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ジャンク・ヤード  作者: ヒルナギ


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26/39

黒塚

それは、液体のような闇に満たされた夜でした。

空は炭のように、黒い雲に覆われています。

よくみるとそれはただ黒いだけではなく、死滅した恒星が内部で燃える炎を吐き出すように。

あるいは、大地に流された生贄の血が、地中に染み込みつつも赤い色を滲ませているような。

そんな赤い残照が空のそこ、ここに、残っているような気がするのでした。

僕はいつしか、夜の森へと迷い込んでいたのです。

夜の森は、それ自体が大きな黒い怪物のようで、その中に入ると密やかな呼気が感じられ。

僕は、大地を支配するベヒーモスの体内に迷い込んでしまったかのような気すらしたのですが。

漆黒の河に思える森の道をひとり歩んでいくうちに、ふとその光に気がついたのです。

はじめは、森の向こうにある夜空から、宵の明星が透けて見えたのかと思いました。

しかし、歩いてゆくうちに、それが星とはとうてい思えぬほどに強い輝きを放ちはじめ。

半刻ほど歩むとそれが、小屋の窓であるらしいことが判ったのです。

僕は、まさかこのような荒野にとりのこされた島のような森に、ひとが住まうとは思ってもみなかったので。

何度も何かの間違いではないかと、目をこらして、しっかり見据えつつそれが何か確かめようとしたのですが。

ますます、それははっきりと窓としての形を備えてゆくのです。

僕にはそれが、夜空に赤い窓を嵌め込んだように見えて。

一体その向こうは、どんなこの世ならざる世界が広がっているのだろうと。

ぼんやり、そんなことを考えながら黒曜石のように塗りつぶされた道から逸れ、その窓のほうに向かってあるいてゆくと。

その小屋が次第に夜の森に潜む、巨大な獣のような姿を。

闇の中へぽつりと、浮かび上がらせたのでした。


わたしは、気がつくとその部屋にいた。

四方だけではなく、天井も床も漆黒に塗りつぶされた部屋。

よくみるとそれはただ黒いだけではなく、死滅した恒星が内部で燃える炎を吐き出すように。

あるいは、大地に流された生贄の血が、地中に染み込みつつも赤い色を滲ませているような。

そんな赤い染みが壁のそこ、ここに、残っているような気がする。

そんな部屋に、わたしはいた。

わたしは、風の凪いだ海を帆走する船のように、のろのろと考える。

なぜ、わたしはこんな部屋にいるんだろう。

いいえ、そもそもわたしは一体。

誰なんだろう。

わたしは、名前すら思い出せず、そもそも自分について判っていることといえば、おんなであるということだけだった。

なぜ、わたしは自分がおんなだと判ったかというと。

わたしは、自分がその部屋に横たわっているのを見つめていたからだ。

わたしは、その夜の海を渡ってゆく白い船のような、おんなの裸体を見ている。

それが、わたしの身体だということは、「判って」いた。

その理由は、説明のしようもない。

ただ、そうなのだ。

なぜわたしは自分が肉体から遊離した眼差しとなって、この部屋にいるのかも説明できないのだけれど。

そして、わたしはそのおんなの白い身体が、実は人形であることにやがて気がつく。

ああなんだ、わたしはわたしの人形を見ていたんだ。

突然、ことりと。

夜空を白い月が渡ってゆくように、人形が立ち上がり部屋を歩いて。

出てゆくのを、見たのだった。


僕は、闇に蹲る巨獣のようなその小屋の前につきました。。

木の小屋は、獣毛で覆われているかのように、蔦や大小の植物によって覆い尽くされています。

赤く光る窓は、その黒い獣の単眼を思わせ輝いていました。

僕は、それでも野宿するよりはましではないかと思い、戸口に立つと声をかけます。

「誰か、そこにいますか?」

しんと静まった森の闇へ言葉は吸い込まれてゆき、ただ獣の息吹を思わせる風の音だけが返ってくるのです。

僕は、ためしに扉に手をかけてみました。

それは、あっけなく開いてゆき。

驚くほど、平凡な作りの小屋の内部が、姿を現したのです。

赤いランタンが天井からつるされ、部屋の中を照らしていました。

部屋にあるのは、木製の机がひとつ。

それに、椅子がひとつ。

ただ、それっきりでひとの気配は無かったのだけれど、ただ長い間使われていない部屋の荒廃した雰囲気もなく。

そこはただの、伽藍堂でした。

けれど、不思議なことがひとつ。

向かい側の壁に、扉があるのです。

僕にはそれが、どこか別の世界へと繋がっているような気がしてならず。

僕は、その扉に向かって一歩踏み出したのですが。

唐突に気配を感じて振り向くと、そこにおんながいたのです。

僕は、思わず口から迸りそうになった悲鳴を、両手で押し殺して。

荒い息を、なんとかねじ伏せると。

その骨のように白い白い肌をして、雪のように白い白い服を着たおんなに、声をかけたのです。

「森に迷い込み、難渋しています。一夜の宿を、お願いできませんか?」

おんなの白い顔の上で、赤い光が揺らめいたので、一瞬おんなが笑ったように見えたのだけれど。

それはきっと気のせいだと思わせるような、冷めた声でおんなは言いました。

「ひとつだけお願いを聞いてくれれば」

「なんでしょう」

おんなは、闇を裂く刃物のように白い手を翳すと、部屋の向こう側にある扉を指差します。

「あの扉の向こうは、わたしの休む部屋なので、そこに入らないと約束してくれるなら」

「もちろん」

頷く僕を満足げに見たおんなは、奥の扉を開き闇の中へと消えたのです。


わたしは、人形がとなりの部屋に入るのを見た。

それは、舞台のセットを思わせる部屋だ。

赤いセルロイドに覆われた、小さな電球が部屋を赤く照らしていた。

わたしには、そこが厚紙を切り貼りしてつくったような、薄っぺらい場所に感じられる。

そこは人形に合わせて造られた、おもちゃの部屋のようである。

人形は、扉のそばにひっそりと佇んでいた。

白い人形が、風景に溶け込みきったころに。

唐突に扉が、開いた。

驚いたことに、入ってきたのはおとこの人形だ。

夜のように漆黒の服を着て、夕暮れのように赤黒い肌をした人形である。

おとこの人形は、わたしの人形を認めると口をひらく。

「森に迷い込み、難渋しています。一夜の宿を、お願いできませんか?」

機械仕掛けで語られるような、平板な声だった。

部屋を照らす、赤い光が一瞬揺れておとこの人形が笑ったように見える。

わたしの人形は、小鳥が鳴くような声でおとこに応えた。

「ひとつだけお願いを聞いてくれれば」

「なんでしょう」

おんなの人形は、液体のような黒い闇を白い手で裂くようにかざすと。

部屋の奥の、黒い部屋へと続く扉を指差した。

「あの扉の向こうは、わたしの休む部屋なので、そこに入らないと約束してくれるなら」

「もちろん」

わたしの人形は、奥の部屋へと帰っていった。


眠りは泥のように、僕の意識を飲み込みました。

眠りは泥のように、わたしの意識を飲み込んだ。


けれど気がついたとき、僕は夜空に宙吊りにされたように、その黒い部屋に立っていました。

その部屋には、白い箱がありました。

けれど気がついたとき、その部屋には闇に溶け込んで浮いているような、おとこの人形がいた。

わたしは、白い箱になっていた。


箱は蓋を開きます。

中から幾つもの刃が姿を現すと、その刃を握った機械仕掛けの腕たちが。

闇の中で踊るように、あるいは音楽を奏でるように。

おとこの人形の身体を、切り刻んでゆきそれを解体してゆき。

それは幾つもの、部品に分けられてゆくと、箱の中へと整頓され分類され収められる。

切り刻まれたのは、僕の苦痛、僕の苦悩。

収められたのは、わたしの言葉、わたしのうた。

夜の闇を赤く染めてゆくのは、僕が流した恐れの涙なのか。

闇の部屋を赤く焦がしたのは、わたしを蹂躙する快楽の欲望なのか。

痛みが粘膜の宇宙を貫いてゆき、新しい世界に向かってこじ開けようとしているような。

全ては、踊るように、あるいは音楽を奏でるように。

それでもなければ、理路整然と語られる言葉のように。

きちんと、箱の中へと収められていったのです。

そして、再び箱の蓋が閉じられたときに。

ああ、全ては夢だったのかと思え。


眠りが泥のように、僕の意識を飲み込みました。

眠りが泥のように、わたしの意識を飲み込んだ。


黒い黒い夜空を。

白い白い月が渡ってゆく。

黒い海を渡る船のような、白い月はゆっくりゆっくり太ってゆき。

夜空を弧を描いて沈んでゆくうちに、ゆっくりゆっくりやせ細ってゆき。

死滅は次の誕生となり、誕生は次の死滅への準備となってゆくと。

時間はくるりと、円弧を描き終えて。

ぱたりと音をたてて、閉ざされたのです。


夜明けだった。

荒野の向こうに取り残された島のような、森が見える。

その黒々とした、陸へうちあげられたリヴァイアサンがごとき黒い森の向こうから。

燃え盛り、天を焼け焦がす朝焼けがゆっくりと昇ってゆく。

それは、漆黒の海へ真紅の血を流し、それが広がってゆくのをゆっくりと見ているかのようだった。

その真紅の輝きは、わたしの目から脳へと刃を突き立てるように、入り込んでくる。

森の小屋で過ごした一夜の眠りは、わたしの意識をひどく混乱させたようで、なぜか記憶が錯綜していた。

例えば。

わたしは、おとこなのだろうか。

それともわたしは、おんなだろうか。

それどころか。

自分が、ひとなのか、ひとの姿を借りた人形なのかすら、薄ぼんやりとしか判らないのだが。

あの太陽が天空に駆け昇り終えたころには、全てはっきりするだろうとひとり言を呟くと。

わたしは荒野へと、一歩踏み出したのだった。


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