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Fail059

 六時間目の社会の授業が終わった、金曜日の放課後。


 週最後の授業が終わって安堵の息を()く生徒の波に交じって、ある人はさっさと校門を後にして家や塾に急ぎ、またある人は部活動に遅れまいと廊下を走る。

 一週間を締めくくる最後の喧騒が、学校中に取り留めのない空気を漂わせる。

 校内にはいつの間にか、吹奏楽の自主練習が奏でる雑多な音色が響いていた。下駄箱を襲ったざわめきは去り、校舎の中はまた静かになる。



 三年二組の教室から一人で出てきた華奢な少女飛奈(ひな)は、どちらかといえば前者であった。

 塾に行く予定もなければ、友達と遊びに行く予定もない。

 部活動に参加する気もない、委員会活動もやっていない飛奈は、おとなしく帰宅するだけだった。

 とはいえ、別段急ぐ用があるわけでもない。早く帰るに越したことはないが、それで下駄箱の帰宅ラッシュに巻き込まれてもみくちゃになるくらいなら、少し時間をずらしたほうがマシだろう。

 そんな考えで、飛奈は今まで教室に独り残って読書を楽しんでいた。

 とはいえ、飛奈は読書家ではない。

 むしろ活字など苦手で、普段読むものといえば少年漫画か少女漫画くらいのものだ。最近巷で流行っている、気軽に読めると話題のケータイ小説さえ読もうと思わない。ハードカバーなどは読書感想文を書くため年に数度嫌々開くだけ。

 それでも飛奈がその文庫本に目に通したのには、それなりの理由があった。

 それは、


「お。鴇然(ときぜん)、いま帰りか?」

「え? ──あ、(おおとり)


 考えながら階段を降りようとしていた飛奈を呼びとめたのは、背の高い細身の少年だった。

 飛奈も持っている学校指定の鞄のほかに、紺のスポーツバッグを背負っている。

 飛奈は声のした方向へ首を回してからようやく、上の階へ通じる階段から声をかけられたことに気づいた。

 いかにもスポーツマンといった風体の少年はそのまま飛奈のところまで降りてきて、横に並んだ。

「途中まで一緒に行くか」

「いいわよ」

 飛奈が短く返答して、二人は下駄箱までの道を歩幅を合わせて歩く。

「今日は部活?」

「いや、部活はこないだ引退した。たまに様子は見に行くけど、そもそも今日は練習日じゃないからな」

「そういえばそうだったわね」

 一階廊下の掲示板には、「体育祭準備期間中の諸注意 ~練習場所について~ ルールを守って楽しもうぜ!」だの「有志集え! 学園祭のステージでダンスや歌、漫才などの芸を披露したい方は、生徒会室までどうぞ」などの文字が踊る。

 飛奈はちらりとそちらに目をやって、

「文化祭、今年はなにかやるの?」

「え? いや、特に予定はないな。後輩が大変らしいから水泳部の手伝いちょっと入って、あとはライブとか屋台とか、興味あるとこ回るぐらい」

「そう」

 飛奈はちょっぴり嬉しそうにうつむいた。

「おまえも、いつも通り大して用事とかないんだろ?」

「そうね。クラスの友達がやってる屋台とか、ちゃっちいお化け屋敷に行くくらい」

「そのちゃっちいお化け屋敷をやってるのは俺たち水泳部だよこの野郎」

「そうだったわね。クオリティを上げるように、後輩に指導しておいてね」

 相変わらずの毒を吐きながら、飛奈の視界の奥は下駄箱の(すのこ)を捉えた。

 少年は、呆れたようにはーっと大きくため息を()いて、

「おまえ、変わんねえな……。内心すげーびびってるくせに、強がりやがって」

「学生のやるお化け屋敷ごときで、怖がるわけないじゃない」

「一年のときシーツかぶった俺におどかされて、びーびー泣き出したのはどこのどいつだ」

「…………」

 飛奈の顔が心なしか赤くなって、その視線はばらばらと宙を漂い始めた。少年は畳みかけるように、

「それから去年もひどかった。おまえの悲鳴にびっくりして、客足がしばらく少なくなったんだぞ。後は……そう、スキー実習のときの肝試し。あん時もおまえ……」

「わ、わかった! わかったからもう言うなっ」

 飛奈があわてて、目一杯腕を伸ばして少年の口を塞いだ。

 少年は飛奈の行動に驚いてから、その細い手首をぱっと掴んで、腕ごとぐいっと下に下ろす。

「はいはい、言わねえよ」

「ぐぅ………」

 低い位置から睨む飛奈の視線は無視して、少年はまっすぐ下駄箱へ向かう。

 ふてくされたような顔の飛奈がその後に続いた。


 クラスの同じ二人は、同じ棚の離れた場所に自分の上履きを入れて、上下に区切られた下のスペースから下履きを取り出した。

 飛奈がいま履いたのは、紺色と白を基調としたスニーカー。学校指定の〝華美でないもの〟だが、飛奈にとっては重要なコーディネートの一つである。

 少年の下履きは、シンプルな白の運動靴だ。作りはしっかりしているが、その体積の分、足が重そうに見える。側面には、有名なスポーツ用品メーカーのロゴが入っていた。

 どうしてそんな面倒な物を履いているのかと飛奈が尋ねると、

「いつものスニーカー、泥跳ねちゃって洗濯中」

 少年はそう簡潔に答えた。

 昇降口に近づくと、もう外からはいくつかの運動部の発する声や音がわずかに漏れてきていた。

 レンガ敷きの地面を踏んで、わずかな段差を降りる。顔を夕日のほうに向けると、運動場が見渡せた。

 夕暮れを背に今日も練習を重ねるスポーツマンたちは、威勢よく声を上げながら運動場を走り回っている。

 十数から数十人規模の少年たちが、中には少女も交じって、大きさもそれぞれの球を投げたり、蹴ったり、追いかけたり。運動場の部室棟に面したところでは、陸上競技部が体力づくりを行っている。

 そのどれもが真剣な表情で、程よく息を切らしていて、少なくともへらへらと笑っているような輩は見受けられなかった。

 そんな光景を、校舎を出たところで目にした少年は、

「……そういやおまえ、結局あんまり部活に来なかったよな」

 ぽつりとそんなことを呟いた。

「え?」

 突然振られた話題に驚いて、

「………ああ、そうね。……たしかに、行かなかくなったわね」

 飛奈は(さみ)しげに肯定する。


 自転車を押しながら戻ってきた少年を隣に迎えて、二人は校門まで歩を共にする。

 途中、女子バレーボール部を引き継いだ一、二年生たちがランニングしているのに出くわした。

 校舎と運動場との間にあるレンガ道を、手をポケットに突っこんで歩く少年は、オレンジ色に染まった空を眺めながら、

「おまえ、退部届け出してないだろ」

 そんなふうに話しかけた。

「そうだったかしら」

「そうだよ。なのに引退もしてないから、おまえまだ水泳部に所属したままなんじゃねえの?」

「そんなわけないでしょ。さすがに卒業生の名前が来年まで残ってるわけないし、この間森賀(もりが)先生にも伝えたもの」

「え、そうなのか。相変わらず手が早いな」

 小柄な飛奈(ひな)に歩幅を合わせて歩く少年が、その頭を見下ろしながら舌を巻いた。

 風に吹かれて、飛奈のうなじにかかった黒い髪が少し暴れた。

「なあ鴇然(ときぜん)。おまえが部活に来なくなったのって、いつ頃だっけ? ……ってか、この話題って訊いてよかった?」

 少年は好奇心に駆られて尋ねてから、思い出したように律儀に了承を取った。

「気にしないわよ」

 対して飛奈はそっけなくそう返答する。

「そうね。あんたに(そそのか)されて一年の夏休みが始まるまでに入部して、合宿行って大会も行ってだから……二年の冬あたりから、足を運ばなくなった気がする」

「二年の冬? ……ああ、そうだ。そういえば修学旅行の時期だったっけ」

 修学旅行、と聞いて、飛奈はわずかに顔をしかめた。

「なんか部活に来られなくなる用事でもできたのか?」

「べつに」

「じゃあ、親に行くなって言われたとか」

「うちの両親はそんな厳格じゃないわよ」

「うーん」

 少年は顎に手を当てて、(しば)し考えた。

 やがて、言いにくそうに、

「それじゃあ………なんか、嫌なことでもあったのか?」

 真剣味を帯びた声色で、そう尋ねた。

 飛奈も少し考えてから、

「そうかもね」

 返したのは曖昧な答えだった。


 校門前のロータリーには、ぱらぱらと自転車に乗った生徒やそうでない生徒がいて、それぞれが思い思いに帰路へ就こうとしていた。

 小柄な飛奈(ひな)と背の高い少年も、例外なくその中に埋もれていた。アンバランスな組み合わせは少なからず人の注目を集めた。

「じゃ、俺こっちだから。またな、鴇然(ときぜん)

「うん、また」

「おう」

 少年はにかっと笑うと、自転車にまたがって校門に面した広い道路を右に曲がろうとする。

「…………」

 その背を、飛奈はじっと見つめた。

 黒い学生服に身を包んだ少年の身体が、同じ制服姿の少年少女の波にかき消されながら、推進力を得て加速し始める。

「……ねえ!」

 とっさに、飛奈はその背に向けて声をかけていた。

「ん?」

 少年が前進をやめて、後方を振り返る。その横顔は、どこか楽しげに見えた。

 身を引き裂くような思いを堪えて、飛奈は声を力一杯振り絞る。

「きょ……今日、これから、よかったら! ……折り紙教えてくれない?」

「……?」

 少年は、飛奈のいつもと違う様子に不思議そうに首を傾げた。表情、仕草、声色も、飛奈のいつも見せない姿の片鱗(へんりん)がそこにあった。

 少年はサドルから腰を上げ、自転車の頭を持ち上げてUターンさせると、まっすぐ飛奈の前まで戻ってきた。

 数秒間、少年と飛奈の視線が交差する。

 それから、

「なに言ってんだよ」

 ──泰紀は笑顔で、飛奈から桜色の表情を刈り取る一言を告げた。

「金曜は那色(なしき)んとこ行くって、前から言ってるじゃんか」



 * * * * *



 飛奈(ひな)の足は、自宅には向かわない。

 通学路も帰路も外れて、飛奈は路線バスの一席で凸凹(でこぼこ)道の起伏に揺られていた。坂が多いせいもあって、道そのものの高低も激しい。

 林道を抜けると、窓ガラス越しの飛奈の視界に光を散りばめた広い海が飛び込んできた。一気に燃えるような夕日が広がって、飛奈は眉を寄せる。

 この街は港町だ。小さいが漁港も、海水浴場もある。

 飛奈は独り、埠頭(ふとう)の一つが見下ろせる岬へと、普段乗りもしないバスの座席に背を預けて向かおうとしていた。

 がむしゃらに家出、というわけではない。

 飛奈にはきちんと目的がある。そのために、今日のこの一面の夕焼けが終わらないうちに、足を運ぶのだ。

 いま、バスの降車ボタンを押した。車掌の声がそれに応じる。手首に巻いたパールピンクの腕時計の盤が午後五時二十五分を指していた。

 飛奈は最後に、自分の鞄の中に絹のような和紙で折られた紙飛行機があるのを、手で触って確認した。

 賃金を支払って道路沿いに足をつけ、


「………待ってて、(おおとり)

 瑠璃色の岬へと、その足を向ける。

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