第1話 辺境
【辺境・辺疆】へん-きょう
都から遠く離れた土地。国ざかい。
辺境。
その言葉を聞き、思い浮かべるものは、なんだろうか。
気忙しい都市から離れた、瑞々しい緑に満ちた景色。
未知の文明が息づく、赤茶けた荒野の向こう。
深宇宙の、光に満ち溢れた極彩色にも見える漆黒。
この宇宙に生きる者ならば、想像する情景は千差万別だ。
だが、この星に生きる者において、辺境とは、別の確固たる意味も持つ。
文明の力すら及ばぬ、強大な原生生物が、生存を賭けて相争う、修羅の大地。
文明の進出を拒み、多くの命を飲み込んでいった、恐怖の世界。
そして、比類なき名誉と膨大な宝物の溢れる、憧れの土地。
辺境。
それは、宇宙まで進出しているこの時代において、文明の及んでいない領域。
名目上はこの星は碧玉連邦の一国体勢であるため、国の『辺境』と他の星に説明しているが、実態は、未踏破領域である。
辺境と対比して、文明の及んでいる地域は『文明圏』と呼ばれる。
数多の希少資源やこの星独自の謎の物質、広い土地に多くの遺伝資源など、その土地を攻略することによる利益は計り知れない。
しかし、異常なまでに変化の多い環境と、現代兵器ですら厳しい戦いを強いられる異様に強力な原生生物のせいで、宇宙まで進出した現代の技術をもってしても、まともに開拓が進んでいないのだ。
それどころか、辺境領域との境界線に巨大な要塞を建造し、どうにか辺境域の原生生物の文明圏への侵入を防いでいる状態である。
そして、そんな辺境は、戦闘旅客の憧れの地でもある。
その地の資源や生物サンプル、地形情報などは、文明圏の研究者や企業、好事家の垂涎の品である。
辺境域の素材や情報の価格は、文明圏から離れるほど跳ね上がっていき、辺境深部の品は億単位の価格で取引されることも珍しくない。
そして、恐ろしい強さの原生生物が跋扈し、異常な環境が多い辺境域で生き残ることで、その名声も際限なく高まっていく。
比較的危険度の低い辺境域の浅部で数時間生存して帰還しただけでも、文明圏のみで活動している旅客とは一線を画する評価となる。
そんな世界が、この星の辺境なのだ。
*****
現歴2265年5月3日 午後1時
俺とエミーリア、作太郎、ヴァシリーサは、昼食のために入ったカフェで、辺境行きの計画を話し合っていた。
先のアルバトレルスとの戦いで、エミーリアの本当の強さが分かった。
エミーリアは、強くなりたい、と言っていた。
文明圏内で仕事をし続けていても強くなれるだろう。
しかし、そのやり方は、かなり時間がかかる。
より早く強くなるには、より厳しい戦いの場、簡単に言えば辺境に挑戦するのが、最適なのである。
「辺境・・・。」
そう、ポツリと呟くのは、エミーリア。
身長は一五〇cmを少し超えた程度の、濃紫色の髪を肩口くらいまで伸ばした少女だ。髪の毛は乱雑に切りそろえられており、様々な方向にはねている。
ジト目で表情は薄いが、感情が薄いわけではないことを俺は知っている。
チューブトップで露出の多い恰好をしており、色白だが健康的な肌色が眩しい。
レギオンという種であり、体内に複数のエミーリアが潜んでおり、戦闘時などに露出した肌の所々にあるツギハギから出てくるのだ。
先日の仕事で旅客としてのクラスが上がっており、『硬銀』クラスの一流戦闘旅客である。
「辺境と言っても、どこに行くっすか?」
明るい声で言うのは、ヴァシリーサ。
低めの身長、黒い短い髪に浅黒い肌、鍛え上げられたしなやかな身体をスポーティな服装に包んだ少女だ。
大きなアーモンド形の目は瞳が小さく四白眼で、その表情には元気の良さが満ち溢れている。
その表情からもわかるようにさっぱりとした性格で、まさにスポーツ少女といった趣だ。
竜人であり、両側頭部に、10㎝程度の、短めで太い黒角が上に向かって生えており、腰からは、身長と同じくらいの長さの、黒い艶やかな鱗に覆われた太いしっぽが伸びている。
ヴァシリーサは、この星において、最高峰の戦闘旅客である『青鉄』クラスの旅客である。
「東西南北。何処へ向かうか?」
昏く、掠れた声がする。
そちらを見れば、豊かな白髪を蓄えた、緋色の骸骨がいる。
狂骨という、地球の日本地区出身のアンデッド、作太郎である。
左の眼窩を盾に横切るように大きな傷があり、それが元で命を落としたらしい。
両の眼窩には昏い緋色の光が灯っており、その外見は、怖い。
『硬銀』クラスの強力な旅客であり、その剣技は、硬銀の一つ上の『緑透金』クラス相手でも十二分に通用するだろう。
「うーん、順当にいけば、西の要塞の先かなぁ。」
そう言う俺は、メタル=クリスタル。
黒い髪を適当に短めに切った、18歳くらいの外見の男だ。
外見は平均的で、そこまで特徴はないと思う。
知り合いにも、2、3回見ないと覚えられない程度の印象の薄さだと言われることがある。
慎重派168㎝で、体重は95㎏。体脂肪率は低い。
ヴァシリーサと同じく、『青鉄』の戦闘旅客だ。
「ま、それが妥当っすね。」
俺の案に、ヴァシリーサが答える。
同じ青鉄クラスの戦闘旅客でも、辺境への挑戦経験があると無いとでは、その名声の差はとても大きい。
ヴァシリーサは、辺境に挑戦した経験も多い、超一流の戦闘旅客なのだ。
辺境は、国の周囲4方向にある。
というよりも、文明圏のほうが辺境よりはるかに面積が小さいため、辺境の中に、どうにか生存圏を確保していると言った方が正しいかもしれない。
辺境を分類するときは、大きく東西南北の方向で分類するのだ。
西の要塞の先は、最も辺境に挑戦する人数が多い方面である。
文明圏に4つある州のうち、西にある『ヴィリデレクス州』の西端から向かうことのできる辺境で、『ロンギストリアータ要塞』と呼ばれる大要塞があり、その要塞で文明圏と辺境を区切っているのである。
浅い地域は比較的安全で、初めての辺境への挑戦には、向いているかもしれない。
南の辺境は、辺境で唯一、全周囲を文明圏に囲まれている辺境である。
文明圏の4つの州のうちの一つ、南の『ルーべロス州』に広がる『ルスラ大砂漠』の中央に位置する辺境だ。
環状の山脈地帯に囲まれた未踏は地域で、環境、原生生物ともに非常に厳しく、文明圏に囲まれているのに辺境であり続けるのは伊達ではない、と感じさせる地域である。
北の辺境は、今のところ、一番地味な辺境ともいわれる。
文明圏の東と北をカバーする、最も広大な州である『水古州』から行くことのできる辺境である。
文明圏との間を、巨大なテーブルマウンテンと広大な湖という天然の要塞に区切られており、脅威度が低いのだ。
また、旅客が辺境に挑戦しようとしても、あまりにも巨大なテーブルマウンテンか対岸が全く見えないほど広大な湖を越えなければいけないため、あまり人気がない。
そのため、とても地味なのである。
無論、一歩辺境に踏み出せば強大な原生生物がうろついているため、軍は24時間体制で監視はしている。
東の辺境は、唯一、文明圏と地続きでない辺境である。
海を渡らないとたどり着くことができず、その難易度と相まって、最も挑戦しづらい辺境である。
基本的には軍が管轄しており、渡航するには特別な申請が必要だ。
これらの条件を考えると、まあ、西の辺境が妥当だろう。
「それでは、本日から、ヴィリデレクス州に向けて、移動ですかな。」
作太郎が、言う。
まあ、そうなるだろう。
「今日中にヴィリデレクス州には入っておきたいね。」
今日は、既に昼を回っている。
西の要塞へは、数千キロ離れている。
快足を誇るオベリスク起動システムでも、簡単にたどり着ける距離ではない。
ヴィリデレクス州の適当な都市で、宿を確保して、二日かけて向かうのが確実だろう。
「決まり。行こう。」
そう言い、エミーリアが立ち上がる。
エミーリアの目は、やる気に燃えていた。




