それは服を着替えるように
「おーい、市川。今日さー」
「ばっか、あいつもう市川じゃねえよ」
「え? あ、そっか」
「なー、仁藤。この前のあれさ」
「ふふふ、違うってば『仁藤』じゃなくてぇ……」
「あ、そうだったっけ」
私の母は恋多き女だった。
その母がよく口にしていた『人を好きになることは素敵なこと』というのは自己弁護のようなものだったのだろうか。
小学校、中学、高校に通う間、何度も名字が変わる私はよく、こう言われたものだ。
『お母さん、また離婚したんだ』『どうして?』『大変だね』
同級生から。だけじゃない。誰からも。先生、近所の人。恋人。
どうして? 大変だね。同情を装うその言葉に隠れ、ついているのは『お母さん、どうしてそんなにビッチなの?』『大変だね、お母さんが淫乱だとさ』だ。
笑顔で隠しているが陰で笑われていたのは知っている。
自分の顔が母に似たのも不幸だ。私を通し、会ったこともない母を見て嘲笑い、楽しんでいるのだ。ワイドショーで芸能人の不倫を観るように。下卑た笑い声を上げて。
母は超がつくというほどの美人じゃないが、ある程度整った顔をしていて恋人作りには然程苦労しない人だった。無論、相手をよく選ばなかったのもあるが。それが男からしたら良かったのだろう。都合が。
母は何度、男に泣かされ後悔してもまた男を求めた。そういう人だった。どういう思考回路をしていたのかはわからない。畏怖すらある。もしかしたら母の母。祖母も似たような人だったらしいから遺伝かもしれない。片親で、父親というものをろくに知らないから、守ってくれる存在。男を常に求めていたのかもしれない。
私にはその気持ちも分からない。母もきっと私の気持ちは分からなかっただろう。だからか何度も衝突した。家を飛び出し、膝を抱えて一人泣いた夜は数えきれない。
知らない顔の年上に慰められ、家について行きそのまま朝を迎えたことも数えきれない。
結局、女なんてみんな同じなんだ。私はそう思っていた。そして嫌悪した。母を、女を、そんな自分を。傷つけ、傷つけた。
「三木」
「篠田」
「吾味」
「武藤」
「七瀬」
名字が変わるたびに抵抗感も薄れ、現実がどこかあやふやに。私は自分という存在は一体何なのだろうという感覚にしばしば囚われた。
だから母に似たこの顔を捨てることに抵抗感は特になかった。それで自由になれるのなら、と……。
【おい、久保!】
残念。その名字はもう捨てたよ。
町の掲示板。手配書に写ったその顔を見て笑った私を、腕を組んで歩く妻が不思議な顔をして見上げた。