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ユーロン・ユーサネイジア  作者: 伏見七尾
一.幽龍城砦の魔人
6/42

五.龍の都の罪の王

 ――爛の北部にある成州には、豹族ひょうぞくと呼ばれる山岳民族が棲む。


 天潤は、その豹族の村に生まれた。

 母親の名前は香花蓮こうかれんという。父の顔も名前も天潤は聞いたことがない。ただ父は天潤に名前を与え、時折どこからか仕送りをしていたらしい。

 未婚で子供を産んだ母はふしだらな女として、多くの人々から蔑まれていた。

 また生まれた天潤が長らく眼を開けることがなかったのも、その侮蔑を助長させた。

 母には兄がいた。天潤からみれば伯父だ。

 伯父は母を一族の恥さらしとなじり、父の名をしつこく聞いたという。

 ある雨の日、伯父は三人の友人を伴って母の住まいをたずねた。

 母の話によると、その日は特に激しい諍いが起きた。どうやら父が母に金を送っていることを知り、それをたかろうとしたらしい。

 激しい言い争いの末、母は激昂した叔父に殴り倒された。

 そこで、揺り籠で眠っていた天潤が泣き出した。

 母に更なる暴行を加えようとしていた伯父は、その声を耳障りに思ったらしい。伯父は悪態を吐きながら揺り籠に近づき、天潤の首に手をかけた。

 その時、天潤は目を開けた。

 生まれて初めて見たものは、自分の首を折って殺そうとする伯父の姿だった。

 伯父は即死した。駆け寄った三人の友人も道連れとなった。

 全てを目撃していた母は娘に近づくこともできず、村のまじない師を呼んだ。そこで、天潤が天眼を宿していることが発覚したらしい。

 村の長は、天潤を即刻殺すことを命じた。

 けれども母はそれに逆らい、ひそかに故郷の村を出た。

 天潤は、時々思う。

 母が長の言うとおりにしていれば――あるいは、目を開ける前に伯父が事をなしていれば。


 ――きっと、現世の苦を知らずに死ねただろうと。



 淡い夢の底から、意識が浮上してくる。

 まどろみから目覚めへと向かううちに、ゆっくりと四肢の感覚が蘇ってくる。

 重い手をなんとか持ち上げ、天潤は両眼を押さえた。

 呪帯の感触がない。


「うそ……!」


 天潤は飛び起きた。気を眼に集中させ、霊眼を開く。

 肉眼よりもやや広い視野――いつものおぼろげな視界が浮かび上がる。しかし今は呪帯を着けていない分、そこにごく淡い色彩が滲んで見えた。

 見覚えのない部屋だった。

 広々とした空間には、テーブルや椅子をはじめとした豪奢な作りの調度品が並ぶ。

 天潤は、天蓋のついた寝台の上にいた。

 サイドテーブルには青い硝子の水差しと茶椀、白い花を生けた花瓶。そして――。


「――探してるのはこれかい、嬢ちゃん」


 呪帯が差し出された。天潤はとっさにそれに手を伸ばしかけ、そして停止した。


「……鳥?」


 水差しの取っ手に、一羽の鳥が留まっている。

 立派な鷹だ。堂々とした体格に、見事な羽。頭に一筋、赤い羽毛が混じっているのが珍しい。

 それが今、若い男の声でしゃべったような気がした。


「……いや、まさか」


 天潤は頭を振り、額を押さえた。いよいよ頭がおかしくなったのだろうか。

 しかし、鷹は呪帯を咥えたまま首を傾げた。


「おう、どうした。早くとれよ」


 もごもごと鷹が嘴を動かす。

 間違いない。さっきから聞こえるあの若い男の声だった。


「は、はい……ありがとうございます……?」


 どうやら頭がおかしくなったわけではないらしい。天潤は激しく混乱しつつも律儀に礼を述べて、鷹から呪帯を受け取った。

 この呪帯には、閉眼呪へいがんじゅと呼ばれる術が施されている。

 目にまつわる呪詛や異能を封じる術だ。特に天潤の呪帯に施されているものは強力で、他の人間が使用すれば肉眼の視力さえ失いかねない。

 そんな危険な呪帯を念入りに両眼に巻いて、天潤はようやく落ち着いた心地になった。


「で、体の調子はどうだい?」


 ほっと息を吐いたところで、鷹は陽気な声で話しかけてきた。


「どっか痛むところとかはねぇか? 動かねぇところとかさ」

「えぇ、痛みは――ッ」


 そこで、思い出した。

 首と体を両断された爽英。骸骨の姿をした二体の鬼怪。その刃に貫かれた――。

 天潤はばっと自分の体を見下ろす。白い寝巻の帯を解き、襟を広げる。


「わ、わわっ! 見てねぇ! オレは何も見てねぇぞ!」


 鷹がばたばたとそっぽを向くのをよそに、天潤は自分の胸元を確認する。

 鬼怪に貫かれたはずのそこには、包帯が巻かれていた。

 どうやら、なんらかの治療を施されたらしい。

 傷があるはずの場所に包帯の上から触れてみたものの、なんの痛みもない。

 それにしても、まったく痛みがないのは奇妙だった。自分は相当の深手を負ったはずだ。


「あんた、よっぽどザイの奴に気に入られたんだな」


 視線を背けたまま鷹が言った。


「あいつ、ありったけの晶肉を使ってあんたを治したんだぜ」

「ザイ……?」寝巻の襟元を直しつつ、天潤は首をかしげた。


 その時、扉が開く音が響いた。そして間もなく、男の声が耳朶を打つ。


「――娘が起きたら呼べ、と言ったはずだが」


「おぉー、ザイ! いいところに! ちょうど今、目を覚ましたんだぜ!」


 鷹が歓声とともに羽ばたき、部屋に入ってきた者の肩に留まる。

 その顔を見て、天潤は息を呑んだ。


「魔人……!」


 ところどころを編んだ白髪。銀の刺繍を施した黒い長袍。深紅のマフラー。

 そして――顔を覆う禍々しい黒と金の仮面。

 魔人はゆるりと左手を上げた。よく見れば、その手は指先まで隙間なく呪帯に覆われている。

 それを、魔人は仮面の上にするりと滑らせた。

 途端ぱきぱきと小さな音が響き、仮面が融けるように形を変えていく。


「ふん……その分だと、晶肉は問題なく定着したようだな」


 淡々と語る魔人の顔は、少なくとも左半分は美しい。

 鼻梁は高く、眉は細く、顎の形も良い。顔色が悪いことと、目元に薄く隈があるせいでまなざしが凶悪なことを除けば、整った顔立ちをしている。

 顔の右半分は形を変えた仮面に隠されているせいで、天潤からは見ることができなかった。


「先に言っておくが、お前が来ていた服は処分した」


 魔人は呪帯に覆われた指先を、天潤に向けた。


「代わりの服は用意した。回復次第、着替えるといい。お前の趣味に合うかどうかはしらん。適当に選んだからな。文句はいうなよ」

「趣味に合うかはわからねぇけど似合うと思うぜ!」


 叩き付けるように言葉を繰り出す魔人の肩で、鷹が得意げに胸を張った。


「なんせ、オレがアドバイスしたからな! っと、名乗るのが遅れたな! オレはかつて逸州の拳神と呼ばれた男! その名も蔡――!」

玄玄げんげん。お前は席を外せ。私はこの娘と二人で話をしたい」

「この野郎! 良いところで! あと何度も言ってるがオレを玄玄って呼ぶな!」


 翼をばたつかせ、ギャアギャアと玄玄がまくしたてる。

 それを、魔人は横目でぎろりと睨んだ。


「……毟るぞ」

「玄玄でっす。よろしくね。じゃ、オレは飯に行ってくるんでごゆるりと」


 大慌てで翼を広げ、玄玄は魔人の肩から飛び立った。


「……やかましいのがいると話が進まない」


 鬱陶しそうな顔で肩をすくめると、魔人は寝台の傍にまで近づいてきた。

 魔人に逢いたい――漠然とでも、そう思っていたはずだった。

 しかし実際に相対すると、彼の纏う空気にじわじわと自分が呑まれていく恐怖を感じた。

 天潤はぎゅっと布団を握りしめて、魔人をじっと見つめた。


「……貴方の、名前は?」

罪王(ざいおう)と呼ばれている」


 罪の王――一体、どういった由来でつけられた名前なのか。

 気になったが、今はそれ以上に知らなければならないことが無数にある。


「あれから、どれだけの時間が経ったのです?」

「お前が鬼怪に襲われてから二日経った。今は夜だ」


 言いながら罪王はサイドテーブルの水差しをとり、茶碗に茶を注いだ。


「そ、そんな……」


 頭がくらくらしてきた。

 思わずこめかみを押さえる天潤に、罪王は無言で茶碗を突きだしてきた。

 天潤はそれを怖々と受け取ると、罪王を見上げた。


「あの……私と一緒に、男の人がいたでしょう? あの人は――」

「死体は城外に運ばせた。警邏の拠点の近くだ。連中が然るべき処置をするだろう。――もういいか? 私はお前と取引の話をしたい」


 罪王は茶碗をサイドテーブルに置き、まっすぐに天潤を見つめる。

 天潤は口にしかけていた非難の言葉をなんとか呑み込み、彼の青白い顔を見上げた。


「……取引?」

「そうだ。私は、ただでお前の命を救ったわけじゃない」


 罪王はすっと目を細めた。


「単刀直入に言おう。お前の命を救った対価として、あるものが欲しい」


 嫌な予感を感じた。ざわつく胸を落ち着かせるために、天潤は茶碗に口を付ける。冷たい茉莉花茶が口内を芳香で満たし、乾いた喉が潤してくれた。


「……あるもの、とは?」


 罪王は、おもむろに右手を伸ばした。

 左手と同じように呪帯に包まれたその手を、彼は天潤の両眼に向ける。


「お前の天眼だ」


 心臓が跳ねたような気がした。

 背筋に冷や汗が滲むのを感じながら、天潤はなんとか冷静な声を絞り出した。


「何故、私の目が天眼だと知っているのですか?」

「母がそう言ったからだ。――しかし、そんなことはどうでもいい」


 面倒そうな口調で罪王は言って、自分の茶碗に口を付けた。


「ともかく私はお前の天眼が欲しい。そのために溜めていた晶肉を全て使ったのだ」

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