翌朝の異変
目を覚ましたのは、朝というには少し遅い時間だった。
窓から差し込む光の角度で、だいたい十時くらいだろうと当たりをつける。
時計は高級品だ。うちにはない。
もっとも、職場である『狩人の止まり木』には置いてあるから、正確な時間が知りたければナナミさんのところへ行けばいい。
「……よく寝たな」
昨夜は、色々ありすぎた。
身体を起こし、顔を洗ってから台所へ向かう。
朝食は簡単に済ませる。
昨日、酒場で余ったチーズとハムをもらってきている。庭で育てているレタスを一枚ちぎり、パンに挟んでサンドイッチにした。
素朴だが、悪くない。
椅子に腰掛け、のんびりとそれを齧る。
この家に住むようになって、もう五年になる。
両親と家と畑を失ったあと、俺と兄のルークは酒場――狩人の止まり木の二階にあるナナミさんの自宅に居候していた。
だが、兄が十五で成人を迎えたタイミングで、そこを出ることになった。
「いつまでも甘えてるわけにもいかないでしょ?
ルークも立派に役人さんになったんだから、これからはちゃんと自分たちで生活できるように頑張りなさい」
そう言って、ナナミさんが紹介してくれたのが、この家だ。
兄と俺は三つ歳が離れている。あの頃の俺は、まだ十二だった。
小さな家だが、風呂もあるし、小さな庭ではちょっとした畑仕事もできる。
暮らすのに、不自由は何一つない。
ここは、俺の安住の地だ。
もっとも――兄のルークは、今ここにはいない。
辺境ルミネの役所に就職した兄は、その有能さを見込まれて本部に目をつけられ、二年前、俺が十五で成人したタイミングで王都の役所へ抜擢された。
今は、王都アルセイン勤めだ。
それでも兄は、定期的に手紙を寄越す。
土産話と一緒に、決して少なくない金額の仕送りも。
「……まだ、一度も使ってないけどな」
俺は小さく呟く。
兄のように才色兼備とはいかないが、それでも自立はしているつもりだ。
酒場で働き、生活は回っている。
いつか機会があれば、まとめて返そう。
そう思って、その金は金庫にしまったままだ。
食事を終え、食器を洗いながら、昨日の出来事を思い返す。
胸元に指をやる。
そこにあるのは、ノアから渡された木札だ。
――対魔管理局。
――ノア。
――精神干渉魔法。
一晩経っても、現実味は薄れない。
酒場での一件。
夜道での遭遇。
操られた冒険者たち。
隠匿の結界。
そして、可憐でありながら強い存在感を放つノア。
思い返すほどに、俺の「いつもの日常」からはみ出している。
「……俺の日常が、続けばいいんだが」
そう祈るしかなかった。
*
昼過ぎ。
職場である狩人の止まり木に出勤した俺は、店内を見て言葉を失った。
「いらっしゃいませー。すみません、まだ開店時間では――あ」
その声に、思考が止まる。
「……ノア?」
彼女は、そこにいた。
狩人の止まり木のウエイトレス制服を着て。
「どういうことだ」
思わず、声が低くなる。
「ナナミさんたちは巻き込まないんじゃなかったのか」
「巻き込んでなんかないわよ」
ノアは平然と言い返す。
「ここには、ただバイトに来てるだけ。
あなたを監視するって言っても、四六時中張り付いてたら怪しいでしょ?」
「だから、一番不自然じゃない形で、あなたの側にいられる方法を選んだだけよ」
「ぐぬ……」
理屈としては通っている。
通っているが、納得はできない。
「仕方ない……だが、再三言うが、ナナミさんたちは絶対に事件に巻き込むなよ」
「当然よ」
ノアは胸に手を当て、真剣な顔で言った。
「魔導の主に誓うわ」
聖架教の教祖の名を出されては、これ以上突っ込めない。
その時だった。
「あらぁ〜?」
背後から、聞き慣れたオネエ声。
「二人とも、早速仲良くなった感じ〜?」
ナナミさんだ。
「ユーマ、ノアちゃんのこと、いじめちゃダメよ?」
「む、俺は新人をいじめるほど性格は悪くない。それにこの女は……」
続ける前に、ノアが一歩前に出た。
「着の身着のままの私を拾っていただいて、本当にありがとうございます。このご恩は決して忘れません!」
「いいのよいいのよ〜」
ナナミさんは朗らかに笑う。
「困ったときはお互い様。落ち着くまでウチにいなさい。部屋の空きは十分あるんだから」
……いつの間にか。
ノアは「王都から流れ着いた身寄りのない不遇な少女」という立場になっていた。
俺は急いでノアを酒場の隅へ引っ張る。
「おい、どういうことだ?
まさか、ここに居候するつもりじゃないだろうな」
「だって、その方が自然でしょ?」
ノアは涼しい顔だ。
「身寄りのない女の子が白鹿亭に長居してる方が、よっぽど怪しいわ。
最初は安宿に移るつもりだったんだけど、最近は治安が悪いって言われてね。ナナミさんが二階を貸してくれたの」
つらつらと説明される。
「というわけで、ご好意に甘えることになったの」
にっこり。
「しばらくよろしくね、ユーマ」
「……くっ」
なんだ、このなし崩しに侵食されていく感じは。
俺は内心で深くため息をついた。
この調子では、うっかり固有魔法についてボロを出しかねない。
改めて、気を引き締める必要がある。
俺の日常は、確実に揺らぎ始めていた。
――しかも、かなり身近なところから
しばらく毎日お昼の12時更新予定です。
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