Fail503
からりと晴れた昼下がり。
「なんで体育の授業ってお昼終わりにあるの?」
「それは俺も疑問だけど、だからって乙女が校庭のど真ん中で大の字になるんじゃない」
体操服姿の少女と少年は、同じ姿の同級生たちに交じって創作ダンスの練習を──していなかった。
「そもそもね、〝伝統創作ダンス〟ってなによ。毎年創作するんなら、伝統でもなんでもないじゃない。なにが受け継がれてるのよ」
愚痴をこぼすのは、臙脂色の襟首と短パンの体操服の間から細い腰とへそを覗かせる小柄な少女だった。名前は飛奈。
地面に座り込み、ふてくされたように指先で黒いショートヘアーの先をいじりながら目の前の少年に苛立ちをぶつける。
「あと、あんたが相手なのも気に食わない」
「三曲中、一曲だけだろ。真ん中の一曲。最後までペア作らなかったおまえが悪いんだから、文句言うなよ」
腰に手を当てて少女をたしなめるのは、身長一七〇センチメートルは優にある少年だ。
服装はサイズ以外少女と同じ。細身だが筋肉質で、特に肩回りや背中を覆う部分の白い生地が、少し押し上げられていた。
「鴇然、おまえそういえば去年から今年のダンス嫌だって言ってたな。ダンス苦手だったっけ?」
ぐ、と飛奈の歪んだ唇から悲鳴が漏れた。
少年から視線を逸らしつつ、飛奈は体育座りになって膝に口元を隠す。
「だって……リズムに乗って身体を動かすの、ニガテなんだもん」
少し離れたところからは、楽しげな男女の笑い声が聞こえる。
「歌うのは得意なくせに、踊るのは下手なんだな」
「それは関係ないでしょ」
「怒るなよ。なんとなく思っただけだってば」
運動場と校舎の間にある、街路樹を囲む縁石から軽快な音楽が流れてきた。
ラジオカセットから流れるCDの音声だ。音声を流しているのは体育祭の華、全校生徒を四色に色分けしたうちの〝緑〟の団を取り仕切る幹部の一人だった。遠目に、長い髪の女生徒だということがわかる。
流れているのは、人気女性アイドルグループが今月リリースした新作J-POP。今年の緑団の課題曲の一つだ。
運動場でばらばらに自主練習をしていた緑団に組分けされた三年生の男女が、曲に反応して身構えた。
少年もへたり込む飛奈に手を差し出して、
「ほら、踊るぞ」
「うー……」
いつになく弱気な調子で、飛奈はその手を取って渋々起き上がる。振り付けの初め、男女がそれぞれ左右に並んだ位置から始まるのを思い出して、飛奈は少年の右隣に移動する。
曲が始まれば、二人は同時にステップを踏んで、円を描くように腕を組んで回る。その先は曲のサビに合わせて飛び跳ねて、ボックス。
手順を頭の中で並べていく。
「……そうだ。歌いながら踊ってみれば、リズムに乗れるんじゃないか?」
「え?」
そんな作業の最中、前奏の途中。もうすぐダンスが始まる、というところで、少年が思いついたように声を上げた。
「おまえもこの曲知ってるだろ? もう何回も練習で聞いてるし、テレビでもよく流れるし」
「え? で、でも……そんな、ノリノリで踊るなんて、なんか恥ずかしいし。そういうの、キャラじゃないというか……」
「なに言ってんだ。せっかくの体育祭なんだから、弾けるだけ弾ければいいじゃんか! それよりも下手くそなダンス見せて大勢に笑われるほうが、嫌だろ」
「えっ、ええぇー……っ?」
飛奈が強い説得に戸惑っているうちに、ステップを踏む時間が迫る。
* * * * *
「し、死にたい……」
曲が終わったあと、その場にうずくまって飛奈は呻いていた。
周りの同級生が、足でもくじいたのかと心配そうな視線を送るが、今の飛奈にはそれが奇っ怪なものを嘲笑う視線に思えて仕方ない。
「もう、消えてなくなりたい……」
「まあ……ジュニアアイドルばりの笑顔で一曲丸々歌いながらノリノリで踊りきったのには、尊敬っつーか、同情するけど」
「ジュニアは余計よこのノッポ……」
少年を罵る言葉にも元気がない。
少年は飛奈をなだめるようにぽんぽんと丸まった背中を叩いて、
「で、でもほら、ちゃんとリズムとれてたじゃん。ダンスも歌もそこらのジュニ……アイドルぐらい上手だったし、落ち込むことないって。周りの奴は誰も気づかなかったみたいだしさ」
「………あんたに見られたのが恥ずかしいのよ唐変木」
「なんだって?」
飛奈の顔を挟んだ白い脚に邪魔をされて、くぐもった声は少年には届かなかった。
「なんでもない」
顔を上げ、飛奈は高いところにある少年の顔を見上げた。飛奈の目には、どこか不安げな色がにじんでいた。
何度か目を瞬いて、視線を泳がせてからもう一度少年を見据える。
きゅっと結んだ唇を、決意の表情と共に開く。
「あの……さ、話なんだけど、」
「そういやおまえ、変わったよな」
飛奈の声を遮って、少年は懐かしそうにそう言った。
発言を遮られたことに飛奈は顔を曇らせたが、今回は噛みつかず、おとなしく会話に応じる。
「そう?」
「一年の頃はもっとこう、大人しかったっつーか、なんか初々しかった? のにさ」
「いまは?」
「こんなに可愛げなくなっちゃって」
「蹴るわよ」
睨んで、飛奈は屈伸運動をする要領ですっくと立ち上がる。
立っても、身長差は縮まらない。飛奈は本当に蹴られるのかと焦る少年を上目に見つめて、
「可愛げがある女子のほうが、好きなの?」
「え。当たり前だろ」
少年は当然、というふうに、ほとんど反射的に言葉を返す。
「そりゃ、可愛げあるほうが女子は人気出るし、普通の男子は好きだと思うけど」
「知らなかった……。あんた変な奴だから、てっきり女の子の趣味も変わってるのかと」
「そろそろ怒るぞ」
言って、少年は運動靴の紐を結び直した。
「じゃあ俺、そろそろ向こう行ってくるわ」
「なに? 私のこと、見捨てる気?」
「ちがうわ。那色んとこだよ」
ぴくっ、と少女の肩が震えた。
「俺の第三ダンスの相手、あいつだからな。おまえも部活に来なくなるまえ、何回か話したことあるだろ?」
「……そうね」
「三曲とも振り付け考えたのあいつだし、組めてよかったよ、ホントに。教え方うめーわ、やっぱ」
「…………」
飛奈は肯定も否定もしなかった。
「なんかあいつ、キラキラしてるよな。部でもキビキビしてるし、委員長やってるし、体育祭の幹部だし。そうそう、去年は生徒会入ってたっけ。なんか生活が充実してるっていうか……かっこいいよな。憧れちゃうよ」
「…………そう、かもね」
「ん、それじゃあな。次三つ目やるんだから、おまえも自分のペアと練習しとけよ。一つ目は個人だからともかく、ステップややこしい三つ目でペアに迷惑とかかけんなよ」
「あ……待って。今日の放課後も、折り紙折る?」
「いや、今日は金曜だから。やめとくわ」
そう言い残すと少年は背中越しにひらひらと手を振って、CDラジオカセットを操作する女生徒の元へ、走って行ってしまった。
「飛奈。どうしたの? ぼーっとして」
声をかけたのは、同じクラスの友人だった。
「……なんでも、ない」
「そう? じゃ、早速練習しよっか。三個目は難しいから、たくさん練習しないとね!」
「そうね」
意気込んで髪をポニーテールに結ぶ友人に、そっけなくそう返す。
少女は、運動場の端から校舎を見上げた。
手前にある教室棟二階の、左から二つ目の教室にあたる窓をじっと眺める。
そこに置いてある自分の鞄の中には、あの白い紙飛行機が眠っているはずだ。