マヌケなタヌキと素直じゃない人
我は人を化かすタヌキである。
ある日、我が山の屋敷に人の子がやって来た。
母が病気で苦しんでいる、死ぬ前に美しきものを見せてやりたいと。
そう健気な言葉を吐きながら……『伝説』と言えば聞こえの良い、人の妄想でしかない幻の花を探していた。
もうこれは化かすしかない。だって我タヌキだもの。
そこらの雑草を毟って術をかけ、いわく虹色の花弁を持つ幻の花を束でこさえてやったとも。
化かされているとも知らず、人の子は跳びはねて喜んで「必ずいつか御礼にきます」と言いながら帰って行った。
さて、いつ術を解くのが楽しいか?
母が死ぬ間際が好かろうか。
そうだ。我はそうやって、機会をうかがっていただけだ。
そうしている内に忘れてしまっていただけだ。
決して、術を解く気など無かったとか、そんな訳はない。本当だ。
我は人を化かすタヌキだもの。
人の子の健気さに心打たれて、この子のために何かしてやれる事はないかとか必死懸命に考えて、わざわざ永劫解けないほどに強力な変化の術を使うとか、そんな訳は絶対にない。
我、タヌキですし。
そうとも知らず、一〇余年ほどの後。
人の子は立派になってまた屋敷にやってきた。
いわく「母は心穏やかな最期を遂げられた、あなたのおかげだ。恩返しにこの屋敷で奉公させて欲しい」。
間抜けな人間だと嗤ったとも。
死ぬまで化かし続けてやろう。
貴様の恩人がまさか邪悪なタヌキだなんて気付かずに、貴様も心穏やかに死んでいくのだ。
……でも、もしもいつか正体がバレてしまったら。
その時は……笑いで誤魔化して許してもらえるよう、一発芸でも練っておこう。
私は陰陽師。妖怪を祓う家の生まれ。
母もまた同じ。しかし、母は悪しき妖怪の呪いで倒れ、その呪を解くには皮肉かな、膨大な妖力が必要だった。
そこで、一〇〇〇年も生きているという山の化けタヌキを狩りにきた。
その毛皮で解呪の道具をこさえてやろうと思った。
適当にありもしないだろう伝説の花でも探しにきたと言って、油断させて、その首をどうにか掻き切ってやろうと――
でも、その必要は無くなった。
何を思ったか化けタヌキは「えらいなぁ、貴様えらいなぁ、御母堂によろしくなぁ」とボロボロ泣きながら、アホみたいに妖力をぶちこんだ花を私にくれた。
自分が命を狙われていたなんて知らず、激励の言葉を吐きながら私の頭をわしわしわしわしと撫でてきた。
まぁ、期せずして目的であった膨大な妖力は手に入ったのだ。
この化けタヌキを今この場で殺す必要は無い。
それに私はまだ子供で、勝てるかどうかは未知数。
目的を達した以上、そんな危険を冒す必要はどこにも無い。
そう、必要性と危険性の問題なんだ。
だから退治するのを見送った。
決して、この化けタヌキを殺したくないと思ってしまったとか、そんな訳はない。
だって、私は妖怪を祓う陰陽師だもの。
……別に、母のために花を用意してくれたり、私を応援してくれたのが嬉しくて情が移ったとか、そんな訳は絶対にない。
私、陰陽師だし。
そうとも知らず、一〇余年ほどの後。
大人になって再び現れた私を、化けタヌキは歓待した。
母はまだピンピンして今もどこかで妖怪を八つ裂きにしているだろうが、ここはもう死去した事にして話すと……化けタヌキは「御母堂は召されてしまったのか……それでも貴様は強く生きているのだなぁ。本当に貴様はえらいなぁ」とまたボロボロ泣いていた。
この作り話の甲斐もあってか、化けタヌキはあっさりと私を使用人として雇ってくれた。
ああ、なんてマヌケなタヌキだろう。
私は確実安全に、お前を殺せる機会をうかがうべくその懐にもぐり込んだというのに。
化けタヌキも一〇〇〇年やそこらで寿命がくるという。
つまり一〇〇〇年も生きているお前はそう長くはないだろう。
お前が息を引き取る直前、もっとも弱る瞬間を、側でずっと待っててやる。
もしかしたらうっかり機会を逃して普通に看取ってしまうかも知れないが、うっかりしたならもう仕方ない事だ。うっかり呪いを喰らう母の遺伝もあるし、うっかりしてしまう可能性は非常に高いかも知れないが仕方ないんだ。
……懸念としては、私の正体がバレてしまう事だが……。
その時はあれだ。化けタヌキを小さな瓶にでも封印して、死ぬまで逃げられないようにしてしまおう。