何事もない休日
ノアが『狩人の止まり木』に来てから、一週間と少しが経った。
あの夜の襲撃以降、俺の周りにはいくつかの変化があった。
その最たるものが、ノアの存在だ。
止まり木に立つ彼女は、瞬く間に人気者になった。
可憐な見た目に反して、芯の通った立ち居振る舞い。
客に絡まれても慌てることはなく、必要とあらばきっぱりと一線を引く。
教えたことはすぐに覚え、それを自分なりに噛み砕いて応用も利かせる。
本人もそれを自覚している節はあるが、嫌味な自信家というわけではない。
――この人に任せておけば大丈夫だ。
そう思わせる、不思議な安心感があった。
しかし、完璧人間というわけでもない。
自信満々に「こっちが近道よ」と裏道へ入っていったきり、いつまで経っても戻って来ず、誰かが迎えに行ったのは一度や二度ではない。
方向音痴なのか、それとも単純に土地勘がないのか。
だが、そうした抜けた部分が、かえって彼女を身近な存在にしているようだった。
俺も最初の頃は、どう接すればいいのか分からず緊張していたが、今ではすっかり頼れる従業員の一人としてノアを見ている。
もちろん――魔法のことは、未だ隠し通したままだが。
俺の身の回りだけでなく、街の様子も少しずつ変わり始めていた。
ルミネで起こる揉め事や事件は、むしろ増えている。
最近では、一日に一件は何らかのトラブルが起きていると聞く。
さすがに異常事態と判断したのか、辺境伯も動き始めたらしい。
街中を巡回する衛兵の数は増え、夜だけでなく昼間でも目につくようになった。
人々の会話には、じわじわと不安が滲み始めている。
ノアに、俺の監視だけに集中していて大丈夫なのかと尋ねたことがある。
返ってきた答えは、別の対魔管理局の人員が並行して事件の調査を進めているため、今のところ問題はないというものだった。
どうやら、ノアが俺から目を離すことはなさそうだ。
早く犯人が見つかれば、彼女の監視からも解放される。
そう思う一方で――。
あの有能なバイトがいなくなるのは、少し惜しい。
そんな感情が芽生えている自分にも気づいていた。
だが、ノアはいずれ止まり木を去る。
感傷に浸るのは、性に合わない。
そんなことを考えながら、俺は家の外に出た。
日の上り方からして、朝の八時か九時といったところだろう。
郵便受けを覗くと、見慣れた封筒と小包が入っていた。
「……兄さんからか」
差出人は、ルーク。
小包を開けると、金属製の缶と、ずっしりとした重みの金貨袋。
金貨はいつものように金庫へしまう。王都勤めになってから、兄はいったいどれほど稼いでいるのだろうか。
缶を開けると、中にはクッキーがぎっしり詰まっていた。
「王都の菓子か……うまそうだが、多いな」
一人で食べるには、さすがに量が多すぎる。
「リナにも分けるか」
今日は週に一度の非番だ。
久しぶりに、幼馴染のいる聖架教会へ顔を出すのも悪くない。
*
ルミネの教会を訪れたが、リナの姿は見当たらなかった。
近くにいた修道女見習いの少女に声をかけ、呼んできてもらう。
「――ユーマ!」
明るく活発な声が響く。
「どうしたの? 教会に来るなんて久しぶりじゃん!」
駆け寄ってきたのは、幼馴染のリナだった。
「すまん。しばらく顔を出せてなくてな。ルーク兄さんから手紙が届いたんだが……」
俺はクッキーの缶を差し出す。
「大量に入っててな。一人じゃ食べきれない。少しもらってくれないか?」
「えっ!? ルーク様から!?
食べる! 絶対に食べます!!」
歓声が、聖堂に響き渡る。
リナは十年以上、兄にお熱だ。
もっとも、当の兄はまったく気づいていないようだが。
「あ、そうだ! 私もお隣さんから今朝搾りたてのミルクもらったんだよ!
それで一緒に――」
そこで、リナが言葉を詰まらせた。
俺の後ろを見て、口をぱくぱくさせている。
振り返ると、穏やかな笑みを浮かべた年配の男が立っていた。
柔和な表情とは裏腹に、どこか背筋が伸びる圧がある。
「……エルグ司祭……!」
震え声で名前を呼ぶリナ。
「ここは教会です。お静かに」
ごく穏やかに、だが有無を言わせぬ声で諭される。
「ごめんなさい……」
「反省したなら結構。ところでリナ、先日頼んだ件は覚えていますね?」
「……あ! も、もちろんです!」
――絶対忘れていたな。
「ごめんユーマ! 急用ができたから行くね!
今日は非番でしょ? あとでミルク持って家に行くから!」
そう言い残し、リナは走り去っていった。
残されたのは、俺と司祭の二人。
「お久しぶりですね、ユーマ君。リナに会いに?」
「ああ、用件は済んだ。最後に祈って帰るつもりだ」
「それは良い心がけです。
どうぞ、ごゆっくり。聖架の元に、魔導の導きがあらんことを」
そう言って、エルグ司祭は去っていった。
聖堂の中央に立つ、魔導士の像を眺める。
この世に魔法を広めたとされる、聖架教の教祖だ。
祈りを捧げようと、椅子に腰掛け目を閉じた。
その時だった。
「お隣、失礼してもいいかしら?」
声のする方を見る。
そこにいたのは、見慣れた二つ結びの銀髪と、透き通るような翡翠の瞳。
『狩人の止まり木』の新人――
そして、聖架教会・対魔管理局の調査員であり、俺の監視役。
ノアが、穏やかな微笑みを浮かべて立っていた。
しばらく毎日お昼の12時更新予定です。
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