第59話 ナターリアの世界
「私は世界、世界は私。」
ナターリアの声がする。
その声は、見えているナターリアからではなく、空間自体全てが発しているように聞こえる。
「ここは私の世界。世界に抗えるなど、思わぬことだ。」
ナターリア自身は十数m先に見えるのに、気配は全方位から感じる。
ナターリアが世界で、世界がナターリア。
その言葉は、嘘ではないのだろう。
ここは、ナターリアの世界。
俺は、一つの世界を相手にすることになったのだ。
「ここが、お前の世界。」
周囲を見る。
地面にも、空にも、無数のナターリア。
どの顔にも表情は無い。
表情は無いのだが、どこか、何かを堪えているような表情にも見える。
いびつな形の雲は、その雲自体の形もさることながら、雲のある空間自体が捻じ曲がることでできている。
無数のナターリアの顔が集まった形状の地面は決して平らではなく、その地形は捻じれ、隆起し、常に形を変えている。
世界の構造自体が、歪。
ここは、これまで無理して自身を強化し続けた、ナターリア自身の歪さが現れているのだろう。
俺は、ナターリアに訊ねる。
「この世界の外とは、完全に隔絶されているのか?」
俺の問いに、答えなくてもいいのに、ナターリアは律儀に答える。
「如何にも。完全に隔離されている。」
答え、ナターリアはさらに言葉を続ける。
「ここは、我が深層の世界。私こそが、世界の法則。」
深層の世界。
個人の内部は、各個人固有の世界になっている。
ここで言う個人の内部とは、体内のみのことではなく、その精神世界まで含めた、包括的な個人の内部のことを指す。
その個人がもつ固有の世界は、その個人の力の強さに比例してこの宇宙から独立していく。
ナターリアほどの力の強さともなれば、その世界の大きさや強度は、相当に巨大なモノになっているはずだ。
俺は、その強大なナターリアの世界に飲み込まれたのだ。
深層の世界、と言うからには、相当深い場所まで飲み込まれたのだろう。
「貴様の生殺与奪の権は、私が握っている。」
ナターリアには、絶対の自信があるのだろう。
自身の世界に引きずり込んだのだ。
その自信は、ほとんどの場合において、正しい。
だが、今回は違う。
完全に隔離されている?
好都合だ。
目を細め、視覚情報を局限する。
無駄な情報はいらない。
ただ、攻撃への心構えさえ、あればいい。
蒼硬を構える。
心を、平静に。
身体から、余分な力を抜き。
そして、改めて全身に力を巡らせる。
体幹から、全身に。
腕から、脚から、指先に。
手に握る、蒼硬に。
蒼硬の、切先まで。
蒼硬も、今は、俺の身体だ。
俺が構えるのを見て、ナターリアが、言う。
「無駄なことを。」
ナターリアがそう言った瞬間、空間が歪み、襲い掛かってくる。
空間魔術とは違う。
世界自体を使い、俺を引き裂き、摺り潰そうとしているのだ。
全身に走る、猛烈な痛み。
首が、変な方向に曲がりそうだ。
胴体は、何十個にも砕け散りそうだ。
手足など、八つ裂きになり血霞となって消え去ってしまいそうだ。
だが、耐えられる。
ダメージはあるが、致命傷にはならない。
首は、微動だにせず、歪な世界を見据える。
胴体は、微塵も砕けず、全身を頑強に支える。
手足は、裂けず動じず、末端まで力が巡り切る。
準備は整った。
力が全身から溢れ出し、自身の周囲に青い光を纏う。
この青い光は、俺の内面世界のエネルギーが表出しているものだ。
そのエネルギーが、ナターリアの世界からの干渉を許さない。
蒼硬を、掲げる。
全身に纏った青い光が柱のように立ち昇り、蒼硬に込められた力が迸る。
迸った力は、深い青色の光を纏い、巨大な刃を形成していく。
その刃はどんどん大きくなっていく。
いびつな形の雲を呑み込み。
捻じ曲がった空を貫き。
その切っ先を視界にとらえられなくなっても、まだ、大きくなる。
ナターリアは、俺が作り出す青い剣を、唖然とした表情で見上げている。
蒼硬は、深い青色のエネルギーを纏い、その深い青色のエネルギーは、巨大な刀身を形成している。
「な・・・な・・・。」
ナターリアは、何かを言おうとしているが、声にならないようだ。
世界を、斬る。
久しぶりだ。
世界を斬るのは。
隔絶されている世界だからこそ、これだけの力技が、できるのだ。
いつもの宇宙でこんな力技を繰り出せば、敵どころか、星系ごと崩壊させてしまう。
俺は、天を貫く剣を構え、ナターリアを見据える。
ナターリアは、焦った表情で、俺への攻撃を続けている。
だが、その攻撃は、纏ったエネルギーに弾かれ、俺には届かない。
ナターリアを、この世界を見据え、両手で、蒼硬をしっかりと握る。
そして、肩に担ぐように、構える。
その瞬間、ナターリアは、鬼気迫った表情をする。
「やめ―――!」
ナターリアの制止を無視し、全身に力を籠める。
そして、無言で、蒼硬を振り下ろす。
絶対に動かないと感じさせる、異様な手応え。
だが、それも、一瞬。
捻じ曲がった空が、一筋に裂け。
いびつな雲は、一瞬で掻き消え。
歪んだ大地を、一刀にて叩き割る。
一筋の青い線が、世界を、両断していた。
世界を、斬った。
蒼硬から、エネルギーが霧散する。
いつもの状態に戻った蒼硬を構え、ナターリアに向ける。
残心。
反撃は無いとは思うが、念のためだ。
だが、ナターリアは、放心している。
何か、ミシミシ、といったような音がする。
その音に、ナターリアが表情をゆがめ、膝をつく。
「あ・・・あぁ・・・。」
その表情は、絶望。
ギシリ、と、何かが歪む音。
いや、先ほどから響いているのは、音ではない。
空気の振動ではない。
空間自体が、歪み、震えている。
虚ろな表情のナターリアは、俺に、顔を向ける。
ギリギリ、と、世界が傾き始める。
一筋の青い線の周囲が、罅割れている。
世界中の、無数のナターリアの表情が、虚ろに歪む。
斬られた世界が、崩壊を始めているのだ。
ビシ、と、致命的な何かが、割れた。
何かを悟ったナターリアが、言う。
「私の、負けだ。」
その瞬間、世界は、崩壊した。




