第5話 初めての戦闘
旅客情報局分局から出て、目的地に向けて歩きはじめる。
周囲はひざ丈程度の草が一面に生え、風になびいており、爽やかな風景だ。
4人の様子を見ていれば、エミーリアと角蔵が、いい動きをしている。
エミーリアがさりげなく最後方へ移動して周辺警戒をはじめ、角蔵がそれを見てから先頭に立って警戒を始める。
緑クラスのエミーリアはともかく、赤クラスの角蔵は意外である。
動きは決して赤クラスではない。黄クラスか、緑クラスとしてもいい程だ。
となれば、よほど筆記試験が悪かったのだろう。
レナートとフーロも、二人の様子に気付き、周辺を警戒しながら歩いている。
意外なことに、5mもあるフーロがあまり目立たない。
根を細かく動かして這うように移動しており、枝葉がほとんど揺れていないのだ。
10分ほど進んだだろうか。
今は低木の隣を進んでいる。
少し離れた場所に、大鹿がいる。
「止まれ」
角蔵が小さく声を上げつつ手をあげ、後続を止める。
角蔵も気が付いたようだ。茂みを挟んでこの距離で察知できるなら、なかなか悪くない索敵力をしている。
「いるぜ。」
角蔵が示した先には、先ほど俺も察知した鹿が1頭。
黒っぽい毛並みに2m近い体高。間違いない。オオタイグンジカだ。
枝分かれした立派な角があるので、オスだろう。
幸い、1頭しかいないようだ。
「どうする?」
フーロの声は少し震えている。初めての戦闘なのだ。緊張して当然だろう。
レナートも、緊張して心なしか顔色が青い。
「まず、俺が行こう。」
そう声を上げるのは、角蔵。緊張もなく、自然体だ。
「俺が反対側から仕掛ける。あの鹿は俺から逃げるか、俺に向かってくるかするはずだ。向かってくるようなら俺が抑えるから背後から攻撃を頼む。逃げるようなら、迎え撃ってくれるか?」
ふむ。妥当な作戦だ。
だが、周囲の視界は良い。良すぎる。体格の大きな角蔵では、回り込む際にばれてしまいそうだ。
どうやって鹿の反対に回り込むのだろうか?
「ん。できる。」
角蔵のセリフに、エミーリアが、小さく頷く。
「あ・・・あのサイズの鹿を迎え撃つのとか、できるのか・・・?」
フーロの声は、もはや明らかに震えている。レナートの顔色もいよいよ悪く、緊張は最高潮なようだ。
このままでは、いざというときに動けなくなってしまうかもしれない。助け舟を出した方がいいかもしれない。
「緊張するなとは言わない。初めての戦いで緊張するのは必要だし、必然だ。」
俺の声に、フーロとレナートが顔をこちらに向ける。表情はがちがちに固まっている。
角蔵は懐かしむように頷いており、エミーリアは、何を考えているかわからない表情をしている。
「だが、安心したまえ。俺がいる。俺なら、あの鹿の1,000や2,000はまとめて相手しても問題なく勝てる。」
数を言った途端、4人ともぎょっとした表情になった。
レナートとフーロは驚愕の表情で、戦いを知っているであろう角蔵などは、信じられないといった表情をしている。
エミーリアは、少しばかり表情が変わり、驚いているように見えなくもない。
「危なくなったら助けるから、思いっきり行ってきな。」
そう言うと、フーロとレナートの緊張は少しほぐれたようだ。
角蔵も、その様子を見て安心したようである。
「よし、行ってくるぜ。ちょっと準備を・・・」
2人の心の準備が整ったと感じたのか、角蔵がごそごそと回り込む準備を始める。
角蔵は、いきなり上半身のレザージャケットを脱ぎ、上裸になると、レザージャケットを裏返して腰に巻いた。
レザージャケットの裏地は黒い起毛になっており、ジーンズを隠している。
そのまま、角蔵は四つん這いになる。
すると、その姿は小さな牛にしか見えないではないか。
角蔵は、口をもぐもぐと動かし、反芻のふりをしながら、ゆっくりと低木の影から出る。
「あんなことができるんですね。」
レナートが呆然としている。
角蔵の動きは大変リアルで、小さな黒い牛にしか見えない。
鹿も、気にしているが、危険かどうか判断しきれていないようである。
俺も、驚いた。なかなかいい技である。
そのままゆっくりと、角蔵は移動していく。
たっぷり10分ほどかけて角蔵は鹿の反対まで回り込んだ。
途中、鹿に威嚇されたときは、少し逃げるような仕草をしていたが、それも野生動物にしか見えない、リアリティに溢れる動きであった。
演技の甲斐あってか、反対に回り込んだ時には、鹿は角蔵のことをすっかり草食動物だと思い込んでいるようである。
戦いなど起こらなさそうな、ゆったりとした静寂が流れる。
静寂を破ったのは、角蔵だった。
「ぶもぉぉおおおおおおおおお!!」
野太い雄たけびと共に、剣を振りかぶり、猛然と鹿に突進していく。
鹿は完全に虚を突かれたようで、一瞬固まったものの、弾かれるように角蔵と反対方向に走り出す。
角蔵の突進速度はとても速いが、鹿の速度には追い付けない。
それを迎え撃つのは、フーロとレナートである。
「やああ!」
まず先に動いたのは、フーロ。木の軋む音を立てながら、5mの樫の木がボクサーのように枝を振るう。
フーロの攻撃は、葉の空気抵抗のせいで遅く、かつ大振りであったために外れ、鹿はフーロを避けるように90度の方向転換。
「アイスボール!」
そこへ、レナートの魔術により現れた、野球ボール大の氷塊が、鹿に襲い掛かる。
頭部に命中するかと思われた氷塊は、鹿が角を振り回したことで砕け、叩き散らされてしまった。
レナートは、魔法でダメージを与えることができなかった瞬間に抜刀し、迎撃の構えを取る。
しかし、鹿は剣を構えたレナートに気付いた瞬間に反転。3方向を囲まれたため、唯一空いている方向へ走る。
「しまった、逃げられる!」
フーロが叫ぶ。だが、その叫びが現実になることはなかった。
鹿の先には、いつのまにか、エミーリアが立っていた。
その佇まいには、余分な力は無い。表情も無く、もはや虚ろにすら見える。
鹿は、エミーリアの小柄な体格と雰囲気から突破しやすいと思ったのか、体を起こし、前足で蹴り飛ばす体制に入る。
その瞬間、鹿の胸部には、あばら骨の隙間を縫うように深々と剣が突き立っていた。
ぐらり、と鹿がよろめく。
エミーリアは、既に離れた位置にいる。
その手には、血の滴る剣が一振り。
エミーリアは、冷静に盾を構え、鹿の様子を伺っている。
鹿は、エミーリアを睨むように立ち尽くしている。
10秒ほど、経っただろうか。
エミーリアが緊張を解き、血振りをする。それと同時に、目から光を失った鹿が、どう・・・と、その場に崩れ落ちた。
果たして、今の一撃が見えた者はいたのだろうか?
鹿が上体を起こした瞬間に高速で踏み込んで、あばら骨の隙間から心臓に一撃。そして、即座に後方に跳び去る。
それを、返り血を浴びない速度でやってのけたのだ。
エミーリアの強さは、緑ランクどころの話ではなかった。今の技の冴えは、赤熱銅、あるいは硬銀クラスと言っていいだろう。
「お疲れさま。いい速度だ。エミーリアさんは、強いね。」
エミーリアに駆け寄り、声をかける。
「!・・・ん。ありがと。」
エミーリアは、少し驚いた表情をした後、ほんのりはにかみながら頷く。
・・・可愛い。なんだか、小動物的可愛さだ。
そこへ、3人も集まってくる。
レナートとフーロは、胸から血を流しながら倒れている鹿に、おっかなびっくりだ。
「いま、何があったのですか?」
「エミーリアに鹿が襲い掛かったと思ったら、いきなり倒れたけど・・・」
レナートとフーロは、何が起こったか見えなかったようだ。
「・・・すげぇな。剣の動きとか、ほとんど見えなかったぜ。」
そう言うのは、角蔵。辛うじて見えていたらしい。
あの距離で、あの速度が見えるとは、やはり、緑クラスくらいの実力はあると言えるだろう。
「じゃ、後処理すっか。証拠部位はどこだか、覚えてねぇか?」
角蔵が言う。
・・・覚えていないのか。
「証拠部位は、額の小角ですよ。今回は、写真判定でも、大丈夫です。」
レナートが返す。レナートはしっかり覚えていたらしい。
鹿を見てみれば、小角はしっかりある。
オオタイグンジカの額には、大きな角とは別に、雄雌どちらにも5cmほどのサイズの小さな角があるのだ。
エミーリアが、解体用の大ぶりなナイフを取り出し、小角を切り取る。
「肉は?」
エミーリアが誰ともなく尋ねる。
「とりあえず、血抜きしようぜ。」
そう言い、角蔵が手早く血抜きを行う。慣れた手つきだ。
しかし、肉か。
本来なら、ちゃんと処理してしかるべき場所に持ち込めばそれなりの金額になるが、そのための処理と運搬となると、かなり大変だ。
今回の場合、利益は少なくなるが、回収屋に頼むのがベストだろう。
「今回は、回収屋に頼もう。」
そう言うと、フーロ以外、納得したように頷いている。
「回収屋?」
フーロは、知らないようだ。
回収屋とは、討伐した獲物などを回収することを専門にしている業者や旅客のことである。
特に、今回のような多数の討伐の際は、獲物を無駄にしないためにも必須になる者達だ。
依頼した旅客は回収屋の利益の1~2割程度を受け取ることができる。
あまりに危険度が高い地域では来ることができないが、今回くらいの地域なら問題なく来てくれる。
今思えば、旅客情報局分局の宿泊者が混んでいるのも、回収屋が泊っているからだったのだろう。
「じゃあ、俺が連絡するよ。フーロさんには、だれか説明しておいてね。」
そう言い、旅客情報局分局に連絡を入れる。
フーロには、レナートが説明しているようだ。
回収屋には、すんなりと話が通った。
どうやら、市が今回の討伐依頼にあたって既に委託していたらしい。ありがたいことである。
回収屋が来るまで、5分程度とのこと。
周囲を警戒していると、角蔵が、声をかけてきた。
「メタルさん。次の奴、メタルさんが倒してみてくれねぇか?青鉄旅客っちゅうもんが、どの程度のレベルなのか見てみたいぜ。」
ほう。
角蔵の表情を見れば、純粋な好奇心のようだ。
その言葉に、レナートとフート、エミーリアまでもが頷いている。
ふむ。ならば、戦ってみるのも、いいだろう。