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Try503

 少女が目を開けると、そこは見慣れた教室だった。

 見慣れたクラスメイトの面々が、聞き飽きた会話で盛り上がっている。



「おはよう飛奈(ひな)。授業の後半からずっと寝てたよ?」

「そういや寝不足って言ってたっけ。あんたが遅くまで勉強なんて考えらんないし……また折り紙でも折ってたの?」


 少女の起床に気づいた友人が、茶化すように声をかけてきた。

 少女は小さくあくびをして、一緒に出てきた涙をこすって、めんどくさそうに言い返してやった。


「今どき誰が折るのよ、あんなもん」




 次の授業は英語だった。

 飛奈の一番嫌いな科目。

 三年二組の教室、その前から二番目、右から二番目の席で飛奈は困ったように眉を寄せた。

 英語の授業は週に四日あって、曜日によって違う三人の先生が教えてくれる。

 その中でも、今日は一番嫌な曜日だ。

 飛奈は教壇に目をやる。

 鼻につく喋り方をする厚化粧に眼鏡の教師は、開口一番、低い声でこんなことを言った。

「英語はね、やっぱり言語ですから。テキストを読んで手で書くだけじゃ身につきません。なので、今日はグループワークを行います。いつもの班に分かれて、先週習ったユニットのトピックについてディベートしてみましょう」

 飛奈は嫌な顔を見せた。

 この教師は()の強いことで有名だった。生徒がほかの授業の宿題が多いからと申し立てても頑として宿題の量は変えないし、いくら授業進度が遅くても定期試験の出題範囲は狭めない。

 そんなことが続いて、夏に差しかかるころにはクラスの全員がこの教師にうんざりするようになっていた。

 飛奈からしてみれば、まず教科書をテキストなんて横文字で表現することが苛立たしかった。

「ほら、班に分かれて。机は移動させなくていいから。テキストの五十ページからですよ」

 中年女性教師の急かす声が飛奈の耳にも届く。

 突然ディベートと言われても、素直に積極的に動く生徒はいないだろう。そう(たか)を括って飛奈は自分から動こうとはしなかった。

 やがて、渋々といった様子で、ぽつりぽつりと教室の中に会話が生まれ出した。初めは不平不満のようなものだった。五、六人が組になり、各所で生まれた雑音みたいなざわざわが大きくなって、会話の輪は教室を虫食いのように広がっていく。

 その波はもちろん、飛奈の席の辺りにも伝播してきた。

「えー。これって英語で言わないとダメなの?」

「だるー」

「え、何について話すの? これ」

「あんた教科書開きなよ。先週やったとこって言われたでしょ」

 飛奈の周りの席の生徒たちが、そんな会話を始めた。

「………」

 飛奈は重く溜め息を()いて、手近にいた女生徒に声をかける。

「ね、話題、なに?」

「あんたもか。人に訊くまえに教科書開けろ教科書」

 むう、と膨れて、飛奈はぱらぱらと教科書のページを(めく)った。

 なんとなく見た覚えのあるようなページを探す。

「えーっと、〝英語がいかに学ばなくてもいい教科か〟?」

「英語の授業でそんなこと教えるか」

 隣の席の女生徒が飛奈の頭を教科書で小突いた。

「いたー。じゃあ、〝タスニマンデビルの生態系〟?」

「違うでしょ。それは先々週だし、タスニマンじゃなくてタスマニアンだし。じゃなくてその次、ほら」

 見兼ねて、女生徒が隣から飛奈の教科書を何枚かめくって、

「あんたの好きなこれよ」

「…………」

 飛奈の顔が一層曇(くも)った。

 中学三年生用、文科省検定済の、恐らくは全国で最もメジャーな英語の教材。

 その半ば、五十ページの見出しに大きく記されていたのは、「Unit 8 origami」の文字。ご丁寧に、色とりどりの千羽鶴の写真まで載せられていた。

 飛奈はうへぇ、と机に項垂(うなだ)れて、

「……これならまだ、タスニマンデビルのほうがよかった」

「タスマニアンね。あんた折り紙好きなんだから、ディベートで話せることいっぱいあるでしょ?」

「誰が好きよあんなもん」

 ふん、と飛奈がわざとらしく鼻を鳴らす。

 すると、

「あんなもんとはなんだよ、鴇然(ときぜん)

 後ろから、(とが)めるような声が割り込んだ。

 男子生徒の声だった。

「なによ」

 飛奈は一々そちらを見ることもなく、どころか一瞥(いちべつ)すらせずに言葉を返す。

「なによとはなんだ。よくもまあ、教えてもらってるやつの目の前で折り紙を馬鹿にできるな」

「あんたこそ、なにが〝いいかげん不器用(ぶきっちょ)な手先直せ〟よ。えらそうに」

「いつの話してんだよ」

「昨日の放課後よ。もう忘れたの? このとんま」

 暴言の応酬が続く。

 飛奈と、飛奈を鴇然と呼んだ男子生徒は今にも互いに掴みかかりそうなくらい睨み合っているが、周りの反応は芳しくなかった。

 クラスメイト、特に班員からしてみれば、〝いつも通りか〟というのが正直なところだった。

「飛奈って、毎日放課後になると教室で(おおとり)くんに折り紙教えてもらってるんでしょ?」

 険悪な雰囲気を無視して、女生徒の一人がにやにや笑顔で横槍を入れた。

 二人は同時にそちらへ振り向いて、

「こいつがどうしてもって言うから」

「こいつがどうしてもって言うから」

 二人の声が重なった。

「………」

「………」

 前後に並ぶ二人が、横目で鋭い視線を交わす。

「仲いいねえ」

 女生徒の茶々に、

「どこが!」

「こら、静かになさい! どうして、英語のディベートが日本語の口げんかになるんです!」

 飛奈が怒鳴ったところで、眼鏡の中年女教師が班全体を叱りつけにやってきた。



「あんたのせいで怒られたじゃない」

「おまえが人を(あお)るようなこと言うからだろ」

 その日の放課後。

 ほかのクラスメイトがみんな帰ったあとの教室で、ぽつんと二人残った飛奈(ひな)と少年は折り紙を折っていた。

 飛奈が椅子ごと後ろを向いて、少年の机の上で二人は正方形の紙を手順通りに折り進める。

 セーラー服の少女──鴇然(ときぜん)飛奈は小柄かつ華奢(きゃしゃ)で、身長は一五〇センチメートルに届かないくらい。

 ショートの黒髪には取り分けおしゃれを気にする様子はないが、健康的な(つや)が少女の魅力になっていた。眉に少しかかった前髪の下には、無愛想な栗色の瞳が覗く。

 飛奈と向き合う学生服の少年は、対象的に背が高く、飛奈よりも表情豊かだった。

 ツンツンと立った髪は短く刈り込まれ、目尻はやや切れ長。線の細い体型だが、制服を下から盛り上げる筋骨は十分に鍛えられているようだった。

 飛奈が手がけるのは赤の、少年が手がけるのは青の折り紙だ。両方とも裏面は白。

「おまえ、折り紙嫌いなの?」

 爪を使って紙面にまっすぐの折り目をつけていた少年が、折り紙に目を落としたままそう尋ねた。

 対して、飛奈も手元に目を落としたままで、

「べつに。好きとか嫌いとかじゃない」

「? なんだよそれ」

 少年は小さくぼやいた。

「ここ、どうするの?」

「ん? ああ、そこはこっちを手前に持ってきたほうがやりやすいぞ。貸してみ」

 少年は飛奈の手から作りかけの折り紙を受け取ると、自分が折っていたものを何行程か前まで戻して、横に並べて比較しながら飛奈が悩んでいたところまで進んでみせた。

「オッケー?」

「うーん。オッケー」

 確認の声に、飛奈は曖昧な肯定を返した。

 折り目のついた自分の折り紙をもう一度手にとって、さっき少年がしたとおりに折り進める。

「お、できた」

「ちょっとずれてるけどな」

「それくらいいいのよ。細かい男は嫌われるわよ?」

「折り紙と性格は関係ないだろ」

「さあねー」

「………」

 適当な調子で言う飛奈の横顔に、少年は呆れ顔を作った。

 作業を進めるその手つきは、年月を経て慣れてきたものの、まだどこかぎこちない。

「もう二年近くやってるのに、そんなに上達しないもんだな」

「うるさい。人間にはね、得手不得手ってのがあるのよ」

「まるで俺が人間じゃないみたいな口振りだな。……よし、できた」

 会話の傍ら、少年はつつがなく折り紙を一つ完成させた。

 少年が青と白の一枚の正方形をものの数分で成形してできたのは、ペンギンの親子だった。形からしてコウテイペンギンだろうか。大人のペンギンの足下に、小さな頭がちょこんと覗いている、なんとも和やかな風体だ。

 特に秀逸なのは、表裏の色の違いをうまく利用してペンギンの背と腹を表現している点だった。

 丁寧に折ってあることはもちろん、単純な形の正確さを通り越して、今にも動き出しそうな躍動感まで感じられた。

「はいはい、上手上手」

 飛奈はまだ、自分の分に四苦八苦している。

 手を動かす合間にちらりと少年の秀作を見て、小さく舌打ちをした。

「聞こえてるぞ」



「そういや、二時間目の英語のディベートの話だけど」

 時折折り紙の手順に悩む飛奈(ひな)に口出ししながら、少年は口を開いた。

 運動場に面した窓からは、微かに運動部の喧騒が教室まで届いていた。

「ああ。結局まともにディベートはしなかったわね」

「おまえだけな。で、おまえは聞いてなかっただろうけどさ、折り紙って英語で〝folding paper〟って言うんだよ」

「フォールディングペーパー?」

「そう。〝折り畳み式の紙〟って意味」

「ふーん」

 大して関心もなさそうに、飛奈は鼻を鳴らした。

「でも教科書には〝origami〟って載ってたけど?」

「それこないだ先生に聞いたら、〝日本発祥ってことを強調したいときは、日本語をそのまま英単語にすることがある〟んだってさ」

「あんた、相変わらずそういうの好きよね」

 呆れたように、飛奈が嘆息した。

「私は英語にも折り紙にも、そこまで熱意持てないわ」

「相変わらず失礼な奴だな」

 飛奈の手元から目を離さず、少年はふと思い出したように尋ねた。

「そもそも、おまえなんでずっと、俺と折り紙なんてやってるんだよ?」

「………、」

「俺たち今年受験生だろ? 俺は水泳で推薦貰うのも考えてるけど、そっちは普通に受験一択だよな。勉強しないでいいのかよ」

 飛奈はしばらく答えなかった。

 答えず、自分の指先がつたなく紙を折っていくのをじっと見つめていた。

 少年が怪訝(けげん)な顔をしたのが見えたが、飛奈はすぐに答える気にはなれなかった。

「……無視かよ。ほんと、おまえってよくわかんないよな」

「…………」

「一年から同じクラスで、一年からずっと折り紙教えてるけどさ。俺がおまえについて知ってるのって、学年上がって性悪女に大変身、ってことくらいだぞ」

「………そこからやり直せたら、一番よかったのかもね」

 ぼそりと、か細い声が飛奈の口から(こぼ)れた。

「は?」

 キン、と金属音が運動場のほうから響いた。

 蚊の鳴くような言葉の内容をよく聞き取れず、少年は思わず訊き返す。

「いま、なんて言ったんだ?」

「なんでもないわよ」

 堅い声でそう告げると、飛奈はおもむろに立ち上がった。その指先が、少年の作ったペンギン親子の隣になにかを置く。

 少年がそちらに目を向けると、青いペンギン親子の隣には、赤いペンギン親子が並んでいた。

 少年の作ったものに比べれば折り方も甘く、完成形も整ってはいなかったが、しかしそれもきちんとペンギンの親子に見えた。

 二つの色違いのペンギン親子を眺めて、それから飛奈の顔を見上げた少年に、飛奈はたった一言。

「また明日ね」



 * * * * *



 冷たい風の吹くなかを、飛奈(ひな)は独りで歩いていた。

 野球部が練習する運動場を高く囲むフェンスの脇をやがて離れて、細い小道へ足を進める。早足で砂利を踏みしめる。

 空に雲は多いが、鮮やかなオレンジ色は空の隅々まで十分届いていた。

 飛奈が夕日に背を向けて歩いていると、自然と東の空が目に入る。

 その端では、すでに夜が始まろうとしていた。

「……うまく、いかないと怒るからね」

 肩に担いだ鞄から顔を見せるのは、真っ白の紙飛行機。



「……なんなんだよ、あいつ」

 机に並んだ赤と青のペンギン親子をいじりながら、少年は教室の前にかかった時計を見た。

「やべ、塾の時間だ」

 少年は慌てて立ち上がって、いつも通り、青いペンギン親子を一つ前の席の机の中に入れておいた。

 そして赤いペンギン親子を麻の巾着に入れて、自分の鞄の中に丁寧にしまって、教室を後にした。

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