過ち
家と縁を切ろうと思ったのは、洞窟での一件からだった。
初めてマリア・リグレッドの心に触れた日。
ライナは考えていた。このままでいいのかどうかを。
この右腕は呪いの証だ。
聖女が死ぬまで苦しむことになる呪いの証。
それさえなくなれば自由で、ライナはごく普通の人生を歩めるようになる。
だけど。
『貴女が今まで傷つきながら私を救ってくれたのは事実です。……何もできなくて、ごめんなさい』
彼女のことを、知ってしまった。彼女が守られるだけのお姫様ではないと、知ってしまった。
それはライナにとって衝撃的な出来事だった。
彼女が守られるのはチェス盤のキングのように当たり前で、そんな彼女に労わりや優しさなどの心なんてないと思っていたから。
「お爺様、お爺様は聖女様がいなくなった時どんな気持ちだった?」
ライナはその日、師であり祖父である男に電話をした。
前回の聖女の守り手。この世で唯一、気持ちを共有できる人間だった。
「……全てを失ったような気持ちだったよ。もっと一緒にいればよかったと思った。なんせ青春の全てを捧げた人なんだから、しばらく何をすればいいかわからなかった」
その声はどこか寂しそうで、彼は本当に聖女の事を慕っていたのだとわかった。
「だけど思い出は消えないからね。今でも彼女のことを想っているよ」
「お祖母様よりも?」
「それとこれとは別さ!彼女は人生のパートナーだからね!」
そんなものか。だったら自分もエドワードと「人生のパートナー」になれるのだろうか。
いや。ライナはかぶりを振った。きっとなれない。
『女がなんですか、男がなんですか。貴方は貴方です。貴方が努力してきた事は事実ですし、それでいいじゃないですか』
魔法が使えない分、全ての人の見本でいなければ、と思っていた。模範的で、正解と言えるような立派な淑女に。
それに得意である剣は不必要だと思っていたし、いくら好きで得意な事だとしても、それをわざわざひけらかすような事はすべきでないと。そんなことははしたないと。
でも
『見せつけてやりましょうよ、完璧な淑女は剣術だって出来るってこと。そしたら、周りから変わっていくかもしれませんよ?』
彼女の言った事は正しくも、間違ってもあったかもしれない。
ライナは自分がいままで貫いてきた主張を間違ってるとは今でも思わないし、これからも自分のやってきた事は正しかったと思う。
でも、別の道があるのだと。選択肢は自分にあるのだと。何より自分は一人ではないのだと。
ライナはいつの間にか涙を流していた。
ずっと一人だけで戦っていたと思っていた。
だけどライナは、一人ではなかったのだ。
そう思わせてくれたマリアの存在はライナの中で大きく形を変えた。
守らなきゃいけないものから、守るべきものへ。
ただの幼馴染から友人、もしくはそれ以上へ。
長年の氷を溶かしてくれた彼女以外、パートナーはありえない。
「ねえ、お爺様」
「なんだい?」
「私が自由になりたい……例えば徴兵されたいって言ったら怒る?」
「聖女様か」
無言は肯定だった。そして、実質の婚約破棄がしたいと言う意思の証だった。
「いいんじゃないか」
罵倒されると想っていたが、祖父の答えは意外とあっけらかんとしたものだった。
「いずれ終わりは来る。それが今だっただけだよ」
きっと、父と母に言えば大目玉を食らうだろう。婚約破棄なんてなかったことにされるかもしれない。
だけど、また一人肯定してくれた人がいた。
それだけでもういい。
「ありがとう、お爺様」
父と母からはもちろん大反対された。
フローレンスの家とは長い付き合いだ。勿論これが破談ということになれば両家の関係は悪化し、家業の取引には大損害を食らうことになるだろう。しかも跡取り娘が自ら徴兵志願。これにはだまってはおけない。
だが祖父の後押しにより結果的に「徴兵から生きて帰ってこれたら結婚」と言う条件付きで婚約を破談にすることができた。
……いや、もし生きて帰ってこれたらどちらにせよ結婚になってしまうのだが……。
戻るも地獄、進むも地獄。
それでも、ライナにとっては僥倖とも言えた。
これからはマリアと少しの間でも、なんの弊害もなく一緒に居られるのだから。
(あんな一言二言で絆されるなんて、案外私もちょろいわね)
だけどずっと独りだと思っていたのだ。
十年間、ずっと。独りでひたすら気を張っていた。
誰にも弱音を吐けずにいた。師である祖父や同じ師を持つエドワードにすら、だ。自分一人で頑張らなければと抱え込んでいた。自分はヒーローで、ただのシステムなんだから、と。
でもマリアは『僕』じゃなくていいと、『私』でいいと言ってくれたのだ。
それがどれだけ、自分の視界を広げてくれただろう。
(今はただ彼女の側にいたい)
そう思わせるのに時間はかからなかった。
エドワードには申し訳なさを感じなくは無かった。
なんせ一方的な婚約破棄だ。彼も親元から原因について問われるだろうし、負担もかかるだろう。
彼には相談すべきだと思ったが、それは愚策だと思った。
同性と少しでも共にある為に身分を捨てるなんて彼にはわからないだろう。彼は剣の腕こそ知った仲だが、それが何のためのものかは知らせていないのだ。わかるわけがない。
だったら一方的に切り捨てたほうが話が早い。自分が悪者であればいいのだから。
生憎、今はマリア以外に優先する事はない。
恋する乙女のようだな、と思う。
その人だけを想って、考えて、見つめて。
きっとこれは恋ではないのだけど、それでもやっぱり今、一緒にいたいと思うのがマリアなのは事実なのだ。
それが、全ての間違いだった。
物語上に登場する『恋する乙女』がどれだけ愚かか、ライナはまだ知らなかったのだ。
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今は起承転結の転に向けて読み返しと練り直しをしているので、毎日更新は無理なのですが、まったり応援していただければそれほど幸せなことはございません。
恋愛脳が揃うとろくなことにならないのは皆さん色んなゲームで体験済みかと思いますが、このゲームも例外ではございません。
これから三人をもっと苦しませられるよう頑張って行こうと思います!^^