裏7話 アーシュラル嬢の笑顔(王子視点)
裏7話としてはいますが、実質は6話と7話の王子視点となります。
アーシュラル嬢の同意を取り付けて、婚約は成立した。
これから、彼女との信頼関係を築いていかなければならない。
やはりあの庭は彼女が作らせていたものだそうだから、花は好きだろう。
花束を…婚約者のご機嫌伺い用の取り合わせなんて私にはわからないから、赤いバラを入れることだけ指定して、細かいところは侍女に任せることにした。
「次、聞いてきて、ください…この花。
庭に。欲しかったの」
驚いたことに、アーシュラル嬢は花束をことのほか喜んでくれた。
もっとも、喜んでくれたのは、バラではなく、隙間を埋めるために入れられた小さな花の方だったけれど。
聞けば、庭のアクセントにそういう小さな花が欲しかったのだという。
名前も何も知らないのに“欲しかった花”とは不思議な話だけれど、要するに、そういったものが欲しいというイメージに合うということなのだろう。
思わぬところで、彼女の興味を惹けた。
こんなことなら、花束に使われている花の名前を全部聞いてくればよかったという後悔が胸をよぎる。
ともあれ、せっかくアーシュラル嬢との会話の糸口を見付けたのだから、これを活かさない手はないだろう。花束からでは地植えはできないだろうから、花の名前と入手方法、栽培方法などを調べてくる約束をした。
これで、近日中にまた訪問する理由ができた。
とにかく何度も会って、打ち解けてもらおう。
焦らず、じっくりと。
花の名前などについてはすぐにわかったけれど、育てられるような状態で手に入れるのは、結構大変らしい。
この前のは切り花で入ったらしく、その大元は船便で届いたものだそうだ。
花が咲く時期などの関係などもあって、次に入るのは来年になるみたいだ。
困ったな。
私から頼んだら、船便の仕入れ主から残っているものを手に入れられるだろうか。
少しばかり無理を言ったが、100株ほど手に入った。
使う予定があって残していたものらしいけれど、主に花束などの脇に入れる花なので、さほどの金額ではないし、代替品もある。十分に補償してやったら、あっさり譲ってもらえた。
喜び勇んでアーシュラル嬢に届けたら、もちろん喜んでくれたけれど、譲ってもらった経緯を話した途端に顔を曇らせた。
別に、自慢をしたつもりはなかったんだけど。
「横からはだめです」
「え? 横から?」
「王子が譲れと言ったら、断る人はいません。
補償したからといって、穴が埋まるとは限らない。泣き寝入りかも」
正直、彼女が何を言っているのかわからない。私はこれでも王子なのだし、私にものを売ったことは、店にとっては誉れになる。代金以上の金も払ったし、泣き寝入りさせるような非道なことはしていないのに。
けれど、彼女は、目に涙を溜めながら言い募った。
「信用は商人の命。でも、王子が言えば従う。
贅沢品を使うことは、職人を養う。だから、それはいい。でも、横から奪うのはダメ。商人を潰す」
もしかしたら今までで一番長く喋ったかもしれないくらい必死に、彼女は食い下がった。見も知らぬ商人を思って、涙まで溜めて。
正直言って驚いた。公爵家の令嬢であるアーシュラル嬢が、商人のことを考えられること、経済について詳しいことに。
もう少し詳しい話を聞きたいけれど、まずは誤解を解こう。
「大丈夫です、アーシュラル嬢。この花は、花束などの隙間埋め用に用意されていたものですが、これでなければならない理由はないのです。
代替品はすぐにも用意できますし、それに見合う以上の代金を支払いました。
これで商人が困ることも、信用を失うこともありません」
説明すると、目に見えてホッとしているのがわかる。ずいぶん感情表現が素直なのだな。
「それなら、よかったです。
ありがとうございます」
深々と頭を下げたアーシュラル嬢が顔を上げると、満面の笑みだった。
安心したのと、欲しかった花が手に入ったのとからくる笑顔だろう。こちらが赤くなってしまいそうなくらい眩しい笑顔だった。
アーシュラル嬢は、花の礼だと、手作りの茶菓子を振る舞ってくれた。
貴族の令嬢にはお菓子作りを趣味にしている方も多いと聞くが、それはあくまで趣味の範疇とされている。
彼女のケーキは、趣味の域を超えているだろう。
お菓子作りが趣味だとは聞かなかったが。
「とても美味しいです、アーシュラル嬢。
お菓子作りが趣味とは知りませんでした」
「外に出ないから」
そう言って力なく笑う彼女は、少し悲しそうだった。
そうか、馬車に乗れないから、屋敷の中でできることしかできないということか。本人としては、嬉しくないかもしれないな。
「そうすると、あなたのケーキを食べるのは家族を除けば私が初めてですか?」
「初めて」
「光栄ですね」
「これは、殿下のために作った」
「それは! 光栄です」
「ところでアーシュラル嬢、先程の“贅沢品を使うことは職人を養う”というのは、どういう意味ですか?」
先程の疑問をぶつけてみると、アーシュラル嬢は顔を少し赤くして答えてくれた。
「手の込んだレースも、高級な布地も、使う者がいてこそ作られる。
作り続けないと技術は廃れるし、材料を作る者もいなくなる。
だから、貴族は少し贅沢して、職人を守らないといけない」
「少し贅沢、ですか?」
「贅沢しすぎると、出納が合わなくなる」
「出納?」
「支出は収入より小さく。こんなので増税はだめ」
ああ、そういうことか。
すごいな。11歳でそんなことがわかるのか。私もそこまでは考えたことがなかった。
「あなたが公爵になったら、領民は幸せですね」
そう言うと、アーシュラル嬢は顔を横に振った。
「思ったように動かすのは難しい」
「あなたが言えば、みんな動くでしょう」
「うまく通じない」
ああ、そうか。王子でさえ習ったことのないようなことを考えているアーシュラル嬢の言葉を、使用人に理解させようというのは難しい。特に、アーシュラル嬢は口下手だ。
あの端的な物言いでは、伝わりにくいだろう。
そうだ。
「アーシュラル嬢。できれば、あなたの考えを私にも教えていただけませんか? 私が理解できれば、私から周囲に説明することもできます。
私は、ほかの方々よりは理解が早いと思いますよ?」
「なら、今度」
「ええ。何かありましたら。
それまでにも、会いに来てよろしいですか」
「あ、はい」
「それでは、また近いうちに」
アーシュラル嬢の役に立てれば、私にも生きる意味があるかもしれない。