上げた袖を元に戻しながら訊く。ジェンナーはニコリと笑って言う。

 「うん、君は火の月の終盤から土の月の中盤まで、3週間しっかり休んだみたいだし、その間基礎体力のトレーニングもしっかりしていたようだね。経過はいいよ。この分ではあと二月もこの注射を続ければ、半慢性化した心筋症も元に戻るだろう」

 それを聞いて、ジョゼとソフィアも明るい顔になる。

 「よかったじゃん、ハシリウス! じゃあ、今日は目いっぱい遊ぼう!」

 ジョゼが言うのに、ハシリウスもニコニコして言う。

 「そうだね。じゃ、ジェンナー先生、ありがとうございました」

 ハシリウスたちが出て行こうとするのに、ジェンナー医師は、

 「あ、ソフィア姫、少しお待ちいただけませんか?」

 そういってソフィアを呼び止める。ソフィアはジョゼとハシリウスを振り返って言った。

 「少し待っていてくださいませんか?」

 「ああ、いいよ。じゃ、校門の前で待っているな」

 ハシリウスとジョゼを見送った後、ソフィアはジェンナーに向き直って訊く。

 「ジェンナー先生、わざわざ私を呼び止めるということは、ハシリウスについて何か報告があるということでしょうか?」

 ジェンナーは、ソフィアに椅子をすすめ、ハシリウスのカルテを見ながら、

 「実は、ハシリウスの体調について、一つ不思議な点がありまして……」

 「不思議な点ですか?」

 「はい、ここ約一月で、ハシリウスの心臓はとても状態が良くなっています。それ自体はいいことなのですが、その理由が知りたいと思っています」

 「先生の注射のおかげではないのですか?」

 ソフィアが首をかしげて言うと、ジェンナーは薄く笑う。

 「はは、そう思いたいのですが、この薬の効能よりかなり状態が良くなっています。何か、ハシリウスの体調を良くするようなアイテムや魔法があるというのであれば、私も今後のためにそれを知っておきたいのです」

 ジェンナーはそう言って、ソフィアの顔を見つめた。ソフィアは少し考えていたが、首を振って言う。

 「私にも、心当たりはありません。しかし、ハシリウスに訊けば、その訳も分かるでしょう。ジェンナー先生、私からハシリウスに話をしておきましょう」


 「お待たせしました」

 ソフィアが校門に着いたとき、ハシリウスとジョゼの他にも連れができていた。しかし、ジョゼの顔を見て分かる通り、これからお祭りに行って楽しもうという彼女たちにとっては、あまりありがたくない顔だった。

 「あなたは、クリムゾン卿。……どうしてここに?」

 ソフィアは、緋色の衣服とマントに身を包んだクリムゾン・グローリィを見て、思わずそう言ってしまった。クリムゾンがここにいるということは、また何か良からぬことが起こり、ハシリウスに出馬を請いに来たのであろうと思ったのである。

 「これは、ソフィア姫。これからハシリウス卿たちとお祭り見物ですか?」

 しかし、クリムゾンはにこやかにソフィアに笑いかける。その笑顔を見ている限り、別に差し迫った事件が起こっているようには見えなかった。

 「そうですが、何か事件でも起こったのですか?」

 ソフィアが訊くと、クリムゾンは頭をかきながら笑って言う。

 「はっはっ……私がハシリウス卿のところにいると、そう言う風に見えますか。いえ、ただ、ハシリウス卿のお姿が見えたものですから、お体のかげんはいかがかと思って声をおかけした次第です。別に何か事件が起こったというのではありません」

 「なあんだ、そうだったのか。ボクはてっきり『女神の清水』の町であったみたいに、クリムゾンさんがまた化け物退治の話でも持ってきたのかと思っちゃった」

 ほっとしたジョゼが言う。2か月ほど前、火の月の終盤、ハシリウスは静養のために『女神の清水』という町に湯治に出かけたが、そこで町の人々を困らせている『闇の使徒』たちとの戦いに巻き込まれてしまった。その端緒となったのが、クリムゾンだったのである。

 ジョゼの言葉に苦笑しているクリムゾンに、ハシリウスはこれも苦笑して訊く。

 「で、クリムゾン様は、これからどうされるのですか? よろしければ一緒に祭りに行きませんか?」

 すると、クリムゾンは慌てて手を振って言う。

 「い、いえ、とんでもない! 王女様たちのプライベートにまで私が首を突っ込むことはできませんよ。ハシリウス卿がいらっしゃれば王女様たちも安全ですから、皆さんでどうぞ楽しんできてください」

 その時、道の向こうから、

 「お待たせしました。クリムゾン様」

 そう言って駆け寄ってきた女性がいる。

 「あっ、アンジェラさん」

 ハシリウスはびっくりした目で言う。それもそのはず、駆け寄ってきたのはハシリウスたちのクラスメイトであるアンナ・ソールズベリーの姉、アンジェラであったからだ。

 「あっ、ハシリウスくん。お元気?」

 少し赤くなってアンジェラが訊くのに、ハシリウスはニコニコして答える。

 「ええ、この間はありがとうございました。今日は、クリムゾン様と?」

 「ええ、そう言うことです。では、王女様、ハシリウス卿、そしてジョゼフィン殿、お先に失礼します」

 赤くなっているアンジェラに代わって、クリムゾンは物腰柔らかくそう言ってアンジェラをエスコートし、お祭り気分でにぎわう雑踏の中に消えて行った。

 「クリムゾン様って、いつの間にアンナのお姉さんと仲良くなったんだろう……」

 ハシリウスが、二人を見送ってつぶやくと、ジョゼがハシリウスの腕を取って言う。

 「さ、それはどーでもいいから、早くお祭りに行きましょ❤」

 「そうですよ。私たちも早く行って楽しまなきゃソンですよ?」

 負けじとソフィアもハシリウスの手を取って言う。ハシリウスは両手に花の状態で、さすがに気恥ずかしくなったのか、二人を交互に見比べながら言う。

 「わかった! 分かったから、二人とも手を放してくれないか? なんか恥ずかしいぞ」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 ハシリウスの同級生であり、同室のパートナーであるアマデウス・シューバートは、いつもに増してめかしこんで、『風の祭り』の特設会場にしつらわれた噴水のところに立っていた。彼は、きちんとセットした茶色の髪の毛の乱れを気にしながら、ジャケットの内ポケットから金時計を取り出して時間を確認する。

 「ふふふ……もうすぐマチルダちゃんが来る~♪」

 そう、アマデウスは、今日、ハシリウスには内緒でデートしようとしていたのである。しかも、ハシリウスに内緒にしていたことがもう一つある。

 「ハシリウス、勝手にこれ持ち出しちまってゴメンな。でも、お前にゃこの“魔導士のバッジ”の使い道が分かんないだろうから、俺が今日、有効に使ってやるよ」

アマデウスの手には、ハシリウスの“魔導士バッジ”が握られていた。ハシリウスの制服から勝手に外して持ち出したものだ。

 「待った? アマデウス❤」

 アマデウスのもとに、金髪のショートカットで深い海の色をした瞳を持つ少女が駆け寄ってきた。

 「あ、マチルダちゃ~ん❤ いやあ~僕もさっき着いたとこさっ!」

 「そう、よかった❤」

 マチルダと呼ばれた少女は、可愛らしい微笑みをアマデウスに向ける。アマデウスはそれだけでもう、天にも昇るような気持ちになった。

 「あら、何それ?」

 マチルダは、アマデウスが握っている“魔導士バッジ”に気づく。アマデウスはにこっと笑いながら、自分の襟元にバッジを留めつつ言う。

 「何でもないよ。今日のデートがうまくいくようにって、友だちが貸してくれたお守りだよ」

 マチルダは、王立ギムナジウムに所属しているが、生徒たちのほとんどは“魔術師の資格バッジ”の本物はあまり間近で見たことがない。だから、“魔導士バッジ”と言われないと気付かなかった。

 「ふーん、友だちって、もしかしてハシリウス先輩?」

 「ああ、あいつは結構いいやつだからね。今日のデートのこと話したら、これを貸してくれたんだよ」

 もちろん、嘘八百である。

 「ねえ、アマデウス。私たちが付き合っているってこと、誰にも話さないでって言ったのに、話しちゃったのね?」

 急に心配そうな顔をしてマチルダが言うのに、アマデウスはふるふると首を振って言う。

 「い、いや、彼女とデートするとは言ったけど、相手がマチルダちゃんだってことは話していないよ。だいたいハシリウスってやつは奥手だし、あまり俺のプライバシーには触れてこないやつだから大丈夫だよ」

 「そう? 信用していい?」

 「ずいぶんと気にするんだね?」

 アマデウスは、心配そうにしているマチルダの目を覗き込みながら言う。

 「だって、お父様ったら、自分がギムナジウムの理事をしているもんだから、私の相手は自分の目にかなった男をギムナジウムから選んでやるっておっしゃってるの。私が勝手にアマデウスと付き合ってるって知ったら、きっとお父様怒ってアマデウスを落第させちゃうわ」

 マチルダはそう言うとえへっと舌を出す。アマデウスも片頬で笑って、

 「おお、それは大変だ。君と付き合っていることを自慢したいけど、それじゃ秘密にしないといけないなあ」

 そう言うと、マチルダの手をさりげなく握って笑って言った。

 「ま、それはそれとして、今日はせっかくのお祭りだから、ガンガン遊ぼうぜ」

 マチルダは手を握られて顔を少し赤くしたが、素直にアマデウスについて行った。


 「さて、最初はここでサーカスでも観ようか」

 アマデウスは、マチルダを連れて、祭り会場のど真ん中にあるサーカステントにやって来た。もうすぐ開演らしく、ちょうど観客が入場するところだった。

 「アマデウス、観覧券は買わなくていいの?」

 観覧券も持たずに行列に並んだアマデウスに、マチルダは呆れたように聞くが、アマデウスは片目をつぶってマチルダに小声で言った。

 「まあ見ててご覧」

 やがて入口に差し掛かった。アマデウスは右襟に着けた“魔導士バッジ”が良く見えるように、襟を立てる。観覧券をもぎるサーカス関係者は、アマデウスの“魔導士バッジ”に気が付くと、アマデウスのあまりの若さにびっくりしながらも、ニコニコとしてそのまま二人をテントの中に案内した。

 「アマデウス、なぜ私たちはここにタダで入れたの?」

 びっくりするマチルダに、アマデウスはニコリとしてただ一言言った。

 「タダで入れるからだよ。変な魔法を使ったわけじゃないから、心配しなくていいからね」

 『風の祭り』に限らず、大きな祭りの場合、『魔導士』以上の階級を持つ魔術師は、その家族や恋人を含めて催し物をタダで観覧できるという特典があった。アマデウスはハシリウスのバッジをちゃっかり借用して、その特典をここでフルに活かそうとしたのだ。

 ――ハシリウスはこんな特典があることなんて知らないだろうからな。せっかくのバッジの特典が泣くぜ。ハシリウス、今日は俺がお前のバッジのために特典をフルに活用してあげるぜ。

 一方、サーカス関係者の方は、バッジをつけた学生らしき人物を見て、

 ――この兄ちゃんが噂の大君主ハシリウス卿か……。なるほどガキのくせに神経が図太そうだな。

 そう感じていたのである。


 一方、ハシリウスたちの方は、

 「うへぇ……やっぱり人が多いなあ……」

 『風の祭り』会場となっている『西の草原』いっぱいに詰めかけた人々の中で、途方に暮れていた。

 ハシリウスたちは、最初に『風の祭り』実行委員会の事務局がある入り口付近の大テントに行き、実行委員長の役職を持っているソフィアが『風の祭り』開会式に参加する間、そこでジョゼと一緒にソフィアを待っていた。

 開会式後は、ソフィアもフリーになるので、委員会の人々にあいさつをしたソフィアがみんなに見送られて会場に向かうのに同行したが、何万人ともしれない人出の中、いつの間にかソフィアを見失っていたのである。なんせ王都シュビーツだけでも100万人もいるし、休日の初日ということもあり『風の谷』の住民がかなりここに集まっているのは確かである。

 「おーい、ソフィア! ソフィアはいるかい?」

 ハシリウスがそう叫ぶと、後ろの方から

 「ハシリウス~、おいて行かないでください~」

 と、ソフィアの情けない声がした。ソフィアは身長が150センチ程度しかないので、人の波に紛れてしまったら見つけられなくなる。それに、ソフィアは極度の方向音痴だから、下手すると迷子になってしまう。

 「ジョゼ、ちょっとあの丘に行かないか? 全体の様子を見てから、どこで何を楽しむかを決めよう。このまま進んで行ったら、絶対にソフィアが迷子になっちゃう」

 ハシリウスが、右手に見える丘を指差してそう言うと、ジョゼも賛成した。

 「そうだね。ボクやキミはともかく、ソフィアは方向音痴だしね」

 ハシリウスは、ジョゼの手を取って、人混みをかき分けながらソフィアを探す。ソフィアは、人波に飲まれてずーっと入り口付近まで押し戻されていた。

 「ああ……やっとハシリウスに会えました」

 三人でやっと丘に登った後、ソフィアが何年ぶりかの再会のように情けない声で言うので、ハシリウスもジョゼも思わず笑ってしまった。

 「もう、二人ともそんなに笑わないでください。一時は本当に迷子になってしまうんじゃないかと心配だったんですから……」

 ソフィアが頬を膨らませてそう言うと、ハシリウスは笑みを残しつつ言う。

 「悪かった。でも、ずいぶんと押し流されちゃったみたいだから……。ふつう、こんなに人込みに流される前に、道の端っこによけそうなもんだけど……」

 「それができないのが、ソフィアなんだよね~」

 ジョゼが呆れて言うのに、ソフィアは顔を赤くして

 「はうう……そうなんです。私って昔から人混みを横切ったり、人を押しのけて前に出たりすることができないんです」

 と言う。ハシリウスは優しく笑いながらソフィアに言う。

 「ソフィアらしいと言えばそうだけれど……。まあ、図々しさと心の強さは別物だからね、そのままでもいいのかな?」

 「ハシリウス……ありがとうございます。ハシリウスにそう言っていただけると、なんだかホッとします」

 ぱっと顔を輝かせてハシリウスを見つめるソフィア。そんな二人をジョゼはうらやましそうに見つめてながら、

 「さて、じゃあどこで何を楽しもうか?」

 そう言って人であふれている『西の草原』を見つめていたが、不意に大きな声を上げた。

 「あれっ!?」

 その声にハシリウスとソフィアはびっくりして、ジョゼを振り返る。

 「どうしたんだい、ジョゼ?」「びっくりしました」

 ハシリウスとソフィアが言うのに、ジョゼは振り返りもせずに『西の草原』の一点を指差して言う。

 「ねえ、ハシリウス。あれって今まであったっけ?」

 「どれどれ……」

 ハシリウスがジョゼの指差す方向を見ると、ガラスでできたようなお城が忽然と『西の草原』の一番西端にそびえていた。ハシリウスも見覚えがなかったが、しかしこの野原に入ってきたとき、人であふれかえっており、周りを見る余裕なんてなかったから、最初からあったかどうかの確証はハシリウスにも取れない。

 「……あんなお城、なかったよね?」

 ジョゼが言うのに、ハシリウスは首を傾げている。

 「さあ……見た覚えはないけれど、『風の祭り』の会場に入った瞬間から人ばっかり見ていたから、はっきりとは言えないな……」

 「あんなお城のパビリオンが今回の『風の祭り』に出展されるなんて、私は聞いていません」

 はっきりとした口調でソフィアが言う。確かに、ソフィアは王女として今回の『風の祭り』の実行委員長の役職も担っているから、いつからいつまで、どこに、何の出展があるかは把握している。

 「途中で変更があったとかは?」

 ハシリウスが訊くと、

 「そうですね、そうかもしれません。でも、途中の計画変更の場合は、実行委員会の方々からの報告はあるはずですから、そこは不思議ですけれど……一応、実行委員の方々にお聞きしてみましょう」

 ソフィアはそう言うと、すたすたと丘を降りはじめる。ハシリウスたちもそれに続いた。


 「えっ! 計画表にないパビリオンですか?」

 ソフィアが実行委員会のテントに着いて、会場の西端に忽然と現れたガラスのお城のことを実行委員会委員に問い質したが、そこにいる委員全員がそのような計画変更は知らなかった。

 「会場の計画図とかはないのですか?」

 ハシリウスがそう言うと、実行委員は『西の草原』に計画された配置図を取り出して、大きなテーブルの上に広げる。

 「今年の『風の祭り』は、方位的に西が吉方向ということでしたので、この『西の草原』全体を使って会場設営を行っています。ハシリウスさんにも見てもらえばわかるけれど、パビリオンは西端までびっしりと設営されているから、お城なんて大きなものを建設する余裕はないんですよ。それに、そんなものを造ろうとしたら、どんなに強力な魔導士でも一週間はかかるでしょう? そんな工事が行われていたことはないですし……」

 「しかし、私もこの目でガラスのお城を見ました。パビリオンを出していただくのは結構なことですが、その目的や運営主体、お城の強度などを確認していただかなければ、まさかの事故が起きた時に、みんなが迷惑します。事務局長さん、ぜひ、ガラスのお城のパビリオンについて、運営の責任者と連絡を取り、目的や強度等について必要な指示を出してください。お願いしましたよ」

 ソフィアがそう言うと、事務局長は汗を拭きながら承諾した。

 「では、ハシリウス・ペンドラゴン様、私について来てください」

 「あっ、ソフィア……姫、どこに行くんだい?」

 ハシリウスは、すたすたと歩きだしたソフィアの跡を、速足で追っかけながら訊く。ソフィアは、前を向いたまま答えた。

 「決まっています。あのガラスのお城、怪しいと思いませんか? 調べに行くのです」

 「ま、待った! 確かに怪しいけど、ソフィアがわざわざ危ない目に遭いに行くことはない。もし、あのガラスのお城を建てたやつらが『闇の使徒』だったらどうする?」

 ハシリウスは、ソフィアの肩に手をかけ、立ち止まらせて言う。

 「そうだよ! ソフィアは実行委員長かもしれないけど、そこまでソフィアが自分でする必要はないよ。調べるんなら、ボクとハシリウスで行ってくるから、ソフィアは実行委員さんたちのテントで待っていればいいんだ」

 追いついてきたジョゼもそう言うが、ソフィアは首を振って、ハシリウスとジョゼを見る。

 「ハシリウス、ジョゼ、そう言ってくださるのはありがたいですが、私はハシリウスたちといろいろな冒険するの、好きなんです。それがたとえ『闇の使徒』との戦いであったとしても、私はハシリウスの力になりたい……。ですから、今回は私も行きます」

 そうきっぱりと言われると、ハシリウスとしては何も言えなくなる。しかし、ジョゼがソフィアに諭すように言う。

 「ねえ、ソフィア……ボク、君の気持ち分かるよ。ボクだってハシリウスの役に立ちたいって、ず~っと思っていたから……。でもね、『闇の使徒』の方からボクたちにチョッカイ出してきたのだったらともかく、王女であるソフィアまでわざわざ危ない目に遭わせるわけにはいかないじゃない? 子どものときの冒険とは違うんだよ?」

 「でも、私は王女だからと言って特別扱いしてほしくないんです。私だって、ジョゼと同じ女の子ですし、ハシリウスたちと一緒に育ってきた幼なじみじゃありませんか?……ハシリウス・ペンドラゴン様、私について来てください!」

 自分の意思を曲げそうにないソフィアの様子に、ハシリウスは小さなため息をついたが、やがて眼を上げてソフィアとジョゼを見ると言った。

 「行ってみようか。まだあれが『闇の使徒』と関係があるとは限らないから……」

 「ハシリウス!」「ありがとうございます。ハシリウス」

 ジョゼとソフィアが同時に叫ぶ。ハシリウスはニコリとジョゼに笑って言う。

 「僕一人で行ってもいいって、ジョゼが言うんであれば、君はソフィアと一緒にいてほしいけれど?」

 「うっ……分かったよ、一緒に行こうよ」

 「じゃ、決まりだ。ジョゼ、ソフィアから離れるなよ」

 ハシリウスはそう言うと、ゆっくりと問題になっているガラスのお城に向けて歩き出した。


 さて、マチルダちゃんと甘~いデートの真っ最中のアマデウスはどうしているかというと……

 「すごかったわねえ~、あの空中ブランコ、手に汗握っちゃった」

 瞳を輝かせて言うマチルダを優しい目で見つめながらアマデウスは微笑む。

 「そうだなあ、僕は乗馬曲乗りが良かったかな? このサーカスはヘルヴェティア王国でも屈指のサーカスだそうだから、さすがにかわいい子が多かったなあ……」

 アマデウスが言うのに、マチルダは少し頬を膨らませる。

 「あら、アマデウスってば! 私とデートしているくせに、よその女の子が気になるのね?」

 「ち、違うよ! 一般論だよ、一般論。可愛いっつったら、もちろんマチルダちゅあんが一番に決まっているじゃないか~」

 慌てて言うアマデウスを、じと~っとした目で見つめながら、マチルダも言い返す。

 「どーだか!? そう言えばアマデウスはギムナジウムでは覗きの常習犯っていう噂だし、あ~あ、私とデートしているってお父様が知ったらアマデウスは落第どころか退学よね♪」

 「ヲイヲイ、怖いこと言うなよ」

 アマデウスはひきつった笑いを浮かべている。そんなアマデウスに、マチルダはくすっと天使のような微笑みを投げて言った。

 「冗談❤ でも、私だけ見ていてくれないとや~よ?」

 「分かりました。じゃ、次はどこに行こうか?」

 アマデウスが訊くと、マチルダは目を見開いて指差して言う。

 「ねえ、アマデウス! あんなお城、入った時あったっけ?」

 「えっ、どれどれ?」

 アマデウスは、マチルダが指差す方向を見る。西の方に、ガラスのお城がそびえていた。

 「いや……見覚えはないなあ……。ひょっとしたら実行委員会のサプライズじゃないか?」

 アマデウスはそう言うと、不思議そうにお城を眺めているマチルダに訊いた。

 「面白そうだから、行ってみようか?」

 この一言が、アマデウスを恐怖の淵に叩きこむことになるとは、アマデウスは気付かなかった。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 アマデウスたちが、『西の草原』でも最も西端――この『風の祭り』会場の入口と反対側――にあるガラスの城に到着したとき、すでに何百人かの行列ができていた。

 「みんな、目が早いなあ……少し待たなきゃいけなさそうだね」

 アマデウスがそう言うと、マチルダはニコッと笑って言う。

 「いいじゃない、待ちましょうよ。私はアマデウスといられればいいんだから」

 「ま、マチルダちゅわん❤」

 アマデウスは、人前もはばからずマチルダを抱きしめようとして、その衝動をぐっと抑えた。しかし、心の中では、

 ――ハシリウス、やっと俺にも春が来たぜい!

 と、叫んでいた。

 「すみません、お客様。順番に並んでいただければ、すぐに入場できます。申し訳ありませんが、しばらくお待ちください」

 行列が前へと進み、やっと真ん中あたりまで来た時、前方からこのパビリオンのスタッフと思われる男が、退屈しかけている人々にそう呼びかけながらこっちに来るのが見えた。アマデウスは、そのスタッフが人相の良くない男だったので、

 ――せっかくだったら、きれいなお姉さんにさせればいいのにな。

 そう思いながら見ていた。

 人相の良くない男は、どことなくやさぐれた様子で、居並ぶお客たちを見回していたが、やがてアマデウスと目が合い、その右襟の“魔導士バッジ”に気が付くと、打って変ったようなニコニコ顔をしてアマデウスの方へ近づいてきた。

 「お客さぁ~ん、どうぞこちらへ~」

 アマデウスは、その男の猫なで声がちょっと気色悪かったが、思い切って訊く。

 「え? 俺っすか?」

 男は、ただでさえ良くない人相が、笑い顔によってもっと気色悪くなっているとも知らずに、ニコニコ顔を崩さずに言う。

 「そ、あなたです。そのバッジ、早く言ってくださればこんなにお待たせしなかったのに~。ささ、どうぞこちらへ……」

 そう言って男はアマデウスたちに話しかけてきた。アマデウスは、

 ――ははあん、ここでも“魔導士バッジ”の神通力は効くんだな。ハシリウス、持つべきモノは魔導士の親友だぜ!

 そう思い、

 「ありがとう。さ、マチルダちゃん、行こう」

 そう言ってマチルダの手を取って、男について歩き出した。

 「え? どこに行くの?」

 マチルダが不思議そうに訊くのに、アマデウスは振り返って笑う。

 「どうやら僕たちは特別扱いらしい……。君が可愛いからかな?」

 「まあ、そんなに褒めても何も出ないわよ?」

 マチルダがそう言って笑う。マチルダは、アマデウスの言葉で、『なぜ自分たちは特別扱いされているのか?』というふと浮かんだ疑問が消えてしまう。

 男は、アマデウスたちを城門の横の入口から場内に案内すると、事務所らしきテントへと案内する。

 「お客様、ちょっとお待ちを……」

 男はそう言うと、テントの中に消えた。

 「ねえ、アマデウス。私ちょっと……」

 マチルダがアマデウスの袖を引っ張る。アマデウスが見ると、マチルダは顔を赤くして、もじもじしていた。マチルダの視線の先には、簡易トイレがある。アマデウスは了解した。

 「待ってるから、行っておいでよ」

 「アリガト」

 マチルダはそう言うと、そそくさとトイレの方にかけて行った。

 「いやあ、お待たせしました。魔導士ハシリウスさん」

 そう呼ばれて、マチルダを目で追っていたアマデウスはびくっとする。

 「は? あ、いえ……」

 振り返ると、テントからはさっき案内してくれた人相の良くない男の他に、いかにも責任者といった感じの鋭い目の男と、ほかにはいかにもチンピラ風の男たち4・5人が出てきて、アマデウスを見ていた。アマデウスは少し気後れしたが、にこりとして言う。

 「いいえ、おかげでみんなより早くこの素敵なお城を見ることができそうだね」

 「そうですね。ところで、念のためそのバッジを見せていただけませんか? 私たちも人違いすると後々面倒ですので……」

 責任者風の男がそう言うので、アマデウスは何気なくバッジを外してその男の手に乗せた。すると男は、持っていた『ヘルヴェティア王国魔術師名鑑』を見て、バッジの裏のシリアルナンバーを見比べていたが、満足そうに『名鑑』を閉じると言った。

 「シリアルナンバーB-40234番。確かにあなたは魔導士ハシリウスさんですね。では、こちらにおいでいただきましょう」

 責任者風の男がそう言うと、アマデウスを案内してきた男が音もなく動き、アマデウスに当て身を食らわせた。

 「ぐほっ!」

 あっけなく失神してしまったアマデウスを、男たちは軽々とかついで、いずこかへと運んでしまった。

 「お待たせ~❤ アマデウス……?」

 やがて、すっきりしたマチルダが戻ってきたが、アマデウスがいないのでキョロキョロ辺りを見回した。そして、

 「……これ、アマデウスがはめていたバッジ……」

 マチルダは、地面に落ちていた“魔導士バッジ”に気づくと、そっと拾い上げてつぶやいた。


 ハシリウスたちは、やっとガラスの城にたどり着いた。お城の前には、長い行列ができている。ジョゼが気を利かせて、城から出てきた子どもたちにいろいろなことを訊いて回っていた。

 ハシリウスは、ガラスの城をじっと見つめている。城自体には、怪しい雰囲気はなく、すでに城の中を見学して回っているお客たちの姿もよく見える。

 「何も怪しい感じはしませんね……」

 同じように城をじっと見つめていたソフィアがそう言う。ハシリウスもうなずいた。

 「変な雰囲気は感じない。お客たちも慌てている風には見えない……でも、なんか胸騒ぎがする」

 そこに、先客たちから城のことを訊きこんできたジョゼが報告する。

 「あの城は、強化ガラスと鏡でできているらしくて、中が迷路みたいになっているそうなんだ。そのほかの出し物は何もないみたいだけど、出口までたどり着くのに結構時間がかかって、面白いらしいよ」

 「どこの親方があの施設を運営しているんだい?」

 ハシリウスが訊くのに、ジョゼは首を振る。

 「ボクだってお客から聞いただけだもん。中がどうなっているとかは結構話してくれたけれど、そんなところまでは分かんないよ」

 「そうか……パンフレットみたいなのはないのかい?」

 「それが、入場券の半券だけしかないみたいだよ。不思議だよね? 迷路だったら、鳥瞰図みたいなのがないと攻略するのがとても難しいのに……あ、そうだ!」

 「ん? 何かおかしいことでもあったのかい?」

 「ううん、何か、途中に『鏡の間』とかいう、壁も床も天井も鏡張りの部屋があるそうなんだ。そんなとこ、スカートじゃ行けないよね、恥ずかしくて」

 「い、いや……そう言うことじゃなくって……」

 ハシリウスが少し呆れ気味に言うが、ジョゼは耳も傾けずに続ける。

 「それに、城のどこかに『ダンジョンの間』ってのがあって、そこにたどりつたら半グルデンの賞金が出るんだって! ハシリウス、挑戦してみようよ!」

 その言葉に、ソフィアは引っ掛かるものを感じた。

 「ちょっと待って! 『ダンジョンの間』ですって?」

 ソフィアが顔色を変えて訊くのに、ジョゼは不思議そうな眼をして言う。

 「うん、『ダンジョンの間』だって。何かおかしいの? ソフィア」

 顔色を変えていたソフィアは、少しの間何かを考えていたが、首を振って言う。

 「……ううん、私の思い過ごしだと思うわ」

 「……ダンジョンっつったら、洞穴とか、地下室って意味だよな? あのガラスの城に地下室があるって言うのかな?」

 ハシリウスは首を傾げながらそうつぶやく。そこに、一人の少女がおずおずとハシリウスに話しかけてきた。

 「あの……ハシリウスせんぱい……ですよね?」

 「?」

 ハシリウスが振り向くと、そこに赤いベレー帽をかぶった金髪の少女が立っていた。ピンクのワンピースに黒いロングソックス、黒いエナメル靴を履いている。

 「そうですけど、何か?」

 ハシリウスがニコリと笑って言うと、少女は目に涙をためてうつむいてしまう。

 「ど、どうしたんだい? 何かあったのかい?」

 「ハシリウス~、キミ、ボクたちが知らない間に何をやったんだい? こ~んなかわいい子がキミの顔を見ただけで涙ぐむってのは穏やかじゃないね?」

 慌てるハシリウスに、ジョゼがむっとした表情で言う。少女はそれを聞いて、涙をぬぐって言う。

 「あの……ハシリウス先輩、アマデウス先輩がいなくなっちゃったんです」

 それを聞いて、ハシリウスたちの表情に緊張が走った。

 「……どういうことかな? 詳しく話してもらえないかい?」

 ハシリウスが優しくそう言うと、少女はちょっと顔を赤らめながら言う。

 「あの……私の話、お父様には秘密にしていただけますか?」

 「う~ん、話の内容次第では、そう言う約束ができない場合もあるけれど、君のことはできるだけ表に出さないようにはしてあげるよ」

 ハシリウスがそう言うと、少女はうなずいて話し出した。

 「私は、マチルダ・ヴァレンタインと言います。王立ギムナジウムの2年生です」

 「ヴァレンタインって……君のお父さんは、ギムナジウムの理事さんかい?」

 マチルダはうなずく。

 「それで、アマデウスがいなくなったって、どういうことなんだい?」

 ハシリウスの問いに、マチルダは、

 「私、アマデウス先輩とこのお城を見に来たんです。そしたら、パビリオンのスタッフの人がアマデウス先輩と私を別の入口に案内してくれて……。私が少し席を外している間に、アマデウス先輩、いなくなっちゃったんです」

 そう言って涙ぐむ。ハシリウスは優しい声でマチルダに訊く。

 「アマデウスがいなくなってから、どれくらいだい?」

 「……もう、30分くらいになります。ずっと入口で待ってたんですが……」

 「何故、アマデウスと君だけ、別の入口から入れてくれたんだろうか? 心当たりはないかい?」

 マチルダは、考えていたが

 「分かりません……」

 としか言いようがなかった。

 「パビリオンの人には聞いてみたのかい?」

 ハシリウスがそう訊くと、マチルダは首を振って言った。

 「パビリオンの人たち、その……とても強面で怖かったんです。それに、事務所のテントの中にも誰もいなかったもんですから……」

 「マチルダさん。君とアマデウス、二人とも別の入口から案内されて入って、いなくなったのがアマデウスだけだというのならば、アマデウスが何らかの事件に巻き込まれて、それで誘拐されたと考えなきゃいけない。アマデウスが何かを知っていた、ということになるけれど……でも、あいつ、何もそんなそぶりは見せなかったけれどなあ……」

 つぶやくハシリウスの言葉を聞いて、ジョゼも言う。

 「あいつを誘拐して、何か得があるのかなあ? 誘拐するならマチルダさんの方が女の子じゃあるし、親は王立ギムナジウムの理事さんだし、普通はそっちが狙い目だと思うけど?……」

 「何かの理由で、先にお城に入ったか、それとも用事を思い出したからどこかに行っちゃったってことはないんですか?」

 ソフィアが訊くと、マチルダは首を振って言う。

 「そんなことありません! だって、アマデウス先輩が、今日のデートのお守りを捨てて行くわけないですもの!」

 「デート? へえっ! アマデウスが言ってた“可愛い恋人”って、君のことだったんだ!」

 ハシリウスは思わず叫んでしまった。マチルダははっと口元を抑えて真っ赤になっている。

 「ちょっと、こんな時にそんなことは関係ないでしょ!?」

 ジョゼが言うのを聞いて、ハシリウスもはっとする。

 「あ……あの……このことはお父様にはご内密に……」

 マチルダが言うのに、ハシリウスは優しく聞く。

 「もちろんさ。ところで、そのお守りって?」

 「これです……ハシリウス先輩が貸してくれたって言ってました」

 マチルダは、そう言いながら握りしめていた“魔導士バッジ”をハシリウスに見せる。

 「これは僕の“魔導士バッジ”! 何でアマデウスが持っていたんだ?」

 「ですから、ハシリウス先輩が貸してくれたって……」

 驚いて言うハシリウスに、マチルダはおずおずと繰り返す。

 「ははあん、読めたよハシリウス」

 ジョゼが言う。ハシリウスはジョゼを振り向いて聞く。

 「どういうことだい?」

 ジョゼは、組んでいた腕をショートパンツの腰に当てながら言う。

 「ハシリウス、“魔導士バッジ”には、特典があるんだ。知ってる?」

 「いいや、知らない」

 あっさり言うハシリウスに、ジョゼははあっと深いため息をついて、一度ソフィアを振り向いて苦笑する。そしてハシリウスを振り返ると言った。

 「そんなことだと思った……ハシリウス、こんなお祭りの場合、“魔導士バッジ”を付けていれば、タダで中に入れる催し物って、結構あるんだよ?」

 「え! そうなの?」

 「だから、アマデウスはキミのバッジを使って、今日のデートでその特典を勝手に使ってたんだ。マチルダちゃん、どう? 今日、アマデウスは催し物を観覧するとき、お金払ったかい?」

 ジョゼが訊くと、マチルダははっと気づいたように言う。

 「そう言えば、サーカスでもなぜか、私たちはタダで入れたんです。不思議だなって思っていたんですが、そう言うことだったんですね」

 その時、ハシリウスは気付いた。アマデウスが僕のバッジを使っていたということは、ここのパビリオンの連中――強面だというその連中は……。

 「つまり、ジョゼ、アマデウスは僕と間違われて誘拐された……ってことか」

 「ご名答! その通りさっ! ボクはそんなところだと思うよ」

 ジョゼが言うのに、ソフィアもうなずく。

 「その可能性が最も大きいと思います。まず、この城の事務所があるというそのテントに行ってみましょう。マチルダさん、案内をお願いします」


承の章 鏡魔法の恐怖


 ヘルヴェティア王国のはるか北、夏は太陽が沈まず、冬は太陽が顔を見せない極寒の地に、その王国はあった。その大地は凍てつき、短い夏の日を除けば、地表は雪と氷で覆われている。草花は少なく、木々もまばらで、一望すると“死の平原”であった。

 その王国の名は、ゾロヴェスター王国。ここは、黒魔術師の国である。

 『黒魔術』――それは、もともとは“悪い魔法”の意味ではなかった。本来、魔術とは、人の役に立つために行われる自然法則を超越した術であるが、その基本概念として、“光”を軸に組み立てられる体系と“闇”を軸に組み立てられる体系とがあった。

 ヘルヴェティア王国で使われているヴィクトリウス暦――この国では“アクエリアス”というが――そのアクエリアス160年に、魔法体系に関する会議がヘルヴェティア王国で行われた。会議が行われた場所の名を取って、今では“ローザンヌの魔法会議”と呼ばれているが、その会議で、様々なことが決められている。

 例えば、『“魔法”とは、自然体系を超越した術である』という魔法の定義――とか、

 『魔法の体系は、光、闇、木、火、土、風、水に分けられる』――とか、

 『魔法の担い手は“精霊”と呼ばれる目に見えない存在である』――とか、

 とにかく、ヘルヴェティア王国では真理として代々受け継がれることになった“魔法”というものへの共通理解が、ここで形作られたのである。

 しかし、最後まで結論が出なかったことが一つだけあった。それは、『魔法の究極の体系は何か』ということである。

 このことについて、“光”を主とすべきであるという時の大賢人、フライヘル=カレイジウス・ファン・ペンドラゴンの意見と、“闇”をすべての中核に置くべきであるとする時の筆頭賢者、グラーフ=クロイツェン・ファン・ゾロヴェスターの意見が対立し、容易に決着がつかなかったのである。

 論争は長引いた。カレイジウスとクロイツェンの二人にとっては、純粋に学術的な問題を論じあっていたにすぎないのだが、不幸なことに二人ともヘルヴェティア王家の血を引く者であり、しかもその魔力の強大さゆえにそれぞれたくさんの門下生を抱えていたこともあり、学術的問題が王宮の中での政治的立場の問題へとすり替わってしまったのである。

 激昂したクロイツェン派の魔導士たちが、カレイジウス派の魔導士たちの集会を襲撃したとき、この問題の政治的決着がついた。時の女王・アナスタシア1世は、カレイジウスにクロイツェンの討伐を命じたのである。

 「その時以来、わが同胞はこの暗く厳しい自然の中で生きてきた。“黒魔導士”などという烙印を押されつつも、我らはこの地で“闇の真実”をひたすら追い求め、世の成り立ちを追求してきた」

 『風の月』を目前に控えた『土の月』30日、沈まない太陽がブリザードを照らし出しているゾロヴェスター王国では、その首都であるヴォルフスシャンツェで、“闇の帝王”を自称するクロイツェン・ゾロヴェスターが臣下に話をしていた。彼の側に侍るのは、“黒き知恵の聖者”バルバロッサと“黒き力の聖者”メドゥーサである。

 「アクエリアス170年に、わしはこの地に来た。この地で暗黒の半年と光の半年を過ごし、悟ったことがある。それは、わしがカレイジウスと論争した論旨である“闇の沈黙”は、正しいということであった。“光の剣”は確かに世の諸々を従えることができるだろう。しかし、それに勝るものは“闇の沈黙”である。沈黙と静寂こそ、生きとし生けるもののふるさとであり、帰るべき場所であるからだ」

 クロイツェンはそう言うと、言葉を切ってバルバロッサとメドゥーサを見つめる。二人とも、クロイツェンの言葉をしっかりと受け止めているようだった。クロイツェンは満足してうなずく。

 「しかるに、大君主ハシリウスは、世の成り立ちについての闇の役割を認めつつ、『闇がすべてとは思わない』とぬかしおった! ヤツもペンドラゴン一族、カレイジウスとなんら変わらぬ。この世に命があろうとなかろうと、この世の生成についての仕組みは変わらぬものなのに、カレイジウスもまったくそこを理解しておらなんだ……」

 クロイツェンはそう言うと、はあっとため息をつく。バルバロッサが薄い笑いを浮かべて言う。

 「陛下、少しお疲れのようでございますな。先にハシリウスから受けた傷は癒えたとはいえ、普通の魔導士であれば即死しているような傷でございましたからな。ご用心が肝要です」

 「身体の傷なぞ、わしは何とも思わぬ。ただ、わしはこの世に真実を広めたい……わしの望みはそれだけじゃ。大君主ハシリウス……きゃつとはもう一度話し合う必要があるかもしれぬ」

 クロイツェンはそう言うと、バルバロッサに命令を下した。

 「大君主ハシリウスを、『イスの国』にあるわしの離宮へ連れてこい。ただし、手荒な真似はするな。今回の目的は、奴と話をすることだ、奴を倒すことではない。“王者の契約”に基づいて紳士的にお連れするのだ。奴と話をして、折り合いがつかねば、ヘルヴェティア王国への総攻撃もやむをえまい」

 いつもの荒々しいクロイツェンとは思えない穏やかな命令に、バルバロッサは確認するように言う。

 「陛下、今回はハシリウスを殺さないのですね?」

 「殺すのはいつでも殺せる。しかし、うっかりと手は出せぬわ。南の天王シュールをはじめ、5人の夜叉大将を討たれていることを忘れてはいけない。これ以上、ハシリウスに臣下を殺されたらたまったものではない。それよりも、わしは『光と闇』のことについて、ハシリウスも何らかの秘密を知っているとみている。その秘密を話し合いすることによって確認したいのじゃ」

 クロイツェンは静かに言う。バルバロッサは畏まって答えた。

 「御意。早速、夜叉大将クリスタルを遣わしましょう」


 “ガラスの城”の中では、その夜叉大将クリスタルが、別格の夜叉大将であるカノープスと話をしていた。夜叉大将カノープスは、もともと12星将でも屈指の強さを誇る星将であったが、人間を殺戮したかどで星将を追放された過去がある。

 「クリスタル、首尾よくハシリウスを捕えたようだな」

 カノープスは、“ガラスの城”の中枢ともいうべき『ダンジョンの間』にずかずか入ってくると、椅子に腰掛けて何か物思いにふけっている男に声をかけた。

 「……相変わらず騒々しい……。失礼だがカノープス、あなたがなぜ、今回の作戦に同行しているのか、私はまだよく分からない……」

 クリスタルは、細い指で銀の髪をかきあげながら、切れ長の黒曜石のような目でカノープスを一瞥する。カノープスはその金髪を揺らして笑う。

 「はっはっ、簡単なことだ。星将が現れたら、そなたでは歯が立つまい。前の12星将の一人、このカノープスがいれば安心だということだ」

 「今回の任務は、ハシリウスをクロイツェン様のもとに案内するだけ……。別に戦いが目的ではないという風にバルバロッサ様からはお聞きしている……。ならば、あなたのように武断的な方は似つかわしくないと考えるが……」

 眉をひそめて静かに言うクリスタルは、まるで女性かと見まがうくらいに優しげで、これが12夜叉大将かと思ってしまうほど線が細かった。カノープスはそんなクリスタルに構わず、次の部屋を覗き込む。そこには、“大君主ハシリウス”が幽閉されていた。

 「ふむ、こいつが大君主ハシリウスか……。なんか、話に聞いていたのとは違うな……」

 カノープスは、転がっている少年を見てつぶやく。確かに、かれらが幽閉しているのはハシリウスではなくアマデウスであるから、違和感があるのは当然である。

 「ほう……あなたもそう思うか……。実は私もそうだ。そいつはハシリウスとは思えない。仮にも“大君主”であれば、もっと強い魔力を感じるはずだ……しかし、そいつの魔力は、この城の中でうごめいている人間たちとあまり変わらないくらいにしか思えない……」

 クリスタルが目をつぶって言うのに、カノープスが訊く。

 「こいつが魔導士と思えないという、貴様の意見には賛成するよ。しかし、確認はしたんだろう?」

 「ここに連れてくる前に、確認はしたそうだ」

 「だったら問題ないじゃないか……おや、クリスタル、ハシリウスが目覚めたぞ」

 隣の部屋を見ていたカノープスが言う。クリスタルはゆっくりと立ち上がって言った。

 「遅い目覚めだったな……カノープス、私がハシリウスと話している間、何か異変が起こったら、あなたに対応の指揮を頼む」


 「う、う~ん……」

 アマデウスはゆっくりと目を開けた。その途端、薄暗かった部屋にぱっと太陽の光が入ってくる。

 「うっ! 何だ、まぶしい」

 アマデウスが目を細めて、顔の前に手を上げて光をさえぎった時、

 「お目覚めですか、大君主ハシリウス殿?」

 そう言って、女性に見まがうような優雅な男が部屋に入ってきた。アマデウスは思わず起き上がり、その男をまじまじと見つめてしまう。

 「初めてお目にかかります。私はクロイツェン様の僕で、夜叉大将のクリスタルと言います」

 クリスタルと名乗るその男は、細い目を光らせて、中性的な声で言う。その声には感情が入っておらず、表情もあまり変わらないため、明るすぎる光の中ではかえって無機質で不気味に見えた。

 「なかなか『闇の使徒』ってーのは、手荒い真似をするんだな。おかげでデートが台無しだ」

 アマデウスは、『クロイツェンの僕』と聞いて、一瞬体がこわばったが、持ち前の神経の太さでそう言い放った。

 クリスタルは唇をゆがめて笑うと、

 「それは失礼しました。しかし、わが主君たるクロイツェン様が、貴殿とぜひ話をしたいということですので、お迎えに上がった次第です。配下の者たちが働きましたご無礼は、私が代わって謝罪いたしますので、ひらにお許し願います」

 そう言った。

 「クロイツェンが俺に何の用があるって言うんだい? 俺は別に用事なんてないぞ、帰してくれ」

 アマデウスがそう言うと、クリスタルは困ったように眉をひそめてアマデウスを見つめ、

 「そんなことをおっしゃられては困ります。今回はクロイツェン様も戦いは目的とせず、あなたと話し合いたいということなのですから……。お互いに分かり合えるなら、無駄な犠牲を払わずに済むというものです」

 そう言う。アマデウスは、そんなクリスタルの様子に真摯さと、必死さと、そして何ともいない威圧を感じて黙り込んでいた。

 ――こりゃあ、一度寮で出会ったトドメスとかいうヤツとは比べ物にならないぜ……。

 クリスタルは、その黒曜石のような目でアマデウスをじっと見つめていたが、ふいにふっと表情を緩めて言う。

 「あなたは、ハシリウス殿ではありませんね?」

 「う……俺がハシリウスじゃなかったら、どうするつもりだ?」

 アマデウスは、相手のあくまでも淡々とした態度に圧倒され、思わず声が震えてしまう。ハシリウス、俺、お前のバッジを勝手に使っちまったばっかりに、ここで死ぬかもしれない……。

 しかし、クリスタルは、静かにうなずくと意外なことを言った。

 「……そうでしょうね。あなたがハシリウス殿だとは、正直、思えませんでした……。人違いであれば、お戻りいただきましょう。どうぞこちらへ」

 そう言って踵を返すクリスタルに、アマデウスは思わず訊いてしまった。

 「か、帰してくれるのか? 何で?」

 クリスタルは立ち止まって、こちらを振り返りもせずに訊く。

 「あなたがハシリウス殿でなければ、クロイツェン様のもとへお連れしても仕方ないからです。それに、無益な殺生はお互いの誤解を増やすだけです。そうではありませんか?……どうしました、帰りたくないのですか?」

 アマデウスは、びっくりして固まっていたが、やがて首を振って言う。

 「ありがたく帰らせてもらうよ……『闇の使徒』って、悪逆非道なモンスターばかりだと思っていたけれど、あんたみたいな人もいるんだな……ハシリウスに伝えておくよ」

 「……モンスターがすべて悪逆非道とは限りませんし、我々“黒魔導士”もすべてが悪とは限りません。我々は“闇の魔法”を物事の根本に据えている――ただ、それだけのことです」

 クリスタルはそう言うと、アマデウスを出口へと誘った。


 『よいか、カノープス、クリスタルは知的で静かな情熱の男だ。しかし、だからこそ優しすぎる部分がある。いかなる手を使っても勝とうという迫力に乏しい……。私はそれを心配してそなたをクリスタルに付けるのだ。クリスタルのすることを邪魔してもらっては困るが、あの者の甘い部分はそなたが埋め合わせをせぬといかん。頼んだぞ』

 夜叉大将カノープスは、ここに派遣される前に賢者バルバロッサから耳打ちされたことを思い出していた。確かに、クリスタルは物静かで夜叉大将には似つかわしくない。

 同じように物静かな夜叉大将としてはマルスルやタナトスがいるが、マルスルはほれぼれするような剣の達者であり、タナトスの方は背筋も凍るような凄味がある――それに比べても、クリスタルはあまり迫力に乏しすぎた。

 ――今度もそうだ。ハシリウスをせっかく捕えながら殺しもせず、ただ命令のままクロイツェン様のもとに連れて行くだけ……。アイツはバカか?

 夜叉大将カノープスは、そう思って舌打ちした。そこに、クリスタルがアマデウスを連れて現れる。

 「おお、クリスタル。いよいよハシリウス殿をお連れするのか?」

 カノープスが訊くと、クリスタルは首を振って言う。

 「いいや、この者は人違いだった。この者には帰ってもらい、我らはハシリウス殿をまた探さねばならぬ」

 「クリスタル、お前はどうしてそんななんだ? そんなまだるっこしいことをしなくても、そいつを使ってハシリウスをおびき寄せればいいではないか?」

 アマデウスは、カノープスがそう言って自分を睨みつけるので、思わず首筋が寒くなった。こいつはクリスタルと違って、脳が筋肉でできているらしい……アマデウスはそう思った。

 「そういう手荒な真似は、あまりよくないぞ。目的に見合った方法が取れなければ、結局は敵味方とも苦労する……。カノープス、今回はハシリウス殿との話し合いが目的だ。話し合いには双方の誠意が必要、まずはこちらの誠意を伝えねばな……」

 クリスタルは涼しげにそう言うと、アマデウスに手招きして言う。

 「さ、こちらへ……。ハシリウス殿に会ったら、夜叉大将クリスタルがお会いしたいと申していたと伝えてください」

 「わかった、伝えておくよ。ありがとう」

 アマデウスはそう言うと、ガラスの城の通路へと出て行こうとした、その時、

 「クリスタル様、本物のハシリウスがクリスタル様に会いたいと、この城に来ています」

 あの人相の良くない男がクリスタルたちのいる『ダンジョンの間』に現れて言う。

 「えっ、ハシリウスが来てくれたのか!」

 喜ぶアマデウスを見ながら、クリスタルは微笑むと言った。

 「それは都合がいい……ご友人よ、私が出口まで案内しよう」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 一方、ハシリウスたちは、マチルダに案内されて“ガラスの城”のスタッフ用出入口前に来ていた。

 「ここです。アマデウス先輩と私は、ここから中に入れられました。そして、アマデウス先輩がいなくなっちゃったんです」

 ハシリウスは、ドアを押したり引いたりして見たが、頑丈に施錠してあるらしく、びくともしない。

 「マチルダさん、事務局用のテントは、入ってどちら側に在った?」

 ハシリウスが訊くと、マチルダはすぐに答えた。

 「左側です。右側には壁がありました」

 そう聞くと、ハシリウスは笑って言う。

 「じゃ、君は会場入口の噴水のところで待っててくれないか? 必ずアマデウスを連れてくるから」

 そして、ハシリウスはすたすたと正門の方へと歩きだした。

 「ハシリウス、ここからそっと入り込んだ方がいいんじゃない?」

 ジョゼが言うが、ソフィアはそれに対して

 「……私がこの国の王女兼実行委員長として、堂々とこの城の責任者を呼び出した方が手っ取り早いと思います。それに、まだこの城が『闇の使徒』と関係があるという証拠もないのに、勝手に入り込んではこちらの立場が悪くなりますし……。ハシリウス、そうでしょう?」

 そう言うと、ハシリウスはにっこりと笑う。

 「そうだ。いずれにしても、こいつらがさらったのはハシリウスではないってことを知らせてやれば、十中八九アマデウスは無事だろう……たぶんね」

 「え? 間違えてさらったんだったら、利用価値がないからすぐ殺されちゃうんじゃ?」

 ジョゼが心配して訊くのに、ハシリウスは首を振って答えた。

 「うん、その可能性もあるけれど、それよりアマデウスを人質として僕の動きを封じる手段に使う方が実際的だと思う。だから、相手がよほどの殺人狂か、自分の強さに自信がある場合を除けば、アマデウスを生かしておく方を選ぶと思うよ」

 「なるほど……それはそうかもね」

 ジョゼは納得する。そんな話を聞いて、マチルダは心配そうに訊く。

 「あの……ハシリウス先輩……アマデウス先輩は無事でしょうか?」

 ハシリウスは立ち止まり、ソフィアとジョゼを見て笑うと、マチルダに言う。

 「マチルダさん、心配しなくていい。君やアマデウスがこんなことに巻き込まれるのは僕としても不本意だけれど、必ずアマデウスは助け出す。だから、ジョゼと一緒にここで待っていてくれないか?」

 「えっ!? ボクがこの子のお相手?」

 不服そうに言うジョゼに、ハシリウスはにっこり笑って言う。

 「まあ、今回はソフィアにご苦労願うよ……と言っても、相手を呼び出すまでだけれどね」

 「と、言いますと?……」

 ソフィアも不審そうに訊く。ハシリウスは透き通った笑いを浮かべて言う。

 「相手が何であれ、今回は『闇の使徒』たちだけのようだから、僕と星将で何とかなりそうだ」

 「それはいけません!」「ダメだよ! そんなこと!」

 ソフィアとジョゼが叫ぶ。しかし、ハシリウスははっきりと言った。

 「深入りはしないよ、心配しなくていい。まずはアマデウスを助け出すことだから」


 ハシリウスは、ソフィアとともに“ガラスの城”の入口にやって来た。パビリオンのスタッフらしい人相の良くない男が、すぐに二人を見つけて近づいてくる。

 「お客さ~ん、順番に並んでいただかないと困るんですがね……」

 人相の良くない男は、そう、ドスを聞かせて言うが、ハシリウスは涼しい顔で答える。

 「いや、僕たちはここにお邪魔しに来たんじゃないんだ。このパビリオンは、出展の許可を実行委員会から受けていないだろう? 責任者と話をさせてほしい」

 「何だと!? おめえさんたち、俺たちに因縁つけようってか?」

 男は凄むが、ハシリウスはニコリと笑って言う。

 「決められたことは守ってもらわないと……。わざわざ実行委員長である王女様がおいでなんだから、話は王女様にすればいい。さあ、早く責任者を呼んでくれ」

 「えっ……、で、貴様は何だい? 実行委員か?」

 男は、『王女が来ている』ということで少しひるんだ。その男が明らかにひるんで訊くのに、ハシリウスはさらりと言ってのけた。

 「僕は、王女様の護衛で、ハシリウスという者だ」

 「げっ! 『大君主』……、な、なぜ?」

 男は完全に動転してしまう。ハシリウスはそれに畳み掛けた。

 「責任者を呼ぶのか呼ばないのか? 呼ばなければ、僕が会いに行くぞ!」

 「ま、待ってください……あんた、本当にハシリウスかい?」

 男が上目づかいに訊くのに、ハシリウスは皮肉そうに笑って言う。

 「僕の“魔導士バッジ”を付けていた僕の友だちが、ここにいると聞いている。ついでに僕の友だちも返してもらおうか」

 「う……」

 男は声が出ない。自分たちの間違いに気が付いたようだった。ややあって、男は丁寧に答えた。

 「分かりました。わが主であるクリスタル様をお呼びいたしますので、こちらにお進みください」

 ハシリウスはうなずくと、ソフィアに目配せをして歩き出す。ソフィアはハシリウスのアイコンタクトにうなずき、ハシリウスから離れないように歩き出した。

 二人は、アマデウスとマチルダが案内された入口から城の中に招き入れられた。男は、

 「こちらのテントでお待ちください。クリスタル様をお呼びいたします」

 そう言うと、ハシリウスとソフィアを残して城の中へと入って行った。

 「あの男のあの態度から見ると、アマデウスはまだ無事のようだね」

 ハシリウスがつぶやくのに、ソフィアもうなずいて言う。

 「そうですね。何にせよまずはアマデウスくんを取り返さないと……。ところでハシリウス、本当に“魔導士バッジ”の特典のこと、知らなかったのですか?」

 「え? う、うん……知っていたらちゃんとはめてきているよ」

 そう言うハシリウスに、ソフィアは呆れたように笑って言う。

 「そうでしょうね……私もジョゼも、なぜハシリウスは“魔導士バッジ”をはめてきていないのかなって不思議に思っていましたけれど……。でもハシリウス、そんなとこに無頓着なのはハシリウスらしくっていいんですけれど、もう少ししっかりしてくれないと、大人になった時が心配です」

 「? 何が心配なんだい?」

 「えっと……知っていたら得することを知らないというのは、どうかなって思うんです。今のままだったら、あなたと結婚する相手はちょっとかわいそうかなって……」

 「なぜ、かわいそうなんだい?」

 「え、だって、無駄にお金も使っちゃいますし、楽しめるものも楽しめなくなっちゃいますから……」

 ソフィアが王女様とは思えないような所帯じみたことを言うので、ハシリウスは思わず微笑んでしまった。その微笑みを見て、ソフィアが訊ねる。

 「何を笑っているんですか?」

 「だって、ジョゼならともかく、ソフィアがそんな所帯じみたこと言うなんて……。ちょっと意外だったんだ」

 ハシリウスの言葉に、ソフィアは少し頬を膨らませて言う。

 「ハシリウスったら、もう……お金の大切さは、私が王女だからと言って変わらないんですよ? いいえ、むしろ私は倹約したい性質なんです。だって、王家が自分たちのためだけに湯水のようにお金を使って良いわけはありませんから……。だから、使わなくていいお金は、使わないように心掛けないといけないって思いますよ?」

 「……そうだね、それはその通りだと思う。僕もいろいろ知らなきゃいけないことが多いんだなあ」

 ハシリウスがそう言うと、ソフィアはにっこりとして、

 「頑張ってくださいね、期待していますから」

 そう言う。ハシリウスもそれにつられて笑おうとした時、

 「大君主よ、覚悟!」

 不意に、そう言う叫びとともに、テントに飛び込んできた男たちがハシリウスに斬りかかった。

 「ソフィア、逃げろ!」

 ハシリウスは、間一髪でその鋭い斬撃をよけると、ソフィアに斬りかかろうとしていた男に体ごとぶつかっていく。

 「ハシリウス!」

 ソフィアが叫んだ時、ハシリウスは一緒くたになって転がった男に当て身を食らわせ、その剣を奪い取って、別に斬りかかってきた男の剣を弾いた。

 「こっちだ! 外に逃げろ!」

 ハシリウスはソフィアの手を取ると、テントの外に飛び出す。そこに待ち構えていたかのように斬撃が襲ってくるのを、ハシリウスは辛うじて剣で受け止める。

 「ハシリウス! 雑魚は相手にするな!」

 そう言う声とともに、長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星将シリウスの姿が現れて、その蛇矛で男たちをなぎ倒しはじめる。

 「げっ! 星将シリウス……」

 ハシリウスと剣を交えていた男は、星将シリウスの顕現に動揺し、剣を捨てて一散に城の中へと逃げ込む。ハシリウスはそれをあえて追わなかった。

 「シリウス、ありがとう」

 ハシリウスがそう礼を言うと星将シリウスは笑って答える。

 「何を言うか、お前だって、念ずれば神剣『ガイアス』と『暁の鎧』を呼び出せるものを……」

 「え? そうなの?」

 ハシリウスはびっくりして答える。星将シリウスはため息とともにいう。

 「まったく……“魔導士バッジ”のことと言い、少しは自分の力を信じて精進すればいい。それよりハシリウス、奴を追わないのか?」

 「あ、そ、そうだね」

 そう言って駆け出そうとするハシリウスに、星将シリウスは呆れたように呼びかける。

 「ハシリウス! 装備を整えてから行け、さっきみたいな目に遭いたくなければな」

 ハシリウスは、それを聞くと立ち止まり、目を閉じて息を整えた。そして、

 「神剣『ガイアス』と『暁の鎧』よ、女神アンナ・プルナの名においてハシリウスが命じる、わが元に来りてその力を顕現し、我に破邪の力を与えよ!」

 そう言うと虚空に手を差し伸べた。すると、ハシリウスを光が包み込み、その光が収まった時、ハシリウスは金の額当てとチェインメイルを付け、銀の小手と脛当て、そして白銀のマントを翻していた。

 「……なるほど……シリウス、感謝する。教えてもらわなければ、気づかないところだった」

 そう言うと、ハシリウスは『ガラスの城』の中に入って行った。

 「……ハシリウスは、大君主としてまだまだ勉強することがありそうですね」

 いつの間にか、“月の乙女”とシンクロしたソフィアのルナが言う。シリウスは、ルナを見てニコリと笑って言った。

 「そうだな……王女よ、そなたがハシリウスをしっかり導かぬと、“太陽の乙女”だけではなかなか手が回らぬぞ。……さて、行こうか」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 夜叉大将カノープスは、『ガラスの城』の屋上に陣取って、配下の者たちとハシリウスたちとの戦いを見守っていた。そこに、副将で36部衆の一人であるガルバニコフが来て言う。

 「た、大将! 敵には星将シリウスがついています! とても敵いません」

 カノープスはニヤリと笑うと言う。

 「よいよい、ハシリウスをこの城の中におびき寄せさえすれば、後はうまくいく。シリウスは私が相手をする、心配するな。それより、早くハシリウスたちを『鏡の間』に誘い込め」

 「はい、分かりました」

 そう言って駆け出そうとするガルバニコフに、カノープスは鋭く言い放った。

 「ガルバニコフ! 決してシリウスには手を出すな! そなたたちの獲物は大君主あるのみだ」

 「わ、分かりました」

 慌ててそう答えると、ガルバニコフたちは城の中に消えて行った。

 それを見送ると、カノープスは目を閉じて薄く笑ってつぶやいた。

 「さて、シリウスよ、お前がどれほど成長しているか楽しみだ」


 一方、『ガラスの城』の中では、大混乱が起きていた。突然、どこからともなく現れたモンスターやミュータントたちが、観客を襲い始めたのである。

 その異変に真っ先に気づいたのは、たまたまこの城に見物に来ていたクリムゾンだった。

 クリムゾン・グローリィは、アンジェラとともに二人だけの休暇を楽しんでいた。

 「……ねえ、クリムゾン様。あなたにここまでしてもらったら、私、なんだか悪い気がするわ」

 クリムゾンの隣で、アンジェラがそうつぶやく。クリムゾンは笑って言う。

 「……アンジェラ、この前も訊いたと思うが、私が辺境に行く前に、君と約束したことを覚えているか?」

 「……」

 アンジェラは赤くなり、黙ってうなずいた。

 「わがクリムゾン家は、君のソールズベリー家と比べたら、家格において劣る……しかし、私はずっと君のことを愛していた。だから、辺境で名を上げて、君を迎えにくる――私はそう言ったはずだ」

アンジェラは黙ったまま聞いていた。

 「私はそのことのみを心の支えに、辺境で戦いの日々を送った。きっと君も私のことを愛してくれている――そう思っていたからだ」

 アンジェラの手がクリムゾンの手に伸びる。クリムゾンはその手をしっかりと握って続ける。

 「……君のご両親に不幸があったことを聞いて、私はもっと早く辺境から戻ってくるべきだったと自分を責めた。君のご両親に認めていただきたかったということと、君に寂しく、つらい思いをさせてしまったこと――これは私が最も遺憾としているところだ」

 「……それは仕方ありません……。でも、私だって、あなたの言葉を心の支えに、アンナとともに生きてきました。父も母も、アンナのことを最も心配しているはずですから……」

 そう言ってアンジェラは首を振る。そして続けて言う。

 「でも、今はあの頃と変わりました。没落したソールズベリー家には、家格の高さ以外、何も残っていません。家も、土地も、財産も……。それに、私もギムナジウム中退で、ポッター校長先生のお情けで『修士心得』という認定を頂いているに過ぎません……。クリムゾン様、私はあなたから愛されていたころの私ではないのです。私以外に、あなたにとってふさわしい女性がいるはずです」

 最後は、寂しい笑いを浮かべてクリムゾンを見るアンジェラであった。クリムゾンは微笑みを浮かべ、ゆっくりとアンジェラに言う。

 「……そう、確かに状況は変わってしまった。しかし、君の心まで変わってしまったのか? 私は、君を愛しているのであって、君の家や、土地や、財産を愛しているのではない――きれいごとに聞こえるかもしれないが、君の心が変わってしまったのならともかく、君があのころのままの君であれば、私には過ぎた恋人だと思っている。アンジェラ、答えを聞かせてくれ。君の妹さんも含めて、私は君のことを守っていきたい。――今日は妹さんも連れてくれば良かったな」

 クリムゾンも“高級魔導士”であり、そのバッジによってさまざまなイベントをタダで楽しむ権利を持っていたので、そう言ったのだろう。アンジェラはその気持ちがとてもうれしかった。

 「……私は辺境で思った。『国を守る』という大きな目的以外に、個人的な目的がないと、戦いの場では生き延びることは難しいと……。アンジェラ、私に君を守らせてもらえないか?」

 クリムゾンの言葉に、アンジェラは涙が出てきて、言葉では何も答えられなかった。アンジェラはただうなずいて、クリムゾンにそっと寄りかかる。

 「……ありがとう」

 クリムゾンは静かに言うと、そっとアンジェラの涙をぬぐった。

 「あの……クリムゾン様……私……」

 アンジェラはそう言いかけ、クリムゾンの顔が急に引き締まったのを見て言葉を切った。

 「……クリムゾン様?」

 アンジェラが言うのに、クリムゾンはゆっくりと手を上着の下に入れてささやく。

 「アンジェラ、私から離れるな。妙な気配がする」

 アンジェラがゆっくりとうなずくと、クリムゾンはいきなり腰のベルトから短剣を抜き、目の前に斬りつけた。

 「うおお~っ!」

 アンジェラは目の前の光景を見て声を失くした。鏡の中から、剣を持った手が出てきて、クリムゾンに斬りつけようとしていたのだ。クリムゾンはその気配を察知し、短剣でその手首を斬り落としていた。

 「走るぞ!」

 クリムゾンは手首から剣を取り上げると、アンジェラの手を取って走り出した。とにかく、早くこの城から出なければ危ない!――クリムゾンもアンジェラもそう思っていたのだ。

 「どけ! 道を開けろ!」

 クリムゾンはアンジェラをかばいながら、次々と現れるモンスターやミュータントたちを斬って捨てる。そして、ようやく出口へとたどり着いた。

 「な、何だったんでしょうか?……」

 息荒くアンジェラが言うのに、クリムゾンは少し考えていたが、やがてアンジェラを見て言った。

 「あいつらは、おそらく大君主ハシリウス卿を狙う奴らだろう。急に気配が出てきたということは、ハシリウス卿が城の中にいるということに違いない。アンジェラ、お願いがある」

 「な、何でしょう?」

 アンジェラが心配そうに言うのに、クリムゾンは

 「このガラスの城がモンスターたちの城であることを、ここの実行委員会事務所に知らせて、レギオンを派遣してもらうようにしてほしい。私は、もう一度この城の中に行く」

 そう言う。アンジェラは心配そうに言う。

 「クリムゾン様! そんな、一緒についていてください」

 「残念だが、この城の中にはたくさんの一般人がいる。それに、ハシリウス卿がいるとすれば、ソフィア姫やジョゼフィン嬢も一緒におられる可能性が高い。私は行ってお助けせねばならない。少なくとも、一般人を安全に逃がす義務がある。心配しなくていい、アンジェラ。君からいい返事をもらったんだ。約束を守らねばならないから、きっと無事で帰ってくる」

 クリムゾンはそう言うと、剣に一振り素振りをくれて、『ガラスの城』の中へと帰って行った。


 「むっ? 誰だ? 勝手に攻撃を始めた者は?」

 アマデウスを出口に誘導していた夜叉大将クリスタルも、ガラスの城の中に生じた変化を察知し、そうつぶやいた。そこに、あの人相の良くない男が現れて、クリスタルに告げる。

 「クリスタル様! カノープス様が急にこの城の隔壁を閉じはじめ、モンスターやミュータントたちに人間たちを襲わせ始めました」

 「なにっ! カノープスめ、功を焦ったか……。グラスレス、ハシリウス殿はどうしている?」

 「はいっ! ハシリウス殿は星将シリウスや『月の乙女』とともに、この城の内部に入ってきています。どうやら、カノープス様はハシリウス殿たちを『鏡の間』に誘い込もうとしているようです」

 グラスレスと呼ばれた人相の良くない男はそう告げる。クリスタルは腕を組んで何事かを考えていたようだが、やがてグラスレスに命令を下した。

 「わが誠意をハシリウス殿に伝えねば、わが主たるクロイツェン様とハシリウス殿の話し合いなど成立しない……そのためには、まずこの城の内部に閉じ込められた人間たちを解放せずばなるまい。グラスレス、そちらはそなたに任せる。モンスターたちを落ち着かせて、人間たちを城の外に逃せ」

 「クリスタル様は?」

 「私は、カノープスと話し合ってみよう。……すまぬな、ハシリウス殿のご友人、不本意ながらこのような事態になってしまったことを遺憾に思うが、ここからは一人で出口に行ってもらわねばならぬ。この道をまっすぐ行けば出口だ。なに、一本道だ、道には迷わぬ」

 クリスタルがそう言うのを、アマデウスはニコリと笑って答える。

 「気にするな。それより、早くみんなを助けてあげてくれ。あんたみたいな『闇の使徒』ばっかりだったら、ハシリウスも苦労はしないんだろうがな……。とにかく、ありがとう」

 「礼には及ばないよ……とにかく急いで外に出ることだ。さもないと、カノープスが何をしでかすか分からぬ」

 クリスタルは、そうアマデウスに言うと虚空に消えた。それを見送ったグラスレスも、

 「では、ご友人、つつがなく外に出られることを祈っています」

 そう言うと、ガラスの通路を押して別の通路へと消えて行った。

 アマデウスは、不思議な感じがした。ハシリウスが命をかけて戦っている『闇の使徒』だが、妙な友情を感じてしまったのだ。おそらく、ハシリウスもあのクリスタルという男となら、こんな感じを抱くだろう。アマデウスは、『英雄は英雄を知る』という言葉の意味が、おぼろげながら分かったような気がした。

 そんな思いに浸っていたアマデウスだが、ふと今まで来た道を見ると、モンスターたちがアマデウスの姿を見つけたのだろう、大挙して押し寄せてくるのが見えた。

 「……やべえな……早いとこ、ここから出るか」

 アマデウスはそう言うと、一目散に通路を駆け出した。


 「ハシリウス、この城は厄介だぞ」

 ガラスの通路を歩きながら、星将シリウスが言う。ハシリウスもうなずいた。

 「確かに……鏡とガラスの見分けをしっかりしないと、道を失ってしまいそうだな……」

 ハシリウスは、鏡とガラスの通路が思いのほか歩きづらいことを知った。鏡は自分たちの姿を映すし、ガラスは先の道まで見えてしまう。今いる位置をしっかり把握しないと、それこそ迷子になってしまうだろう。

 それに、モンスターが見えたとしても、それがどこにいるのかの判断を間違う場合も出てくる。相手の位置を間違うと、先制攻撃をくらってしまうし、こちらの攻撃も無効になってしまう。

 さらにハシリウスたちを戸惑わせたのは……

 「ハシリウス、危ない!」

 ハシリウスの後ろを続いて来ていた“月の乙女”ルナが、鏡から生えるように出てきたモンスターの剣を半月刀で払いながら叫ぶ。

 「くそっ!」

 ザシュッ! ハシリウスは振り向きざまそのモンスターを神剣『ガイアス』で斬って捨てた。

 「大丈夫か?」

 先を進んでいた星将シリウスが戻ってきて訊く。ハシリウスはうなずくと、ルナに言った。

 「ありがとう、ルナ。鏡を使って移動するミュータントもいるのか……気を引き締めよう」

 そう言うハシリウスに、星将シリウスは訊く。

 「この程度の城、ぶち壊してやろうか?」

 「私もその方が早いと思った……しかし……」

 ハシリウスはそう言うと、神剣『ガイアス』を抜いて、

 「ファイナル・スラッシュ!」

 ハシリウスは掛け声とともに、神剣『ガイアス』を揮った。『ガイアス』から出たすさまじい斬撃波が『ガラスの城』の内部を駆け抜けたが、衝撃こそ大きかったものの、通路を造っているガラスや鏡にはヒビ一つ入らなかった。

 「……見てのとおり、構造物として利用しているガラスや鏡には、ご丁寧に強化の魔法がかかっている。破れない魔法ではないが、城を壊すためにはちと骨が折れそうだ」

 そう言うと、ハシリウスは笑って神剣『ガイアス』を鞘に納める。

 「とにかく、早くアマデウスくんを見つけて助け出すことですね」

 ルナがそう言うと、星将シリウスがそれにつけ加えて言った。

 「ハシリウス、どうやら敵さんはここに見物に来ている人間たちに手出しを始めたようだぞ」

 それを聞いて、ハシリウスはびっくりして言う。

 「何だと!? アマデウスだけでなく、関係のない人々にまで手を出すとは……許せん! シリウス、『闇の使徒』がどこにいるのか、分からないか?」

 星将シリウスは、少しの間考え込んでいたが、やがて屋上を見つめて言う。

 「……城の内部と、屋上に強い妖気を感じる。どちらがボスかは分からないが、俺は屋上のヤツにかかろう」

 「……禍々しい方を選んだな、シリウス……わかった、私は城の内部にいるヤツに当たろう。シリウス、気を付けろよ」

 「ハシリウスこそ、気を付けろよ……どちらも今までの夜叉大将より強いヤツだろうからな」

 星将シリウスはそう言うと隠形した。

 「ねえ、ハシリウス。シリウスと離ればなれになるのは少しまずいと思うけど……」

 “月の乙女”が心配そうにそう言う。しかし、ハシリウスは笑って言った。

 「やつらが人間にまで手を出しているのであれば、一刻を争う。こちらはこちらで気を引き締めてかかろう。ルナ、私のそばを離れるなよ」


 一方、クリムゾンは、

 「みんな、こっちだ! こちらにはモンスターがあまりいない!」

 そう叫びつつ、『ガラスの城』の中で右往左往している人々を出口に誘導していた。たまにモンスターに出会うと、

 「くそっ! これでもくらえっ!」

 と、剣や火焔魔法でモンスターを撃退する。しかし、なかなか『ガラスの城』の中にいる人々すべてを救い出すのは、骨が折れる仕事だった。

 そこに、36部衆の一人、グラスレスが現れる。クリムゾンは、相手がまとった雰囲気から、今までとは違う格上の相手が現れたことを悟った。

 「貴様が、このモンスターたちの親玉か? ハシリウス殿はどこにいる?」

 クリムゾンは、剣を取り直し、息を整えて言う。すると相手は持っていた剣を下げ、静かにクリムゾンに訊いた。

 「私は、夜叉大将クリスタルが配下で、36部衆の一人、グラスレスと申す。失礼だが、貴殿のお名前をお聞かせ願いたい」

 「私はクリムゾン・グローリィ、ヘルヴェティア王国王女付きの護衛士だ」

 クリムゾンの名乗りを聞くと、グラスレスは顔をほころばせて言う。

 「おお、貴殿が有名な“ローテン・トイフェル(緋色の悪魔)”か……失礼した。私はクリスタル様のご命令で、この城の中に閉じ込められた人間たちを解放するよう仰せつかっている」

 クリムゾンは目を細めて相手の顔をじっと見つめた……嘘を言っているようには見えない。しかし、念のために訊く。

 「……にわかには信じがたいな……そなたも、クロイツェンとかいう者の配下である『闇の使徒』ではないのか? それがなぜ、人間を救う?」

 グラスレスは剣を収め、敵意がないことを示すためにその剣を後ろに回して言う。

 「そなたの疑問はごもっともだ。しかし、わが大将・クリスタル様は、クロイツェン陛下のご命令で、ハシリウス殿を迎えに参ったのだ。戦いではなく、話し合いをするために……」

 「ではなぜ、城に人間を閉じ込めたり、モンスターに襲わせたりする?」

 クリムゾンは剣こそ下げたが、油断なく辺りを見回しながら訊く。

 「それは、クリスタル様と一緒にここに来た夜叉大将カノープス様が勝手にされていること……。わが大将が心配されていたことになってしまった」

 グラスレスはそう言うと、続ける。

 「わがクリスタル様は、こんな卑怯な真似はなさらない。何をなすにも、敵に対しても信が大事であることを分かっていらっしゃるお方だ。そのために、私に人間を救えとご命令になった。ここは私やクリスタル様を信じてほしい」

 クリムゾンはゆっくりとうなずいて言った。

 「……信じよう。それでは、人間たちを外に出してほしい」


 「くそっ、あのクリスタルとかいうヤツ、真っ直ぐって言わなかったか? 何で外に出ないんだ?」

 アマデウスは、何度目かのつぶやきを漏らす。確かに、クリスタルは、

 『あとは真っ直ぐ行けば、出口に出られる』

 そう言ったはずだったが、行けども行けども出口らしきものはなく、ついにはアマデウスは城の中で迷子になってしまった。

 それもそのはず、本来は真っ直ぐ行けば出口だったのだが、カノープスの命令により通路が変更されてしまっていたのだ。いくら真っ直ぐ行っても、出口に出るはずがなかった。

 やがて、いい加減歩き疲れたころ、アマデウスの足元の床が突然傾いた。

 「うわっ! わわわわ~っ!」

 幾分かボーっとしながら歩いていたアマデウスは、見事にそのトラップに引っかかり、もんどりうって転がり落ちて行った。

 ドッシ――――――――ン!!!

 「あいててて……くそっ、どういうことだ、こりゃあ……」

 アマデウスが痛むお尻をさすりながら辺りを見回すと、この部屋だけ地下に造られているらしく、周りはレンガを積み上げた壁であった。アマデウスが転がり落ちてきた穴が、3メートルほどの高さにある天井にぽっかりと口を開けている。それ以外に出口らしきものはなさそうだった。

 「ここは……」

 アマデウスは、壁のあちこちに不自然な穴が開いているのを見つけ、ぽつりとつぶやいた。

 「まるで話に聞いた地下の水牢のようだな……」

 その時、けたたましい笑い語が部屋中に響き渡った。

 「はっはっはっ……その通りだよ、ハシリウスのご友人」

 「誰だ! どこにいる! 出てきやがれ!」

 「そう言われなくても、お邪魔するよ」

 そう言った声が響くと同時に、部屋のアマデウスと反対側の隅に、金髪で鋭い黒い目をした男が現れた。男は黒いマントに身を包んでいたが、身のこなしや目の配りから、かなりの手練れのように思えた。

 「貴様……さっき俺を囮にしろと言ったヤツだな!」

 「ほほう、物覚えはいいようだね。私は夜叉大将カノープス……と言っても、ほんの30年ほど前まではこれでも星将だったんだよ。君を囮にしてハシリウスの首を戴くのが私の作戦……そのために、クリスタルにこの城を造らせたのだからね……」

 カノープスがそう言うと、アマデウスは耳を疑った。なに!? 元・星将だって!?

 アマデウスの顔にそのような疑問が浮かんだのだろう、カノープスは笑いながら言う。

 「そうとも、私は元、星将カノープス、そして闘将筆頭カノープスだ。シリウスやデネブに戦い方を教えたのも私だ」

 「そんなあんたが、なぜ、『闇の使徒』なんかに……」

 アマデウスが言うのに、カノープスはすさまじい笑いを浮かべて言う。

 「坊や、世の中には色々と秘密にしておきたいこともあるものさ。あまり首を突っ込まない方がいいぞ。『好奇心、猫を殺す』ということわざくらい、知っているだろう?」

 その笑いの凄絶さにアマデウスは思わず背筋が寒くなるのを覚えた。

 「とにかく、君を殺したりしないことは約束しよう。私の狙いは、大君主の首だけだからな」

 カノープスはそう言うと、

 「ガルバニコフ!」

 その叫び声に応じて、36部衆の一人、ガルバニコフが姿を現した。

 「はい、カノープス様。お呼びでしょうか?」

 カノープスはアマデウスを一瞥すると、冷え冷えとした声で命令を下した。

 「こやつを使って、大君主を『鏡の間』で始末しろ。大君主の首を取ったら、こやつはもう必要がない。逃がしてやれ」

 「承知しました。して、カノープス様は?」

 ガルバニコフが訊くのに、カノープスは薄く笑って言った。

 「私は、星将シリウスと決着をつける」 【第7巻へ続く】

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 今回は初めて2部に分けての投稿になりました。続きはすぐにでもアップしたいと思います。

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