第3話 初顔合わせの日
「ハッ……!」
爆発エンドは御免被る!
爆発の衝撃がくる、と思った瞬間に目が覚めた。夢だったと思った瞬間安堵して、また目を閉じる。
なんだったんだろう、今の……。
「夢……ただの、夢だよね?」
とても恐ろしい光景だった気がする。だけど同時に、どこか既視感があった気もする。漠然とした不安に、いまだに心臓が早鐘のように鼓動している。
「なんだったの……?」
夢の中のあれは、誰だったのだろう。あの女の子に会った記憶はないけれど、どこか懐かしい感じがした。それとも忘れているだけで、どこかで会ったことが……?
それに、燃えるような怒り、悲しみ、憎しみ。恐ろしいほどの激情。あれは、私の感情だったのだろうか?
無意識に震える肩をゆっくりと擦った。だいじょうぶ。なんでもないわ、ただの夢よ。
ゆっくりと深呼吸をしていると、扉がノックされた。入っていいと許可を出して、起き上がる。
「失礼いたします」
入ってきたのは侍女のユマだった。栗色の髪をお団子に纏めた可愛らしい印象の女性で、ずっと私のお世話をしてくれている。
扉を閉めたユマが振り返ると、メイド服のロングドレスがふわりと揺れた。
「ユマ。おはよう」
「おはようございますお嬢様! あら、お顔の色が優れないようですが……」
ユマが心配そうにそう言う。自分では顔色まではわからなかったけれど、確かに震えが止まらなかったもの。心配するのも無理はないわ。
「大丈夫よ。ちょっと怖い夢を見ただけなの」
心配させまいと微笑んで見せる。ユマはそれでもやっぱり少し心配そうにしていたが、気にしないでと念を押すとパッと空気を換えるように微笑んで見せた。
「でしたら、張り切っておめかしいたしましょう! 今日はついに登城の日でございますからね!」
ユマはニコニコ笑顔で私の髪を手に取る。彼女はいつも天真爛漫で、一緒にいてとても気が楽だ。さっきの嫌な夢のことも、すっかり気にならなくなってしまった。
「今日はいつもより気合いが入ってるのね」
「ええ、ええ、勿論! 今日はお嬢様の晴れ舞台ですもの! このユマが腕によりをかけて! お嬢様を最高のお姫様にしてみせますからね!」
鏡の前で大人しく座っているだけの私には、すごい速さで私の銀色の髪を結いあげていくユマの手捌きはまるで魔法のようにしか見えなかった。
公爵令嬢とは言え7歳の少女の髪にそこまで気合いを入れなくても、お出かけする予定なんてないし……待てよ、さっきユマはなんて言った? 登城って言った?
「あれ……ユマ、今日の予定って……」
「あら! お嬢様ったらお忘れですか? 今日はお嬢様とトラヴィス王子殿下の顔合わせではありませんか!」
「エッ」
「婚約が決まってから初の登城ですからね、ばっちり気合いを入れませんと!」
ユマが結い上げた髪に蝶を象った美しい髪留めを付け、やり切ったぜと言わんばかりに額の汗を拭うフリをする。一方私は完全に忘れていた予定を聞かされ硬直した。
そうだった……今日って、王子殿下とお会いする日だった……!
第一王子のトラヴィス・オルブライト殿下。
歳は私の1つ上で、まだ8歳ながら聡明で武芸にも秀でているとの評判だった。私が生まれてすぐの頃に国王陛下とお父さまの間で婚約が決められていたのだけれど、実際に会うのは初めて。
……とても素敵な王子様って皆が口を揃えて言う……そんな素敵な方に、私なんて釣り合うのかしら?
「私……大丈夫かしら。粗相したりしないか心配だわ……」
「大丈夫ですよ! お嬢様は誰より素敵なレディーですよ! このユマが保証いたしますとも!」
ユマがどんと胸を叩く。すごい自信だわ……でもこの勢いの良さがなんだか心強いかも。
「ふふっ……そうね。ユマがせっかく可愛くしてくれたんだから、私も頑張るわ」
「その意気です、お嬢様!」
そう、結い上げた髪も、王子殿下の髪色の合わせた深緑色のドレスも、とっても可愛いわ。あとは私がきちんと礼儀作法ができれば、きっと大丈夫。
「お嬢様に可愛さをご自覚いただけてユマは嬉しゅうございますよ! 謙遜も美徳ですけれど、お嬢さまに謙遜されると嫌味かと思うご令嬢もいらっしゃいますから、ほどほどになさいませね!」
「う、は、はい。気を付ける」
「さ、それではまいりましょう! 飛び切り可愛いお嬢様のお披露目ですよ!」
意気揚々とユマが扉を開け放つ。ふかふかの絨毯が敷かれた広い廊下に高い天井、見慣れているはずなのにどうしてか違和感に駆られる。
何故かしら、私にはもっと、狭い木の板の床のほうが馴染みがあったような……?
でも産まれてこのかた、この公爵家のお屋敷以外で育った記憶はない。公爵家の使用人たちが住む離れの館だって木造ではなかったし……。
……気のせいよね。
とにかく、王宮に行くのだから気を引き締めないとね。
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準備を済ませ、あれよあれよと王城までやってきた。
見上げるのは絢爛というよりは質実剛健といった佇まいの堅牢なお城だ。
オルブライト王国は峻険な山岳地帯が国土の半分を占め、人間の開拓を阻んでいる。
鉱山資源は豊富なものの、それら未開の地は魔物の発生源にもなり、王都から遠く離れた田舎はもちろんのこと、王都ですらもその脅威に晒される可能性がゼロではない。そのため王都も堅牢な城壁に囲まれ、王城もいざというとき砦となるべく実戦向けの城塞に近い。
もちろん王都には結界が張られており、基本的には安全だ。
繁華街はもちろん人の往来も多く沢山の商店で賑わっているし、主な産業である貴金属を求めて他国からの来訪者も絶えない。
それでも見栄えより実用性を取るあたりが、オルブライト王家の昔からの方針だった。煌びやかさより重厚感。華やかさより威圧感。そんな感じの石造りの巨大建築物が目の前に聳え立っている。
王城正面には遮蔽物のない広くて長い大階段がある。これは万が一他国に攻め込まれたとき、攻めあがってくる敵兵を城から狙い撃ちするための階段だ。
狭い通路の方が敵が一気に攻め入れないのでは? と思うのだけど、オルブライト家はとんでもない威力の広範囲攻撃魔法に特化しているから問題ないらしい。
登城する国内の貴族には専用の馬車道があるが、こちらは基本的に一方通行の細い道。これは逆に、戦の際に車輪付きの攻城兵器を一気に通さないためと、貴族が襲撃されるのを防ぐためなんだそう。
私の家は公爵位なので、馬車道での登城になる。
あの長い階段を上らなければならないとか言われたら登城自体拒否したいところだったから助かったわ。歩いて上がるとしたら心臓破りどころじゃないだろうから。
さてそんな馬車道を抜けて、何事もなく王城に到着した。
今回は初顔合わせ兼親交を深める名目のお茶会だそうで、お父さまお母さまと共に国王陛下・王妃様に簡単に謁見した後、「じゃあ頑張れよ」とばかりに中庭へ放り出された。親たちは親同士で歓談するのですって。
薔薇を中心に色とりどりの花が咲き誇る中庭は、とてもよく手入れが行き届いていた。
公爵家の庭園も色んなお花があって素敵だけど、ここには家の庭園でも見たことがないような珍しい種類のお花もたくさん咲き誇っている。
うわぁ……流石王家の中庭だわ……。噴水の涼し気な水音も心地良い。
本日はお日柄もよく、お茶会用のガゼボには木漏れ日が差し込んでいる。
王子殿下は、まだ来ていない。
先に通された私はソワソワしながらひたすら中庭を見つめていた。
実は物心ついてから王城に来るのはこれが初めて。「こ、これが王城か……」というミーハー心も若干ある。公爵令嬢でそれなりに大きなお屋敷で暮らしているといえど、王城の雰囲気には流石に圧倒されてついキョロキョロしてしまった。着いてきてくれたユマをちらちら見たりしてみるけど、「大丈夫ですよ!」とばかりにグッとガッツポーズを作られて終わった。全然大丈夫ではないわ……!
はあ……緊張だわ……。王子殿下ってどんな方かしら。仲良くしていただけるかしら。とても素晴らしい方だって聞いているけど、実際はどうなのかしら……。
そわそわしながら待つこと数分。数人の足音と共に、ついに侍女たちを引き連れて待ち人がやってきた。
王族の証であるオリーブ色の髪に金の瞳。
背は私より少し目線が高いくらいだけど、すごくスマートに見える。それになんてスタイルのいい……何頭身あるのかしら。まるでアイドル……アイドル……? アイドルって何……なんだか……なんだかすごく……うん……? 既視感が、あるわね……?
今朝から一体何なのかしら。今日初めてお顔を合わせるはずなのに、この方のもっと大人になった姿がありありと目に浮かぶと言うか……?
「アルスリーナ嬢」
私を視界に入れた殿下が名前を呼んで笑みを浮かべる。はにかんだ笑顔が可愛らしい。
何かしらこれは……私よりも殿下のほうが年上なのに可愛いだなんて……この感情は一体……?
殿下が目の前に来られる。ハッ、いけない、見惚れている場合ではないわ! 挨拶しなければ!
私はドレスの裾を摘まんでお辞儀をした。
「トラヴィス殿下、本日は、お招きいただきありがとうございましゅ」
噛んだ。
一瞬静寂が訪れる。さわさわと風が木々の間を抜けて、鳥たちの澄んだ鳴き声だけが響き渡る。
うわあああああああああああああああ恥ずかしいいいいいいいいいいいいいいいいいい!
うっかり見惚れてちょっとよだれが出そうに……なんてことを隠そうとお辞儀したまま慌てて口を開いたせいでなんてことに……!! ち、違うのどうしてか王子殿下のお姿を見た時から自分の意志と関係なくうっとり呆けてしまうの普段はどんなに顔が良い人がいたってそんなはしたないことしないのに!
ううう、羞恥心で顔から火が出そう……。誰も何も言わないけど内心では笑われているんじゃないかしら、必死に笑いを堪えているんじゃない?!
すぐにでも走って逃げたい気持ちを抑え込んで顔を上げると、至近距離に殿下の顔があった。
ウグッ、眩しい! なんだかキラキラして見えるのは気のせいじゃない気がする!
両目を押さえてのたうち回りたい衝動を必死で抑える。
ダメよアルスリーナそんな不敬なこと出来ないわでも直視もできない顔がいいナニコレ既視感! 「ウワッ顔がいい」って口に出さなかっただけマシだと思ってほしい。
少し丸い輪郭、膨らんだほっぺはもちもちのきめ細やかさでついうっかりプニプニしてしまいそうになる。
そしてそんなほっぺに影を落とす長い睫毛! 綺麗な金色の瞳! さらさらと微風に揺れる柔らかそうなオリーブ色の髪!
どれをとっても1000年に1人のアイドルやでぇ! スカウトが飛びついてしまう! スター爆誕!!! オーディションぶっちぎりNo.1!!!
ハッ、私は一体何を?!
いけないいけない、落ち着かないと……さっきからなんだかおかしいわ、無意識に謎の言葉が脳内を飛び交っている……うっかり口走ったら大変だし冷静にならないと。
平静を保つべく無言で笑顔を作ると、
「今日は来てくれて、嬉しい」
王子殿下はそう言って微笑んだ。
ウッ……待ってくれ天使? 通り越して神?? ファンサが過ぎんか??? そんなこと握手会でしか言われたことない。落ち着いて私、ファンサとか握手会って何?
なんだかわからないけどこの待遇、私なんかを相手にするには破格すぎるのでは?
こんなに至近距離でこんないい笑顔を浴びてはいけない気がする。夢なのかしら。両の頬をつねりたいけど流石に奇行すぎてやめておいた。のっけから頭のおかしい女と思われたくないし……いえ、私は別に普段からこんなことしてませんけど……?!
「と……」
んでもございません、と言いたかった。しかし、天使を目の前にして、声が出ない。
固まるってこういうことなの。さっき国王陛下にご挨拶したときもきちんと名乗れたはずなのに。
ヤバい、顔が赤くなる。動機息切れがする。上手く言葉が出ない。ヤバいヤバいヤバい、何か言わないと、何か……!
後ろの方に控えているユマが何も言わない私にハラハラしているようで、「お、お嬢様……」と心配そうな声が聞こえてくる。いかん、公爵令嬢たるものここでだんまりを決め込むわけにはいかないのだ!
勢いだ、ここは勢いで行くしかないんだ!!!
「とんでもございません! わたくしもお会いできてとても嬉しいです!」
本当ならば少し微笑む程度で良いのだろうが、そう答えた私は満面の笑みだった。
令嬢の作法的には良くないかもしれないが、この勢いで行くしかなかった。これ以下の気合だと多分途中で語尾が消えていたことだろう。
そもそも目の前にこんな……こんな天使……普通に話すとか無理では? ちょっと涙出そう。
「そうか、それならよかった」
そう答えた殿下は、どこかホッとしたような表情だった。
ハッ……もしかして殿下も緊張なさっていたのかしら。そうよね、婚約を結んでいたとは言え顔を合わせるのはこれが初めてだもの。
どんな娘が来るかもわからない、相手が自分に好意を持っているかどうかもわからない中、王子としてしっかりと対応しなければならないプレッシャーは私の比ではないだろう。ましてや王族なんて、権力しか見ていない令嬢だってこれまで見てきたかもしれないんだから、緊張するに決まってるわよね。
奇行を表に出さなくて本当によかった……!
言葉に詰まった程度ならば緊張していたで押し通せなくもないわ。殿下に気を遣わせてしまうのも申し訳ないし、曲がりなりにも私は公爵令嬢、もっとしっかりしなくては……。
それにしても本当に何かしら、さっきから殿下を見ていると心に湧き上がるこの感情……。
これは殿下をお慕いする気持ち……? いいえ、殿下のお顔が良すぎて一目惚れというよりは……何というのかしら、殿下の幸せを願う気持ちというか、殿下に笑っていていただきたい気持ちというか、殿下のことを一番に考えたいというか……何かしら、陰から見守っていたい気持ちというか……?
これは……そう、萌え……そして……推し……!
推し……?
自覚した瞬間、ちりりとこめかみが焼けるようにひりついて、それから一気に知らない記憶が脳内を駆け巡った。
黒髪の、冴えない少女。
小さい頃から人見知りで、なかなか自分から人に声を掛けられなかった。
物語を読むのが好きで、こっそり寝る前に読んでいた結果すぐに視力は悪くなって眼鏡が手放せなくなった。
教室の隅で大人しく本を読んで、同じように本や漫画が好きな友達と目立たず過ごしてきた。
高校で初めて同人誌と言うものに触れて、自分でも本を作ってみたりするようになった。
ゲームに漫画、色々な作品の二次創作をした。コスプレだってちょっと手を出してみたりした。
普通の大学を出て、バリキャリでもなんでもなく、ごく一般的な企業に就職をして、安月給なのにオタク活動はやめられずにいつも生活はカツカツだった。
貯金もままならないけど、イベント以外に遊びに行くこともないし彼氏もいないしいいやと過ごしてきた。
とあるゲームにめちゃくちゃにハマって、寝るのも忘れてやりこんだ……。
6人のイケメンとの恋を楽しむ恋愛シミュレーション。所謂乙女ゲーム。何故かRPG要素も強くて、乙女ゲームには珍しく夢女だけでなく腐女子も量産したゲームだった。
私はそのうちの一人にドハマりした。
オリーブ色の髪、金色の瞳。
メイン攻略者でありそのゲームの代表的キャラクターである、第一王子。
その名も、トラヴィス・オルブライト。




