Smoking area Chat Time
「邪魔するぜ」
ガチャリと音がしてドアが開く。低い声が耳に飛び込んできたがノハは顔を上げずに本のページを捲った。
「いらっしゃい」
相手もそれを気にした様子はなく、フンと軽く鼻を鳴らしてソファに腰掛ける。ギッと微かに軋んだ音がした。
「テオは来てねぇのか」
「そろそろ来るんじゃない?」
ノハが本から目を逸らさずに言うと、男はネクタイを軽く緩めポケットからタバコを取り出した。西野隆弘――花神楽高校の三年生だ。当然ながら喫煙を許されている年ではないのでこうして隠れて吸うことになる。いつもは学校の屋上やらで吸っているらしいが放課後稀にノハの家に上がり込むことがあった。そういう日は決まってアレックス・ラドフォードとテオ・マクニールの暮らす部屋を――正確には、そこを訪れている花神楽高校校長の後藤花子を見に来ている。
「火だね借りるぜ」
「お好きに」
隆弘の薄く色づいた唇がショートピースを咥えてテーブルに置いてあった100円ライターを手に取る。男とは思えないほど長い睫毛に覆われたコバルトグリーンの瞳がタバコの先端を見据え、端に100円ライターの火が当たった。ゆらりと立ち上る煙と共に隆弘の口から吐き出された煙が天井のあたりで渦を巻く。既に195cmを記録している体躯が遠慮もなく足を伸ばすと急に部屋が狭くなった気がする。
彫りの深い顔立ちはハーフだからと言うことだ。母親がイギリス人で父親が日本人。母親の旧姓はエルフィンストーンというらしく、なんでも貴族の末娘が日本の複合企業社長に嫁いだとかなんとかで、要は呆れる程のクソボンボンというわけだ。10歳頃までイギリスに住んでいたらしい。素直にパブリックスクールにでも通えばいいものを、なにを思ったか日本にやってきてしかも普通の市立高校に通っているのだからお貴族様はなにを考えているのやらさっぱりわからない。その上グレにグレて友人の家でタバコなどたしなんでいるのだから悲しいものである。
彫りが深く整った造形と高身長も相まって、西野隆弘という男は息を吸うように異性にモテた。本人は鬱陶しいと一蹴するが女性達に言わせればそのストイックで寡黙な所も良いらしい。
テオは見てくれが良いだけのヘタレなうえ祐未が好きだと公言しているのでからかわれるだけに留まっているが、西野隆弘に熱を上げるのはいわば『ガチ勢』だ。育ちが良いからなのかふとした瞬間の動作が異性を引きつける。荷物で両手がふさがっている後輩のために扉をあけてそのまま無言で立ち去ったり、図書館で本を取ろうとしている相手に本を取ってやはり無言で立ち去ったり、絡まれているのを助けて以下略だったり、本人としてはその後のやりとりが面倒だから立ち去っているらしいのだが、逆効果であることは火を見るよりも明らかだろう。
テオが『わざとやってるんだこのモテ男チンコもげろ』と教室にもかかわらず下品な言葉を吐いて悶絶したのは記憶に新しい。隆弘は横で盛大にため息をつき、ため息に取り巻きの女性が黄色い声を上げていた。
ノハは本を読みながら「あれがリアトリスが言ってた今流行の健康法か……」と女性達を見ていたのだが、後のテオの指摘により勘違いだということがわかった。てっきり発声練習をして身体を内側から鍛えているのかと思っていたのに。
そんなこんなで密かに囁かれている言葉が「西野隆弘が歩いたら女に当たる」である。男子生徒が血の涙を流しながら机にかじりついて吐き出す場合が多い。
隆弘がゆっくりとタバコを楽しんでいる最中、その言葉を最初に吐き出した男がノハの部屋に入ってきた。
「くそモテ男が今日もいやがるのか。花ちゃんのストーカーめ」
銀髪赤目、みてくれだけはいいドヘタレのテオ・マクニールである。
隆弘と同じく(あるいはそれよりも濃く)イングランドの血を引く彼も彫りが深く整った顔立ちをしているが、隆弘が男らしいと形容されるならテオは良く言えば儚いと形容されることが多く、本人の性格があいまって「ヘタレ」やら「もやし」と呼ばれることがほとんどである。
顔をあわせて早々暴言をぶつけられた隆弘は馴れているのかフン、と軽く鼻を鳴らしまたタバコの煙を吸い込んだ。目線は窓の向こう側に見えるラドフォード家から少しも動かない。
上がり込んできたテオは隆弘の横へ腰を下ろし、ソファがまた微かに音を立てる。ノハは相変わらず本を読んでいた。
「隆弘、タバコ1本くれ」
「てめぇラキストはどうしたよ」
「花ちゃんがちょうど来てるからくすねられなかったでござる」
「クソッタレが」
長い足を惜しげもなく伸ばしていた隆弘が微かに上半身を動かし、ショートピースのパッケージをテオに差し出す。テオはそこから1本タバコを拝借するとテーブルに置いてあった100円ライターで火をつけた。
彼らの間に会話はない。隆弘は花子を見るために来ることが多いし、テオは疲れた表情でタバコを1本吸うだけだ。ノハはふたりがなにを思ってここに来ていても大して気にしない。ただ本を読んでいるだけだから、必然会話は少なくなる。
けれどもその沈黙の中に少しだけ混ざる会話が、きっと3人とも嫌いではないのだろう。
口からふわりと煙を吐き出して隆弘が言う。
「……今度酒盛りやろうぜ」
テオは膝を抱えるようにソファへ座り、隆弘同様煙を吐き出した。
「どうやって酒買うんだよ」
「俺は年齢確認なんてされたことねぇぞ」
「ああ、タカちゃん老けてるから……」
隆弘の足がテオを軽く蹴った。微かに身体を揺らしたテオは
「本当のことじゃないですかー! やだー!」
と非難めいた目つきで隆弘を見る。隆弘がフンと軽く鼻を鳴らしてタバコの煙を吸い込んだ。
ノハは本のページから目を離さず、答える。
「来週の土曜日ならあけとくよ」
隆弘の口元がニヤリと笑う。
「決まりだな」
テオは軽く笑い声を上げてまたタバコを咥える。
それ以降会話らしい会話はなく、来週の土曜日17時からノハの家へ、という簡単な取り決めとともにその日は解散と相成った。