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ジャンク・ヤード  作者: ヒルナギ


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29/39

晴女VS雨男

僕らは食卓を挟んで、向かい合わせに座っていた。

少し丈の高いテーブルと椅子。

いつも、バーのカウンターに座っているような気になる。

ただ未成年の僕はもちろんバーになんて行ったことはないのだから、想像に過ぎないんだけれど。

エルは、その少し高い椅子に座って足をぶらぶらさせている。

夏の空みたいに鮮やかな水色のワンピースの裾がそれにあわせてゆらゆら揺れた。

僕とエルの間には、それぞれのノートパソコンがある。

僕らはお互いを見つめあうことはなく、それぞれのノートパソコンへと目を向けていた。

僕の液晶ディスプレイの片隅でポップアップメッセージが表示され、チャットのメッセージがきていることを示している。

エルからだ。

目の前に座っているというのに、僕らはパソコンを通じて会話している。

『ねぇ、ケイ。何してるのよ』

エルの問いに、僕は答えた。

『ええと、ワインをインストールしている』

『ワイン? パソコンを酔っ払わせるつもり?』

僕は溜息をついたが、目の前のエルは無表情だ。

三つ編みにした髪が足をぶらぶらさせるのにあわせ、ゆらゆら揺れる。

『ワインというのは、LINUX上でウィンドウズのソフトを動かせるようにするアプリケーションだよ』

『何それ』

僕が応える前に、次のメッセージがくる。

『だったらはじめからウィンドウズをインストールしなさいよ』

『ビル・ゲイツが嫌いなんだ』

『ケイ、あんたばっかじゃないの』

僕はエルに目を向けて、その顔をのぞく。

相変わらず夢見るような表情のままだ。

目を明けて眠っているんじゃあないかとすら思う。

『なんで会ったこともないひとを嫌いになれるのよ』

『まあ、ゲイツが嫌いというよりは彼の作品が嫌いなんだ。君だって嫌いなアーティストの作った曲を聴きたくはないだろう? それと同じだよ』

『ウィンドウズは嫌いなくせに、ウィンドウズのソフトは使いたいっての。なんとはんぱな』

何でそんなにからむんだよ、と僕が口に出していおうかと思ったとき。

モーツアルトのレクイエムが厳かに流れた。

食卓に置かれたエルの携帯電話がライトを点滅させながら、レクイエムを奏でている。

エルは、はあっと溜息をついた。

ようやく夢から覚めたとでもゆうかのように。

携帯電話を手にとると、会話を始める。

「ちょっと、一体なんのつもり?」

おいおい、と僕は思う。

いきなり喧嘩ごしかよ。

「だめよ、ふざけないで」

エルはぶんぶんと、電話をしながら首を振る。

相手の声は全く漏れて聞こえてこない。

「殺すよ、きたら」

とても物騒な台詞をエルが吐いたあと、電話が切れたようだ。

耳から離した電話機からツーツーという音がしている。

「ったく」

エルは椅子から飛び降りると、後ろの戸棚の引き出しを開く。

僕はエルの背中に声をかけた。

「一体何が始まったんだよ」

エルは引き出しから引っ張り出した拳銃を手にしている。

年代もののコルト・ピースメーカー。

平和の使者という名のごついリボルバーを華奢な手に握ってドアのほうを見る。

「あいつが来るのよ」

「あいつって」

エルは身体から蒼白い焔を立ち上らせているような気がする。

「雨男がくるの」

その言葉を待ち受けていたかのように、外で雷鳴が轟いた。

窓を見てみる。

まさかと思うが、夕暮れ時のように暗くなっていた。

ついさっきまでは、日の差す穏やかな昼下がりであったはずなのに。

今は空は黒い雲に覆われ、いつの間にか土砂降りの雨が降っている。

雨男って。

「ええと、その雨男とエルはどんな関係なのかな」

「愛し合っていた」

僕はびっくりしてエルを見る。

そう言えばエルと僕が出会った17年以上前の出来事をエルから聞いたことはなかったので、僕と出会う前に何をしていたかは知らない。

僕とエルは病院で出会った。

その時エルは看護師をしていて、僕は生まれたばかりの乳児だ。

彼女は僕を一目見て恋に落ち、そのままさらって病院から逃げ出したらしい。

その後、転々と逃亡生活を続け今に至る。

まるで陶器でてきた置物のように表情を固めてしまったエルに僕は問いかける。

「愛し合ってたけど、別れたってことなんだよね。いったい、いつのことなの」

「18年前」

つまり、僕と出会う直前ということなんだろう。

エルは、17歳のときに年をとるのをやめてしまったと言っていた。

だから今の外見は17歳のままで、僕と同い年くらいに見える。

まあ、しゃべっていても17歳くらいの感じで大人には全く見えないんだけれど、いったいエルは生まれてから何年生き続けてきたのか、さっぱり見当がつかない。

外の雨は次第に激しくなっているようだ。

窓の外を瀧のように水が流れていく。

多分、雨男が近づいているということなのだろう。

「どうして別れたの」

僕の問いに、ちらりとエルは僕を見て答える。

「相性が最悪だったのよ。何せあたしは晴女だったから」

驚いた。

17年間育てられて、全然気がつかなかった。

「あたしはもう、晴女やめたよ」

ああ、つまり雨男と付き合うためにやめたってことか。

もう僕は一体何をどう聞いていいのか判らなくなっていた。

その時、ばたりと玄関の扉が開き蝙蝠傘が部屋に入ってきた。

いや、蝙蝠傘のようなおとこが部屋に入ってきたということ。

エルは剣をつきつけるように、ピースメーカーをそのおとこ、多分雨男にに向けている。

「何しにきたのよ。出て行ってよ」

「久しぶりに自分の家に帰ってきたら出て行けとはね」

その蝙蝠傘のような雨男は静かに落ち着いた声で語った。

口調は優しげといってもいいのではないか。

黒い帽子をかぶり、黒いインバネスを身につけ、黒いブーツを履いている。

全身ずぶ濡れで水が滴っていた。

帽子の鍔に隠れたその表情はよく見えなかったが、少し笑みを浮かべているようでもある。

「ここはあたしの家よ」

「おいおい、鍵は渡したけれど君にあげたつもりは無かったよ」

「細かいことでがたがた言わないでよ」

いや、細かくはないだろうと僕は思ったけれど、雨男は何も言わず歩いて近づいてくる。

まるで自分の家に帰ってきたような自然な足取り。

まあ、彼がいうように自分の家なのかもしれないけれど。

ごおん、雷鳴が轟くのにあわせたように、エルの手にあるピースメーカーが火を噴いた。

それは雨男を掠めて、壁に着弾の煙をあげる。

一瞬だけ、雨男は足を止めたけれど、また歩きだす。

エルはピースメーカーを構えたままだ。

僕とエルに対峙するように、雨男は立ち止まる。

「そのこは、クラウドなのかい」

雨男は僕を指しているようだが、一体なにを言ってるのか判らなかった。

エルは無言だったが、雨男はおかまいなしに言葉を重ねる。

「僕と君が暮らしていくにはクラウドが必要だった。君がクラウドを見つけて一緒に暮らしているというのを聞いて、やってきたんだけれど」

「ちがう」

「あの」

僕は、エルと雨男を交互に見る。

「お取り込み中、申し訳ないんだけれど言っとく」

エルはちらりと僕を見て、雨男は僕のほうを見つめているようだ。

「カッパが目覚めるみたい」

エルの目が蒼い満月のように大きく見開かれる。

カッパはもう一人の僕であるおんなのこ。

ケイ=Kのギリシャ読みであるカッパ。

僕はおとことおんなが背中合わせにくっついたシャム双生児というやつである。

僕の背中はおんなの身体になっており、乳房もあれば女性器もあった。

僕の前面はおとこの身体で男性器もついてる。

カッパにしてみれば、背中がおとこであるというわけ。

脳はひとつで左脳を僕が使っており、右脳をカッパが使っている。

カッパが目覚めれば僕が眠り、カッパが眠ると僕が目覚めようになっていた。

つまり、カッパは僕の夢であり、僕はカッパの夢である。

僕の手足が背面のカッパが使えるように裏返ってゆく。

関節の可動域がきりきりと音を立てて変更されてゆき、親指と小指の長さも入れ替わってゆき手足の形がこきこきと変更されていった。

その様を見たエルは昔、ヨーロッパのオートマータが動くように見えると言ったことがある。

確かに僕はからくり仕掛けの人形のように動きながら反転していった。

僕の髪は前を銀色、後を金色に染めている。

銀色の前髪が閉じて、金色の後髪が開く。

そして、あたしの顔が空気に触れて、あたしは深呼吸する。

はあ、目が覚めた。

あたしはケイの夢であるカッパ。

あたしとケイふたりでエルと愛し合っている。

そして、目の前には夢の中で見ていた蝙蝠傘もとい、雨男。

「天啓ではないのかなこれは。奇跡だろう」

雨男はエルに向かってかあたしに向かってかよく判らないけれど、少し興奮したように言った。

「このこはクラウドだ。僕と君を結び付けるためにこの世に現れた。だから君はこのこを手に入れたんだろう」

エルは応える代わりに、もう一度ピースーメーカーを撃った。

今度は本気で。

けれど、雨男は行動をおこしていたので、銃弾はまたしてもそれた。

帽子が吹き飛んだが、雨男は無傷だ。

夜のように黒い髪と、黒い瞳を剥き出しにした雨男は、エルのピースメーカーを持った右手を掴む。

「こんなものを撃つな。こちらへよこすんだ」

「冗談じゃないわよ」

ふたりはもみ合う。

あの、銃口をあたしに向けないで、って言おうとしたんだけれど手遅れで。

もう一度平和の使者は死の吐息を吐き下して、あたしの左目を貫いた。

あたしは太陽が、目の中で炸裂したかのような激しい輝きと熱を感じる。

百のオーケストラが同時にカデンツォを演奏したみたいに大轟音が左目から後頭部へ抜けていって、千匹はいる血に飢えた獣たちがあたしの脳を食い散らかし極彩色の苦痛を撒いていったので。

あたしは真夜中のように暗い無意識へと沈んでゆく。


はたと気がつくとそこは地下室だった。

あたしは立ち上がる。

全裸で地下室にあるベッドに寝ていたらしい。

そこは夜明け前のように薄暗いところだ。

だんだん目が慣れてくると、そこが廊下のように細長い部屋だと知る。

幾つも幾つも扉が並んでいた。

白いベッドから、あたしはストンと床に降り立つ。

素足にコンクリートの床がひんやりする。

裸体だと不安だけれど、あたりに服はみあたらない。

「やあ。カッパじゃないか」

声をかけられ、そっちを見るとオカムラさんが居た。

オカムラさんは近所に住んでいた東洋人の禿親父だ。

2年くらい前に交通事故で死んじゃったけれど。

エルが病院から首だけ持って帰ってきて、昔飼っていて死んじゃった犬の胴体にくっつけたの。

そしたら、お話できるようになって、世間話もできるようになった。

オカムラさんが生きているの死んでるのかは、よく判らないのだけれどね。

オカムラさんは犬の胴体でのそりと立ち上がる。

おおきい犬の胴体にくっつけたから、立ち上がるとあたしの胸の下あたりに頭がきた。

ペニスのように、どこかぬるりとした丸い禿頭。

「カッパ、君を案内するように言われている。こっちだよ」

そういうと、地下室をどんどん歩き出す。

あたしは慌ててオカムラさんを追いかけた。

あたしたちの両側を無数の扉が流れてゆく。

どこまで行っても、同じ景色で同じ空間。

月世界みたいに薄暮の空間は、無限に続くカノンみたいに同じ風景が繰り返されていく。

唐突に、正面に扉が現れた。

大きくて黒い、木製の扉。

いつの間にか、オカムラさんは居なくなっていた。

あたしは、その正面の扉を開く。

夜だった。

ヴァルプルギスの夜みたいに魔女たちが空のかなたを乱舞しているような不吉でざわめいている夜。

あれっ、あたし地下室にいたんじゃあなかったけ。

ここはなんだか森の中だよ。

そう思ったけれど、細かいことは気にしないことにした。

黒く大きな巨人みたいな木が何本も並んでいる。

風が木を揺らし、巨人が身をゆするようにゆさゆさと動く。

その動きに合わせて、木の囁き声がした。

(さあ、こっちだよ)

(こちらにおいで)

あたしは木の囁きに招かれて、森を抜けてゆく。

やがて、あたしは崖の際に出た。

遠く向こう側に、崖が見える。

その崖の上には工場があって、蝙蝠傘を作っていた。

蝙蝠傘もとい、蝙蝠傘のような雨男。

ああ、雨男ってロボットなのかなと思う。

ガシャン、ガシャンと工場で部品を結合し組み上げられた雨男たちが、崖から飛び降りてゆく。

飛び降りたら、蝙蝠傘が開いてふわりふわりと断崖の底へとパラシュートみたいに降りていった。

幾つも幾つも黒い綿帽子みたいな蝙蝠傘たちが、絶望みたいに真っ暗な地底へと降りてゆく、降りてゆく。

わたしはつんつんと、背中をつつかれ振り向いた。

ナディアがいた。

ナディアは近所に住んでいた移民の小さなおんなのこで、去年変質者にレイプされて殺されたの。

エルはナディアの首を病院から連れて帰って、飼っていたニシキヘビの頭と取り替えた。

その変とってもエルは器用なのよね。

キメラウィルスの話を昔していた。

感染させることで遺伝子レベルで他者の身体の自分のものと認識されることができるレトロウィルスで、まだ極秘実験中だけれど抗体反応を特定の臓器や身体に対してのみ中和できるので、臓器移植の切り札とも言われてるようなんだけど。

エルはそれを使ってると言ってた。

もしかしたら、あたしとケイもエルの手でくっつけられたのかもって思うけど。

でもなんのためにそんなことするのか判んないのよね。

「行きましょう、カッパ」

ナディアの背中にあたしは乗った。

ナディアはロープのように長く伸びてゆき、崖の向こう岸に向かう。

雨男の製造工場。

(だめよ)

背後で声がする。

振り向くと、朝がきていた。

太陽があるはずのところでエルの顔が金色に燃え盛っていて、空を真紅に焦がしている。

眩しい。

眩しくて、全身が燃えてしまいそう。

目を閉じると瞼の裏が血の色に染まっている。

(そちらに行ってはだめよ)

エルの声が雷鳴のように轟いた。

(帰っていらっしゃい)

それは幾万もの剣みたいに鋭い光で、あたしはそれに貫かれて火の中に落ちた蛾みたいに燃えてしまって。

そして眠りに落ちて、目をさました。


僕は目覚めた。

ベッドの中で、身じろぎする。

頭には包帯が巻かれていた。

ベッドのそばにはエルが座って僕を見ている。

不思議なことに、その日のエルはおとなのおんなに見えた。

僕はなんとか笑みを浮かべて。

「おはよう」

って言ったんだ。


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