裏8 あなたを支えて生きたい(ロック視点)
花束に入れられていた小花のお陰で、アーシュラル嬢とかなり打ち解けることができた。
彼女は人見知りするらしく、慣れてくると、段々会話も増えてくる。
どうやら、彼女は淑女らしい言葉遣いをしようとすると心が籠もらないらしいので、気取らないで話してほしいと言ったら、少し嬉しそうにして、本当に平易な言葉で話すようになった。素っ気ない言葉だけれど、そこに彼女の率直な想いが感じられて、とても嬉しい。
彼女は、「殿下もわたしと同じように」と言ってくれたけれど、悲しいかな、私は習い性というか、元々身を守るために誰にも丁寧に相対してきた癖があるから、ちょっと直りそうにない。
率直に向き合ってくれるアーシュラル嬢が眩しい。口下手で人見知りなのに、私にきちんと向き合ってくれる。
そんなことを思っていたら、アーシュラル嬢が自分を指して
「アーシュ」
と言った。
飲み込めずに聞き返したら、
「長いから、アーシュと」
と言い直された。
つまり、私に「アーシュ」と愛称で呼ぶことを許してくれるらしい。言葉を飾らずに話してくれることよりも、ずっと嬉しかった。私を、家族として認めてくれたことが。
なら、私も。愛称で呼んでほしい。
「では、私のこともロックとお呼びください」
私は幼い頃、母上からは「ロック」と呼ばれていた。
私が物心ついた頃は、陛下も「ロック」と呼んでくださっていたと思うけれど、今ではもう、私をロックと呼んでくれる人はいない。
母上や陛下が、私を第4王子としてでなく1人の子供として見てくださっていた頃の思い出だ。
アーシュラル嬢に、いや、私の妻となってくれるアーシュに、ロックと呼んでほしい。
「ロック…様…」
そうじゃない。私が欲しいのは、家族なんだ。
「ロ…ロック」
頬を染めて呼ばれ、思わず胸が高鳴った。
どうしよう、アーシュの顔をまともに見られない! こんな相手に巡り会えるなんて。
「あの、ロック? わたし、何か変だった?」
変だなんて、そんな!
この幸運を何かに感謝したい気分だ。
思わずアーシュの両手を握ってしまった。
「何も変なことはありませんよ! 嬉しかったんです。
あなたが婚約者なんだと再確認できたというか。私を愛称で呼んでくれる人は、今はいませんから」
「ロック。2人で居場所、作ろう」
本当の意味での家族ができるなんて、思わなかった。
政略結婚して、緩やかな監視を受けて。何もしないことで、身の安全を手にするのだと思っていた。
愛しいと思える相手に出会えるなんて、思ってもみなかった。
私の居場所。違う。私とアーシュの居場所。
口下手で、人見知りで、貴族の世界で生きていくのは辛そうなアーシュを支えてあげたい。
政治的には関われなくても、せめて夫として、心を支えてあげたい。
「ええ、一緒に」
アーシュの顔を見たくて、数日おきに顔を出す。
アーシュも、私の訪問を待ってくれていて、毎回、茶菓子を用意してくれる。
その茶菓子がまた、とても美味しい。
毒など入っているわけもない、愛しい人の手製の茶菓子。
気分的なものを差し引いても、貴族令嬢が趣味で作ったものとは思えない出来映えだ。
「これだけレパートリーがあってどれも美味しいなんて、店が開けるほどですよ」
お世辞のつもりなどなく、心から言ったのだけれど、アーシュは苦笑いして、首を横に振った。
「店を開くのは無理。
わたしのは、金に飽かした趣味でしかない。
こんなので採算は取れない」
アーシュが言うには、材料費が高すぎて、売り物にはできないのだそうだ。
店の経営なんてしたことがあるはずないのに不思議だと思ったら、領地経営のための勉強をしているんだそうだ。
アーシュの理念は、普通の貴族とは違っていた。
「領民の命は領主の財産。守ろうと努力することは、無駄な出費じゃない」
“領民の命は領主の財産”──それ自体は、よく聞く言葉だ。
ただ、普通は、そこから“どう使おうが、領主の自由だ”と続く。
そう、自分の財産だから、捨てようが使い潰そうが自由だと考えている貴族が一般的だ。
国を担う王族でさえも。
命の無駄遣いはさすがに避けるだろうけれど、積極的に守る努力をするなんて、ほとんど聞かない。
領民なんて、放っておいても増えるものだと思っているようで、自分の所有物を守るために財産を目減りさせるなんてことをしたがる貴族は、いないと言っていいだろう。
私は、以前、何かの折に、“民を守るために金を使うのは、必要な損ではないか”と言ってしまったことがあった。
その言葉は一部の官僚からは支持されて、それで私は政に生きる道もあるのではないかと思ったのだけれど。
結果として、命を狙われ、表舞台から消えることとなった。
けれど、消えるために選んだ逃げ場所で、アーシュに会えた。
“財産だから、それを守るために金を使うのは損ではない”──アーシュの考えは、私の考えもまた上位者の傲慢に過ぎなかったことを教えてくれた。
こんな素晴らしい人と一緒に生きられるなんて。
「アーシュは、理想的な領主になれますね」
けれど、アーシュはちっとも嬉しそうではなかった。
先日彼女自身が言っていたけれど、彼女は口下手で、しかもこんなに独創的な考えの持ち主だ。
きっと、他者の理解を得るのは難しいんだろうと思う。
もしかしたら、理解を得られずに苦労した経験があるのかもしれない。
彼女には、自信が足りないんだ。
誰の前でも自分の考えを胸を張って述べられるような、自信が。
「とにかく。
公爵家が使う材料は、立場上、いいもので当然。いい材料を使えば、おいしいのも当然。
わたしの腕が特別いいわけじゃない」
そんなことはありませんよ、アーシュ。
貴族の令嬢には、せっかくの材料を無駄にするしかできない方もいるのですから。
私は、まず、あなたの一番の理解者になりたい。
あなたは、私と一緒に居場所を作ろうと───一緒に生きていこうと言ってくれた。あなたを支えるには、あなたを理解することが必要だから。
「私は、アーシュのお菓子は世界一美味しいと思います」
あなたは、世界一素晴らしい女性ですよ。少なくとも、私にとっては。
私は、あなたが立派な領主だと誰からも認められるようにお手伝いします。ずっと。