二話
瞬きをする。雛子は気が付くとフワフワとした空間に移動していた。
上もなく下もなく、体感したことはないが無重力というのか、とにかく変な場所にいる。足を前に出して進んでいるつもりなのに逆に後退しているように感じるし、景色は変わらず白くて変わり映えも無く一点に止まっているようだ。歩いても無駄であると感じた雛子はその場に座り込む。
「う~ん、どこなんだろね?」
呟いた声は思ったよりも大きく響いた。無意識に寂しくて大きい声を出してしまったのだろう。雛子は苦笑しながらどうして自分がこんな訳の分からない場所にいるのか考えて、諸悪の根源である電波系同級生佐藤美紀を思い出して拳を握り床に叩きつける。が、痛みも衝撃も伝わってこない。手を開き恐る恐る床を撫でれば伝わる不思議な触感に雛子は息を吐く。固くもなく柔らかくもない、確かに床があるはずなのに何も感じられない。
「あーあ、もう、分かんねーですよぉ」
体を投げ出し床に寝っ転がって記憶を整理していく。新作ゲームに浮かれていたら人にぶつかって、相手を睨みつけたら中高の同級生の佐藤美紀だった。何を思ったか佐藤美紀はキチガイ発言かましながらナイフで雛子を滅多刺しにしてきて、痛いし熱いし寒いし苦しいしで油断したときの生理以上の苦しみを味わって……フラッシュバックする記憶に青痣がつくような強さで自分の体を抱きしめる。
じんわりと涙が浮かんでくるが、恐怖よりも怒りのほうが強い。理由は単純で注文していたゲームができなくなってしまったことだ。読み途中の漫画や小説の続きだとか、大学の友達と行く予定だった旅行とか、たくさんこの世に未練がありすぎて思い出しただけで腹が立つ。
どうして自分は佐藤美紀の枕元にいないのか。ここは根性で悪霊化して祟るとこだろうと自分の使えなさに手足をジタバタさせる。もしも悪霊になっていたら楽になんて死なせてあげず、じっくりたっぷりと嬲っていっそ死にたいと思わせて苦しめたい。
「お前の魂、良いな」
夢想してうっそりと微笑んでいると、ふいに誰かの声が聞こえてくるが、周囲を見渡しても姿は見えない。もしかしたら幻聴なのかもしれないと首を傾げるが、知らない笑い声は響いて存在を主張してくる。声の調子から我の強さと底意地の悪さが伝わってきて、聞いている者を不快にさせるような気持ち悪さを持っていた。
「心地良い殺意と憎悪。うん、実に俺好みだ」
茶化すような面白がる声色に我慢ができず、雛子は眉を顰める。
「俺は悪魔だ。お前の望みを叶えてやる代わりに対価を頂こうか」
偉そうにのたまう自称悪魔は声からして男だろう。どうやら佐藤美紀と同じ人種らしく、頭のネジが緩いようだ。狂人マジ最悪だと舌打ちしながら姿は分からないけど適当にそっぽを向く。
「疑ってるのか。まあ、いい。お前を殺した女、佐藤美紀だったか? あいつも面白い人間だった」
「あいつを知ってるの?」
「もちろん、知ってるさ。あいつとも契約してるからな」
叫ぶように問うといかにも意味ありげですといったような含む言い方をする。特大の餌をぶら下げられて食いつかないわけないのに、おそらく分かっていてそう振る舞っているに違いない。質が悪い嫌な男だ。
わざと苛立たせる男の呪縛を逃れようとするため、いったん冷静になるよう努め握りしめていた拳を開き爪痕を撫でる。目を閉じて男の言葉を一字一句間違えないように言葉を反芻させると、聞き捨てならない言葉を拾うことができた。
「……契約?」
「ああ、契約だ。対価を貰う代わりにどんな願いでも叶えてやる。そうだな、佐藤美紀はゲームの世界へトリップしてキャラ達にチヤホヤされ、自分が望むほどの美少女になり、強い能力が欲しいと言っていたな」
「……何それ」
疑問を口にした雛子に男は機嫌良さそうに説明し出すが、馬鹿げだ理由に口をへの字に曲げる。佐藤美紀の願いに対し、雛子の気持ちは酷く冷めていた。
それってどんな夢小説、あるいは、ラノベの世界のことだろうか。妄想は夢の中だけで見てればいい。他人を、私を巻き込んでんじゃねーよと、忘れかけていた怒りがまた湧き上がってくる。
「お前を殺したのは神に生贄を捧げることでトリップできると信じていたからだ。生贄達を殺した後自殺して、興味本位で現れた俺に嬉々として願いを話し出した。あれほど自分の欲に忠実な奴は珍しいぞ。で、俺は無駄死にした生贄であるお前らにちょっかい出そーとしてるわけだ」
無駄死にを強調するのは癪に障るが、犯行理由を喋ってくれたのはありがたい。佐藤美紀はゲームの世界へトリップしたかったので、生贄として称して雛子を、男の口ぶり的に他にも被害者がいるみたいだが、少なくとも数人は殺したのだろう。さらに自分も死んで、自称悪魔に出会うと願い事を言って叶えてもらった、らしい。彼女を見送った後、男は次のターゲットに被害者である雛子を選んだ。心底佐藤美紀を憎んでいる雛子に三つの願い事と彼女の情報を開示するなんて、こいつに何の得があるのだろうかと考える。嘘を吐いても悪魔を名乗る男にメリットはないだろうから、おそらくは本当のことを言っているのだろうけど、契約の対価というものが気になった。
――ああ、苛々する。
衝動的に指を噛んで落ち着ける。現実味が薄い世界だが痛覚はあるようで、自分を落ち着けるように手首や肘の手前、二の腕に次々と歯型を残していく。人前ではしないが相手は自称悪魔だし、姿が見えないから特に気にならない。
「疑り深いな。さて、お前は俺に何を願う?」
何を、とは愚問だろう。もう、男には分かっているはずだ。雛子の願いなどとうに看破しているのに、あえて問うのは性格が悪い。さすが悪魔を名乗るだけある。
「私を殺した相手に復讐したい」
「良かろう。しかし、少ない望みだな。他の者は多くのものを望んだと言うのに、お前は美貌とか金とか要らないのか?」
残念そうな面白がる男に首を振る。
「要らない。私が欲しいのは確実な復讐だけ」
それ以外はあっても邪魔だ。あの女が憎い、与えられた痛み以上の苦しみを味わせてやるという想いだけで十分だ。機会を得ればどんな手を使ってでも成し遂げてみせる。霞がかった佐藤美紀の顔が絶望に歪むのを想像するだけで雛子の背に甘い痺れが走った。
「対価を貰うが……って、こっちも聞こえていないか。せいぜい新しい人生を楽しむことだな」
白い空間の中、下へ上へ右へ左へ、どこかに落ちていく。辿り着く行き先は天国か地獄か、佐藤美紀がいるのならどこでも構わない。雛子は抗わず身を任せた。
初めて予約掲載設定を使ってみました。
上手く投稿できてますかね?
大丈夫そうなら、これからこの機能を使っていきたいと思います。




