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アシュリーが物思いに耽っていると、不意に肩に触れられた。

アシュリーは無意識に払い除けた。

殆ど本能的に払い除けただけであったが、その手の主人は嫌味な程に端正な顔を歪ませて笑んだ。


「あ……、申し訳ございません」


咄嗟に謝罪をすると更に笑みを深めた。


「いいや。気にするな。それでいい、それでいいんだ」


手の主人———シリウスは何かに納得するように二度程頷いた。

そうしてアシュリーが払い除けた際に爪で引っ掻いて出来てしまった手の甲の擦り傷から流れる鮮血をペロリと舐めて見せた。

まるで、気を抜くなという警告の様に感じられた。

その美しい獰猛な生き物を見つめ、暫し悪寒が止まらなかった。


「アシュリー。冗談だ」


シリウスは両手を軽く上げて目を瞑ってみせた。

まるで腹を出す獣のような仕草だ。


「冗談には思えませんでしたが」


何故か際限の無い言い訳を紡ぐようにアシュリーがそう言うと、シリウスはクツクツと笑い出した。

掴み所の無い人だとアシュリーは感じた。


「君は良いな。こんなに好奇心を擽ぐられる人物は初めてだ」


「私の何を気に入って頂けたのか分かりかねます」


「その瞳と裏腹な言動だ。私を心底怯える癖に震える瞳を抱いてなおも私を正面から見る事を止めない。目を逸らしてしまえば楽になるのに」


最もだ———、とアシュリーは思った。

しかし、今更目を背けた所でアシュリーの周りは暗闇なのだ。

自分の足元すら見えない闇の中に立っているような。

常に自らを問い続けたアシュリーにとってはシリウスの存在は救いのような物なのだ。

例えば獣に魅入られたとしても、この忌まわしき固定概念から逃れる術があるのだと言われたら縋り付いてでも着いて行く。

アシュリーの前に垂らされた一本の救いの糸のように思えた。

出会って間も無い人物ではあるが、アシュリーの宿命とも言える性差を解き放つ鍵を握っている筈のシリウスを簡単には無碍に出来ない。

彼の死生観を形取ったような研ぎ澄まされた瞳が爛々と輝いている。

仮面のように美しく生気を感じない見目にアンバランスな眸だった。


「シリウス様……、そろそろお時間です」


ローダスが嗜めるようにシリウスに声を掛けると、座はお開きとなった。

正直助かった、とアシュリーは感じた。

張り詰めた一本の縄の上を綱渡りしているような感覚は相当に堪えたようで、帰りの馬車ではぐったりだった。

己の呼吸すらも煩わしいと感じたのは生まれて初めての経験だ。

こんな経験は二度と御免被ると思いながらも、自らが選んだ道はきっとその感情を何度も味わう事になるのだろうという確信がアシュリーを苛んだ。
















第七代、シリウス・フィリップス王は王国歴三五一年の九の月、秋の訪れを感じるような爽やかな陽気の日に王妃となるアシュリー・シュタインと婚姻を結ぶ事を宣言した。

王城で開かれた王国貴族が数多と集まる夜会で、アシュリーがシリウスが居るベールを掛けられた玉座の前に跪くと、隠された僅かな隙間からシリウスがそっと手を差し出した。

さながら騎士の誓いの様に儀礼的にシリウスの手の甲にそっと口付けをする素振りを見せてアシュリーは立ち上がった。

そのアシュリーの出で立ちはドレスティナ王国の慣例を易々とぶち壊す衝撃を王国貴族に連なる淑女達に与えた。

それは良くも悪くも。

しかし大半の爵位を持つ王国紳士達は到底受け入れる事が出来ないのか嘲笑すら浮かべていた。

だが、アシュリーは自身の長い長い業を背負った道を着実に今一歩踏み出したのである。

その頼りない細い双肩に掛けた白い純白にシルバーの細かな刺繍が施されたジャケット。

揃いのパンツに珍しい白い脚絆。

装飾は行き過ぎているとも取れる程に何も付けておらず、細いアシュリーの曲線美をピッタリと沿うようにデザインされた服装であった。

突然現れたアシュリーという異分子に暫く会場は騒めきが覆っていたが、何を述べるでも無く玉座に寄り添う姿はある種の神々しさを纏っているように感じられた。

次第に沈黙に堪え兼ねた者から黙り、会場のさざ波のような騒めきは止み、静まり返った。


「私、シュタイン侯爵家の第一子アシュリー・シュタインは国王陛下、シリウス・フィリップス様との婚姻を来たる十一の月に結びます事をここで皆様に表明致します。そして同時に陛下に忠誠を誓います」


凡そ婚姻の発表には不釣り合いな言葉を選んだアシュリーの静かな宣誓は、充分な衝撃を与えた。

それはドレスティナ王国にとって正に唐突な出来事であった。

若くして王となったシリウスは非常に有能である事は事実であるが、在位して五年、その片翼となる王妃の椅子は依然として空席であった。

歴代の王達は皇太子時代から妃を娶る事が慣例のようになっていたが、シリウスが玉座に着いた際に王族間の度重なる政争が続いた。

その為空席なのだろうと当初は皆様子を伺っていたが、いつまで経ってもその座が埋まらない事に違和感を感じていた。

国政が安定し切って尚も空席の皇后の席。

口出しをしたくとも、取り付く島も無い。

何故ならシリウスはいつも影の奏者の如く実体を掴めなかったからだ。

そして突然現れた中性的な騎士のような装いをしたアシュリー・シュタイン。

彼ら貴族は混乱と困惑のまま、受け入れるより無かった。






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― 新着の感想 ―
[一言] これは色々な意味で型破りですね。
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