夏目漱石の特徴「観察眼の鋭さ」
「こころ」の中にもこうした彼の優れた観察眼は見られる。お嬢さんの次のセリフである
「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空の盃でよくああ飽きずに献酬が出来ると思いますわ」
ここから、議論などといった空想めいたことは男性の物であって、女性はよりリアリティのあるものを好むと云う、夏目漱石の考え方が見える。確かに、科学と惚気話、数独と性の体験談、SF小説に恋愛小説。どちらが男性でどちらが女性の好みそうなものかは自明であるだろう。
そして、この観察眼は、なにも人間を相手にしたものだけではない。夏目漱石は社会にもこの観察眼を向けているのだ。そのことは、「夢十夜」を見るとよく分かる。
例えば第七夜。主人公は大きな船に乗っており、その船は煙を立てつつ西へ西へと、物凄い速さで進んでいる。しかし、乗客は皆この船がどこへ向かっているのかを知らない。それが嫌になった彼は、船を飛び降りるが「あぁ、こんな船でも乗っている方がまだよかった」と後悔しつつ海へと飲まれていく。
この夢は漱石の生きた時代(明治時代)の日本を風刺している。そのころの日本は「文明開化だ」と鼻息を荒くして西洋文化を取り入れている真っ最中だ。しかし、そのころの日本人は自国が一体どうなろうとしているのかを全く理解できていなかった。なのに、西洋文化を受け入れなければ、その人は社会からはじかれてしまう。
そして、夏目漱石は、自分自身もその文化に飲み込まれていくだろうという事を、しっかりと分かっていた。第十夜の最後の二段落である。「健さんは庄太郎の話を此処までして、だから余り女を見るのは善くないよといった。自分も尤もだと思った。けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子を貰いたいといっていた。 庄太郎はもう助かるまい。パナマは健さんのものだろう。」つまりこれによって、西洋文化を批判していた彼自身も、又西洋文化を求めているのだとうかがえる。
これらのことを鑑みるに、夏目漱石と云う人物は「出だしの一文」にひどく趣向を凝らし、鋭い洞察力を持っていたのだと分かるだろう。