辺境ルミネの酒場の日常
辺境都市ルミネの夜は静かだ。
魔の森がすぐ外にあるせいで、日が落ちると住民は基本的に外出しない。だから酒場ーー『狩人の止まり木』が一番賑わうのは、実のところ夕方から日没までの短い時間だけだ。
俺は今日も、カウンターの内側に立っている。
「ユーマぁ、そっちの樽、もう空よぉ〜」
背後から、間延びした声が飛んできた。
「ああ、今補充する」
振り返ると、細身で背の高い男が、腰に手を当ててこちらを見ている。この店のマスター、ナナミさんだ。
髪は肩にかかるくらいで、無駄に艶がある。声も仕草も、どう見てもオネエだ。
「ほんっと、あんたは返事が素っ気ないんだから。体格がいいから真顔だと怖いのよあんたは!もう少し愛想ってものを覚えなさいよ。笑顔よ、笑顔」
「ここは酒場だぞ?酒があれば十分だろ」
「そういうところよ」
呆れたように言いながらも、ナナミさんはどこか楽しそうだった。
この人には、昔から世話になっている。
俺と兄のルークが、魔物に襲われて両親と家と畑を失った時、ナナミさんがいなければ、俺たちは生きていなかった。
何も聞かず、何も条件も出さず、俺たちを保護した。
食わせて、寝かせて、働かせた。
キッパリと物を言うが、根は優しい人だ。
「ほらユーマ、ぼーっとしない。補充が終わったら、お客さん見て」
視線を戻す。
今日も、いつもの顔ぶれだ。
農民、荷運び、冒険者が少し。
――そして、厄介そうなのが一人。
テーブル席で、酒を飲みながらウエイトレスに絡んでいる。仕事終わりの冒険者だ。
「なあ、一杯付き合えって言ってるだろ」
「お、お客様……」
彼女は困った顔で、周囲を見回している。昨日からうちで働き始めた新人だが、どうやら厄介な客に捕まってしまったらしい。
新人をサポートするのも先輩の務めだ。
俺はウエイトレスと酔っ払いのいる席へ近づいた。
「その辺にしとけ」
「あ?」
男が振り向く。酒臭い息。
「ちょっと話してるだけだろうが」
「仕事中だ。嫌がってる。いい大人なら、酒くらい一人で飲めるだろう」
次の瞬間、男の表情が歪んだ。
「……てめえ、何様だ」
男が腰に手をやる。
短剣の柄が見えた。
店の中で、というか街中で武器を取り出すのは御法度なはずだが……。
このまま騒ぎになるのは好ましくない。
仕方ないが、この場を穏便に収める必要がある。
俺は意識を、相手の胸の辺りに集中させた。
闇属性。
俺の魔法は、相手の精神に干渉する。
魔力の高い相手には効きにくい。
だが、冒険者であっても、酔っ払いのように油断していれば、まず抗えない。
強く押す必要はない。
今は、眠らせるだけでいい。
睡眠誘導ーー
「……へぁ?」
間抜けな声と共に、男の身体が糸を切られたように崩れた。
机の上に突っ伏し、動かなくなる。
「どうやら、かなり飲み過ぎていたようだ。新入り、災難だったな。持ち場に戻っていいぞ」
「は、はい! ありがとうございます!」
「……はぁ。まったく」
ナナミさんが、頭を押さえる。
「ユーマ、そいつ外へ放り捨てておきなさい」
「ああ」
眠ったままの男を外に追い出すと、店はすぐにいつもの雰囲気を取り戻した。
もちろん料金は、財布から頂戴した。
慣れた光景だ。
カウンターに戻ったとき、視線を感じた。
店の端。
フードを被った女が、こちらを見ている――と思ったが、目が合った途端に視線を外された。
旅人だろうか。辺境の住民ではない雰囲気だ。
酒は飲んでおらず、食事だけを注文している。
この酒場にはあまり似合わない雰囲気だが、先ほどの騒ぎにも動じず食事を続けているあたり、案外図太いのかもしれない。
俺は何事もなかったように、台拭きでカウンターを磨いていると、食事を終えた先ほどの女が近づいてきた。
再び目が合う。
翡翠色の、澄んだ瞳だ。
顔を見て気づいたが、思ったより若い。顔付きは幼いながらも美しいと思った。
俺と同じ、十七くらいだろうか。
「会計なら、そこに置いてくれ」
「……ええ」
女は短く答え、金を置いた。
「ご馳走様。とても美味しかったわ」
「毎度あり。ぜひ今後ともご贔屓に」
女が酒場を出て行ってからしばらくして、他の客も帰宅の支度を始める。
やがて、客のいなくなった店内には、先ほどの喧騒が嘘だったかのような静寂が戻った。
辺境の夜は、やはり静かだ。
しばらく毎日お昼の12時更新予定です。
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