ダークランド
おれは、マスタング・コンパーチブルのエンジンを切る。
夜に静寂が、降りてきた。
目の前には、暗い河が流れている。
水は病を内に宿しているかのように、暗く澱み渦巻きながらゆるやかに流れていた。
雪が、降っている。
真っ暗な空から、灰のような、あるいは羽のような白い雪が、暗い河へと降り注いでゆく。
おれは、遠くにサイレンの音を聞き、この静寂は長く続かないことを知った。
おれは、マスタングのサイドボードから、トンプソンSMGを取り出す。
そいつは、まだ先程焼き焦げた死を吐き出した名残りで、熱を発している。
降り注ぐ雪はその銃身に触れ、一瞬にして蒸気となって消滅した。
「ねえ、あたしたち、これからどこへ行くの」
おれの隣で、眠ったように目をとじていたおんなが、呟くようにいった。
どこへか。
決まっている。
そんなことは、言うまでもない。
「おれは、これから暗黒の国へ行くんだ」
おんなは、思い吐息をつく。
おんなの下腹から流れる血は、マスタングの床を深紅に染めている。
その息は次第に弱く、長くなってゆく。
まるで、眠りにつくひとのそれのように。
おんなは、ゆっくりと夢見るように、言った。
「じゃあ、わたしもそこへ行くのね」
「そうだ」
おれは、そう言うと腰から抜いたコルトオートマチックの銃口をおんなのこめかみに突きつける。
おんなは、ふっと笑った気がした。
「いいえ、わたしは天国へゆくの、ほら」
おんなは、一瞬だけ目を開く。
「天使が降りてくるわ」
「おれに言わせてみれば」
おれは、コルトの撃鉄をあげる。
「天国ってやつは、地獄に一番近い場所なんだがな」
年老いた獣があげる咆哮のような銃声が、夜の河を渡って行く。
おんなは、眠りにつき多分目覚めた。
暗黒の国で。
おれは、笑みを浮かべる。
おれも、すぐにゆく、そこへ。
雪がその時、塊となって空より落ちてきた。
おれは、そこに天使の姿を見る。
真白き羽を、闇の中にひろげ、冷徹なかんばせを漆黒の空へ向けた天使が。
世界中の時を凍り付かせるように、ゆっくりと、ゆっくりと。
病んだ黒い河の中へと沈んでゆくのを、おれは見た。
静寂は、ようやく終わりを告げる。
猟犬の吠声を思わせるサイレン音を響かせながら、パトカーたちが川原へと入ってきた。
おれはドラム弾倉をとりつけたトンプソンを、叫ばせる。
百の頭を持つケルベロスの叫びがごとき銃声が、轟いた。
トンプソンは45ACPという凶悪な死を、撒き散らしてゆく。
赤い血のような光を放つサイレンが砕かれ、フロントガラスに蜘蛛の巣みたいな罅が走る。
パトカーたちは戸惑ったように蛇行すると、互いにぶつかりエンジンから焔をあげた。
白い灰のような雪が降る暗い空へ向かって、紅蓮の焔が噴き上がる。
おれはトンプソンの弾倉を、交換した。
さあ、行こう。
もう、行くときがきた。
おれのこころの中で、見えない手がおれを引き留めようと絡み付いてくるが。
かまわない。
行くんだ。暗黒の国へ。
雪が天使の羽のように、ゆっくりゆっくりと降り注ぐ。
おれのとなりで、頭から脳漿をはみ出させたおんなが、やさしく微笑む。
病んだ黒い河を、蒼ざめた天使の死体がゆっくりと流れて行く。
おれはトンプソンを構えたまま、なにものかに対して祈りを捧げた。
さあ、この無意味な人生からおれを解き放ち、暗黒の国へと連れていってくれ。
何十もの銃口が、ジャンクとなったパトカーの向こうからおれに向けられている。
おれは、時間が凍り付くのを感じた。
無数の銃弾が、夜の闇に凍り付く。
降り注ぐ白い雪が、宝石のように輝き、夜空に留まる。
黒い河は凍り付いたように、流れを止めた。
ああ、おれは夢見るように、笑みを浮かべる。
さあ、おれはこの夢から醒め。
目覚めるのさ。
暗黒の国で。