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向こう側へ

薄闇の中で目を開く。

わたしは、もやがかかったような頭で目覚める。

ベッドの上にいることにようやく気がついた。

携帯端末がしつこくアラームをあげている。

ようやく、わたしは端末のロックを解除し通話状態にした。

「シルヴィア・マルコビッチ中尉、エマージェンシー召集です」

ローテーションではなく、非番であるはずだったがわたしは端末に応える。

「わかった。少し待って」

「ブリーフィングルーム3へ。状況は端末へ転送済みです。すぐ確認してください。3分以内に来てください」

わたしはため息をつくと、時間を確認する。

前の出撃から5時間しかたっていない。

けれども、3時間の睡眠はとれたのだなとも思う。


「マルコビッチ中尉」

わたしの上官がブリーフィングルームに立っていた。

ひどく焦燥した顔をしている。

ブリーフィングルームのプロジェクターによりスクリーンに映し出された戦況は、アラームを発し続けていた。

『第三レベルの事象境界面を突破されました。最終ラインを第二レベルへ後退させます』

「状況を教えて、シモーヌ」

わたしの規律も階級も無視しきった言い方に、シモーヌは眉を顰めたが無視する。

「端末に送られてるはずよ。見てないの」

「もちろん」

シモーヌはため息をつく。

わたしは、苦笑いを浮かべ水でアンフェタミンを流し込む。

シモーヌは咎める視線を投げかけたが、もちろんこれも無視する。

「第二パイロットのカイと第三パイロットのケインはどうしたの」

「メンタルチェックがNGを出したわ。クリアできたのはあなただけ」

わたしは、水を飲み損ない少し咽せる。

わたしの脳に埋め込まれたメンタルモニターとメディカルモニターは間違いなく、壊れているのだと思う。

大体、シノプシスの発火状態を脳に埋め込んだチップでモニタリングしてメンタルチェックできるというのが眉唾なのだけれど。

「で、事象面固定化システムは崩壊していってるわけね」

「事象面固定化装置をつんだコクーンファイターが11機出撃している。でももう7機しか残っていない」

「彼を起こすの?」

「もちろん」

「どうしても?」

シモーヌは眉を釣り上げた。

「正気なの? 一体彼以外に誰が何をどうできるというのよ、シルヴィア」

「わたしを」

ふう、と息を吐き出して言った。

「軍規違反で営倉にぶちこんだらどう」

「別にいいわよ」

シモーヌは昏い目をして言った。

「みんな死ぬだけ。あなたがそれを選ぶならそれでいいわ」

『第二レベルの事象境界面を突破されました。最終ラインを第一レベルへ後退させます』

『一号機、六号機が戦線離脱。損傷レベルはそれぞれAマイナー、Bシャープ』

一瞬、ブリーフィングルームが暗くなる。

ずんと。

基地が巨人に鷲掴みにされたように揺れ動く。

非常灯が点灯し、プロジェクタで映し出される戦況のアラームが倍以上に増えた。

『第一レベルの事象境界面が一時的に壊滅しました。事象境界面復旧中です』

『基地内のシステムの70パーセントが今の衝撃で停止しました』

「時間がないわ。いくかいかないか、決めて。最後のお祈りする時間くらいはちょうだい」

わたしは踵を返すとシモーヌの前から立ち去る。

「いくなら、第五ハッチで待機している。彼もそこにいるわ」

わたしは、片手をあげてそれに応えた。


コクーンファイターの零号機がそこにはあった。

わたしの愛機。

卵形をしたボディに、四枚の可変翼が付けられている。

完全に慣性駆動システムを使用しているため、一切噴射口の類はない。

おそらく大気圏中であればジェット推進を使ったほうが加速や離陸の効率はいいはずだ。

しかし、わたしたちの相手する存在には加速など無意味である。

ドッグファイトをするわけではない。

厳密には戦闘さえもない。

わたしの仕事は彼をそこへつれていくだけ。

彼は。

彼の載せられたベッドがコクーンファイターの傍らに置かれている。

メディカルチームが三人そばについていたが、彼らに存在価値はさほどない。

わたしは彼に手を伸ばし、その頬に触れる。

薔薇色に染まった頬。

彼の今の年齢は十四歳程度に見える。

ラファエロの壁画に描かれた天使のように、非の打ち所がない美少年。

あたかも人形のように。

あるいは死体のように。

彼は静に眠っている。

始めてわたしが出撃したとき、彼は二十歳に見えた。

それから幾度出撃したかは判らない。

わたし以外のパイロットはほぼみんな、精神を崩壊させた。

彼は幾つもの時を失っていった。

これはそういう類の戦いなのだ。

彼はわたしの手に応えるように、目を見開く。

つぶやくように、彼が言った。

「まだ、失っていないようだ」

彼はゆっくりと言葉を重ねる。

「そうだな。もう一度くらいは飛べる」

彼は、遠い記憶を思い出すような目をすると、ふっと微笑む。

「あなたともう一度、飛ぼう。シルヴィア・マルコビッチ」


コクーンファイターは上昇する。

ジェットのような轟音はない。

慣性駆動システムのたてる甲高い機械音だけが響く。

感覚としては、ヘリの操縦に似ている。

ヘリと違うのは、慣性駆動システムは大気の状態にあまり左右されないということだ。

真空の宇宙であっても、飛ぶことができる。

そして。

わたしたちの行く先は、あるいは宇宙空間なのかもしれない。

コックピットは全面ディスプレイに覆われており、360度視認することができる。

眼下に広がるのは、荒野となった地上。

そして、天空は。

ワームを包んだ暗雲が渦巻いている。

ワーム。

それが何であるのかは、誰にも判らない。

どこから来たのかも、つきとめられてはいない。

ただ、それがどのように振る舞うのかだけは判っている。

それは、わたしたちの宇宙の物理法則を完全に崩壊させてしまうのだ。

わたしたちは、黒い雲の中に突入する。

そこでは既に、熱力学的なエントロピーが崩壊しているため、気圧の変動が恣意的に起こっていた。

通常の戦闘機であればあっという間に、突風に巻き込まれ墜落するだろう。

分子の結合すらここではわたしたちの知るやり方とはことなるやりようで行われているため。

様々な元素変換が発生しており、例えるなら常温核融合と同じ現象が局所的に発生している。

その黒い雲の中は、既に別の宇宙であった。

コクーンファイターに積まれた事象境界面固定化システムが全力をあげて、物理法則の崩壊を食い止めているため辛うじてファイター内の物理法則は維持されているが。

外の景色は無茶苦茶だった。

巨大な生き物がのたうつような、竜巻が幾つも走り回り。

常温核融合が引き起こすプラズマの七色の光があたりをオーロラのように染め上げて行き。

どこか内臓的な空気の塊が、内部で発生する稲妻とプラズマ放射で怪物のように蠢いていた。

どんな狂気に見舞われた作家であっても、ここまで狂った風景は描けないだろうという。

そんな景色の中をわたしたちは全力で飛んで行く。

狂った空気の塊が幾度も殴りつけるようにコクーンファイターにぶちあたり。

ファイターは、無数のアラームの悲鳴をあげるが、わたしは操作レバーとペダルで機体を操りワームのほうへと向けつづける。

零号機はタフであった。

わたしの精神とおそらくは同程度に。

この狂気に包まれた異質な宇宙を飛翔してゆく。

わたしたちは、そしてワームを見た。

全長一千メートル、太さ十メートル程度の環状の存在。

輪をなして巨大なリングのように空へ浮かんでいる。

それが生命なのか。

何かの現象なのか。

誰にも判らないが、ただそれはやってくる。

彼方から。


かつて十三体のワームが地上に降りてきた。

地球上の物理法則は粉砕され、地上は荒野と化す。

ひとびとは、地下奥深くに逃げ込んだが、やがてそこも侵食されてゆき。

そんな中でひとびとは、十三人のガーディアンを見出す。

十三人のガーデイアン。

彼らは、ワームを消し去ることができた。

何をどうやってかは判らないのだが。

ただ、彼らはワームを認識することができると語っていた。

その存在を認識する。

するとワームは消滅した。

ガーディアン自身も、記憶と知能を失い、ひととは呼べぬ存在になっていたが。

ただひとりだけ、正気を保ったガーディアンがいた。

そして。

たった一体のみ、消滅しきらなかったワームがいた。

それ以来ずっとわたしたちは、ワームとガーディアンの戦いの狭間にいる。

死ぬことも、狂うこともゆるされず。

ゆるやかな絶望とともに、無意味な戦いに駆り立てられながら。

生きつづけたのだ、わたしたちは。

「行こうか、シルヴィア・マルコビッチ」

彼、最後のガーディアンがわたしに言葉をかける。

わたしは頷く。

わたしたちは、システムを通じて一体化する。

彼の意志がわたしの中へと入り込んでくるのを感じた。

そうしなければ。

おそらくわたしはワームの元へたどり着く前に狂って死んでいるだろう。

ただ、彼の意志に貫かれることによってのみ。

わたしは意識を保ちつづけることができる。

彼の意志は、まるで灼熱の杭のようにわたしの全身を貫いているようだ。

わたしの身体の奥深くまで、精神の圧力に呼応して反応し、微かな痙攣を繰り返している。

回りの景色はもう、偽装するのを諦めたように。

明らさまに激しく姿を変えてゆく。

あまりに高速のノイズがひとの意識にとらえられず、無音へと近づくように。

激しく高速で振動するカオスとなったあたりの景色は。

むしろ銀色の湖のように静けさを纏いつつあった。

空の高みに広がる、ただ銀色に輝く湖。

わたしは彼の意志に貫かれ、彼の意志に推進されながら。

涙を流し。

嗚咽をもらし。

そのひとの手が触れ得ぬ、神秘に輝く銀色の鏡面へと突入してゆく。

そこには。

何もなかった。

闇ですらなく。

白ですらない。

それはつまり、理解できえぬもの。

わたしはそれを便宜的に向こう側と呼んでいる。

ノイズですら。

カオスですら。

それをかろうじて無意味という呼称で理解はできるが。

その意味、非意味の境界すら越えて何者でもなくなってしまった世界。

わたしの意識はばらばらになり、彼の意志のまわりに纏わりつく泡に過ぎないものになる。

切れ切れに。

銀色に、紅く、昏い、青い、光り輝く、真っ黒な断片断片が遠ざかり近づき去って行く。

飲み込まれて行く。

が、わたしは何も理解できず構成できない。

それを彼は何かに組み上げて行く。

代償として。

生きてきた時間と言葉を失ってゆき。

その果てに。

ワームが実現化する。

ほんの一瞬、それが形になるのを見る。

それは。

何か巨大な。

眼差しなのだと思う。

どこか彼方からわたしたちを見つめる眼差し。


彼がわたしの背後でつぶやく。

もう一度。

もう一度、すべてを失う前に。

あなたと飛べるかもしれない。

後、何回。

こうしてあなたと飛べるかはわからない。

けれども。

飛ぼう。

約束する。

わたしを呼び覚ますのであれば。

再び。

あた一度は。

飛ぼう、あなたたもに。

向こう側へ。

世界の果てへと。

共に行こう。


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