十四話
木々が密集していたのが嘘のように開けた場所に出る。安堵のために気を抜いた瞬間、桃理は吹っ飛ばされ木に叩きつけられた。仕掛けておいた木だったので、体に傷はないが叩きつけられたショックで呼吸が上手くできない。
「あんたつまんない。もう、厭きたし死んでよ」
赤い唇を舐めて虫けらでも見るような眼差しを向けながら、佐藤美紀は拳を握り振り下ろし。
――桃理、右に転がって――
李理に従い右に転がると、先ほど桃理が叩きつけられた木が圧し折られていた。それだけではなく、後方の木々もまとめて薙ぎ倒れている。呆れた馬鹿力に呼吸を整えながら佐藤美紀の戦闘能力を分析すると、動きは李理にも劣るが力だけなら圧倒的に差が合った。おそらく、大体のことは力押しでどうにかできてしまう身体能力を持っている。これで技まであれば対処することすらできなかっただろうが、他の転生者同様に自身の能力を扱いきれていない。しかし、彼女達と違い力だけで押し切れてしまうので、李理のフォローがあるといっても所詮桃理の肉体スペックは人間に近いので叶わない。
もう少し身体能力を高めておけば良かったなどの後悔は終わってからで十分だと、速くなっていく心臓を落ち着けようと一つ長く息を吐く。どうせ、桃理に攻撃力などないので力比べしても敵いっこない。そんなこと分かっていた。両頬を叩き気合を入れて、自分のやるべきことをやる。そうすれば勝機は見えてくるはずだと信じて桃理は顔を上げた。
「あはは、弱いわね。あんたがどんな本性を持ってるのか知らないけど、出し惜しみしても、まあ、どっちにしろ死ぬことには変わりないわね!」
「にゃ?」
突然佐藤美紀のスピードが変わる。目に見えない動きに足は止まり、その一瞬が命取りとなり、片手で首を掴まれ絞められながら地面に押し付けられた。制服はところどころ破れ、肌には泥や擦り傷ができて痛いが首の比じゃない。
――桃理! 出して、このままじゃ死んじゃうよ――
焦る李理の声が頭の中で響くが桃理は沈黙を選ぶ。
「んじゃ、私のために死んでよ」
振り下ろす手を酸素不足の頭でタイミングを計る。触れる直前、術式を解除して桃理の体から李理を引きはがした。
桃理の身体能力は一般人より少し低いくらいなのに、どうして佐藤美紀の攻撃を避けられたかというと、妖魔達は同族で同調することにより強くなることができるという性質を持つ。その場しのぎの短時間のものなので、通常は長時間できるものではない。桃理は双子であったことと妖魔使いと支配できる妖魔という関係からか、李理との相性はものすごい良かった。ただ同調するよりも融合することができ、普段桃理は李理を融合して体に纏っていたのだ。おかげで、地龍の能力を少し使え、身体能力が向上した。
「そんな、桃理!」
「え?」
佐藤美紀が知るはずもない術式なので、突如現れた李理に驚いて桃理の心臓から逸れて腹を貫く。鮮血が飛び散り痛みに意識は飛びそうになるが、桃理は無理やり笑みを作り声高々に勝利宣言をする。
「にゃは、はっはぁ……これ、でぇ、とーりぃ、ちゃ、の勝ちぃ。ビ、クト……ィ」
佐藤美紀は怪訝そうな表情をする。彼女は桃理の能力も計画も知らないので無理はない。腹に傷を負った桃理が勝つなど普通は思えないだろう。
「桃理、喋っては駄目。すぐに」
「だぁめぇ。李理ちゃ、しぃ、なにょ」
傷口に自分の制服を脱いで押し当て、夜理でも呼んで保健室にでも連れて行ってもらおうと考えている李理。悪いがその案に乗ることは絶対にできない。桃理はわざと言葉に力を込めて命令して李理を黙らせる。妖魔使いの言葉なら同じ種族の妖魔は、どんな理不尽なことを言われても結局は従うしかない。口では拒否を連ねても逆らうことはできないのだ。
「とぉり、ちゃ、はぁ、りゅーのねぇ、よーまちゅか、なのぉ」
「妖魔使い? それが何だっていうの? あんたはここで死んでおしまいだし、満足に操れてないのに粋がってばっかみたい」
「逆ハー、もー、無理ぃ。ざまー、なのぉ」
「何言っ……」
馬鹿にしたようにあはっと笑いかければ、眉根を寄せなぜかを考えつかない佐藤美紀が吹き飛ばされた。桃理も予想できなかった犯人はオレンジ色に近い鱗を持つ地龍の李理。本性を完全に現した龍の姿になり桃理を庇うように己の体で囲み、佐藤美紀を威嚇して睨みつけている。桃理は黙らせたのはいいが行動を縛るという初歩的なミスを犯していた。
「メッにゃ、のぉ。とー、りぃちゃ、死にゅこ、で、完しぇー、すゆ」
慌てて引くように言うと泣きつくように桃理の頬を舐める。
どうして。残って戦うよ。私達はずっと一緒だもの。
李理の強い気持ちは伝わってくるが首を振って窘めた。散々自分の目的のために利用してきたが無駄に死なせたくない。桃理にだって情はある。引きはがされて会わなくなった両親とは違い、李理は傍にいて健気に自分を慕う、たった一人の可愛い妹なのだ。
そもそも、佐藤美紀を殺すだけなら簡単だった。戦うというか逃げ回って感じた力量的に、夜理に命令すれば瞬殺できる程度の能力しかない。もっとも、佐藤美紀が自身の能力を把握して使いこなせていたら良い勝負ができただろう。佐藤美紀の全力を知っているわけではないが、桃理には夜理以外にも闇理や爽志といった切り札もある。殺すだけなら簡単なのだ。
――痛い。苦しい。やり残したことがあったのに。
桃理の無念の気持ちや憤り、憎む気持ちは殺すなんてことでは晴らせない。一瞬で逝くなんて優しすぎる。桃理が苦しんだ分と同じくらい苦しんでほしい。どうやったら、佐藤美紀が絶望を味わうか考えに考えて出た結論は、逆ハー展開を打ち砕くというものだった。
龍の妖魔使いである桃理に手を出せば同族の龍達が敵に回る。ゲームキャラクターで言えば夜理と闇理。九の名を持つ彼女達の能力はもちろん、絶大な権力も持っている。いくら妖魔使いの双子の妹でも、いや、妖魔使いの妹だからこそ許されないと思われるだろう。身内に妖魔使いがいながら、希少な妖魔使いを殺した者として歴史に名を残すかもしれない。
真面目に修練を積んだ妖魔使いの能力の恐ろしさを思い知ればいい。夜理にはあらかじめ遺言を預けて、桃理の身に何かが起こったら手紙を読むよう指示してある。佐藤美紀である万町月菜のことを詳しく書き、生かさず殺さずにして嬲ってこの世にいることを後悔させてやれというような内容を記した。
他の者達を例え落としても九の夜理に真っ向から敵対してまで愛し守ることはできるだろうか。特に龍族は血眼になって佐藤美紀を探し、最後の命令のためだけに動いている。己達の身がどうなろうともなりふり構わず手段は問わず自分達の妖魔使いを殺した佐藤美紀を目指す中で、龍族全てを敵にしてもなんて猛者はそうそういない。落とした相手の一族はまず敵対することを好まないし、落とした相手と絶縁すれば後ろ盾がない状態で抵抗することは難しいだろう。
絶対に逆ハーみたいに皆から愛されたりなんかさせないという桃理の意地だった。
「この、死にぞこないが!」
妖気が大きくなる。倒れたので目に入ってこないが佐藤美紀は本気モードになったらしい。ようやく終わると目を閉じるがなかなか攻撃が来ない。それどころか、懐かしい気配に目を開けると夜理と闇理が庇うように立ち、憎々しげに月菜を睨んで威嚇している。
「桃理様、妖魔使いとの絆が深いほど妖魔は危機に対して敏感なのですよ」
「お傍にいるのは僕達だけではありません。皆一緒です」
他の龍達の気配も複数、いや学園内にいる者全て来たのではないかという数を感じられた。彼らは怒りを露わにして、今にも佐藤美紀に噛み付きそうだ。
「それに、わたくし達龍だけではありません」
桃理の体が誰かの手によって起こされる。
「桃理先輩、僕達に声をかけてくれれば良かったのに」
「あんな女に関わるなと言ったのを忘れたのですか?」
「桃理先輩、大丈夫か?」
「どう゛り゛ぜんばい゛~。お腹に怪我がぁ」
「全く貴姉は危なっかしい」
「うわっ、酷い状態。早く八先生連れてきて」
「「嘘だ、嘘、嘘だよね? 桃理先輩死んじゃ駄目!」」
「回復系能力者は早く」
「ひぃ! み、みんな、ちょ、ちょっと退いてく、くれませんか? 血が、血がぁ」
「煩いぞ。とっとと癒せ」
「可愛らしい桃理先輩のお腹に穴が、あぁ」
「ちょっと、倒れて来ないでくれるぅ? 桃理先輩は、桃理先輩!」
「お、俺がもうちょっと早くに気付けば良かったっス。桃理先輩が」
「にょわぅっ。あちこちにつ、強い妖魔がいるよぉ。うう、桃理先ぱ~い」
「貴女、前生徒会副会長様に何てことを! 紅夜様の敬愛している先輩なのに、殺して差し上げますわ」
「てっめぇ! 桃理先輩に手ぇ出してタダで済むと思ってんのか」
「恋する乙女は好きだけど、貴女みたいな外道は嫌いよ。絶対に許さないわ」
「桃理先輩になんて惨いことを! 許せません」
「現行犯逮捕。抹殺、良い?」
「桃理様に手出すなんてありえない。ちょ、陽菜ちゃん、マジ妹なの?」
「月菜、あんた何てことを……いくら妹でも、もう許さない!」
生徒会の紅夜が困ったように笑い、真はヒステリックに叫び、心配する爽志、泣き出す灯魅。武器を構えた風紀委員の正義に冷静に回復能力者を呼ぶ副委員長、双子の書記と庶務はユニゾンして涙を零した。教師の剛司は多くの回復能力者を呼び、養護教諭は鼻水を垂らしながら手当をし、そんな養護教諭を風紀委員会顧問が叱咤する。生徒会補佐の烏天狗が桃理の無残な姿に気を遠くし、白虎は烏天狗に蹴りを入れ桃理に駆け寄る。風紀委員補佐の誓路が蒼い顔で膝を落とし、もう片割れが周囲の妖魔にビビりながらも桃理の傍に這い寄った。会長命な会長親衛隊長が眦を釣り上げ、副会長大好きな副会長親衛隊隊長は青筋を立て怒鳴り、庶務以外の男子に厳しく恋する乙女が大好きな庶務親衛隊隊長は冷ややかな眼差しを向け、生徒会副会長は涙を堪えながら睨み、風紀副委員長はボソボソと物騒な発言をし、陽菜のルームメイトであるゆなは陽菜を盾にしながら涙目になり、陽菜は何かを決意したように妹の月菜を見る。多くの者達が集まり、ゲームキャラ全員登場、いや一名いないが、あまりの衝撃に桃理は困惑してしまう。
「どうして、どうしてこんな女なんかに」
力なく呟く佐藤美紀の嘆き。絶望に追い込んだことに嬉しく喜ぼうとして桃理の意識は遠のいていく。まだ、後もう少し見ていたいのに、悔しくて手を伸ばすと誰かがその手を掴んだ。大丈夫だよと言っているようで桃理は大人しく目を閉じた。
次回でラストです。