ニコイチの小鳥
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その時、俺は急いでいて、前をよく見ていなかった。早く行かなければ、目当てのパンが売り切れてしまう。そのことばかりを気にして、俺は一階の売店を目指して階段を駆け下りていた。四時間目の授業中に私語をしていたため、授業終わりに先生から説教をくらってしまい、スタートダッシュが遅れたのだ。階段を踊り場で曲がった時、同じように売店へ向かっているらしい男子生徒の背中に気が付かず、俺は彼の右半身に勢いよくぶつかってしまった。その瞬間、階段を踏み外し、身体が宙に浮いたようなぞわっとした感覚を味わいながら、俺は「お」という短い悲鳴を上げた。
「ごめん! 大丈夫!?」
焦ったように発せられた言葉と、後ろから制服を引っ張られているような感覚で、誰かが俺の制服の背中あたりを掴んで、落ちていくところだった俺を助けてくれたということを直感で理解した。あっぶねー。しっかりと階段を踏みしめ直し、顔だけで振り向くと、同じクラスの蓮沼伸一がいた。蓮沼はしゃがみ込んだような不安定な体勢で、左の腕を引っかけるようにして手すりを掴み、右手は俺のほうへ伸ばされていた。素朴な顔の中で唯一の特徴とも言える黒い縁の眼鏡が斜めにズレている。ああ、なるほど。蓮沼が俺の制服を掴んでくれたのか。
「だいじょぶ、だいじょぶ! 助かったよ、ありがとー!」
そんな軽すぎる言葉を返し、俺はそのまま何事もなかったかのように階段を駆け下りた。思えば、謝らなくてはいけないのは前方不注意でぶつかってしまった俺のほうで、蓮沼が謝る必要なんてこれっぽっちもないんだけど、そのことに気付いたのは、売店で無事に目当てのタルタルフィッシュバーガーとポテサラパンと練乳サンドを購入でき、教室に戻り一息ついた時だった。
「前から思ってたけど、根岸。おまえって顔だけはいいけど、他人に対する気遣いが圧倒的に足りないし、がさつでデリカシーないよな。よくないギャップがあるっていうか。中学ん時の歴代彼女全員に、思ってた感じと違ったって理由でフラれてるじゃん?」
階段での出来事を話すと、栗原が言った。机を俺の席をくっつけて簡易のランチテーブルにして、栗原は持参した弁当を食べている。
「さすがに言いすぎじゃね? メンタル削りにきてんじゃん」
栗原とは小学校のころからの付き合いなので、俺に対する物言いが辛辣である。
「あと、彼女が何人もいたみたいな言い方すんな。二人だ、二人」
「まあ、今回は後からでも気付いただけマシよ」
俺の反論を無視して栗原は言う。
「ちゃんと蓮沼くんに謝っとけよ」
「それは、うん。そうする」
俺は、母親手製のうまそうな弁当を食べている栗原を眺めながら、蓮沼が戻って来るのを待っていた。栗原はいつも弁当を持参しているため、売店とは無縁なのだ。俺の両親は共働きなので、母がたまに夕飯の残りもので作ってくれることもあるが、毎日の弁当というのはなかなか難しいようだ。机の上の戦利品三つは、まだ手を付けていない。一個は、お詫びとして蓮沼に献上するつもりなのだ。しかし、パン二個でおれの腹は午後の授業を乗り切ることができるだろうか。そんなことを考えていたら、蓮沼が教室に戻って来た。
「蓮沼、目当てのパン買えた?」
俺は、自分の席に座った蓮沼に、パンを三つかかえて近寄る。
「え、ううん。買えなかったけど……」
突然話しかけられたことに驚いたのか、蓮沼の声は少し裏返った。蓮沼はパンを二個抱えていて、そのどちらも甘いパンのようだった。
「なに買おうと思ってたの?」
「ポテサラパン……」
「ちょうどよかった。じゃあ、これあげる」
俺は蓮沼に自分のポテサラパンを渡す。
「え、なんで? いいの?」
蓮沼の、眼鏡の向こうの細い目が、落ち着きなくまばたきを繰り返している。
「さっき階段でさ、俺、蓮沼にぶつかったじゃん? ごめん、あれ百パー俺が悪かったのに謝りもせず行っちゃったからさ、そのお詫びのつもり。あと、助けてくれたお礼も兼ねて。だから受け取って。本当ごめんね」
蓮沼は、なおもまばたきを繰り返し、ぽかんとした表情で俺の顔を見ている。
「あ、あ、じゃあ」
蓮沼はそう言って、自分の持っていたホイップあんパンを俺に差し出した。
「これと交換しよう。根岸くんのお昼、それじゃ足りなくなっちゃうでしょ」
蓮沼の言葉に、俺はもう感謝しかない。3-1+1=3。プラマイゼロで、午後の俺の腹は安泰だ。
「いいの? じゃあ、交換しよしよ。ありがとー」
蓮沼からホイップあんパンを受け取って、席に戻ると、
「わかるか、根岸。あれが気遣いというもんだ」
栗原が言った。
「どれが?」
唐突に言われ、わけがわからない俺は栗原に問いを返す。
「他人の昼飯が足りるかどうかなんて、そんな些細なことを、おまえの脳味噌は気付けるか? でも、蓮沼くんは気付けるんだ。それが気遣いだよ」
「すごい。蓮沼って能力持ちじゃん」
栗原の言葉に、俺は目から鱗が落ちる。蓮沼のあの感じは、気遣いだったのか。
「おれなんて、おまえの昼飯なんかどうでもいいもんね」
栗原の言葉に力が抜ける。
「俺は俺の昼飯がすごく気になるぞ。甘いパンしょっぱいパン甘いパンの順番で食べるべきか、甘いパン甘いパンしょっぱいパンの順番で食べるべきか、すごく気を遣う」
そう言い返しながら、俺はちらりと蓮沼のほうを見る。蓮沼はひとりでパンを食べようとしているところだった。ポテサラパンのビニールの包みを開け、どことなくうれしそうな表情で、無防備に口許をほころばせている。おお、と思う。ちょっとかわいい。
*
栗原に蓮沼の気遣い能力のことを教えられてから、蓮沼の行動がなにかと気になるようになった。
蓮沼を観察していて思ったのは、蓮沼は、だいたいいつも遠慮している、ということだ。廊下で誰かとすれ違う時、道を譲るのはいつも蓮沼のほうだった。自分の席に誰かが勝手に座っていてもなにも言わず席が空くのを待っている。売店でパンを買う時にも、他人と欲しいパンがかぶると躊躇いなく当たり前のように譲ってしまっている。
「蓮沼、どのパン狙ってんの?」
ある日、見かねた俺は蓮沼に声をかけた。
「え、え、あ、えと、ハムカツコッペとシュガートースト」
蓮沼は戸惑ったように、それでも欲しいパンを答えた。
「わかった、待ってて」
購入済みの自分のパンを蓮沼に押し付け、
「え、ちょっと根岸くん!?」
驚いた様子の蓮沼を残し、俺は生徒たちの塊の中に身体をねじ入れた。手を伸ばし、ケースの中のハムカツコッペを掴む。次にシュガートースト。どのパンも同じ値段なので、売店に買いに来る生徒たちはだいたいきっちりの金額を持って来て支払う。俺もレジできっちりの代金を支払って、
「ほい、ハムカツコッペとシュガートースト」
蓮沼にパンを渡す。
「ありがとう……!」
蓮沼は言って、俺の手に小銭を握らせた。きっちりの金額だ。偶然にも蓮沼に手を握られる形になり、俺は戸惑ってしまう。しっとりとあたたかい感触に、なんだかくすぐったい気分になった。蓮沼の眼鏡の奥の小さな目は、感激したようにキラキラと輝いている。
「根岸くん、ありがとう」
もう一度言われ、
「このくらい別に、あれだよ」
照れくさくなった俺は、そっけなく答えてしまう。あれってなんだ。自分で言っていて馬鹿みたいだと思った。こういう時にはどんな言葉が適切なのか、よくわからない。
なりゆき上、蓮沼といっしょに教室に戻ることになる。特に話題もないので無言だったのだが、隣を歩く蓮沼を見るとほんのりと笑顔だったので、俺までなんだかうれしくなった。
教室では、今まで不在だった蓮沼の机にどかんと腰かけて、その周辺で女子たちが溜まってしゃべっていた。蓮沼はいつものように遠慮して声をかけられないのか、ぼんやりと突っ立っているだけだ。
「ちょっと。そこ蓮沼の席だからどいてよ。蓮沼困ってんじゃん」
俺の呼びかけに、
「あー、気付かなかった。ごめんね。声かけてくれたらいいのに」
彼女は軽くそう言って、蓮沼の机から下りて、別の机に移動する。
「机じゃなくて椅子に座れよ」
俺の言葉に、「うっせー、ばーか」と彼女は言って笑っている。
「ありがとう、根岸くん」
蓮沼が言った。
「蓮沼、ああいう時は、どいてって言っていいんだよ」
「おしゃべりの邪魔したら悪いかと思って」
「悪くないよ。邪魔されてもまたおしゃべり始めるんだから」
そう言うと、蓮沼はおかしそうに笑った。
「本当は、声をかける勇気がなかっただけ。だから、ありがとう」
小さな声でそう言って、蓮沼は自分の席に座る。
「根岸くんて、親切だね」
そう言って笑った蓮沼の顔がかわいくて、俺の気持ちを高揚させた。
「おい、聞いてくれ栗原。蓮沼に親切だねって言われた!」
自分の席に戻って机を動かしながら栗原に報告する。蓮沼に認められたとなれば、栗原は俺を見直すはずだ。
「うそだろ。誰かと間違えてんじゃないの」
「そんなわけあるか。ちゃんと対面ではっきり言ってたんだから。根岸くんて親切だねって」
席に座り、パンの包みを破る。先日、蓮沼にあげたために食べそこなったポテサラパンをやっと手に入れたのだ。
「だって、おまえが親切なわけないじゃん」
栗原は頑なに、俺が親切だということを信じようとしない。俺は、日頃の蓮沼の様子や、先ほど俺が代わりにパンを買ってやったことなどを栗原に説明する。
「蓮沼っていつもあれじゃん? 遠慮してるっていうか、自分のことより他人のことっていうか、我が弱いっていうか」
「おまえ、もしかして蓮沼くんのことストーキングしてんの? やめろよ、迷惑だろ」
「してないよ、ストーキングなんて。ただ蓮沼のこと、ずっと見てただけだって」
「そういうやつのこと、ストーカーって言うんじゃねーの」
「言わないよ。見るくらい、いいじゃん」
「てか、我が弱いってなに? そういう言葉なくね?」
「じゃあ、なんて言うんだよ」
「気が弱い、とか?」
「なるほど。勉強になりました」
軽口をたたきながら、蓮沼のほうを見ると、パンを食べながら、ひとりでにこにこしている。その姿を見て、思わずにやけていると、
「キモいんだよ、ストーカー」
栗原に辛辣な言葉を浴びせられてしまった。
*
いつの間にか、売店で蓮沼のパンを代わりに買うことが日課になっていた。蓮沼は遠慮して、「もういいよ、自分で買うから」などと言うのだが、俺は自発的に蓮沼の目当てのパンを代わりに買っている。蓮沼に「ありがとう」と言われるとうれしいからだ。もっと、もっと言ってほしい。単純にそれだけの理由だった。しかし、蓮沼のパンを買うことに全力を注いでいると、自分のパンがおざなりになる。今日なんて、甘いパンしか残っておらず、仕方なしに甘いパンを三つ購入してしまった。
「根岸くん。根岸くんのクリームパンと、このツナマヨパン、交換しようよ。他のパンとでもいいよ」
いっしょに教室に戻りながら、蓮沼が言う。蓮沼はせっかく俺が買ってやったツナマヨパンを、俺に譲ろうとしているのだ。
「だめ。それは俺がせっかく蓮沼に買ったんだから。蓮沼のパンなんだから」
頑なに拒否していると、蓮沼は、「だったら、はんぶんこしよう」と言う。
「根岸くんのクリームパンをはんぶんこして、僕のツナマヨパンをはんぶんこしよう。それならいいでしょ?」
結局、しょっぱいパンの魅力に抗えず、俺は蓮沼のその提案を受け入れた。俺は、いつもの栗原とのランチに蓮沼を席ごと引っ張ってきて、座らせた。蓮沼は、戸惑って遠慮しようとしていたのだが、「蓮沼、いっつもぼっち飯なんだから、別に困ることないでしょ」と言うと、蓮沼は黙って席に座った。
「おまえって、やっぱデリカシーないよな。がさつすぎて、かわいそうになるわ」
栗原に言われる。
「え、どこが?」
「どこがそうなのか、わかんないとことか」
「栗原くん、僕は別に気にしてないから」
蓮沼が焦ったように言うので、
「えっ」
思わず、声を上げてしまった。
「てことは、蓮沼は俺のどのへんがデリカシーないかわかったってこと? 俺、なにか蓮沼によくないこと言ったんだ?」
具体的に答えて欲しかったのに、蓮沼は困ったような笑顔を浮かべただけで、栗原はため息を吐いただけだった。
「なんで誰も答えてくんないの」
俺の言葉をスルーして、蓮沼はさっき言っていた通り、ツナマヨパンを半分にし、少し大きいほうを俺にくれた。
「蓮沼って、やさしすぎない?」
思わずそう言ってしまう。
「やさしいのは、根岸くんでしょ。いつも僕の欲しいパンを買ってくれるし……」
「それは、蓮沼にありがとうって言われたいからで、別に親切でしてるわけじゃないし」
「そうなの?」
きょとん、という感じで見つめられて、なぜだか顔が熱くなった。
「そうなの」
そう言って俺が頷いて見せると、蓮沼は、「変なの」と言って笑った。ただでさえ細い目が本当に糸みたいに細くなって、なんだかとってもかわいい。
「そうそう。変なんだよ、こいつ」
栗原が言う。
「蓮沼はいいけど、おまえに言われると腹立つな」
軽口をたたき合っていると、
「あのね、さっきの……」
蓮沼が意を決したように言った。
「ぼっち飯っていうのが、ちょっと傷付く表現だった」
そして、「もちろん、根岸くんに悪気がないのはわかってるんだけど」と付け加える。
「そっか……ごめんね」
俺は素直に謝る。これを言うために蓮沼が結構勇気を必要としたらしいことは、その様子を見ていればわかったし、気にしてないと言いつつ気にしていたらしいこともわかって、俺は、自分が悪気なく口にした言葉で蓮沼を傷付けたことをすごく申し訳なくなった。
「気を付けるよ、俺」
「うん」
蓮沼はこくこくと頷いて、
「ありがとう」
なぜか俺に礼を言った。
*
あれ以来、蓮沼を交えて三人でのランチが当たり前になった。俺は毎日、昼休憩が待ち遠しい。今までも昼休憩は待ち遠しかったのだが、今まで以上に待ち遠しいのだ。蓮沼がひとり加わっただけで不思議なものだな、と思う。
「ねえ、蓮沼。今日さ、俺んち遊びに来ない?」
ある日の昼休憩、いつものようにランチタイムを過ごしながら、思い立って言ってみた。学校が終わっても、こんなふうに蓮沼と会えたらいいなと思ったからだ。
「おい、やめろよ。あの部屋に他人を呼ぶんじゃねーよ」
栗原が猛烈に反対してくる。食べていた米粒が飛んできて汚い。
「栗原は黙ってろよ。俺は蓮沼をお誘いしてるんだから」
「蓮沼くん、行かないほうがいいぞ。こいつの部屋、ひどいんだから。汚部屋だぞ、汚部屋」
「そこまでじゃないって。ちょっと散らかってるけど、ゲームもあるし」
「あれが『ちょっと』なわけあるか。そのゲームだって、ガキのころに買ってもらったどうぶつしょうぎだろ。最新のゲームがあるみたいなまぎらわしい言い方すんなって。そういうの、卑怯だぞ」
「どうぶつしょうぎのなにが悪いんだよ。かわいくて楽しいじゃんか」
「どうぶつしょうぎも、どうせ捜さなきゃどこにあるかもわかんないんだろうが」
おろおろと俺と栗原の間に視線を彷徨わせていた蓮沼だったが、
「あの、僕、い、行ってみようかな……」
ごくりと唾を飲み込んで、そう言った。しかし、その表情は、「いいな、楽しそう」というよりも、「怖いもの見たさ」「好奇心」といった感じで、なんだか俺が想像していたハッピーな様子ではない。
「おい、まじかよ。今の話聞いててどうしてそうなるんだよ。早まるなよ、蓮沼くん」
栗原はなおも蓮沼が俺の家に来るのを妨害しようとする。
「やめろよ、栗原。蓮沼がせっかく遊びに来てくれるって言ってるのに」
「俺は蓮沼くんの身を心配して言ってんだ。それに、あんな部屋見せたら蓮沼くんはおまえのこと嫌いになるかもしんないぞ。後悔しても知らないからな、おれは」
栗原はそう言い捨てて、弁当に集中し始めた。栗原がやっと静かになったので、
「蓮沼、学校以外で遊ぶの初めてだね。放課後、楽しみだね」
俺は蓮沼に同意を求める。
「うん」
蓮沼は、へにゃっと気弱そうに笑った。やっぱりかわいい。
午後の授業は漢文で、俺はうとうとしながら、先生の発する呪文のような言葉を聞くともなしに聞いていた。よりによっていちばん眠たい授業だ。そんな状態では当然、漢詩の内容なんて頭に入ってこない。俺は夢うつつの状態で、放課後の蓮沼との時間ばかりを想像しては、浮かれていた。頭の中がほわほわしている。そんな状態でも、鳥と木の説明だけは妙に頭に残った。なんだかいいなと思ったからだ。二羽くっついていないと飛べない鳥とか、別々の木がくっついて一本の木になっちゃうとか。そういうの、ちょっといいなと思う。なんとなく、合わせるとひとつの形になるペアのペンダントを思い出した。あれは、まあまあダサいけど。
放課後までの時間が、いつもより長く感じた。帰り道は、蓮沼と並んで歩いた。俺の家と蓮沼が電車に乗る駅は、偶然にも同じ方向だった。こういう初歩的な情報すら知らなかったことに、俺は得体の知れないじれったさを感じてしまう。だけど、蓮沼の情報を少しでも知ることができて、うれしいとも思う。
「これから、毎日いっしょに帰れるね!」
俺は浮かれまくって、となりを歩く蓮沼にそう言った。
「うん」
蓮沼も笑顔で頷いてくれる。ここまではいい感じだったのだ。
俺の家に到着し、二階の俺の部屋の内部の様子を目の当たりにした途端、「ほおっ」と、蓮沼は俺が聞いたことのないような声を上げた。驚いたらしい。
「そのへん、適当に座って」
「え、え、座るって、え、どうしよう、どこに?」
戸惑う様子の蓮沼に、
「どこでもいいよ」
そう言いつつ、確かにベッド意外に座るスペースがないことに気付き、俺は床にただ積み上げてあった洗濯済みの衣類をわさっと避けてスペースを作る。
「このへんにでも」
「うん」
蓮沼は、むき出しになった床に、おそるおそる胡坐をかいて座った。
「洗濯物、しまわないの?」
「出してたほうが便利じゃん」
蓮沼の問いに、俺はそう答えた。
「はあ、そっかあ……」
蓮沼は感心したように言う。
「あ、どうぶつしょうぎ捜すね」
ごそごそと周辺を探っていると、ぶしゅっ、と蓮沼がくしゃみをした。さらに立て続けに、くしゃみを五回ほど連発した蓮沼は、鼻をずびずび鳴らしながら、
「ご、ごめん、根岸くん。ティッシュ、貸し……」
途切れ途切れに言う。語尾はくしゃみでかき消えた。
「あ、うん。待って」
俺は、ベッドの枕もとに置いてあるティッシュの箱を取って蓮沼に渡す。ずびっと洟をかんだ蓮沼の、眼鏡の奥の目がうるんでいる。蓮沼は眼鏡を外して、目を拭った。眼鏡を外した蓮沼も、想像通り、やっぱりかわいい。素朴というか、通行人顔というか、その場の空気に溶け込んで安心させてくれる顔だ。俺は蓮沼の顔、好きだなあ。そんなことを思っていると、
「ごめん、根岸くん。僕、ホコリ駄目みたい……」
蓮沼は立ち上がりながら弱々しく言って、俺の部屋を出た。俺もいっしょに廊下に出る。
「ほこり?」
「ハウスダストのアレルギーがあるのかも」
言いながら蓮沼は手に持っていたティッシュで鼻を拭っている。
「せっかく誘ってくれたのに、ごめんね。今日は帰るね」
蓮沼は言った。俺は為すすべもなく、ただただ頷いた。蓮沼が玄関で靴を履いているのを突っ立って眺めていると、
「ただいま。あら、お友だち?」
母が仕事から帰ってきた。
「どうしたの? 早いじゃん」
「今日は早く帰るって言ったじゃない。あんた、いっつも人の話聞いてないんだから」
俺に文句を言い始めた母に、
「こんにちは。根岸くんと同じクラスの蓮沼といいます。どうも、お邪魔しました」
頭を下げながら丁寧なあいさつをして、蓮沼は玄関を出た。俺も慌てて靴を履いて、表に出る。
「蓮沼、俺のこと嫌いになった?」
ほーっ、と深く呼吸をしている蓮沼に思わず尋ねてしまう。自分の部屋が汚いことは事実として知っていたけれど、蓮沼の健康に害を及ぼすほどのものとは思っていなかった。これは一大事だ。あんな部屋見せたら蓮沼くんはおまえのこと嫌いになるかもしんないぞ。ランチの時には聞き流していた栗原の言葉が、今さらながら胸に刺さる。
「へ、なんで? ならないよ」
ずずっと洟をすすって、蓮沼は言った。
「よかった」
俺の言葉にかぶさるように、蓮沼はもう一度くしゃみをした。
「俺、部屋片付けるから。絶対片付けるから。部屋がきれいになったら、そしたら、また遊びに来てくれる?」
「うん」
「本当?」
「うん、本当。どうぶつしょうぎっていうの、やってみたいし」
蓮沼はそう言って、笑いながらくしゃみをした。俺の頭の中は、「かわいい」と「申し訳ない」でぐちゃぐちゃだ。
「あんた、どうしたの? 人が変わったみたいに」
その夜、部屋でばたばたしている俺の様子を見に来た母が言った。
「見てわかるだろ、片付けてんだ。部屋が汚いと、蓮沼が遊びに来られないから」
クローゼットの中のもう着ていない服を、ゴミ袋に次々に放り込みながら俺は母のほうを見もせずに答える。
「ああ、今日来てくれてた眼鏡の子? あの子、いい子ね。ちゃんとあいさつしてくれて」
「大人はすぐそうやって、あいさつ云々で物事を判断するよな。まあ、蓮沼がいい子なのは本当だけど」
「遊びに来られないって、どうして? やっぱ、汚い部屋嫌だって?」
「ハウスダストアレルギーかもしれないって。俺の部屋に入って、くしゃみが止まらなくなったんだ」
「へえ。あんた、部屋が汚いって彼女にフラれた時も片付けようとしなかったくせに、友だちのためには片付けんのね」
「ちょっと待って。別に部屋が汚いのが原因でフラれたわけじゃないし。原因のひとつではあるけど」
「せっかくきれいな顔に産んでやったのに、なんでそんなふうになっちゃったの?」
「母さんがこういうふうに育てたんだよ」
言い合いをしながら、きれいになったクローゼットに服をしまう。まずクローゼットの中から片付けなくてはいけなかったため、洋服をしまうだけでかなり時間がかかった。
俺は、もう一度、蓮沼に遊びに来てほしい一心だった。今までの彼女たち、と言っても二人だけど、その彼女たちと蓮沼は違う。彼女になにを言われても、俺は自分を変えようとはしなかった。それで彼女が離れていっても気にならなかった。良くも悪くも俺はずっと俺だった。それなのに、今の俺は、俺の駄目な部分が原因で蓮沼といっしょにいられないのは嫌だと思う。だったら、俺は駄目な部分を直してでも、蓮沼といっしょにいるほうを選ぶ。蓮沼には嫌われたくない。あんなに親切で、遠慮しいで、自分のことよりも他人のことを気にしているような蓮沼に嫌われたとしたら、その時は、俺は本当に人間としての終わりを迎えたと言えるだろう。
その夜、俺は片付けながら寝落ちしてしまった。
「だから言ったじゃんか」
翌日のランチの時間、栗原に言われてしまう。俺はしょんぼりしながら、もそもそとパンをかじる。
「好奇心に殺されかかったね。自業自得だよ、蓮沼くん」
栗原の言葉に、
「でも、根岸くん、片付けるって言ってたよ。部屋がきれいになったら、また遊びに行くんだよ」
蓮沼は俺を擁護してくれている。
「片付け? こいつが?」
栗原が蓮沼と俺に交互に視線をやり、
「できんの?」
最終的に俺を見て言った。
「できるよ。やるよ」
俺は言う。
「楽しみにしてるから」
蓮沼の言葉に、俺は力いっぱい頷いた。
*
蓮沼とは、ほとんど毎日いっしょに帰っている。俺が蓮沼にくっついているだけではあるのだけど、蓮沼も嫌がったりはしていない。と思う。部屋もこつこつ片付け続けていて、目に入る床の面積がどんどん広くなっている。そんなことを蓮沼に嬉々として報告していたら、蓮沼の肩にカメムシがとまった。親しげな様子で肩にぴったりとしがみついている。
「俺はカメムシになりたい」
思わず声に出していた。
「どうしたの、急に」
驚いたように蓮沼が言う。
「いや別に」
言いながら、俺は蓮沼の肩からデコピンをするみたいにカメムシを指で弾き飛ばす。
「なんか付いてた?」
「うん、カメムシ」
「え、うそ。ありがとう」
虫になりたいと思った。虫になって、蓮沼にずっとくっついていたい。だけど、次の瞬間には、猫になりたいとも思う。蓮沼がすり寄ってきた人なつっこい野良猫をかわいがっていたからだ。
「あー、やっぱ猫になりたいな」
「根岸くん、さっきからどうしたの? 人間でいるの疲れちゃったの?」
「ううん。そういうわけじゃないんだけど」
心配そうにしている蓮沼に、俺は口ごもる。この気持ちを、どういうふうに伝えたらいいのかわからなかったのだ。その時、
「シンちゃーん!」
後ろから呼びかける声が聞こえた。蓮沼に撫でられていた猫はその声に驚き、走ってどこかへ行ってしまった。しゃがんでいた蓮沼が立ち上がる。振り返ると美少女が手を振っていた。俺はシンちゃんではないので、蓮沼に手を振っているのだろう。蓮沼は伸一という名前なので、確かに「シンちゃん」だ。駆け寄ってきた美少女は、俺の顔を見て、「うわあ、イケメンだあ」と感嘆したあと、「シンちゃんのお友だち?」と蓮沼に尋ねた。
「ええと……」
蓮沼は困ったように口ごもった。友だちだと即答してくれない、その様子に俺は少なからずショックを受けてしまう。
「うん。俺、根岸。シンちゃんのお友だち」
なので、自分から友だち宣言をした。蓮沼を見ると、少しほっとしたような表情を浮かべている。俺もつられてほっとしたような気持ちになった。
「よかったね。シンちゃん、友だちできたんだ。根岸さん。シンちゃんをよろしくお願いします」
美少女は、俺に向かってぺこりと頭を下げた。言われなくてもよろしくするし。してるし。なんとなくムッとしたけれど、俺は笑顔で、「こちらこそよろしくだよ」と、当たり障りのないことを言った。初対面の人にツンケンしても仕方がない。
「ちょっと、もう。やめてよ、マリちゃん」
蓮沼は少し怒ったように、美少女マリちゃんの細い手首を掴みながらそう言った。女の子に、そんなふうに簡単に触れる蓮沼が、なんだか蓮沼じゃないように思えて、俺は急に怖くなった。俺だって、蓮沼にそんなふうに親しげに触られたことなんてない。それに、そんなふうに打ち解けたようにぷりぷりと怒られたこともない。俺は、クラスの女子に話しかけるのにも躊躇うような、俺の言動にいちいち遠慮するような、そういう蓮沼しか知らない。ショックを隠し切れず、俺は、俺の知らない蓮沼の顔をじっと見つめる。
「根岸くん、じゃあね。また明日」
蓮沼は、俺の視線に気付いてそう言った。
「あ、うん」
俺がぼんやりと頷くと、蓮沼はマリちゃんの手首を掴んだまま、もう片方の手を遠慮がちに少し上げて、俺に手を振った。
「また明日。ばいばい」
俺もふたりに向かって手を振った。蓮沼、マリちゃんといっしょに帰るんだ。マリちゃんといっしょに電車に乗るのかな。並んで歩くふたりの後姿を見送りながら、俺は、自分の身体がずるずると溶けて地面に浸み込んでブラジルまで沈んでしまうのではないかというくらいの重たい気分になった。なんだよ、蓮沼、彼女いるんじゃん。そう思った途端、胸になにかが引っかかったみたいに苦しくなる。鼻の奥がツンとして、次に目の奥がじわじわと熱くなった。気が付いたら、泣いていた。虫にも、猫にもなりたくない。俺は、あの子に、マリちゃんになりたい。
「マリちゃんになりたい」
翌日、いつものように三人でのランチを囲んでいた昼休憩、ため息と共に思わず呟いていた。
「え、なんて?」
蓮沼がぎょっとしたように声を上げ、
「誰、それ」
栗原が怪訝そうに言う。
「栗原は知らないでしょ。蓮沼って、彼女いるんだよ。マリちゃんていう、美少女の」
俺が言った途端、蓮沼は飲んでいたパックの牛乳を噴いた。牛乳の霧が向かいの俺の制服にかかる。
「うわ、ごめん!」
「いいよ、平気」
謝る蓮沼の顔を見ると、鼻から牛乳が垂れていた。
「あーあー、もう」
言いながら、栗原が俺にタオル、蓮沼にポケットティッシュを渡している。優秀な女子マネみたいなやつだ。
「ちょっと、もう! 根岸くん、ちがうよ。マリちゃんは妹!」
鼻の牛乳を拭って、落ち着いたらしい蓮沼がぷりぷりと怒ったように言った。
「え、そうなの?」
気持ちが突然明るくなった。それに、蓮沼が俺に対して、マリちゃんにしていたみたいにぷりぷりしているのもうれしい。
「ベタな勘違いしてんじゃねーよ」
栗原が笑う。
「しょうがないじゃん。蓮沼とマリちゃん、全然似てないんだもん」
「そう、うん……マリちゃんは、かわいいから」
蓮沼が言う。
「蓮沼だってかわいいよ」
「え。でも、似てないって」
「似てはないけど、蓮沼だってかわいいじゃん」
「そんなこと言われたの、初めて……いや、幼稚園の時以来だ」
「なんで? 蓮沼はずっとかわいかったはずだよ」
「待って。なんか、恥ずかしい……」
俺の主張に蓮沼は顔を真っ赤にして俯いてしまい、
「当事者じゃないけど、おれも恥ずかしいわ」
栗原は不機嫌そうに言った。
*
こつこつ片付けていた甲斐があって部屋がやっときれいになった。掃除機でベッドの下や机の下の埃までちゃんと吸い込んで、隅々まで床を水拭きした。窓もピカピカになるまで拭いた。布団も枕もコインランドリーで洗濯したので、ふかふかだ。これで、ちゃんと蓮沼を俺の部屋に招待できる。
俺は浮かれていた。浮かれついでに、蓮沼にプレゼントをしようと思い立つ。無性に、蓮沼になにかしてあげたくなったのだ。もう暗くなり始めていたが、俺はわくわくしながら街へでかけ、わくわくしながら蓮沼へのプレゼントを選んだ。こんなに楽しい気持ちになったのは、初めてかもしれないというくらいに、俺は浮かれていた。
翌日、教室に到着するとすぐに、俺は蓮沼を家へ誘った。
「おお、ついに部屋片付いたのか」
栗原が言う。
「片付いたんじゃない、片付けたんだ! 俺が! 自分で!」
俺は胸を張る。
「本当? えらいね」
蓮沼が言った。子どもを褒めるみたいな口調なのが少し気になったが、気になっただけで、俺は蓮沼に褒められてうれしかった。
「じゃあ、今日、遊びに行ってもいい?」
蓮沼が言うので、
「うん、いいよ」
嬉々として返事をする。蓮沼を誘ったのは俺なのに、なぜ俺のほうが承諾の返事をしているだろうと不思議に思う。蓮沼の一言で立場が逆転してしまったのだ。
「じゃなくて。俺が誘ってるんだから、蓮沼は堂々と俺の部屋に来ていいんだよ」
軌道修正をしようと、そう言うと、
「堂々と?」
蓮沼が、きょとんとした表情で俺を見る。
「そう。我がもの顔で」
俺の言葉に、蓮沼と栗原が顔を見合わせて笑った。
「なんで笑うの。なんも変なこと言ってないじゃん」
「わかった」
蓮沼は、笑いながら頷いた。
「きれいになったね。本当にすごい。根岸くん、すごくがんばったんだね」
俺の部屋に入った蓮沼は、ぐるりと身体を回転させながら眼鏡の奥の細い目をきらきらさせてそう言った。床になにも置いていないので回転し放題だ。
「うん、がんばった。俺、がんばったんだよ」
もっと褒めてほしくて、俺は自慢げに連発する。
「がんばったね、えらいね」
やはり褒め方が子どもに対するそれなのだが、蓮沼に褒められるとうれしくてくすぐったい。クローゼットから、母が部屋片付け記念に買ってくれたクッションを出して、蓮沼に渡す。
「適当に座って」
ベッドを背にしてふたりで並んで座り、俺は蓮沼の肩に頭を置く。蓮沼がびくりと震えたのがわかった。
「どうしたの、根岸くん」
蓮沼が、おそるおそるといった感じで尋ねる。
「蓮沼にくっついていたいんだ」
俺は正直に言う。蓮沼の肩が、また震えた。
「蓮沼はすごいよね。みんなに親切だし、なんでも他人優先だし」
「そんなことない。ただ気が弱いだけだよ、僕は。他人にどう見られるか気にしてるだけだ」
「俺は気が強いし、我が強いよ。自分のことばっか考えてるし」
「え、うん……そう、なの?」
肯定していいのかどうか迷った様子の蓮沼は疑問形で言った。
「蓮沼は、やさしいし気遣いもできるよね。俺のこともすごく褒めてくれるし」
「そんな人、僕以外にもたくさんいるよ」
「いないよ。俺には、蓮沼しかいない」
蓮沼は、ごくん、と咽喉を鳴らした。
「気遣いとか、俺はそういうのできないし、デリカシーないっていつも言われるし」
「根岸くんは、素直なだけだと思う」
蓮沼が、ぽつりと言った。ものは言いよう、という慣用句を、蓮沼は見事に実践している。
「僕は言いたいことも思ったことも、引っかかっちゃって、すっと口から出てこないから、根岸くんのことが羨ましいよ」
「蓮沼は考えながら話すからだろ。俺は考えなしだから……」
「どうしたの? 根岸くん。すごく卑屈になってない?」
蓮沼が心配そうに言う。
「蓮沼だって、さっきから卑屈じゃん」
そう言うと、蓮沼は、「うん……」と素直に頷いた。
「俺、蓮沼がいなかったら、部屋を片付けたりしなかった。気遣いができなかったり、悪気なく他人を傷付ける自分に気付かなかった。だからね、蓮沼……」
俺は必死に言葉を探す。自分がどうしたいのか、どうしたら蓮沼に伝わるのか、必死に考える。
「俺たち、いっしょにいよう。ずっといっしょにいよう」
だけど、出てきた言葉は、自分の願望に素直すぎるだけのものだった。
「本当にどうしたの、突然」
俺は頭を起こし、驚いたような表情の蓮沼を見つめる。蓮沼の耳が赤くなっていることに気付き、なんだかドキドキした。
「突然じゃないよ。俺、ずっとそう思ってた」
「ずっと? そ、そうなの?」
蓮沼は明らかに戸惑っている。
「俺に持ってないものを蓮沼は持ってるし、蓮沼が持ってないものを、きっと俺は持ってる」
勢い込んで、俺は続ける。押せばいけそうな気がしたのだ。
「だから、ふたりでいたら、絶対ちょうどいいよ!」
「そうかな。そうかも」
蓮沼は、混乱したように、それでも肯定の言葉を口にした。
「俺たち、きっと、ニコイチの小鳥なんだよ」
「にこ……? なにそれ」
「ちょっと前に、漢文の授業でやったじゃん」
蓮沼は考える様子を見せ、なにかを思い出そうとしている。とても無防備な表情だ。
「もしかして、『長恨歌』に出てきた比翼の鳥のこと?」
蓮沼の言葉に、
「そうそれ」
力いっぱい頷き、俺は蓮沼にプレゼントを渡そうと立ち上がる。机の引き出しからラッピングされた小さな袋を取り出し、蓮沼のとなりに座り直したものの、ちょっと渡すのを躊躇ってしまう。
「なに?」
蓮沼は俺が手にしているものを戸惑ったように見ている。
「ダサいと思ったんだけど、いや実際ダサいんだけどね、俺、なんか浮かれちゃって、つい買っちゃったっていうか。我慢できなかったっていうか……」
俺の口からは、言い訳ばかりがどんどんあふれ出てくる。
「あの、これ、プレゼント」
意を決して、袋を蓮沼に渡す。
「開けていい?」
「うん……」
俺は不安になり、蓮沼がラッピングのシールを丁寧に剥がすのをじっと見守る。蓮沼は、袋から小鳥のキーホルダーを取り出した。
「鳥だ」
蓮沼が言った。
「うん」
俺は頷いて、自分用に買ったもうひとつのキーホルダーをポケットから取り出す。それを、蓮沼の持つキーホルダーにぴたりと合わせた。片翼の鳥のデザイン。くっつけると一羽の鳥のようにも見える、ペアのキーホルダーだ。ペンダントはちょっとハードルが高かったので、キーホルダーにした。もし蓮沼に金属アレルギーがあったらいけないと思い、ステンレス製だ。
合わさってひとつになったキーホルダーを見た途端、蓮沼は弾けたようにめちゃくちゃに笑い始めた。こんなほがらかな蓮沼は見たことがないというくらいの笑いようだった。
「どうしたの、蓮沼。やっぱダサかった? そんな笑うほど?」
俺の問いに答えられないほど、蓮沼はお腹をおさえて笑っている。
「よ、よくこんなぴったりのデザイン、見つけたね」
ひっひっ、と苦しそうに息をしながら蓮沼が言った。
「ダ、ダサ……」
「あ。やっぱ、ダサいんだ」
珍しく率直な蓮沼の言葉に、ショックを受けていると、
「ダサいけど、うれしい。ニコイチの小鳥、かわいいね」
蓮沼はそう言って、キーホルダーを自分の鞄に付けてくれた。
「ありがとう、根岸くん」
蓮沼がそう言ったので、俺はほっとして、うれしくなって、蓮沼の手を取り指を絡めるようにしてつないだ。いわゆる恋人つなぎだ。蓮沼が、こらえきれない様子でむずがゆそうにくぐもった笑い声を上げ、それから、遠慮がちだったけれど俺の手を握り返してくれたので、俺は俺でよかったと思った。虫でも猫でも、マリちゃんでもない。俺は俺のままで、蓮沼にくっついていようと思う。
「あ、そうだ。どうぶつしょうぎ教えて」
蓮沼が思い出したように言うので、俺は名残惜しくも蓮沼の手を離し、どうぶつしょうぎを取りに立つ。
「俺が勝ったら、蓮沼の家に遊びに行ってもいい?」
キリンやライオンの描かれた駒をボードに並べながら言うと、
「勝っても負けても、遊びにおいでよ」
蓮沼は屈託のない笑顔でそう言った。
「我がもの顔で遊びに来ていいんだよ」
俺は思わず笑ってしまう。
了
ありがとうございました。