第9話 裏紅傘へ
戦闘事務所『裏紅傘』へ向かうため、闘技場を出る。
闘技場を出ると、いい匂いが漂ってくる。
匂いの方向に目を向ければ、闘技場の正面から少し外れた場所に食べ物の屋台がたくさん現れている。
時間は昼時の少し前。
昼になって闘技場から出てきた人々を狙った食事の屋台だ。
闘技場の中には食堂などはない。
食事の自販機などはあるのだが、あくまで軽食レベルである。
がっつりした食事となると、外に出る必要があるのだ。
闘技場の近くに食べ物の屋台が出るのはよく見る光景だが、首都だけあってその数は多い。
エミーリアの方を見れば、案の定、目線は屋台に釘付けである。
あれだけ身体を動かしたのだ。
相当、空腹なのだろう。
しかし、クロアはそんなエミーリアの様子を一切気にせず、歩を進める。
「こっちだ。」
エミーリアの様子には、全く気付いていないようだ
エミーリアの無表情は、慣れなければ本当に何を考えているかわからない。
初対面のクロアに読み取れと言うのも、無理な話だろう。
そんなエミーリアを見れば、クロアに遅れまいと足を動かしているが、目線は完全に屋台の方を向いている。
・・・あとで、たくさん食べさせてやろう。
幸福そうな表情をするに違いない。
幸せそうなエミーリアの表情を妄想しながら、クロアについていく。
少し歩くと、闘技場の駐車場に着いた。
なかなか広い駐車場だが、車は4分の1ほどしか停まっていない。
イベントの時などは一杯になるのだろう。
クロアは、駐車場の隅の方に停められた、一台の車に向かう。
「乗れ。」
クロアがそう言い指し示す車は、旧型の軽貨物車だった。
今までかなり酷使されているようで、外装はボコボコに凹み、所々が錆びている。
クロアが乗り込むと、サスペンションがギシリと音を立て、車体が揺れる。
「右の後部ドアは開かない。左から乗れ。」
右の後部ドアを開けようとしていたが、クロアの言葉を聞いて、開けるのをやめる。
作太郎が助手席に乗り、後部座席にエミーリアと俺が乗る。
全員が乗り込むと、クロアが車を発進させる。
車のエンジンは、どこか気の抜けたような軽い音を立て、がたがたの車体を走らせるのだった。
*****
クロアの運転は、道路交通法を完璧に順守していた。
タイヤは理想的な軌道を辿り、加速は無理なく、速度は法定通り。
もはや、機械が運転しているのではないかというほど、一切の狂いが無い、正確な運転である。
運転姿勢も、教本に書いてあるかの如く、基本に忠実なものだ。
運転中、クロアは一言も口を開かない。
「丁寧な運転ですな。」
作太郎が、クロアに声をかける。
「教習通りだ。」
クロアが答える。
このクロアが自動車教習を受講している様を想像すると、少し面白い。
10分ほど走ると、車は塔を抜ける。
首都に来て初めて、塔の外に出た。
首都の外周にある4つの塔の内側である。
「・・・すごい。」
エミーリアが、ぽつりと呟く。
塔を抜けたそこは、鉄とコンクリートでできた樹冠のようである。
5本ある巨大な塔の間を繋ぐ空中回廊は、塔の大きさに比例して巨大であり、太さだけでも数十mはありそうだ。
その空中回廊の上と下、さらには横には、数多のビルや道路が接続されている。
それらのビルや道路が他の空中回廊とつながることで、空中回廊の上下間では都市が壁となっている。
水平部分には基本的に道路が張り巡らされており、所々を地上や、5つの塔、空流回廊から伸びたなど柱などに支えられている。
道路には建物が接続され、さらにその建物同士が繋がり、巨大な立体都市になっているのだ。
空を遮るものが多いが、そこまで暗くないのは、街灯などが多数あるためだろう。
5本の塔は日光を効率よく集め、上手く都市全体に供給しているのだ。
また、他の特徴としては、住宅街や商店街、歓楽街などの各種都市機能がまとまって一か所にあるわけではないことが挙げられる。
住宅街はこの都市の内部数百か所に分散しており、それに付属する形で商店街が形成されている。
オフィス街があれば、近くに飲み屋街が生まれ、その裏手には歓楽街が出来上がっていったのだ。
そう言った成り立ちから、この都市は、人口数十万人の都市の集合体だと言う学者すらいるのである。
そんな景色の中を、俺たちを乗せた車は走る。
しばらく走ると、車は主要道から外れ、街の中に入る。
この街は、首都の高さ的には半ば程度に形成された、比較的歴史のある街のようだ。
行き交う人々は多いが、建物はどことなく古めかしく、少し寂れた感じがする。
意外と道は広いが、周囲の建物からの圧迫感で、あまり開放感は無い。
車は商店街を抜け、歓楽街の入り口付近に停まる。
「ここだ。」
クロアの声に従い、車を降りる。
上を見れば、すぐ近くに道路の高架があり、その下にたくさんの建物が詰め込まれるように建っている。
高架下の建築は、首都ではメジャーなのだ。
その高架下の建物群の一つに、立派な番傘が飾ってあるのが見える。
番傘は、表が黒く、裏が紅い。
そして、その傘の下にある、まだ新しい看板には『お困りごと何でも解決! 裏紅傘』の文字が見える。
立派な番傘に反し、その看板はどことなく安っぽい。
壁は煤けており、看板と違って年代を感じさせる。
クロアは戦闘事務所と言っていたが、どうやら実態は何でも屋のようだ。
看板の下にはこれまた古めかしい合板パネル製の扉がついており、その隣には資材搬入に使うような大きなシャッターもついている。
シャッターの見た目は新しいので、増設したのだろう。
「戻ったぞ。」
クロアが、そう言いながら戸を開ける。
「おー、やっと帰ってきたか。遅かったね。」
奥から声が聞こえる。
クロアほどではないが、少しハスキーな声だ。
「入れ。」
クロアが、こちらを見てそう言う。
「こら。せっかく協力してくれるのに、その口の利き方ではだめだ。」
奥から聞こえる声が、クロアを窘めているのがわかる。
とりあえず、俺たちは、クロアの声に従い、建物に入る。
「では、お邪魔します。」
「ああ、どうぞ、入ってくれ。」
建物の中は、一部を除いて何の変哲もない事務所と言った感じだ。
数台の灰色の事務机に、くたびれた合成皮革の応接セット。
窓際には、申し訳程度に観葉植物がある。
そんな中で、シャッターからつながっているであろう場所は、なにか、大きな球状の物を置いていたかのように、クッションが敷き詰められており、何の変哲もない事務所の中で異彩を放っている。
「やあ、よく来てくださいました。歓迎します。」
そう言いながらこちらに歩み寄ってくるのは、赤いぱっつんおかっぱの女性。
・・・どこかで見たことがある。
「・・・ぅえ?メタルさんと、コニカさん?」
ああ、思い出した。
そこにいたのは、1週間ほど前に攻略した76番要塞に居た、リコラであった。




