第18話 襲撃
俺は、高架下のビルの屋上に向かって、身を躍らせる。
背負ったリコラが、恐怖に息を呑むのがわかった。
だが、叫ぶのだけは堪えたようである。
リコラに衝撃が伝わらないよう、丁寧に着地する。
「もう一回跳ぶよ。舌を噛まないように。」
次に、ビルから飛び降りる。
着地先は、見通しの悪い路地裏。
ここからならば、上から見えないはずだ。
「この後少し走るから、今のうちにエミーリアたちに連絡を。」
そう言うと、リコラが背中でもぞもぞと動く。
どうやら、スマートフォンを取り出しているようだ。
そして、そのままエミーリアたちに連絡し始める。
「目的は達成した。裏紅傘に帰還を。」
そして、スマホをしまって、言う。
「連絡は終わったぞ。行ける。」
そう言いながら、俺の背中で姿勢を整える。
・・・リコラを下ろして、二人とも走るつもりだったが、まあ、いいか。
俺は、まずはゆっくりと走り出す。
「けっこうな勢いで走るから、舌を噛まないようにね。」
再び、舌を噛まないように注意すると、リコラが頷く。
リコラが頷いたのを確認し、速度を上げる。
まずは、先ほどの高架から距離を離そう。
憲兵に目撃されたら、後で面倒になるかもしれない。
とりあえず、1km程離れる。
これくらい離れれば、高架からはほとんど視線は通らない。
訓練した蝙蝠系の人種などは、1kmくらいの距離なら探知してくるので、注意は怠れない。
走りながら、周囲に他人の目が無いことを確認する。
よし、だれもいない。
「ちょっと揺れるよ!」
リコラに声をかけると同時に跳ぶ。
目の前のビルの壁面に足をかけ、さらに上に向けて跳ぶ。
屋上に着地。
高架からは、視線は通らない。
ルートを確認する。
ビルの配置は、悪くない。
うまく高架から隠れて進めそうだ。
そのまま、高架から視線を切りつつ、裏紅傘を目指す。
そうして、数分で裏紅傘に着いたのだった。
*****
裏紅傘事務所の前でリコラを下ろし、中に入る。
まだ、エミーリアたちは戻ってきていないようだ。
ビッキーは目を覚ますことなく眠っているようで、殻の端から呼吸管は出ているが、閉じている。
中に入ると、リコラが、鞄からファイルを取り出し、言う。
「皆が戻ってくる前に、書類を見てみよう。」
そうだ。
そういえば、リコラは、誘拐犯の車から、書類を確保していたのだ。
リコラが、書類を取り出し、机の上に広げる。
そして、数秒眺めて、唸る。
「・・・読めないな。」
なに?
リコラの言葉を不審に思い、俺も、書類を覗き込む。
・・・確かに、これは、読めない。
意味の解らない数字の羅列がA4くらいのサイズ紙を埋め尽くしている。
所々に、QRコードのようなものもある。
暗号のようだ。
「このQRコード、読み込めば何かわかるのかな?」
俺がそう言うと、リコラが止めてくる。
「まて、変なコンピューターウイルスにでも感染したら、大変だぞ。」
・・・それもそうか。
だが、コンピューターウイルスに感染するような書類を車に乗せておくだろうか?
囮として載せておくとか、あるのだろうか?
よくわからない。
「戻ったぞ。」
書類を見ていると、戸が開く音と共に、クロアの声が聞こえた。
どうやら、3人が戻ってきたようだ。
クロアは、ふわふわした服のままだが、その歩き方は雄々しい。
まさか、囮の最中もその歩き方だったのでは・・・?
「ああ、お帰り。」
リコラが、書類を睨んだまま、出迎えの声を上げる。
そして、そのまま目を反らさず、言葉を続ける。
「戻ってきたところ悪いが、これを見てくれ。犯人の車の中にあった書類だ。」
そう言いながら、リコラは机に並んだ書類を指し示す。
「この書類は、暗号か何かなんだろうか?正直、私にはよくわからない。」
3人は、そのままこちらに来る。
そして、書類を見る。
その瞬間、クロアの表情が変わった。
「これは・・・?アルバト・・・?」
クロアが呟く。
アルバト?
「ぐぅ・・・ぅぅ・・・。」
さらに、クロアは、顔を歪め、身体を震わせて呻き始める。
「ど、どうした?クロア?」
リコラが、そんなクロアを心配して、近寄る。
その瞬間、クロアが、リコラに抱き着くように跳びかかる。
ガタイの良いクロアが突然抱き着いてきたため、リコラはバランスを崩し、リコラもろとも倒れ込む。
クロアがリコラを押し倒したような格好だ。
クロアは、倒れ込む際、リコラの後頭部に腕を回して、後頭部を守っている。
どうやら、突如理性を失った、というわけではないようだ。
「ど・・・どうした!?」
リコラが、訳が分からないといった声を上げる。
「伏せろおおおおおおおお!!」
いきなり、クロアが、叫ぶ。
瞬間、裏紅傘の事務所は、戦場になった。
強制的に、集中力が極限まで引き上げられる。
世界がスローモーションになり、窓の外に黒いワゴン車が走り込んでくるのが目に入る。
黒いワゴン車で、複数の炎が上がる。
発砲炎だ。
窓ガラスが割れ、鉛玉が飛び込んでくる。
咄嗟に周囲に目を走らせる。
エミーリアは、反応できていない。
どうにか盾を構えようとしてはいるようだ。
クロアは、リコラを守るように抱き着いている。
鉛玉の射線を鑑みるに、あの二人は、致命傷は避けれそうだ。
作太郎は、眼窩に赤く昏い光を灯し、刀を抜いている。
素早い反応だ。
自分でどうにかしそうである。
眠っているビッキーを見る。
ビッキーの殻は、対物ライフルでもないと撃ち抜けはしない。
今回跳んできている弾は小さい。
貫通はしないだろう。
やわらかそうな呼吸管は、窓の反対方向から出ているので、弾は当たらないだろう。
ここは、エミーリアを守るべきだ。
愛剣を抜き、エミーリアに迫る鉛玉を弾く。
そのまま歩を進め、窓とエミーリアの間に立つ。
2発、3発と鉛玉を弾く。
飛来する弾を観察する。
拳銃弾。
9㎜弾だろうか?
この連射速度からすると、サブマシンガンを撃ち込まれているようだ。
弾幕の密度と発砲炎からすると、4丁から同時に撃たれているようである。
割れた窓から、さらに、黒い丸いものが飛び込んでくる。
手榴弾だ。
ここで外に打ち返すことはできる。
だが、それをすると、敵のみならず、周囲の民家や、一般人を傷つける恐れがあるだろう。
「手榴弾!」
クロアが悲痛な声で叫ぶのが聞こえる。
・・・この声色は、覚悟を決めた声だ。
クロアは手榴弾を自分で抑え込むつもりのようだ。
だが、クロアでは耐えられないかもしれない。
幸いにして、銃撃は止み、黒いワゴン車は走り出そうとしている。
どうやら、最後のトドメに投げ込んだようだ。
クロアに先行し、俺が手榴弾を掴み取る。
投げられたのは、3発。
3発全て掴み取る。
そして、そのままそれを抱え込み、伏せる。
腹部に衝撃。
何度やっても、手榴弾の破片が腹部にたくさん当たる感覚は、好きになれない。
車が走り去る音が聞こえる。
どうやら、敵は去ったようだ。
「メタルッッッ!」
エミーリアの、聴いたことの無い叫び声が聞こえる。
そして、誰かが俺を揺する。
この小さな手のひらは、エミーリアだろう。
このまま心配させるのはよくない。
「・・・大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。」
俺は、ゆっくりと立ち上がる。
そんな俺を見て、エミーリアは、目に涙を浮かべる。
「よ・・・よかった・・・。」
そして、そのまま、そっと優しく抱き着いてくる。
どうやら、俺の体を気遣ってくれているようだ。
「大丈夫。大丈夫だから、安心して。」
俺の体に抱き着いたまますすり泣くエミーリアを、安心させるように語り掛ける。
「クロア!ああ!クロア!!」
エミーリアを宥めていると、次は、リコラの叫びが聞こえる。
「大丈夫だ。これくらい、何ともない。」
リコラの叫びに対し、クロアの声は落ち着いている。
もしや、クロアが被弾したのだろうか?
そして、クロアの方に目を向けて、ギョッとした。
クロアの右眉毛上の額から頭頂部にかけて、細長い範囲の頭皮が剥がれて無くなっている。
所々、肉の隙間から、頭蓋骨すら見える。
そして、黒い液体が、クロアの上半身を染めている。
よく見れば、吹き飛んだ頭皮は、奥の壁にへばりついている。
・・・かなりグロテスクだ。
どうやら、顔面に弾を受けたようだ。
だが、驚きはそこではない。
クロアは、そんな状態で、一切痛痒を感じていないようなのだ。
よく見ると、頭蓋骨は金属光沢を放っている。
クロアは、リコラを宥めようと、リコラに手を伸ばす。
その時に見える二の腕や背中にも、被弾痕があるようだ。
そこから見えるのは、表皮がなくなり、むき出しになった筋線維だ。
なかなか痛々しい。
その筋線維にも、所々に金属光沢が混じっている。
・・・一体、クロアの人種は何なのだろうか?
「いやはや、危なかったですなぁ。皆様、どうやら命はご無事な様子。」
次は、作太郎の声がする。
声に釣られて、作太郎の方を見る。
作太郎の上半身が、床に転がっている。
その周囲には、足と思われる骨も散らばっている。
「はっはっは。某、骨盤に一撃通してしまいましてな。どなたか、そこにある骨盤を拾ってはもらえませぬか?」
作太郎が指さす先を見ると、確かに、骨盤が部屋の隅に転がっている。
そして、割れている。
「わ・・・割れてるが・・・?」
俺が拾い上げながら言うと、作太郎はカラカラと笑う。
「なに。初めてではありませぬ。何かで固定しておけば、1時間もすれば元に戻りまする。」
そうなのか。
まあ、本人(本骨?)が言うのならば、そうなのだろう。
「ほら、こうすれば元通りだ。」
クロアの声が聞こえる。
そう言うクロアの頭は、元通りに見え・・・?
いや、元通りじゃない。
吹き飛んだ頭皮を拾って乗っけただけだ。
グロい。
「こ・・・怖いことをするんじゃない!?」
リコラが、悲痛な声で叫ぶ。
同感である。
だが、どうやらクロアはそれでいいらしい。
「ほら、もうくっついた。」
そう言い、クロアは、乗っけただけに見える頭皮を引っ張る。
・・・確かにくっついている。
よく見れば、全身の傷も塞がってきている。
再生力は非常に高いようだ。
「大丈夫なら、いいんだが・・・。」
リコラは、しぶしぶ納得する。
まあ、目の前で再生を見れば、納得せざるを得ないだろう。
そんなやり取りの間に、作太郎が立ち上がる。
「これで大丈夫でござる。」
骨盤を見れば、養生テープで止めてある。
それでいいのか。
鼻をすすりながら、エミーリアが俺から離れる。
どうやら、エミーリアも落ち着いたようだ。
突然の襲撃だったが、どうにか、全員命は無事だった。
クロアと作太郎が傷を負ったが、そのどちらもすぐに治りそうである。
襲撃をしのぎ切ったのだ。
数分後、どうにか皆が落ち着いたのを確認し、リコラが、言う。
「・・・クロア。さっき、この書類に反応していたな。この書類が何か、わかるのか?」
クロアは、頷く。
そして、口を開く。
「ああ、わかる。だが、その前に、この部屋に仕掛けられた盗聴器を探そう。」
・・・なに?盗聴器?




