何度も何度も
ようやく、この仕分け人と針の番人の話で伝えたかったところに入ります。今回は、次回のラストメッセージに向けての話になります。人は人からひどいことを言われても、気にしなければなんてことはないのですが、気にしてしまうと、心を病んだり、壊したりしてしまう。自分にはなんの非もないのに人から責められたとき、どうしたら心を守ることができるか――。読んでみてください。
ミヤくんは、弟のレオンくんとオセロをしていただけで、お母さんから「やさしくない子」って言われてしまったことがあるって、僕に打ち明けてくれた。
ミヤくんのお母さんは、病気がちなレオンくんを心配するあまり、ミヤくんにキツいことを言ってしまうことがあるみたいなんだけど。お母さんから「やさしくない子」って言われたとき、ミヤくんは「自分はやさしくないんだ」って思ってしまったんだって。
ミヤくんは、やさしくない子なんかじゃない。レオンくんのことだってちゃんと考えていた。なのに、ミヤくんは、自分はやさしくない子なんだって思ってしまった――。
人から非難されたり、否定的なことを言われたりすると、その人から嫌われたように感じてしまう。それで、嫌われたくなくて、相手の言うことに従わなきゃいけない気になって、そのせいで、仕分け人が冷静に判断できなくなるのかもしれない。僕はそう思ったんだけど。
もしもそうだとしたら、嫌われたくないって気持ち、相手の言うことに従おうとしてしまう気持ちを抱えながら、どうやって、相手の言うことと自分のやっていることを見つめ直せばいいんだろう? 相手の言うことが正しいのか、自分のやっていることに問題はないのか――どうすれば冷静に判断することができるようになるんだろう?
僕が考えこんでいると、
「まあ、そんなワケでさ? 母さんからやさしくない子とか言われると、どうしたって傷つくのは傷ついてしまうっつーか。ひどいこと言われても自分に問題がないならまったくの無傷ですませる、とは、なかなかいかないんだけど」
と、ミヤくんがまた話し始めた。
「無傷ですませるのは難しくてもさ? 心を守るために、すんごい大事なことがあんの」
ちょっともったいつけた言い方をする。
「大事なこと?」
なんだろう?
僕が聞き返すと、「そう! 大事なこと!」とミヤくんが力強くうなずいた。
「オレが母さんに言われたみたいに、誰かから自分のやってることがよくないことだって言われるとするやん?」
「うん」
「そゆコト言われても、仕分け人が落ち着いて、『自分に問題アリ』か『自分に問題ナシ』か判断できればいいけどさ? 相手の言い方が強かったり、相手が自分の言うコトが絶対正義みたいなカンジで言ってきたりして、自分の方が間違ってるんだって思いこまされるっていうか。仕分け人が相手に飲まれてしまって、『自分に問題ナシ』なのに『自分に問題アリ』にしちゃって、針の番人に心臓を突かれたとき。そういうときの、相手から何か言われて心が傷つくときの衝撃を、『第一波』、とするやん?」
ミヤくんは左手の人差し指を一本立てる。
「第一波?」
「そうそう。相手から言われたことを丸のみして、一瞬でズガンッ! って心に衝撃を受けるカンジ? この一瞬の衝撃が第一波」
「第一波」
「で、この第一波を防ぐのは、ちょっとなかなか難しい」
ミヤくんはそう言うと、指の数を増やす。
「問題は、第二波、第三波なんだよ」
第二波と言うときに中指、第三波と言うときに薬指と、三本の指を立て、顔をしかめる。
「え? 第二、第三、っていうと……お母さんに何度も何度もひどいこと言われるってこと?」
第二波や第三波が問題? それって何度もひどいこと言われるのがやっかいだ、っていうことかな? それは確かにやっかいなことだと思うけど――?
僕が聞くと、ミヤくんは「うんにゃ、そうじゃなくてさ」と、左手を自転車のハンドルに戻しながら首を振った。
「例えば、母さんからオレが、『やさしくない子ね』って言われると、第一波に襲われて、オレは胸が痛くなるワケだけどさ。人からひどいこと言われたときって、その一回っきりで終わらないときがあったりすんの」
「一回っきりで終わらない?」
「あのさ、母さんに『やさしくない子ね』って言われて、オレの中の仕分け人が『ホントにやさしくない子だからこんなこと言われたんだ!』って思っちゃって、針の番人がオレの心臓を突っつくやろ? これがさっき言った『第一波』ってヤツ」
「う、うん」
「その後、仕分け人が『ホントにやさしくない子なのかな?』って迷い始めんの。相手にのまれたせいで、ちゃんと判断できてないからさ? そこが引っかかっちゃって、自分の判断に迷いが生じるっつーかさ? 自信が持てないっつーか?」
「ちゃんと判断できてないかもしれないって思っちゃうんだ?」
「そうそう。そんで、『やさしくない子ね』って言われたから『やさしくない子なんだ』って判断しちゃったけど、それでよかったのかな? って。『ホントにやさしくない子なのかな?』って疑問が浮かぶんだけど、まだ相手に強く言われたことを引きずっちゃってて、『やさしくない子じゃないかもしれないって思っちゃったけど、やさしくない子って言われたんだからやっぱりやさしくない子なんじゃないの? ホントにやさしくない子だから、やさしくない子ね、って言われたんだよ』って思ってしまって。また『自分に問題アリ』にしちゃって、針の番人に心臓を突かれちゃう。――これが『第二波』」
ミヤくんが丁寧に話をする。
「えっと、つまり、え? 針の番人に心臓を一回突かれたのに、その後、また時間差で心臓を突かれちゃう、ってこと?」
二回も⁈ と、ぎょっとして僕は目を丸くする。
僕の驚きに、ミヤくんは間髪入れずに、さらにおそろしいことを告げた。
「二回どころか、三回、四回って突かれるかも。ううん、もっともっと何度も何度も突かれるかも」
僕は絶句して、立ち止まる。
ミヤくんも立ち止まった。まじめな顔をしている。
「実はさ、ここんところが、仕分け人と針の番人の話のいっちばん重要なポイント! だったりすんの」
真剣な声で僕に語るミヤくん。静かな熱意が伝わってきて、身が引き締まる。
ここんところが、いっちばん重要?
いったい、どういうことだろう?
僕は息をのんで、ミヤくんの言葉を待つ。
「ほら、なんでもかんでも『自分に問題ナシ』にしようとしたら、本当に『自分に問題ナシ』でいいのかどうか、不安になるって話したやん?」
「うん」
「相手に飲まれて『自分に問題アリ』って判断するのも、それとおんなじなワケ」
「んん?」
「なんでもかんでも『自分に問題ナシ』にしたときと同じように、自分の中の仕分け人がしっかり判断しないで『自分に問題アリ』にしちゃった場合は、その判断に自信が持てねーの。だから、何度も何度も、ホントに『自分に問題アリ』なん? ってなってしまって、そのたびにちゃんと判断しようとするけど、相手に飲まれたままだから、結局また『自分に問題アリ』にしちゃうやろ? そしたら、その都度、つまり、『自分に問題アリ』って判断し直す度に、針の番人に心臓を突かれんの」
ミヤくんが話すのを聞いて、僕はわかってしまった。
「それで何度も何度も針の番人に突かれるかもしれないって言ったの?」
確認する僕に、ミヤくんは「そゆコト」と大きくうなずく。
「何度も何度も突かれる……」
僕はつぶやく。
「何度も針の番人に突かれる。それってさ、要するに、何度も自分で自分の心を傷つけるってコトやん?」
ミヤくんが言う。
その通りだ。人から言われた言葉が自分の心を傷つけるわけじゃない。自分の中の針の番人が自分の心を傷つける。それはつまり、自分で自分の心を傷つけているということで――。
「自分の方が先に相手を傷つけていたのなら、自分で自分を傷つけるのは仕方がないっつーか、受け入れるしかないコトだけどさ? そうじゃない、自分にはなんの問題もない場合にまで、自分で自分を傷つけるのは違うやろ?」
ミヤくんは怒っているような、悲しんでいるような、複雑な顔をする。その顔のまま、話を続ける。
「仕分け人が相手に飲まれて冷静に判断できなくなってしまうと、何度も何度も、自分で自分の心を傷つける。何度も何度も自分を傷つけて――傷つけることから抜け出せなくなる」
恐いような真剣な声に、僕は息をのむ。
「心が傷つけば、心の中にいる仕分け人も弱ってく。弱ってしまえば、余計に正常な判断ができなくなっていく。それで、自分に問題のないことでも、相手の強さに負けて『自分に問題アリ』と判断してしまう。そしたら、また、針の番人に心を傷つけられてしまう」
「……」
「そうやって、ずっとずっと自分で自分を痛めつけて、苦しくなって、なんとか助かろうにも、また自分で自分に問題があるって判断しちゃうから、また傷つけるしかなくなる。自分で自分を傷つける繰り返しにハマりこんで、ずっとずっと自分で自分の心を、エンドレスに傷つけ続ける……」
高ぶった気持ちを吐き出すように、ミヤくんがひとつ、息をつく。
つきん、と、また、幻の痛みを感じた。
つきん、つきん、と胸の奥の奥で痛みが繰り返されているような錯覚。
僕は無意識に深く息を吸いこんでいた。胸を大きく膨らませる。そしてゆっくり息を吐き出した。胸の奥が静かになる。
幻の痛みなら、気持ちを落ち着ければ落ち着くけれど、針の番人が与える痛みからは逃れられない。針の番人は、自分の中にいるからだ。自分は、自分自身から逃れることは、できない――。
ミヤくんがまた口を開く。
「そうやって、何度も自分を傷つけ続けていくのがマジでヤバイ。だってさ――それじゃあ、救かりようがないやろ? 心の、救かりようがない」
ぎゅっと眉を寄せるミヤくん。
針の番人が針で突くのは本物の心臓じゃなくて、心臓の化身のようなものだから、お医者さんに手術で治してもらうわけにはいかない。胸を切り裂いて、中にある本物の心臓の手当てをしても、心が治るわけじゃない。
ただ、傷つけて、傷つけて……。自分で自分を傷つけ続けている限り、その痛みから逃れることはできなくて。心が救かることがない。痛みにさらされたまま、救からない――。
確かに、ヤバイ。
心が傷つくのは、一度だけだってつらいのに。何度も何度も心が傷つけられ続けたら、どれほど苦しいことだろう。何度も自分の心臓を針の番人に針で突かれ続けたら――心臓がもたなくなるかもしれない。
「そんなのダメだよ!」
僕は叫ぶように強い口調で言った。胸の奥から湧き上がってきた言葉が勝手に口から飛び出たみたいだった。
「そうだよ! そんなのダメだよ! 自分で自分の心をズタボロにしてちゃダメなんだよ!」
ミヤくんの声にも力が入る。
そうだよ、自分で自分の心をズタボロにしてちゃダメだ。ダメだダメだダメだ――。
だけど、どうしたら――?
僕は考える。
なんとか、自分で自分を傷つけるのを止めないと――。
ん?
止める?
止めるって何を? ――針の番人を。
針の番人をどうやって止める? ――針の番人を止めるのは――仕分け人だ。
仕分け人が、『自分に問題ナシ』なことを、ちゃんと『自分に問題ナシ』って判断すればいい――?
「それって、そうなっちゃったときって、『自分に問題アリ』か『自分に問題ナシ』かをちゃんとしっかり仕分け人が判断すれば、自分で自分を傷つけ続けることから抜け出せるってことだよね?」
僕が聞くと、ミヤくんがパッと顔を輝かせる。
自転車越しに身を乗り出すように、ミヤくんが強くうなずいた。
「うん! そう! そうなんだよ~!」 つづく
読んでいただいてありがとうございました。
次回が最終回になります。ラストメッセージ、ぜひ、読んでみてください。