裏4話 うちのお嬢様(ニーナ視点)
「だいじょうぶよ。わたしは、サルード公爵家の跡継ぎなんだから。
ちゃんとへいかにごあいさつしてくるわ」
当サルード公爵家のお嬢様アーシュラル様は、3歳で母君を亡くされました。
ご当主様は、奥様を深く愛しておられましたようで、後妻は迎えない、娘に跡を継がせると宣言なさりました。
お嬢様も、甘えたい盛りでしたでしょうに、辛いお顔も見せずに過ごされてきたのです。
そして、5歳を迎えられたお嬢様は、国王陛下に後継のご挨拶に行かれて。
お帰りの際、竿立ちになった馬車馬の蹄を目の当たりにされたお嬢様は、悲鳴を上げて倒れられたのです。
3日の間、意識を取り戻してはまた倒れ、を繰り返されたお嬢様は、落ち着かれた後、言葉が不自由におなりでした。
頭上に蹄が振り上げられるのをご覧になって、馬に踏まれて死ぬと恐怖に駆られたようでして、それからしばらくの間は、馬のいななきを聞いただけで悲鳴を上げて倒れられるほどです。
そのため、数か月にわたり、お部屋にお籠もりになっておられました。
ご当主様は、馬や御者を処罰することもお考えになったようなのですが、そちらはお嬢様のおとりなしにより不問とされました。
そういったお優しいところはお変わりないのですが、あれ以来、お嬢様は少しお変わりになったように感じられるのです。
人が変わったように、というのとは違うのですが、どちらかというと活発でいらしたのが内気におなりで、お言葉も達者でいらしたのが1~2年くらい幼くおなりでした。
理由は、わかりません。
お嬢様は、心まで幼くなられたわけではありません。どうやら、思うように言葉が出てこない、という状態のようです。
お嬢様ご自身、そこは難儀しておられますが、なにしろ原因もわかりませんので、どうすればいいのか見当も付きません。
ご当主様が仰るには、相手に対する緊張が影響しているのだろうとのことなのですが、お嬢様が私に対して緊張なさるとは、思えないのです。
ただ、相手によって言葉の量というか長さが違いますから、全く的外れということもないのでしょう。
11歳におなりになった今も、お嬢様は、お屋敷の外に出られることはありません。
6年経った今も馬車にはお乗りになれませんし、公爵家のご令嬢が徒歩で出歩くわけにもいきませんから。
ただ、ご自身が馬車に乗ることこそおできになりませんが、ご当主様が馬車でお出かけになるのをお見送りになられるまでに回復されました。
いずれは馬車に乗らざるを得ないこともあるでしょうし、徐々にでも慣れていっていただかなければならないのでしょうが、あの頃のお嬢様の怯えようを知っている身としては、そのようなこと、とても申し上げられません。
けれどお嬢様は、お屋敷の外に出られない分、刺繍やお菓子作りについては相当な腕前におなりです。
また、勉学の方も、家庭教師が舌を巻くほどだとか。
決して世間で噂されるような“か細い”深窓のご令嬢というわけではないのです。「深窓のご令嬢」というだけなら、当たっているのでしょうけれど。
鮮やかなブラウンの髪と瞳、きめ細やかな白い肌と、誰もが羨む美貌です。
もし外にお出になられたら、誰もが放っておかないでしょう。
たとえ何の権限も持たされないとしても、お嬢様の夫になれるだけで幸運と言えるでしょう。
お嬢様は、お庭の花壇を整えられることに並々ならぬ熱意を注いでらっしゃって、色とりどりの花を咲かせることに腐心されてらっしゃいますが、家中の者でも、慣れない者相手では思うように会話がおできにならないため、庭師に直接指示を出すのは、私の役目となっています。
これが、とても難しいのです。
お嬢様の中では、どこにどんな花を植えて、という絵面がおありなのですが、なにしろ私は花のことなどわからず、お嬢様が要望される花が何という名で、どこ産かなど、皆目見当が付きません。
しかも、お嬢様ご自身が、あるかないかもご存じでなく“こんな花があったら植えたい”という希望を仰るので、なおのことです。
庭師は、当然のことながら、主から言われるがままに庭を飾るわけですから、自分の知らないものを“こんなのが欲しい”と言われても、どうにもできません。
お嬢様は、「無理はしなくていい」と仰ってくださいますが、庭師が「どんな花かわかりません」と申し上げた時のあの落胆のお顔が痛々しくてならないのです。
お嬢様は、ご自分がうまく説明できないことを気に病んでらっしゃいますから、私に話が通じないせいだと思ってらっしゃるのでしょう。
そんなお嬢様に、とうとう婚約のお話が持ち上がりました。
第4王子殿下だそうです。大変優秀でありながら、側妃腹であるばかりに冷遇されているとの噂が漏れ聞こえてきます。
お嬢様は、いずれ婿を取ることはご承知なさっていらっしゃいますが、まさかお相手が王子殿下とは思われていなかったようで、不興を買わないか不安に感じていらっしゃるようです。
お嬢様のことを理解し、お支えいただける方であればと願わずにいられません。