第43話 視察団の女
毎日12時更新予定です。調べ物が終わらない場合は翌日更新になります
「ん?迷子かな?」
MCTBH社の広報部員である新田は、欧州共同視察団の一人らしい人物が見学通路から外れているのを見咎めて声をかけた。
『すみません、そちらは立ち入り禁止になっていますが』
「あら、ごめんなさい」
振り返って綺麗な日本語で答えた女性は、まだ若い新田がぼうっとするほどの美貌を備えた女性だった。
年齢は30歳に届かないぐらいだろうか。
身長は175cmの新田よりもやや低いか同じぐらい。
落ち着いた雰囲気で瞳は青く髪はブルネット。
長身で首からかけた見学証とスーツがよく似合っている。
「日本語、お上手ですね。通訳の方ですか?私は社の広報部員の新田です。よろしければご案内しますが?」
「ありがとうございます。ちょっと迷っている間にはぐれてしまって…私はルイーズといいます。通訳のアシスタントで来たのですけれど、本国の人達はすごく偉い人達ばかりで…その…」
「それは大変でしょう。ご案内します」
続きを言いよどんだルイーズの言いたかったことを新田は理解した。
気位の高い政府高官達からすれば、現地の通訳アシスタントなど居ても居なくても気づきもしない、ということか。
新田は若者らしく義憤に駆られて案内を引き受けた。
「すごくお忙しそうなのに、お手数をとらせてすみません」
「いいえ。いいんですよ。これも仕事ですから」
恐縮する美女に、新田は大きく腕を振る。
今日はMCTBH社には欧州から共同視察団がやって来たために朝から全社員が対応に忙殺されている。
社が始まって以来の出来事に、入社して日が浅い新田まで対応にかり出されるほどに人員が不足しているのが、その証左である。
イギリス、ロシア、フランスのように原子力発電を行っている国、さらにドイツやスウェーデンのように過去に原子力発電を行っていたために低レベル放射性廃棄物を排出し保管場所に苦しむ国々が共同で実務者レベルの共同視察を日本政府に持ちかけた。
その対象と理由は、MCTBH社が成し遂げたという、放射性廃棄物の処理が本物か?という一点に尽きる。
数年前まで東洋の片隅の一地方企業でしかなかったMCTBH社が成し遂げた東洋の奇跡は本物か。
もしも本物であれば、世界の環境問題を戦略的にリードしてきた欧州諸国にとっては大きな戦略転換を迫られる出来事であるし、ロシアにとっては安全保障上の理由で看過出来ない事態でもある。
ヒロキや石田のMCTBH社経営陣は「社の対応能力を超える」として視察に否定的な態度を見せたが、許認可を握る政府内にも秘密主義を貫くMCTBH社に好意的でない者達がいたためか、あるいは各国の政府に貸しを作りたい政府の思惑が勝ったのか。
紆余曲折の末、IAEAの査察に先立って今回の欧州共同視察団の派遣と受け入れとなったのである。
そうした雲の上の事情を新田は知らないが、とにもかくにも朝から走り回っていて少し休憩しても良いかな、と思っていたところである。
それに美人と話すぐらいの役得はあってもいいだろう。
「そういえば、あちらの立ち入り禁止先は、何か理由があるのですか?」
ふと気づいたように問いかけたルイーズの美貌に、つい見栄を張りたくなった新田は小声で囁いた。
「実は、あちらは今回の視察団の方々の目的の放射性廃棄物処理施設があるのです」
「あら。それは立ち入り禁止になって当然ですわね。テロリストが入ってきたりしたら大変ですもの」
目を丸くして驚くルイーズの反応に嬉しくなって、新田は安心させるよう付け加えた。
「大丈夫ですよ。安全保障上の理由で申し上げられませんが、政府のある部署から既に精鋭の警備員達が派遣されていまして、自動小銃で24時間警戒しています。監視カメラや緊急時閉鎖扉などの阻止線も整備されていますから、テロリストが何人来ても警備は万全です!」
「それは頼もしいですわね」
美人がにっこりと笑顔を浮かべるものだから、若い新田は鼻の下を伸ばして赤くなった。
「で、ではこちらに!案内します!」
新田は頭に血が上るのを感じ、張り切って歩き出した。
彼女はフランスの人だろうか。それともロシアの人だろうか。
偉くなると、ああいう美人を通訳に雇えるのだろうかな…。
ルイーズを先導する新田はささやかな幸福感に酔っていた。
実のところ、ルイーズはフランス人でもなかったし、ロシア人でもなかった。
さらに言えば、通訳アシスタントでもないし、視察団の一員ですらなかった。
前を歩く脳天気な日本人の背中を見つめながら、ルイーズは先ほど見せた温かな笑顔とは正反対の酷薄な笑みを浮かべた。
更新できないときはTwitterにて「今日の更新はなしです」と悲鳴をあげます




