黒羊飼いのリープ
ある長閑な村の小さな一角に百頭の羊を従える羊飼いの少年がいました。少年はとても仕事熱心で、父の形見である木製の棒を片手に今日も百頭の羊と共にあっちへこっちへ大移動。
村の人たちも彼の熱心な姿に感銘を受け、どうにかして彼を幸せにできないかと考えていました。
「そうだ、男の一人暮らしは何かと辛いだろうから、誠実なリープに見合った花嫁を我らで探そうではないか」
村長が大きな声で集まった皆に少年の花嫁候補を探そうと提案します。村の集会場は大いにざわめきました。もちろん、満場一致で村長の意見に反対する者は誰一人としていません。
しかし、肝心の花嫁候補をどう探すかまでは考えていませんでした。村の人々は迷いに迷い、仕事をそっちのけにして丸三日もの間、誠実な羊飼いの少年リープに見合った花嫁に関する話し合いが続いていきます。
一方、リープはというと今日も真面目にコツコツと羊飼いとしての仕事をこなしていました。百頭の羊と共にあっちへこっちへ大移動。
でも今日は何だか様子が違う。そう思ったリープは、その場で父の形見である棒を大きく振りかざし、羊の群れを一頭いっとう丁寧に数えていきました。
「一頭、二頭、三頭……」
リープは慣れた手付きで羊の頭数を数えていきます。
そして、ようやく百頭目を数え切ったところでおかしなことに気づいたのです。
「おや……一頭多いなぁ……」
最初は数え間違えたかと思い、リープは何度も繰り返し漏れのないように羊の頭数を数え直していきます。しかし、いくら数えてみても羊は百頭ではなく、百を飛んで一頭なのです。
これにはリープも大いに頭を悩まされました。ですが、仕事熱心な彼は羊一頭いっとうの違いを見分けていましたので、見覚えのない一頭が誰なのかすぐに気がつきました。
真っ白な羊の群れの中に目立つようにして浮かび上がる黒い毛並みの羊。小柄な見た目の割に存在感は大の大人羊よりも強大で、静かな威圧感を放っているように一目見てリープは感じました。
「お前さん、どこから迷い込んできたんだい?」
リープはいつも他の羊にしているのと同じように黒い毛並みを持った子羊に語りかけます。でも黒い子羊はうんともすんとも言いません。それどころか、真っ赤な瞳をユラユラと燃え上がらせるようにして少年の瞳を見つめ続けているのです。
『何だか不思議な雰囲気を持った子羊だなぁ……』
そう思ったリープでしたが、父からの教えである羊を大切にしなさいという言葉を思い出し、彼女も群れの一員として迎え入れることにしたのです。
村の人々がリープの花嫁候補を探し始めてから丸一週間が経とうとしていました。未だに有力な花嫁候補は見つからず、村長たち含む村の人々は途方に暮れながら集会場で話し合いを続けていました。
「うーむ、よくよく考えてみれば以前にもリープの父親で同じようなことをしていたな」
「確かにそうですな。あの時はちょうど花嫁になりたいと立候補してくる若い娘がいたので助かりましたが、今回はどうなることやら……」
「すみません、ちょっとよろしいでしょうか?」
不意に集会場に瑞々しいほど透き通った綺麗な声が木霊し、村長含む村の人々は集会場の出入口に目を向けます。その場にいた誰もが同じことを考えました。
『なんとまあ愛らしい娘だ……』と……。
腰の辺りまで長く伸びた黒い髪は非常に艶があり、清流のような美しさが備わっていました。少し控えめな性格にも感じられましたが、燃え上がるような瞳には静かな情熱が揺らめいているようにも見えたのです。
これには村長たちも大いに喜びました。ようやく、リープに見合った花嫁を見つけることができたのですから喜ぶのも当然のことでしょう。今すぐにでも婚姻の儀を執り行おうと考えた村の人々は、仕事の真っ最中であったリープを村の集会場に呼び出しました。
「僕を呼ぶなんてどうしたのですか? まだ仕事の途中でどこかに迷い込んでしまった羊を探していたところだったのですが……」
「そう言うなて、今日はお前さんに紹介したい娘がおるのだ」
「はじめまして、リープさん。わたしの名前はメイルと申します」
メイルという少女を一目見てリープは思わず見惚れてしまいました。真っ赤な瞳に吸い込まれていくかのように恋に落ちてしまったのです。
リープは晴れてメイルという少女と夫婦になりました。それはもう、仲睦まじいほど幸せな生活を送っていきます。
気がつくと三人の娘にも恵まれ、妻子を持ったリープは以前よりも増して羊飼いとしての仕事をこなすようになっていったのです。
父の形見である木製の棒を片手に今日も百頭の羊と共にあっちへこっちへ大移動。
でもおかしなことにあれほど真っ白だった羊の群れも、気がつけば全て真っ黒な毛並みへと変わっていました。一頭いっとうがリープの妻であるメイルのように燃え上がるような真紅の瞳を揺らめかせて、今日も村の中をあっちへこっちへ大移動。
暗い夜に紛れて不気味にきらめく紅い揺らめきは、いつの日か村全体を覆い尽くしていきます。
一人消え、一頭増える。また一人消え、一頭増える。同じような日々を繰り返し、そして気がついたら村に住む人間は羊飼いである少年リープだけとなってしまいました。
「おや……こんなにもたくさんの羊、以前までいたかなぁ?」
リープはあまりにも増えすぎた黒羊たちを目の当たりにして、大いに頭を悩ませます。ですが、妻であるメイルとその娘たちはにこやかな笑みを浮かべて羊飼いであるリープの耳元で囁くのです。
「あなた、大丈夫ですよ。あなたはわたしたちの言う通りに一生懸命、一心不乱に羊飼いとしてのお仕事をこなせばいいのですから……ね?」
ある長閑だった村に何千頭もの黒羊を従える羊飼いの少年がいました。少年はとても仕事熱心で、父の形見である木製の棒を片手に今日も何千頭もの黒羊と共にあっちへこっちへ大移動。
そんな少年の傍らには、頭に二本の角を生やした愛らしい少女と母親に瓜二つな娘たちがいつまでも不敵な笑みを浮かべていましたとさ……。
おしまい、おしまい……。