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春の雨

作者: 西洋

 まだ春というには早いのに、妙に生暖かい日だった。空が低くてまだ三時過ぎなのにどんよりと暗い。そして、ジメジメと雨が降っていた。

 校門を出ると、真っ直ぐ前がバス停。傘を少し持ち上げてみてみると、雨の中によく知っている人影が見えた。土砂降りというわけはないにしろ、傘も差さないで濡れっぱなしで立っている。

 何だかな、と思いつつ、近づいて声をかけた。

「なんで悲劇のヒロインやっているんだ」

「悲劇のヒロイン?何、それ?」

 千沙は額に張り付いた前髪を手で撫でて、白いつるりとした顔をこちらに向けた。

「傘も差さずに濡れている私って可哀想……みたいな」

 と言うと、彼女は瞳をくるくると動かした。

「そんなもんなの?濡れるのって気持ちいいわよ、たまになら。それに……」

 千沙は後ろの店先に視線を送った。軒下には、男子生徒たちがずらっと雨宿りしている。

「あの中に入るの、うっとおしくない?」

 まあ、確かにそうかもしれない。

 

 俺や千沙の通っている高校は、旧制中学の流れをくむという御大層な田舎の名門校。だから、生徒の四分の三は男。自分で言うのもなんだけど、非常にむさくるしい学校。まあ、千沙もそういう学校に通っている、そんな女子。


 仕方がないから、傘を差し掛けてやる。

「相合傘ね」

「勘違いするなよ」

「誰が」

 俺と千沙というのはそういう関係。俺には幼馴染の彼女がいるし、千沙も俺を恋愛対象としては見ていない。だから気楽につるんでいる。


 自分で言うのもなんだけど、俺はこういうむさくるしい学校ではそこそこのイケメンで、テニス部なんかでそこそこの成績をおさめていて、それなりに器用な人間。でもそういうのもしんどい時があるから、なんとなくパソコン同好会にも籍を置いている。パソコン同窓会の隣が美術部の部室。千沙は美術部員だった。ゲームばっかりやっているパソコン同窓会と漫画ばかり描いている美術部が交流しないはずもなく、実際、両方に所属している人間も少なからずいた。

 俺と千沙は馬が合った。二人で遊びに行くようなことはなかったが、登下校はよく一緒だった。俺には幼馴染の彼女もいたけど違う高校だったから、俺と千沙が付き合っていると思っているやつもいるぐらいだった。それは誤解なんだけど、誤解したい人間には誤解させておけばいいと思っていた。俺と千沙は仲良しだったが付き合ってはいないし、それは彼女も千沙も知っていたから問題はなかった。


 一つの傘に納まると妙に距離が近い。だから、聞こうと思っていたことを聞いてみた。

「そういえば、彼氏、どうした?」

「彼氏って?ああ……」

 千沙は妙に無表情を装う。

「別れたわよ。彼氏っていうほども付き合わなかったの」

 千沙は不細工でもないし、寄ってくる男もそれなりにいるのに長続きしない。

「気乗りがしないなら付き合わなければいいのに」

「そうねぇ……でも男も作らない女というのも問題あるような気がするし……でも、付き合ってみたら、何だか冷静な自分が申し訳なくなっちゃって」

「酷いな」

「そうね」


 この話題はそこで途切れた。

 俺も、今まで千沙は恋愛のできない人間なのかなと漠然と思っていた。美術部やパソコン同好会の男どもと色恋抜きで楽しそうに過ごしているのを見ると、恋愛するのが煩わしいんじゃないのかなという気がしていた。それでも千沙は「人並みに恋愛できないのは、まずいのかな」などと気にして、寄ってきた男に告白されると簡単に付き合って、「そんなに好きじゃないことがなんだか悪いから」とすぐに別れてしまう。千沙は男を恋愛対象として見ると嫌になるようだった。

 ろくでもない迷惑な女だなとは思うけど、自分は千沙を恋愛対象にしていないから、別にどうでも良かった。


 聞きたいことにたどり着けなかったので、もう一度話を振ってみる。

「柴田先輩、東京行くんだろ」

 千沙は一瞬、眉をひそめてから、無表情になった。

「そうみたいね。私、よく知らないわ」

 普段は愛想よくくるくると表情を変える千沙なのに、今日は本当に悲劇のヒロインに見える。


 一週間ほど前、美術部に漫画を返しに行ったら、三年生の柴田さんが、一人、私物を片付けていた。

「借りものを返しに来ました。ここ、置いておきます」

「お」

 柴田さんはもともと野球部員で、肘を壊して美術部に入った人。大柄で、一年年上なだけだったがおっさんくさいというか妙に老成した感じがして、後輩の女子たちはふざけて「御老体」と呼んでいた。いつも大きな体を丸めるように、部室の片隅で油絵を描いていた。あまりしゃべらず、みんなが騒いでいるのをにこにこ聞いているような感じの人。

「大学、やっぱ、東京ですか」

「ん、一応、受かったからね。ここともお別れだ」

柴田さんは、段ボール箱に文庫本やマグカップ、絵の具の箱を無造作に放り込んでいた。

「東京だけど、留学も決まっているし……当分はこっちに戻ってこないけど、まあ、忘れないでくれ」

「寂しくなりますね」

 さほど親しくもない俺は、少し社交辞令も込めて答えた。柴田さんは、ははは、と乾いた声で笑った。その時、柴田さんの持ち上げた本の間から紙が滑り出て、俺の足元に落ちた。拾い上げるとそれはキャビネ版の写真だった。淡い色調の中で千沙が部室の窓から外を見ていた。

 拾った写真を渡すと、

「それね、絵を描くときの参考に、千沙にポーズをとってもらったんだ」

と、柴田さんは言い訳をするでもなく言った。

「おまえ、彼女と仲良かったよな。渡してくれないか。俺はもう顔を合わせる機会もないかもしれないから」

柴田さんは写真を受け取らなかった。

「結構、良く撮れているだろう」

 確かに、その写真の千沙は、素直ないい表情をしていた。


 その翌朝、登校の時に顔をあわせた千沙に写真を渡した。

「どうしたの、これ」

「昨日、美術部の部室に行ったら柴田先輩と出くわして、渡してくれって言われた。もう部室に顔出すこともないかもしれないからって」

「そう」

 千沙は写真をつくづくと眺めた。

「御老体は、こんなの、まだ持ってたのね」

「絵のモデルをやったのか」

「入学してすぐだったかな。でも、構図をとりたかっただけじゃない。出来た絵は見せてもらってないから。……それもまた、失礼な話よね」

 千沙は下を向いて鞄を開け、写真を片付けた。そして、下を向いたまま言った。

「今まで持っていたなら、返さなくたっていいのに」

 千沙の口からそんな言葉が出るとは思っていなかった。全然知らなかったから、ちょっと、どきっとした。


「拓は、来年、どこ受けるのよ」

「おまえと一緒だよ、多分」

 ただでさえ狭い傘の中で千沙はくっついてきた。

「この際、私に乗り換えない?」

「『愛人』にだったらしてやってもいいよ」

 あはは、と千沙は笑った。

「馬鹿なことを言ってないで、彼女を大切にしなさいよ。長い付き合いなんでしょ。逃げられてから後悔しても知らないからね」

 千沙は後悔しているんだなと思った。でも、悲劇のヒロインのように雨に濡れた今日の彼女に何を言っていいのかわからず、仕方ないから一緒にあはは、と笑った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 友人ではあるけれどどこか異性として意識してもおり、しかし、互いに別な相手に恋愛感情を持っている千沙と「俺」。 この二人の微妙な関係性が最初から最後まである種の緊張感を持って描かれている点…
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